創立141周年記念礼拝
詩編116編8~11節 コリントの信徒への手紙二4章13~15節
「信じることと語ること」田口博之牧師
今日は創立141周年記念礼拝としています。名古屋教会は、植村正久と山本秀煌が、名古屋教会初代牧師、阪野嘉一の故郷である有松で伝道集会を行った1878年(明治11年)12月を伝道開始日としています。その後、東京神学大学の前身である東京一致神学校を卒業した阪野は名古屋に戻り、2年近く伝道した後、28名の信徒により名古屋教会建設の申し出をし、奥野昌綱の司式で教会建設式を行ったのが1884年5月3日(土)のことでした。翌5月4日に名古屋教会最初の聖日礼拝と聖餐式が行われました。以後、142年間に渡り、戦争の時も、コロナ禍においても礼拝を続けてきました。
日本で50年続く会社はそう多くはありませんが、日本の教会は50年続いたとしても、まだ若い教会と見なされます。教会員が数名になったとしても、解散や合併を決議しない限り教会は続きます。100年以上続く教会は珍しいわけではありません。
では、教会が長く続いている原動力は何でしょうか。今日はコリントの信徒への手紙二4章13節の「わたしは信じた。それで、わたしは語った」の御言葉から取って、「信じることと語ること」という説教題を付けました。はっきりしていることは、教会が信じることを止めたならば、あるいは信じたとしても、語ることを止めたとすれば、教会が何十年、何百年と続くことはなかったということです。今、日本の教会では、教会の将来に対して悲観的な見方が強まっています。若い人が教会にいない、受洗者よりも召天者の方が圧倒的に多い。おまけに伝道者の成り手がいない。現実を考えれば悲観的になるのはやむを得ません。礼拝の椅子は三人掛けなのに、二人か一人しか座っていない。これからどうなるのだろう。目に見えるものから判断してマイナス思考になってしまうのがわたしたちです。
3月に行われた第一次総会で決議された新年度の伝道計画の中に、「2034年に創立150年を迎える名古屋教会がどういう歩みをしていくのか。このことについて各団体でも話し合い、そのことを全体集会で分かち合えないかと考えています」という一文を入れました。次週壮年会が行われるようですが、是非このことをテーマとしていただきたいと思っています。女性のつどいを行う時も同様です。この案を長老会で出したときには、各団体の前に各委員会も入れていましたが、伝道委員会や牧師館検討委員会くらいでしか話し合えないのではという意見もあって、各員会でという文言を外しました。
でも考えてみれば、先ほど椅子の話をしましたが長椅子も傷んでいます。たとえば礼拝委員会で、わたしたちの礼拝にとってふさわしい椅子は何か。何も長椅子にこだわる必要もないわけで、こんな椅子だと疲れないし立ちやすいし機能的ではないか。そんなことでもいいのです。集会委員会なら、行事集会だけでなく、これからの教会の交わりのあり方について、他の委員会でも、それぞれの見地から話し合えることはあるのではないでしょうか。教会の将来展望は見えづらいという現実はあります。しかし、具体的な話し合いをしていけば、それほどネガティブになることなく、創立150周年に向けての将来計画も見えてくるのではないでしょうか。
そのときの大原則は、教会に生きるわたしたちが「信じることと語ること」を止めないということです。「信じること」を止めるはずがないと言われるかもしれません。では「語ることはどうでしょうか」。語るとは、わたしたちが信じていることを語るということです。わたしたちはどれだけ、信じていることを語ってきたでしょうか。信じたことを語らないで、人数が減ってきたと嘆いても仕方のないことです。「信じてはいるけれど、自分は語ってはこなかったなあ。」そう思われている方も、いらっしゃるのではないでしょうか。
ではなぜ、そうなるのでしょうか。恥ずかしいからでしょうか。同じ職場のあの人がクリスチャンであることを後で知ったという話を聞くことがありますが、そういう関係の持ち方はおかしいと思います。宗教を隠していたほうが、人間関係がギクシャクしないと考えるからそうするのでしょうか。でも明らかにしないと、ほんとうの意味での人間関係は築けないのではないでしょうか。もしかすると、空気を読み過ぎるあまり、何も語らないでいるということがあるのではないでしょうか。信じていても語れない。それは恐れに支配されているからではないでしょうか。
