使徒言行録1章12~26節
「備えられる群れ」田口博之牧師
次週はペンテコステ礼拝です。ペンテコステのことを聖霊降臨日とか教会の誕生日という言い方をしますが、ペンテコステという言葉自体はギリシア語の50を意味します。イースターから数えて50日目、ユダヤでは過越祭から50日目に、五旬祭とも七週祭とも呼ばれる小麦の刈り入れの祭りを祝いました。これが今の教会の暦でいえば、イースターから50日目のペンテコステに当たります。弟子たちの上に聖霊が降って、イエス・キリストの福音を宣べ伝える教会共同体が誕生しました。
但し、どんな生き物もそうですが、いきなり誕生するわけではありません。人間の赤ちゃんも、十月十日、お母さんのお腹の中で命が育まれます。名古屋教会は今月の初め、創立143周年記念礼拝を献げました。1984年に28名の信徒で教会建設願いを提出したという記録がありますが、これは教会が出来る前にすでに28名の信徒がいたということを意味します。その発端が1878年12月の植村、山本による有松伝道集会であり、5年半のうちに教会建設に至るまで着実な伝道を重ねていたのです。備えの時があったということを覚えておきたいのです。
イエス様もいきなり伝道活動を始めたのではありません。公生涯を始められる30歳前までは、父ヨセフの跡を継いで、大工として家族を支えていました。伝道活動を始められる前には、洗礼者ヨハネから洗礼を授けられました。ヨハネもまた主の道を備える人でした。イエス様は、同じユダヤの民、生まれ故郷のガリラヤから順序だてて伝道を始められました。異邦人伝道は、聖霊を受けたご自身の御体である教会に委ねられたのです。
教会の暦はアドベントから始まりますが、およそ半年経ったところで、ペンテコステを迎えます。12月から5月を主の半年、6月から11月までを教会の半年と呼ぶことがあります。イエス様をお迎えする備えを十分にしたいということから、アドベントに入る前の週に大掃除をしていました。しつこい汚れは1年では落ちないという声が上がったとき、3年程前から、ペンテコステの前の週に大掃除をするようになりました。そのには、アドベントと同じように聖霊をお迎えする備えが必要と思ったからです。そしてこの礼拝において、聖書の御言葉をとおして霊的な備えをしたいと思っています。
さて今日のテキストは、12節「使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た」とあります。イエス様が、弟子たちの見ている前で、天に上げられたのはオリーブ山でした。オリーブ山とは、ゲツセマネの園のあるところです。弟子たちにとって、ついこの前までイエスと共に過ごした思い出深い場所です。イエス様がここから、天にあげられて見えない存在となりました。12節後半「この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった」とあります。
弟子たちは、オリーブ山からエルサレムへと戻りました。この家の上の部屋は、イエスのエルサレムでの拠点であり、最後の晩餐を囲んだ2階の家の広間であったと思われます。復活されたイエス様が弟子たちに現われたのも、弟子たちと40日の間共に過ごしたのもこの部屋だったでしょう。ここに集まったのは、イエス様の12弟子に数えられた「ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダ」です。彼らだけではなく。14節に「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」とあります。「婦人たち」とは、イエス様と弟子たちの伝道の旅に付き添い、男の弟子たちが散らされた後も、十字架と埋葬と復活の証人となった女性たちです。さらに、イエスの母マリアとイエスの兄弟たち、すなわちヨセフとマリアの子どもとして生まれた兄弟も一緒でした。
彼らは「心を合わせて熱心に祈っていた」とありますが、約束の聖霊が注がれることを祈りつつ待ったのです。熱心な祈りが、彼らにとっての備えでした。もう少し言えば、彼らが備えたというより、説教題を「備える群れ」ではなく、「備えられる群れ」としたように、神が彼らを備えさせたのです。
わたし自身は、備えることがあまり得意な方ではありません、説教の備えも、教師になって30年も経つのですから、余裕で出来て欲しいのですが、いつまで経ってもギリギリです。「まきば」には水曜日に行くことが多いのですが、水曜日には南山教会の牧師や伝道師は、週報と一緒に説教原稿も配っています。その様子を見るたびに、わたしは南山の牧師には、絶対になれなかったと思わされています。「土器」については、皆さんに倣ってのことですが、締め切りに間に合わなくて、人に迷惑をかけたことはないと思っています。これは自分で間に合わせたというよりも、備えることが得意ではないわたしのために、神が備えさせてくださっていることをよく感じるのです。
