聖書 詩編34編20~23節 コリントの信徒への手紙二11章16~33節
説教 「使徒の苦難」 田口博之牧師
謙遜の美徳というのは、日本特有の文化だと言われています。自己主張を抑えることで相手を立てることでコミュニケーションを取り、信頼関係を築いていく、そういう社会を形成しました。どこの国にも敬語がありますが、日本では敬語といっても、尊敬語、丁寧語、謙譲語という三つのカテゴリがあります。日本語が難しいと言われるゆえんですけれども、謙譲語というのは日本だけではないかもしれませんが、それが相手を高めるという仕組みを作り出してきたように思います。
イエス様ご自身は、聖書を読む限り謙譲語は使っていませんが、謙遜であることは勧めています。「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」と言われたように。この言葉は、上座、上席を好むファリサイ派や律法学者への非難として語られました。
パウロの後でコリントに入ってきた偽伝道者も、ファリサイ派出身者が多く、高慢な体質を持っていました。また古代ギリシア世界において、わたしたちが想像するほどに自分を誇ることは否定的に捉えられてはいなかったので、彼らは堂々と自己を誇りました。これは古代世界に限らず、現代の各国の政治指導者を見ても、謙遜な人というのはあまりいないように思います。国民が強い指導者を求めていることが背景にあるのでしょうが、そういう体質は日本にも押し寄せているように思えます。
11章20節に「実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。」とあります。この言葉は、コリントの信徒たちが、パウロを批判する偽使徒たちに酷い目に遭っているということです。100%パワハラを受けていたことになりますが、コリントの信徒たちは、強い彼らに従うと良いことがあると信じ我慢していたのです。
もちろんパウロは、彼らのような横柄な態度は取っていませんでした。パウロは、手紙は力強いけれども、会って見ると弱々しいと思える人だったのです。つまり見た目はパットしなかった。偽使徒たちはそこを過剰に突いてきて、コリントの信徒たちの思いをパウロから引き放したのです。
そんなパウロですが、自身の態度がこれまでは弱すぎたことを認め、愚か者になったつもりで、「わたしも敢えて誇ろう」と言います。パウロは、自分の誇りについて語る。すなわち自慢話をすることは愚かであることを知っていました。そういう意味で日本人的な感覚を持っていたともいえますが、謙遜を美徳としていたわけではありません。
パウロは、「わたしは、罪人の中で最たる者です」と言っています。これが偽らざる思いであり、自分には誇ることなど何もないことを知っていたのです。誇るとすれば、こんなにも罪深く愚かな自分を伝道者へと用いてくださるキリストの恵みを誇る以外にはありませんでした。でもその話をしても、サタンに惑わされている信徒たちには通じないことを知っていました。ですから、自分を誇りたくはないけれども、コリントの信徒たちの目を覚ますには相手の土俵で誇るしかないと考えて、自分について誇らしいと思える話を始めてゆくのです。
22節は自身のうまれについて、「彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです」と言って、彼らに引けを取っているわけではないことを語るのです。パウロはローマの市民権を持つ、ディアスポラと呼ばれる離散されたユダヤ人でしたが、彼らと同じく生粋のユダヤ人でした。でも、ここではかなり謙遜な言い方をしています。真剣に誇ろうと思えば、フィリピの信徒への手紙3章5節で、「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした」と述べているように、信仰の血筋という点では、彼らに勝っているのです。
しかし、勝負所はそこではありませんでした。23節で「キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです」と言っているように、決定的なところで勝ったのは、キリストへの献身でした。キリストに従うためには苦難が伴います。そこでパウロは、自分が経験した苦難を語り始めます。苦労話は、美談となる場合がありますが、パウロの狙いはそこではなく、自分が正真正銘の使徒であること証しするためでした。キリストの使徒であるためには、苦難がつきものです。その苦難は、肉体的な苦痛を伴う苦難があれば、精神的な苦痛を伴う苦難があります。
パウロは「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」と、はじめに肉体に受けた苦難を語ります。具体的に、「四十に一つ足りない鞭を五度も受けた」こと、「三度鞭で打たれた」こと、「一度石で打たれた」こと、「三度も難船して、一昼夜海に漂ったこともあった」と語ります。
「四十に一つ足りない鞭」とは、裁判で鞭打ちの刑に定められた場合、「四十回までは打ってもよいが、それ以上はいけない」という律法の定めがあったからです。そうであるなら、「四十回までは打ってもよい」と言われているのに、なぜ「四十に一つ足りない鞭を五度も受けた」とあるのか、なぜ39回で止めたのか不思議に思われるでしょう。わたしも不思議に思い調べたのですが、数え間違いして40回以上打たないように、胸を13回、右肩を13回、左肩を13回打ったようです。
次の「鞭で打たれたのは三度」というのは、ローマの鞭で打たれたということです。ローマの鞭というのは、鞭に鉛の破片がつけられていて、一度打たれれば肉がえぐられて瀕死の重傷を負う残酷な道具でした。イエス様がピラトの裁判を終え、ローマの兵士から打たれたのも、そのような鞭でした。
次の「石を投げつけられたことが一度」というのは、第一次伝道旅行でリストラで経験した石打の刑のことです。使徒言行録14章19節には、「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した」とあります。ここでも、意識がなくなってしまうほど、瀕死の重傷を負ったのです。
これらの苦難は、強い人が受けることはありません。強い立場によって、身が守られるからです。こうした苦難を受けたとしても恥でしかないので、パウロはこんな苦難に耐えることができた自分を自慢したかったと考えるのは間違いです。このような弱い者を助け、生かしてくださった神の恵み。苦難の中でも神は決して見捨てなかったことを証ししているのです。