パウロは、「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と言いましたが、この鍵括弧の言葉は、七十人訳聖書と言って、ギリシャ語で書かれた旧約聖書の詩編116編10節からの引用です。今わたしたちが使っている聖書の詩編116編10節では、「わたしは信じる『激しい苦しみに襲われている』と言うときも」ですから、引用とは言えません。けれども、苦難の中でも主を信じ語り続けたパウロと、「激しい苦しみに襲われている」と言うときも、わたしは信じるという詩編の詩人の信仰は同じだと言えます。ですからパウロは、自分には詩編の詩人に働いたのと同じ信仰の霊が与えられているからこそ、わたしたちも信じ、語っていますと言うのです。パウロは、第一の手の12章で「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」と言いましたが、語るということは聖霊の賜物です。
そして、「わたしは信じた。それで、わたしは語った」という言葉は、信じることと語ることが一つであることを教えています。両者を切り離すことはできないのです。わたしたちは、信じていないことを語ることはできませんが、イエス・キリストを信じていれば、聖霊に生かされている者であれば、語ることができるはずです。むしろ、語ることを我慢することのほうが、不自然なのではないでしょうか。よかったと思えることは、誰かに伝えたいと思うはずです。「教皇選挙」を見てよかったと思えば、見に行くことを勧めるでしょう。あのお店のあのメニューが美味しかったと思えば、それを紹介したいと思うのではないでしょうか。誰にも教えないで独り占めして特になることがあるでしょうか。信じたことを語っていく。それが健全な信仰です。
先週、まきばの礼拝に出た時の聖書テキストは、マルコによる福音書16章の復活の記事でした。マルコの復活の記事の特徴は16章8節にあります。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」という言葉で、マルコは福音書を閉じています。わたしは今日の礼拝のテキスト「信じて語ること」が頭にありましたので、復活の証人であるはずの婦人たちが、「だれにも何も言わなかった」という言葉を思い巡らしながら説教を聴いていました。何も言わなかったのであれば、どうして弟子たちはガリラヤへ行けたのか、どのようにしてイエス・キリストの復活が宣べ伝えられたのかと考えながら。でも、小説や映画でも、えっ、ここで終わっていいの、と余韻を残したエンディングもあるでしょう。説教者もそう言われましたが、マルコは正直なことを書いたのです。マルコの16章8節は、死者が復活するなどという出来事は、合理的に考えられることではなく、恐るべき出来事、震え上がり、正気を失わせるほどにあり得ないということを率直に伝えているのです。婦人たちは、あまりの出来事が信じるということを飛び越えていたので、「だれにも何も言わなかった」のです。ここでも信じることと、語ることが一つであることが分かります。
パウロは、ローマ書の10章9節以下で、「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」と言いました。聖餐式の時にも触れる御言葉ですが、わたしたちは信じたことを、口で公に言い表すことがなければ、つまり心で信じただけでは救われたことにはなりません。心に信じたことを告白しなければ、洗礼を授けようがありません。まきばの礼拝でもそこは明確にしていて、わたしたちの礼拝がそうであるように、聖餐を受ける人と受けられない人がいるのです。でもそれは差別ではなく、そのようにして主の食卓へと招いているのです。わたしたちの礼拝でもそうです。しかし、わたしたちは、心に信じていないことを信じていますと語るわけにはいきません。信じていないことを語ったとしても、その言葉は偽りでしかないからです。
では、パウロは何を信じたら救われると言っているのでしょう。漠然と神を信じたら、それで救われると考えてもよいのでしょうか。そうではないでしょう。パウロは先ほどのローマ書10章9節の中で「神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる」と言っています。わたしたちの信仰にとって肝となるのが、イエス・キリストの復活を信じるということです。イエス・キリストの復活が、わたしたちの復活とは無関係ではないからです。
第二コリント4章14節でもそのことが語られています。パウロは、「主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています」と語っています。ここにおいて「信じて語る」ことの中心が、復活であることが明らかにされています。わたしたちが信じる神は、イエスを復活させた神であり、わたしたちを復活させてくださる神です。復活の栄光の体を与えられたわたしたちは、イエスと共に神の御前に立つことができるのです。