今日のテキストの場面で、神が彼らに何を備えさせたかといえば、熱心な祈りです。人は自分の力で何かしようと思えば、そうは祈りません。祈れていないことに気付いたならば、「神さま祈らせてください」と祈ることが第一です。そう祈った上で、あれこれ言葉を紡ぎ出そうとすると、祈ることがしんどくなってきます。「祈れないわたしに、なすべきことを示してください」それだけでいいのです。
使徒たちは、熱心に祈る中で、自分たちがなすべきことを示されました。それが使徒の補充でした。先ほどペトロ以下、弟子たちの名前があげられていましたが、使徒は12人いるべきなのに11人しかいなかったのです。そこには、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダの名がありません。
ペトロは16節以下で、ユダの顛末について次のように語っています。
「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。」
ユダの死について、マタイのように自殺したとは書かれてありませんが、買った土地が、崖に面したところだったのか、落とし穴に落ちてしまったのかは分かりませんけれども、むごたらしい死を遂げたのです。イエス様が言われたように「生まれてこなければよかった」と思わせてしまうような悲惨な死に方です。
イエス様が、なぜイスカリオテのユダを選んだのかと、問われることがあります。信徒時代に、わたしより年齢が三つほど上の方ですが、特伝にお招きした講師の先生に対して、必ずその質問をする方がいて、講師を困らせていたことを覚えています。この世的に言えば、「イエス様は、人を見る目がなかった」と言われても仕方がないような人選です。でもイエス様にとって、ユダの裏切りは意外だったわけではありません。最初からユダが裏切ることが定められていたかどうかは断定できないと思います。でも、ユダでも、他の誰かであっても、悔い改める機会は与えられていました。他の使徒たちもそうだったのです。
最後はユダが自分の意思で決めたのです。神は人間の自由意思を尊重される方なのです。結果的にユダが裏切ったことで、イエス様はれ十字架に架けられましたが、ユダが裏切らなかったとしても、イエス様が十字架で死なれるのは必然でした。16節に「この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです」とは、そういうことです。
さらに20節「詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。』」とは、ユダのことを指し、「また、『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』」とは、ユダに代わる使徒の補充のことです。
このとき使徒は11人いました。十二人の使徒のうち一人ぐらい欠けたままなら、大した影響ないように思うかもしれません。しかし、十二という数字に大きな意味があります。聖書において12で思い起こすのは、イスラエルの十二部族です。イエス様が12人を使徒とされたことには、教会には新しいイスラエルという意味があるということです。イスラエルの民が、12の部族ごとにまとまって約束の地を目指したように、新しい神の民の出発に際して、欠けを補っておかなければならなかったのです。
しかも、15節には「百二十人ほどの人々が一つになっていた」とあります。単純に考えても、10人で一つのグループを作ろうとすれば、ここには120人いるのですから、指導者が11人では都合が悪い。そんなことからも、もう一人選ぼうと考えるのは自然なことです。そういえば、わたしが桜山教会にいた頃、長老の数は現住陪餐会員10人につき一人として定員を決めていました。それで長老の数を減らしたこともありました。教会規則を作ったときに、その内規どおりで教団に申請したのですが、それでは定数を定めたことにはならないと却下されたことを思い出しました。
さて、誰でも使徒になれたわけではなく条件がありました。教団にも教規第99条に記されていますが、わたしたちの教会では、これに加えて、長老選出内規により、洗礼を受けて3年、転入会後1年とか、礼拝出席4分の1以上といった被選挙権資格を定めています。使徒を選ぶ時には、教会が出来る前ですので規則はありませんが、21節以下によれば、イエス様がヨハネから洗礼を受けられたときから、天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中から選ぶことが定められました。
