ヨブ記2章6~10節、コリントの信徒への手紙二6章3~10節
「どのような時にも」 田口博之牧師

皆さんはパウロという人をどのように見ているでしょうか。パウロは、ユダヤ教の一分派でしかなかったキリスト教をヨーロッパに広め、キリスト教を世界宗教にした大伝道者と見なされています。聖書を読まずに歴史上の功績を辿れば、パウロは心身共に頑強で雄々しい人であった。そのように想像するかもしれません。しかし、パウロの手紙、特にコリントの信徒への手紙二を読んでいると、そうでなかったことがよく分かります。

10章10節には、「わたしのことを、『手紙は重々しく力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない』と言う者たちがいるからです」とあります。以前にある弁護士と関わったときに、受け取っていた文書と会った時の印象が全く違って驚いたときのことと重なります。わたしたちも著名な人と出会った時に、オーラを感じるということがあるかもしれませんが、パウロの場合は全く期待外れとしか思えないような人だったということです。

弱々しく思えたパウロは事実病弱でした、12章7節で、サタンから一つのとげが与えられたと記されているのは、そういうことでしょう。そして、パウロは多くの苦難を受けた人でした。

今日のテキスト、4節後半から「苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても」と九つの苦難のリストを挙げています。二つ目の欠乏以下を苦難の具体例と読んでもよいのかもしれませんが、原文を読むと並列でそれぞれにeveという前置詞、英語でいえばinがついています。つまり、苦難にあっても、欠乏にあっても、行き詰まりにあっても、鞭打ちにあっても、というように。パウロがどれほどの苦難を被ったのかがここを読むと伝わってきます。

わたしたちも苦難を経験することはあるでしょう。欠乏することも、行き詰まることもあります。後半にある労苦、不眠も経験することはあると思います。しかし、特に中ほどあるに「鞭打ち、監禁、暴動」、最後に出てくる「飢餓」を経験することはまずありません。ところが、使徒言行録を読んでいると、パウロはこれらの経験を何度もしていることが分かります。

たとえば、第一次伝道旅行のリストラにおいて、使徒言行録14章19節ですけれども、ユダヤ人たちから石を投げられ、瀕死の重傷を負い,死んだと思われて町の外へ捨てられた話があります。第二次伝道旅行のフィリピにおいて、16章22節以下に、鞭で打たれ、投獄、監禁されたときの話が出てきます。ですので「鞭打ち、監禁、暴動」を経験したがゆえの特有の「苦難、欠乏、行き詰まり」であり、「労苦、不眠、飢餓」だと考えてよいのです。

こうした苦難を経験したからこそ、苦しんでいる人に対して慰めの言葉を与えることができます。コリントの信徒への手紙二はそのような書簡です。1章4節に「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます」とありました。わたしたちも、たとえば入院をしたとき。自分と同じような病気を経験した人と、そのような痛みを知らない人から見舞いを受けたときの慰めの度合いは自ずと異なるのではないでしょうか。

聖書は苦難が望ましいものという考え方はしておらず、むしろ苦難を避けることを教えています。イエス様も「我らを試みに合わせず、悪より救い出したまえ」と、祈るように教えられました。それは人間の弱さを知っているからです。

旧約のヨブはサタンの試みに遭い、多大な苦難を受けました。それでもヨブは神を呪うことはなく、「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と妻に語りました。義人ヨブと呼ばれるゆえんです。それでもヨブは見舞いに来た三人の友人たちの言葉を聞いているうちに頑なになり、やがて神に対しても反抗的になってしまいます。決して忍耐の人ではなかったのです。

パウロはどうだったのでしょう。先に挙げた九つの苦難のリストの前に「大いなる忍耐をもって」とあります。パウロは、大いなる忍耐をもって苦難を乗り越えましたが、それはただ我慢して耐え忍ぶだけの忍耐ではありません。そうであれば、忍耐もまた苦難のリストに加えねばならなくなります。

聖書における忍耐は、愛と希望に裏付けられています。ローマ書5章3節から5節に「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」とあるとおり、神の愛と希望を拠り所とした忍耐です。

6節から7節には、恵みのリストが出てきます。「純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています」とあります。今度は「純真」から「神の力」まで数えると八つ出てきますが、前半の四つ「純真、知識、寛容、親切」は、その人の持っている徳として数えることができるものです。ところが、5番目の聖霊以降は個人が持つものではなく、「聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力」は人ではなく神が持っているものです。

