マタイによる福音書28章1~10節
説教「ガリラヤで待つ」 田口博之牧師
イースター礼拝を多くの人とささげることができることを感謝しています。イースターはイエス・キリストが復活されたことを喜び祝う日です。イースターはクリスマスよりも先に、キリスト教会にとって重要な祝祭日として定められました。わたしたちの信仰の中心は何かと問われれば、それは復活の信仰です。復活の信仰のあるなしによって、教会は立ちもする倒れもします。使徒パウロが、「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です」と言ったように、わたしたちの信仰の核となるものが、復活の信仰です。
そこで問わねばならないことは、わたしたちはどこまで復活を信じているかということです。使徒信条において、わたしたちは「体のよみがえりを信ず」と告白していますが、どれほどまともに信じているでしょうか。死んだ人が生き返るなどということは、人間の常識で考えられることではありません。この世の常識にとらわれていたら、復活を信じることなどできないのです。
でも、キリスト教信仰というのは、わたしたちが知っている範囲の常識や可能性に照らして判断すべきことではないのです。信仰の自由がありますから、ありえないことだから信じても意味がないと思えば、それも自由です。しかし、誰もが信じられることを信じたところで救いがあるでしょうか。人間の限界を超えたところ、人にはできないけれど神にはできる。信仰というのはそこから出発すべきものです。だからこそ望みなきところに望みを得ることができる。信じられなければ、無理に信じなくてもいいのです。でも、信じて委ねれば何とかなることも事実です。わたしはイエス様を信じたことで人生損をしたという人と出会ったことはありません。この中に、信じたいけれど不安だと思う人がいらっしゃるのであれば、立ち止まらず飛び込んでみたときに人生は開けるということを伝えたい。
ただ信仰者の本心かすると、心から復活を信じたいと思っている人がいるのではないでしょうか。心から復活を信じることができれば、どんなにいいことだろうと、思う人がここにもいるのではないかと思います。そのためには聖書をよく勉強すれば信じられるのか、といえばそういうことではありません。
イエス様が納められた墓には、大きな石で蓋がされていましたが、わたしたち自身が、空の墓を覗き込むことのできない石を置いているのではないでしょうか。覗き込んで空の墓を目撃したとしても、キリストの復活とはつながらない。ユダヤ人たちがそう言い広めたように、イエスの遺体を弟子たちが盗んだと考えたほうが、合理的ではないのか。信仰を持ちながらも、何か吹っ切れないもの、信じることに妨げとなる石を、わたしたち自身が抱えているのではないか。そして、この不信の石を何とかしたいというのが、わたしたちの願いなのではないでしょうか。
イエス様の復活は、四つの福音書すべてに書かれてあります。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4人の福音書の記者が、十字架に死んで葬られたイエス・キリストが復活されたという、人間の常識を打ち破る復活の事実を、実際に見たこと、見た人から聞いたことを編集しながら福音書をまとめました。共通しているのは、安息日が明けた週の初めの日の朝早くに、女性たちがイエス様の遺体を納めた墓に出かけたこと、墓を塞いだ石が取りのけられて、墓の中が空であることを目撃したことです。4人が相談して書いたわけではないので違いはあります。
マタイは「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」と始めています。なぜ墓に行ったのか。よく言われることは、イエス様を墓に納めるときは安息日に入る直前で、大急ぎだったので丁寧に埋葬する時間がなかった。それでイエス様の遺体に香料を塗るために墓に行ったのだと。でもそれはマルコとルカが記したことで、マタイには香料を持って行ったという記述はなく、「墓を見に行った」とだけ記しています。マグダラのマリアともう一人のマリアは、イエス様の納められた墓は大きな石でふさがれており、しかも遺体が持ち出されないように番兵が見張っていることを知っていたのです。