聖書は信じる者の幸いを語ります。わたしたちは苦しみに遭うと、「神はなぜ助けてくださらないのか」、「神に見放されたのではないか。」と思ってしまいます。ところが聖書の言う幸いは、この世の人がイメージする幸いとは違うのです。イエス様は山上の説教の冒頭「八福の幸い」で言われました。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。」
漢字で書くと「幸い」という字と「辛い」という字はよく似ていますので、間違いではないのかなと思います。八福の幸いの最後は、「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と言って、迫害を受けないことが幸いなのではなく、迫害されることの幸いを語るのです。しかも最後の教えだけはそこで終わることなく、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである」と続くのです。
イエス様は、キリストに従う者は苦難に遭わないのではなく、迫害されると言うのです。旧約の預言者も新約の使徒たちも迫害を受けました。何より、イエス様ご自身が十字架への道を歩まれたのです。苦難があるから神がいないのではありません。苦難のあるところに神が共にいてくださるのです。
詩編34編の詩人は、「主に従う人には災いが重なるが 主はそのすべてから救い出し
骨の一本も損なわれることのないように 彼を守ってくださる。」と歌います。「主に従う人には災いがない」のではなく、「災いが重なる」と言うのです。しかし、「主はそのすべてから救い出してくださる。」ここが肝なのです。
この他にも「難船したことが三度、一昼夜海上に漂ったこともありました」と言います。当時の船は、今では考えられないほど脆いもので、船旅は過酷さを極めていました。パウロは加えて、この後ローマに護送される時にも難破し漂流しましたので、最低でも一つは加えねばなりません。さらには旅先においても、川の難、盗賊の難、同胞や異邦人からの難、町や荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、「苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだある」 と述べています。言い出せばキリがないのです。
これら肉体的な苦難に加えて精神的な苦難がありました。「その上に日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります」と述べています。こういう言葉は、教会に生きる私たちにとって、よく分かることではないでしょうか。教会の長老会も、時にやっかい事や、心配事の話に終始する時があります。わたしの日々の仕事は、やっかい事にどう対処するかが中心になっている気がします。また、信仰がなければ耐えられないような話を聞いたり、そのような場面に遭遇することもあります。
29節の「だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか」とは、不思議な言葉です。一緒に弱ってしまったなら、解決にはいたりません。偽使徒たちであれば、「だれかが弱っているなら、わたしが助けてあげよう」と言うのではと思います。でもパウロは、わたしも一緒に苦しむと言うのです。その苦しみを、「自分自身の痛みとして共に生きる」ところにまことの慰めがあるのです。
「だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか」とあります。ここでいう「つまずく」とは、信仰から離れてしまうような出来事を言います。コリントの信徒たちがまさにつまずいていました。だからこそパウロは、心を燃やしてこの手紙を書いたのです。思うにパウロは、死んでしまいそうな肉体的苦難を何度も経験しましたが、教会の信徒たちが弱ったり、つまずいていることのほうが苦しかったのではないでしょうか。パウロは人の弱さを自分の弱さとして引き受け、人のつまずきに心を燃やす牧会者でした。そんなパウロだからこそ、「喜ぶ人と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」と教えることができるのです。
このように、数多くの苦難について語ったパウロですが、最後に思い出したかのように、ダマスコのエピソードを語ります。32節以下です。「ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。」
これは、これまで述べた中で唯一具体的な苦難です。いつ、どこで起こったことなのかもはっきり分かります。パウロがダマスコに行ったのは一度だけでした。それはパウロがまだサウロと呼ばれていた頃、イエスを信じる人々を弾圧するためダマスコに向かったのです。ところが、ダマスコに近づいた時、よみがえりのイエス・キリストと出会い回心しました。パウロはキリストを迫害するためにダマスコにやってきたのに、回心したので伝道を始めるのです。伝道者としてのデビューを果たしたのがダマスコでした。
ではそれが華々しいデビューだったかと言えばそうではありません。使徒言行録9章23節以下に記されていることですが、ユダヤ人たちはサウロを殺そうと企んだのです。そのことを知ったサウロの弟子たちは、門番に見つからぬよう夜の間に彼を連れ出し、籠に乗せて町の城壁づたいにつり降ろしたと書かれてあります。パウロはダマスコで新しくされましたが、殺そうとする者たちに立ち向かったのではありません。闇夜に紛れて籠に入れられて、つり降ろされて逃げたのです。実にみじめで格好悪いエピソードです。でもこれが、パウロの伝道の原点となったのです。そのことを今日のテキストで回想しているのです。
そして大事なことは、パウロは苦しいデビューであったけれども、失望しなかったということです。伝道者になるなんてもう懲り懲りだと思ったのでもありません。このダマスコでの体験、自分の力で苦難を乗り越えたのではなく、神と人とに助けられて生き延びた。この惨めで徹底的な弱さを経験した出来事が、パウロの伝道者としての原点となりました。
そのようなパウロの思いを言い表したのが、30節「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」という言葉です。この弱さを誇ることについては、次週の12章9節で改めてお話したいと思います。
強いと思っていたパウロは弱い人でした。教会は弱い人の集まりです。当然のことながら教会も様々な弱さを抱えています。わたしも皆さんが思っている以上に、かなり弱い人間です。それでも、ただ弱さを嘆くだけで終わらないのは、弱さの中でこそ強く働かれる主に支えられているからです。わたしたちは誇るべきは、弱さの中でこそ働かれるキリストです。だからわたしたちは、弱さを誇ることができるのです。弱さを恥とすることなく、神の恵みを誇って歩んでゆきたいと思います。