ということは「純真、知識、寛容、親切」も、その人の生まれながらの資質であるとか、人間的に成熟したから得たものではなく、「聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力」を受けたがゆえの賜物だということが分かります。パウロはそういう人だったのです。言いかえれば、自分なんて純真でなく、知識もなく、寛容でも親切でもない。全然だめだと思っているとすれば、それは「聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力」を受けようとしない頑なさに原因があるといえるのではないでしょうか。

7節の終わりに「左右の手に義の武器を持ち」とあります。「武器」という言葉は物騒に思える言葉ですが、あくまでも「義の武器」です。同様の言葉が、エフェソの信徒への手紙6章11節、13節では、悪に対抗する「神の武具」という言葉で用いられていました。エフェソの信徒への手紙では6章14節以下で、神の武具のことを次のように語っていました。「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」

20年ほど前の地区の敗戦の日を覚える祈祷会だったと思います。名古屋教会の前任牧師の早乙女先生が、ここをテキストで説教された時に、「真理の帯、正義の胸当て、福音を告げる履物、信仰の盾、救いの兜。これら神の武具はすべて防御であるが、唯一攻撃の武具として記されてあるのが、霊の剣、神の言葉である」と言われたことを、なるほどと記憶しています。

ここでは、「左右の手に義の武器を持ち」とありますから、まさに二刀流です。しかし、宮本武蔵のように両手に刀ではなく、左手に盾、右手に剣のように、攻撃と防御の両方に関わる武器ということでしょうか?しかし、左右の手に持つのはあくまでも義の武器です。神の御前に義とされるために手にするのです。では、なぜ左右の手に持つのでしょう。8節に「栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです」とあります。

ここを読んで気が付くのは、栄誉と辱め、悪評と好評は対になっているということです。辱めを受けること、悪評を浴びることは望ましいことではありません。避けたいです。他方、栄誉を受けること、好評を博するのは有難いことのように思えます。でもどうでしょう。栄誉を受けたり、好評を博したりすることが、大きな誘惑になるのではないでしょうか。

人にそしられて腹が立って神から離れてしまうことがあれば、人に褒められていい気持ちになって神を忘れてしまうのがわたしたちの姿です。栄誉と辱め、悪評と好評というのは、良いも悪いもすべて人から受ける態度や評価です。人は誰でも承認欲求をもっています。他者から評価され、認められたい、肯定されたいと思うものです。SNSでも、どれだけ「いいね」をもらえるかで一喜一憂してしまう。誰かが自分のことについて話をしていたら、何と言っていたかが気になって仕方がない。そうすると神からの評価なんて二の次になってしまう。信仰者が、神に義とされようがされまいが、どちらでもよいとなってしまったら、それは危険なことです。

そうならないためにも、義の武器を持つ必要があるのです。右から聞こえてくる人の褒める言葉、左から聞こえるそしる言葉から自分を守るための武器を持つ必要があったのです。ですので、左右の手に持つ武器は、攻撃ではなく防御のためと考えるのがいいでしょう。人が自分のことをどう評価しようとも、神はこんな自分を受け入れて下さる。これによってパウロは、人々の褒める言葉やそしる言葉から自由に生きることができたのです。

ところで今日のテキストの初め、3節に戻ると「わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず」とあります。パウロがいちばん心がけていたことは、「この奉仕の務めが非難されないように」することと、「どんな事にも人に罪の機会を与え」ない、この二つでした。そのために愛と希望をもって忍耐し、左右の手に義の武器を手にしていたのです。それはまた、4節にあるように、「あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示す」ためでした。「その実を示す」とは、意味が分かりにくいですが、自分は神に仕える者だということを証しするということです。神に仕えること以外のことは考えていないということです。そのためにあらゆる苦難に耐え、批判にも耐えてきたのです。

そのようなパウロは、人の目からどのように見られていたでしょうか。正しくは理解されていなかったようです。そのことを8節の後半から具体的に七つの面から語っています。「①わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、②人に知られていないようでいて、よく知られ、③死にかかっているようで、このように生きており、④罰せられているようで、殺されてはおらず、⑤悲しんでいるようで、常に喜び、⑥貧しいようで、多くの人を富ませ、⑦無一物のようで、すべてのものを所有しています。」