神の御前に立つとは、神の裁きの座に立つということです。わたしは救いと最後の審判とを切り離して考えることはできないと思っています。でも、わたしたちはどうすれば神の裁きの座に立てるでしょうか。一人で立つとすれば、とても耐えることはできません。神の御前に誠実に生きてきたつもりでも、「この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである」と言われたときに、果たして弁解ができるでしょうか。わたしは、おっしゃるとおりです、としか答えようがありません。でも、そのような罪をすべて背負って十字架に死んで、よみがえられたイエス様が弁護者として一緒に立ってくださるのです。イエス様がわたしの死に免じてお赦しくださいと執り成してくださる。そこにこそ、救いがあります。
教会に来られる方の中には、現実的な救いを求められる方がいます。家庭や仕事のこと、人間関係で疲れて心に重荷を持っておられる方がいます。家族に障害がおありの方、具体的に重い病気を宣告された方が訪ねて来られることもあります。教会を最後の砦として来られる人は少なくありません。しかしそのときに、その方にとって特効薬と呼べる処方箋を出すことは簡単ではありません。この方のこういう状況において、この御言葉が刺さるということが、ないわけではありませんが、それは狙って出すものではないのです。人間にとって、根本的な救いは、十字架と復活によって表される福音しかありません。説教で語る中心もそこですが、多くの場合は、その方が求められている救いと嚙み合っているわけではないのです。けれども、イエス・キリストの十字架と復活の光の中でこそ、人生の様々な問題を見つめる目が開かれていくのです。
何と言っても、人生最大の問題といえば死です。この世で成功し、何不自由なく暮らせていたとしても、死はそのすべてを奪い去ってしまいます。昨年、わたしと同世代か年下の牧師が何人か主のもとに召されました。自分と重ね合わせると、残念過ぎますし、恐ろしさもこみ上げてきます。死が身近になってくると、やはり死の問題を解決せずに、人生の問題は解決しないと思わされます。目の前の問題が福音以外の何かで解決できたとしても、最終問題を解決する道は、死に対する勝利である復活しかないのです。
だからパウロは、コリントの信徒たちに宛てた第一の手紙の15章のすべてを費やして、復活について集中して語ったのです。「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」(15:13-14)、「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」(15;17)、「この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です」(15:19)とさえ言っています。これらの言葉からも、復活の信仰なき信仰がどれほど虚しいかが分かります。復活の信仰なくして、死の問題は解決しないからです。
パウロはコリントに行ったとき、十字架のキリスト以外は何も語るまいと心に誓いました。でも復活を集中して語ったのです。復活を語れば十字架は語らなくてもよいということはありませんし、十字架さえ語れば復活について語らなくてもよいということでもありません。復活なき十字架に望みはありませんし、十字架なき復活も死の問題の解決にはなりません。両者は合わせて1本です。使徒信条で告白するように、罪の赦しを信じるからこそ、体のよみがえりと永遠の命を信じることができます。使徒信条も信じているからこそ語らなければ、お題目にしかなりません。
パウロは15節で「すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです」と言いました。ここでいう「あなたがた」とは、手紙に受取人であるコリントの信徒たちのことですが、今日の礼拝で御言葉に聞いているわたしたちと読むことが許されます。
教会は数にとらわれる必要はありませんが、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになることに教会の存在理由があります。神は名古屋教会が、この地にあって祝福の源となることを求めています。そのために信じたことを大胆に語っていくのです。だから教会は礼拝しながら伝道したのです。それは礼拝で御言葉が語られば十分ということではなく、礼拝に集った一人一人が御言葉に押し出されて語る者となるためです。
この礼拝に集われた一人一人を通して、多くの人々が豊かに恵みを受けることができるように、復活の望みを自分のものとされた人々が増えていくように。その人たちが、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになりますように。そのことのために教会は生きるのです。名古屋教会がこの地で伝道を初めて142年目の歩みを、主が祝福してくださいますように。アーメン。