ではなぜ出かけたのでしょう。墓の中には入ることができないとすれば、ただ墓を見たいということだったのでしょうか。午後の墓苑礼拝では、墓の中に入ることができます。(名古屋教会のお墓は中が納骨堂になっています)。皆さんが普段墓苑に行かれるときに、鍵を借りずに行かれる人もいらっしゃるでしょう。すると中には入れないので納骨堂の外から、あるいは上に立ってお花をたむける。亡くなられた方を偲ぶということなら、中に入っても入らなくても同じと言えば同じなのです。二人のマリアもイエス様への思慕の念が強く、安息日が終わった明け方、いてもたってもおられずに、墓に行ったのではないでしょうか。あるいは、かつてイエス様はご自身の受難と復活を三度語られましたが、12人の弟子たちだけでなくマリアもこれを聞いていました。「人の子は、三日目に復活する」というあの言葉に期待をかけて墓を見に行った。そういう可能性もあったと思います。
こととき、大きな地震が起こったことをマタイは伝えます。これもマタイ独自の記述で、イエス様が十字架で息を引き取られたところでも「地震が起こり」と述べられていました。それは自然現象ということではなく、イエス様の十字架の死と復活は、大地を揺れ動かす神の出来事、天と地がひっくり返るようにすべての秩序が逆転し、命から死ではなく、死から命へという大転換が起こることをマタイは伝えたいのです。そして、この地震があって「主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」と記しています。
この様子を見た「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった」とあります。神の御業を信じない者にとって、天使の出現は恐怖でしかありません。それ以上に兵士たちが復活のイエスに出会ったとすれば、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになったのは当然といえます。自分たちは見張っているのに、起こるはずがないことが起こったからです。
婦人たちもまた、驚き、恐れましたが、天使は「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ」と告げました。「復活なさった」というと、能動態でイエスの神の子としての力によって復活されたように思えますが、元の言葉では受動態。しかも、復活するという言葉は「起きる」という言葉ですから、イエスは「起こされた」と訳しても構わないのです。
わたしは夜寝るのが遅いので、朝は起こしてもらわないと自分では起きることができません。今朝は妻より早起きでアラームに起こしてもらいましたが、生きているから聞こえます。でもここでは、死の眠りについたイエス様を神が起こされた。父なる神が、その全能の力により、「よみがえりの朝が来た」と言って起こしてくださったのです。
天使はさらに「さあ遺体の置いてあった場所を見なさい」と、空になった墓を見せた上で、彼女らに一つの使命を託します。それはイエスの弟子たちへのメッセージを告げることです。「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました」と。
マタイの特徴の一つに、イエス様がガリラヤで弟子たちと出会ってくださることを加えることができます。このことはすでに予告されていたことでした。26章32節、ペトロの離反を予告したときです。「しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」なぜガリラヤなのでしょう。
「ガリラヤで待つ」という説教題を付けてしまったがゆえに、先週はこのことを思い巡らしながら過ごし、主に三つのことが思い浮かびました。一つは、これはよく言われることですが、ガリラヤとは弟子たちの故郷であり、イエス様と出会ったところです。つまり、ガリラヤとは弟子たちの信仰の原点です。そこに復活されたキリストが弟子たちより先に行き、再び出会って下さるのです。もしかすると、弟子たちはガリラヤに戻ろうと考え、相談していたかもしれません。エルサレムに留まる意味がなかったからです。だとすれば、信仰の原点回帰ではなく、イエス様に出会う前の日常に戻ろうとしていたのではなかったでしょうか。現にヨハネ福音書は、漁師に戻ったペトロらの姿を描いています。でも、そうはさせないと言わんばかりに、イエス様はガリラヤに先回りして待ってくださっているのです。
二つ目、ガリラヤとは辺境の地、何もないところです。そこを再スタートの場所とする。パウロは、復活の主と出会い回心してすぐに、伝道者としての活動を始めたのではありません。ガラテヤの信徒への手紙1章17節によれば、エルサレムに上るのではなく、「アラビアに退いた」とあります。アラビアとは何もない砂漠です。パウロはそのような寂しいところに逃れてリトリート、祈りつつ主の導きを求めたのです。ヨハネから洗礼を受けたイエス様は、すぐに福音宣教の働きをされたのではありませんでした。霊に導かれて40日も荒野に退かれます。そこで、悪魔の誘惑を受けつつ、断食と祈りの時を過ごしたのです。