なぜ、地上のイエス様と共に過ごした人でなければならなかったのでしょう。そもそも逃げ出してしまったような彼らが使徒と呼べるのかと思いますが、「主の復活の証人となるべきです」とあるからです。確かにイエス様との地上の歩みを共にした人でなければ、復活された人が、確かに十字架で死なれたイエスであることを証明することができません。使徒を選ぶ際には、そこが大事だったのです。
このことを知る人から見れば、パウロは地上のイエスとは一緒でなったのですから、使徒とは認められないことによります。わたしたちはコリントの信徒への手紙二を通して、パウロの反対者たちがこれを盾に取って、パウロの使徒性を否定していたことを知っています。ただ、パウロ自身もそのことは認めていました。第1コリント9章2節では、「他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです」と言っています。パウロにとって大切だったことは、12使徒と同等の権威を認められることではなく、「少なくともあなたがたにとって使徒」であること、すなわち自分と関わる人たちが、パウロのことを主から遣わされた人と認められるということでした。
いずれにせよ、教会組織が整って以降、使徒と呼ばれる人は誰もいません。その意味からしても、欠けることなく使徒を補充することもまた、備えられる群れにとって必要なことだったわけです。ここでは12人目の使徒として、二人が候補者として挙げられました。「バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人」です。ペトロは次のように祈ります。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。」
教会で長老を選ぶとき、また監事を選ぶ時に選挙をします。わたしたちは、この人がふさわしいと思う人を投票用紙に記しますが、ペトロが祈ったように神の御心を問いつつ行っているでしょう。わたしたちと違うのは、ここではくじ引きによって選ばれたことです。 26節に「二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった」とあります。くじは、旧約の時代から神の神意を問うものとして、イスラエルの初代の王サウルをサムエルが選んだ時など、しばしば行われてきました。「くじ運が良かった」とか「悪かった」では片づけなかったのです。
それでは、選挙などせずにくじで決めたらいいじゃないかと言うかもしれません。あさってからの中部教区総会で、教団総会議員を選ぶ選挙が行われますが、くじで行うとなれば、お祭り騒ぎとなり、それでは責任を伴う選挙とはなりません。わたしたちの長老選挙も同じです。ここでも、ヨセフとマティアの二人を立てたのは、120人の人々であって、最後に神意を問うたのです。今も同数の場合に、時間的な問題もあって再投票ではなく、くじを用いることがありますが、それはやはり聖霊が注がれる以前のやり方なのです。教会の伝統を重んじるローマ・カトリック教会が教皇選挙をする際に、最後はくじ引きではなく、コンクラーベといって再投票を続けるのもその証です。
またこの後、使徒言行録6章ですが、教会の人数が増えてきて、使徒たちが苦情処理対応で、御言葉の奉仕ができなくなる事態に陥ったときも、新たな奉仕者を立てることにしました。そのとき使徒たちは、「あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう」と言って、ステファノら7人が選ばれました。神の御心を、くじに託すのではなく、その群れが祈りと信仰をもって選んだのです。
今日は次週のペンテコステに先立って、聖霊を待つ備えについて使徒言行録から学びました。弟子たちに聖霊が注がれたことで教会が誕生しましたが、備えられた群れ聖霊が注がれたことで、教会が誕生したことを確かめておきたいと思いました。
教会は、わたしたちの力や信仰心によって立つのではありません。人間はいろんなことを計画しますが、最終的にその計画を祝福してくださるのは主ご自身です。今年度スタートする教会創立150周年に向けての将来計画もそうです。施設面では、将来計画検討委員会を立ち上げる前に実施しましたが、3月15日の第一次総会での新年度活動計画承認を経て、すぐに発注しました。それが1週間遅れると、見積り通りの価格で施工することはできなかったです。それでも予定であれば、先週仕上げが行われる予定で、週報にも書いていたのですが、材料が入らなかったため書き換えることになりました。先の見通せない時代となっていますが、そういう時だからこそ「わたしは世に勝っている」と言われた主により頼みつつ、教会の歩みを整えてゆきたいと思っています。
