使徒言行録2章1〜4節
「教会が生まれた日」 田口博之牧師
みなさん、おはようございます。名古屋教会では、6月第2聖日を「花の日」礼拝として、CS、幼稚園、学童はこぶねの子どもたちも集って礼拝を献げています。昨日もはこぶねの子どもたちを中心にしてフラワーポットを作りました。ここにも用意しています。こちらは教会の中のあまり目立たないところに咲いていたガクアジサイです。今年は、カレンダーの関係でペンテコステが「花の日」と重なることになり、ペンテコステ 花の日家族感謝礼拝として神様に礼拝をささげています。
ペンテコステ、なんだかへんてこな名前です。あまり聞かれたことがなかったかもしれませんが、ペンテコステというのは教会にとっては大切な日です。キリスト教会には三大祝祭日といって、三つの大きなお祝いの日があります。
ひとつは、イエスさまがお生まれになったクリスマスです。クリスマスは子どもたちもよく知っているでしょう。幼稚園ではページェントをしています。二つ目がイエスさまが復活されたイースターです。教会でもCSでイースターのたまごさがしをします。そして三つ目のお祝い日がペンテコステです。さっき子どもたちが歌った「ふしぎな風が びゅうっと吹けば」の讃美歌。素敵な賛美でしたが、これもペンテコステの讃美歌です。
では、ペンテコステとはどういう日でしょう。答えは、今日の説教題にあるとおり、「教会が生まれた日」です。今日の聖書、使徒言行録2章1節から4節は、教会がどのようにして生まれたのかが記されているところです。
教会を建物だと考えると、生まれた日というのは、建物が建った日となりますが、そうではないのです。イエス様は天に昇られる前、弟子たちに向かって、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と約束されました。
弟子たちは、イエス様と会えなくなって寂しくてたまりませんでしたが、「聖霊っていったい何だろう」と思いながら、皆で集まってお祈りして聖霊が降るのを待っていました。五旬祭(ごじゅんさい)というユダヤのお祭りの日もそうでした。弟子たちが集まっていると、突然、びゅうっと風が弟子たちの篤っていた部屋の中にも吹き付けました。すると、炎のような光が現れて、弟子たち一人一人の上にとどまりました。でも、誰の髪の毛も焼けませんでした。
やけどをしなかった代わりに、弟子たちは聖霊に満たされて、いろいろな国の言葉で、神さま、イエスさまのことを周りの人たちに話しはじめたのです。「神さまは皆さんのことを愛しています」「イエスさまは素晴らしいお方です」って伝えたのです。
それを聞いた人たちは皆、不思議に思いました。寂しがっていたイエスさまの弟子たちが元気になって、神さまのお話ができるようになったからです。人々は、これは何か秘密があるに違いない。そうだ、弟子たちには神さまの力が働いているんだ。そのことが分かって、イエスさまを信じたいと思う人々が、弟子たちの周りにどんどん集まってきたのです。そのようにして、生まれたのが教会でした。
ですから「教会」というのは、建物のことなくて、ではイエス様を信じる人の集まりを言うのです。ですから「教会が生まれた日」というのは、建物が出来たのではなくて、「イエスさまを信じる人たちの集まりが生まれた日」ということになります。教会を生みだす力になったのが聖霊です。
おとめだったマリアのお腹にイエス様が宿ったのも聖霊の力によってでした。十字架に死なれたイエス様が復活されたのも聖霊の力によるものでした。神さまの力である聖霊が、今度は弟子たちに一人一人に注がれて、御言葉を語るものとされて、人々が集められたのです。
子どもたちが「ふしぎな風が びゅうっと吹けば」の讃美歌を歌いました。先週、幼稚園や学童の子がこの讃美歌を練習する声がよく聞こえていました。歌っていても、聞いていても、とても楽しくなって元気が出てくる讃美歌です。
「ふしぎな風が びゅうっとふけば なんだがゆうきがわいてくる
イェスさまの おまもりが きっとあるよ
それが聖霊のはたらきです 主イェスのめぐみは あの風とともに」
風が目に見ることができないように、聖霊も見ることはできません。でも風そのものは見えなくても、木の葉が揺れているのを見たり、音で聞こえることがあります。園庭にいると風が強い日は砂が当たります。そのようにしてわたしたちは目に見えなくても風があるということを知ります。
暑い日に、涼しい風が吹いてきたら、それだけで元気が出てきます。今から2千年前に聖霊の風が吹きつけて教会が生まれましたが、今日もたくさんお人が教会に集められているのは、聖霊の働きは昔も今も変わっていないということです。
「ふしぎな風が びゅうっとふけば いろんな言葉の人たちも
その日から 友だちに きっとなれる
それが教会のはじまりです 世界の平和は あの風とともに」
生まれた国が違って、初めは言葉が通じなくても、聖霊の助けによって思いが通じるようになります。友だちとけんかをしても、自分から「ごめんなさい」と言える勇気を聖霊は与えてくれます。災害や戦争で困っている人がいたら、助けたいという思いを授けてくださる。寂しい時には「一人じゃないよ、あなたと一緒にいるよ」って励ましてくれる。それらすべてが聖霊のはたらきです。
わたしたちを強めてくださる聖霊の風は今も確かに吹いています。どうしようか迷って、一歩を踏み出せないときがありますが、聖霊が背中を押してくれることがあります。2000年前に教会が生まれてからずっと、神さまは聖霊をとおして、わたしたちに語りかけ、導いてくださいます。
今日ここに集った一人一人の上に、集うことができなかった友だちの上に、聖霊の導きを一緒に祈りましょう。