そしてガリラヤにはもう一つ意味があると思います。これはすでに話した二つの理由とも関りがありますが、イエス様にとってもガリラヤは原点でした。あまり気づかないことかもしれませんが、実はマタイによる福音書では、イエス様の両親、ヨハネとマリアがガリラヤのナザレの出身だとは伝えていません。もともとベツレヘムから始まっています。マタイは、ヘロデ王によりベツレヘム周辺の2歳以下の子が死んでしまったことで、エジプトに避難したこと。その後、ヘロデが死んでイスラエルの地に戻ってきますが、2章22節で、「しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」とあります。
ガリラヤというのは、引きこもるような場所だったのです。また4章12節を見ると、「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた」とあります。ガリラヤは退くような場所であり、15節、16節によれば、「異邦人のガリラヤ」であり、「暗闇に住む民」、「死の陰の地に住む者」が大きな光を見るという預言の成就のため、イエス様はガリラヤで伝道を始めたのです。そして、復活のイエス様がガリラヤに行かれるということは、異邦人、暗闇と死の陰に住む人々を再び光に招くためです。そこに弟子たちを招かれたのです。
さて、「あなたがたより先にガリラヤに行かれる」という天使の言葉を聞いた女性たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行きます。するとその行く手にはイエス様が立っておられます。彼女らが、復活のイエスさまに出会ったのは、墓とは反対の方向でした。墓を見つめていた者が、キリストは復活されたという福音を聞くと、福音を伝えるために走り出した。そのときに、復活のイエス・キリストとの出会いが与えられたのです。
納得できたら信じよう。そう思っている限り、何も変わらないのです。御言葉を聞いて走り始める。実際にスタートを切ったときに、本当の出会いが起こるのです。彼女らの行く手に立ったイエス・キリストは、「おはよう」と声をかけられました。「おはよう」、これが復活の主の第一声です。わたしたちが朝、誰かに会った時、最初にかける言葉も「おはよう」でしょう。「おはよう」と言葉を交わすことによって、交わりが生まれます。そのような日常の言葉を、イエス様はかけてくださいました。復活のイエス様は、どこか遠くで生きておられる方ではないのです。わたしたちの日常の言葉で共に生きてくださる。でもそれだけではない。「婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」とあります。ひれ伏すとは、礼拝するということです。復活の主との出会いは礼拝から始まりました。
彼女らは、墓の中に横たわって死んだイエスではなく、墓とは反対の方向に立たれる生けるキリストを礼拝したのです。御言葉を信じ走り出したとき、復活のイエス・キリストと出会い、そこでまた御言葉が与えられる。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」御言葉を聞いた人は、御言葉を伝える人とされるのです。それは勇気が要ります。でも、主は「恐れることはない」と言われるのです。
この後16節を読むと、11人の弟子たちはガリラヤに行きます。彼女たちが聞いた言葉を伝えたから、自殺したユダを除く11人の弟子たちはガリラヤに行ったのです。疑心暗鬼の弟子もいたかもしれませんが、約束どおり復活のイエス様はガリラヤで待っていてくださり、そこで礼拝しました。マタイは正直に「しかし、疑う者もいた」と証言します。その弟子はトマスだったのでしょうか。しかし、疑う人の前にもイエス様は立ってくださるのです。
そして言われるのです。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
このガリラヤで11人に語られた御言葉はわたしたちに与えられた御言葉です。わたしたちが12人目の弟子となって、復活の主の言葉を携えて出ていくのです。恐れることはありません。イエス様はインマヌエル、いつも共にいてくださるお方だからです。