人の目から見れば、このように見えるかもしれないが、実際にはこのようであるという構文が連なっています。パウロは、反対者から、彼は使徒ではない、誰からの推薦状も持っていない、人を惑わしていると非難されました。でも、パウロは人々を救いに導く誠実に神に仕える人でした。絶え間なく死の危険にさらされることがあり、パウロはもう死んだのではと思われたでしょうが、生きていました。艱難や迫害にさらされていたパウロは悲しみの人であり、貧しい人になりましたが、神の恵みによりいつも喜び、誰よりも豊かでした。キリストに出会って、この世的に優れていたものを捨て去りましたが、福音という宝を得て豊かになったのです。

どのような苦難を経験しても、パウロは打ちひしがれることはなく、望みをもって歩むことができたのです。これはパウロが特別な人だから、そのように生きることができた。自分には関係がないと言うことはできません。

説教の前に讃美歌533番「どんなときでも」を歌いました。

1.どんなときでも、どんなときでも  苦しみにまけず、くじけてはならない。
イェスさまの、イェスさまの  愛をしんじて。

2.どんなときでも、どんなときでも  しあわせをのぞみ、くじけてはならない。
イェスさまの、イェスさまの  愛があるから。

この讃美歌は、讃美歌21に掲載されている中で唯一子どもが作者の作品です。賛美歌の左上には小さな文字で「詞:髙橋順子 1959―1967」と書かれてあります。これは高橋順子さんが、1959年から1967年の短い生涯を終えて神様のもとに召されたことを示しています。以前に高橋順子さんのことが気になり調べたことがありました、幼稚園卒園前に骨肉腫という小児がんの診断を受けたけれども、闘病生活の中で。この詩を作ったこと。「こどもさんびか2」の編集作業が進められていた1980年、讃美歌委員会に福島新町教会CS教師として、順子さんに寄り添い励ましていた方からこの歌詞が送られてき採用されたことを知りました。

何年か前のことですが、新潟の啓和学園から送られてくる機関紙「敬和」の巻頭言に、当時の敬和の校長が順子さんのエピソードを記していました。それを読むと、左大腿部から切断したとき、お母さんに、足は「のびてくるから」と言って励ましていたこと、やがてがんは肺に転移して二度の手術を経て亡くなられたことを知りました。

順子さんが召された30年後の1998年に出版された遺稿集が出版されました。先ほど紹介したCSの先生は、順子さんが5歳の時にピアノの先生でもあったようですが、順子さんの残した詩を讃美歌の歌詞とし、『こどもさんびか2』の公募に応募され、讃美歌「どんなときでも」が誕生したとのことです。驚くべきは、この讃美歌の元になった詩が、順子さんの2回目の手術の前日に書かれたものであったということです。大腿部を切断した後の再手術、深い恐れと不安にさいなまれていたに違いありません。がんは肺に転移しており、痛みや抗がん剤の苦しさの中にいたはずです。そのような痛みや不安の真っただ中にいた7歳の子が、「くじけてはならない」と記したことは衝撃です。

高橋順子さんは特別な子だったのでしょうか。遺稿集のタイトルは『学校に行きたい』であり、最後の詩は「おかあさん 手をつかんでいてね/早く なおって 学校へいくんだから」と記されていたそうです。病気が直って、当たり前の学校生活をしたかっただけなのです。

敬和の校長の文章にはこうあります。「この詩の中で順子さんの心は〝しあわせ〟に向かっています。不安のただなかで、恐れのどん底でなお〝しあわせ〟に向かう心の強さが記されていました。人はどんな時でも、苦難の中ででも希望を語ることができるのだという7歳の順子さんの生き方に、この賛美歌を歌うたびに私は揺さぶられるのです。」そう記されていました。

どうしてこんな苦難が襲ってくるのか。突然の病気や事故にいつ襲われるのか分かりません。わたしは65歳になりました。もう少しペースを落としたいと思いつつも、日々新たな課題が与えられていて、もうしばらくは元気で働くことが神様の御心なのかと思うことがあります。でも、人の命は明日どうなるのかはわかりません。だからその日の苦労はその日だけで十分として、与えられた課題に向き合って生きるしかないのです。

苦難は望ましいことではありませんが、避けようとしても避けられないものでもあります。そんなときに御言葉は大きな支えとなります。教会に連なっているわたしたちは、特別な人ではありませんが、高橋順子さんがそうであったように神様に選ばれた人であるに違いありません。ここにいる皆さんは、今日の御言葉を聞くために礼拝に招かれました。神様はどのような時にも共にいてくださり、苦難を乗り越える力を与えてくださるお方です。その恵みをたずさえて今日から始まる1週を生きていくことができますように。