聖書   コリントの信徒への手紙二1章12節~22節
説教   「神の真実に立つ」 田口博之牧師

わたしたちは、約束していたことがあったけれども、いろんな事情によって予定を変更しなければならなくなり、約束が守れなくなるということがあるのではないでしょうか。わたしはしょっちゅうあります。週報に今週の牧師予定を書いていますが、これは皆さんに予定を知らせるということが目的なのですが、正直な話をすればもう一つあって、わたし自身の備忘録です。予定したことを忘れないようにするために公の週報を用いているところがあります。

ところが先週も失敗しました。月曜日の3時から愛知神学会があって、それが済んで6時半からさふらんの代表者会が入っていました。わたしの都合で決めたにも関わらず、週報に書くことを忘れた時点で、代表者会を忘れてしまいました。あることは覚えていたのですが、いつの間にか自分の頭の中で翌日にしてしまったのですね。神学会が終わって帰宅中、事務局から「皆さん揃っています」と電話が入り、何を言っているのか。と思った瞬間にハット思い出して向かいました。予定変更といっても、これらは単なる物忘れ。自身のいい加減さからきていて、弁解の余地はありません。そういえば、半年ほど前に医者に行ったときのこと、診察待ちの最中に、教会員から「先生、今どちらですか」と電話が入り、ご迷惑をかけたこともありました。10時からの委員会を午後からと思い込んでいたのです。それでも、ごめんなさいの一言で許されているのですから、幸せな者な牧師だと感謝しています。

ところが、パウロは幸せ者ではありませんでした。自分でこうすると決めていたことを果たせなかったために、コリント教会の人たちから非難をされることになったのです。今日のテキストを読んで、皆さんどうでしょう。何だか難しいなと思われたのではないでしょうか。17節以下で、「然り」と「否」が畳みかけるように出てきますが、何を言わんとしているのか。わたしも初めはよくわかりませんでした。13-14節でパウロは、「わたしたちは、あなたがたが読み、また理解できること以外何も書いていません」と言っていますが、わたしは読んでも理解できませんでした。しかし、読み込んでいくうちに次第にわかってきました。説教はいつもそうしていますが、今日もわたしがここを読んで、理解できたことをお話し、分かち合いたいと思います。

今日のテキストを読み解く鍵の一つが、小見出しにある「コリント訪問の延期」です。パウロは第二次伝道旅行でコリントに行き、1年半滞在して伝道し教会ができました。パウロが去った後、アポロら別の指導者がコリントに入ってきたことで、教会の中に派閥ができてしまい、教会の中でパウロ批判がなされるようになりました。それでもパウロのコリント教会への愛は変わりません。パウロは、手紙によってコリントの教会を牧会しました。コリントの信徒への手紙は、第一と第二の手紙を合わせると29章あり、新約聖書の中でいちばん長いのです。そんなパウロは、第一の手紙の結び16章5節以下で、コリントへの訪問計画を述べています。5節から9節を読んでみます。

「わたしは、マケドニア経由でそちらへ行きます。マケドニア州を通りますから、 たぶんあなたがたのところに滞在し、場合によっては、冬を越すことになるかもしれません。そうなれば、次にどこに出かけるにしろ、あなたがたから送り出してもらえるでしょう。 わたしは、今、旅のついでにあなたがたに会うようなことはしたくない。主が許してくだされば、しばらくあなたがたのところに滞在したいと思っています。 しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。 わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです。」

当初パウロは、五旬祭(ペンテコステ)まではエフェソに滞在するけれども、マケドニアを通ってそちらに行き、場合によってはそちらで冬を越すことになる。そういう計画を告げていたのです。第三次伝道旅行でのパウロのコリント訪問の目的は、その直前に書かれていますが、エルサレム教会の信徒たちのための募金でした。わたしが行ってから募金を始めるのではなく、行く前に「幾らかずつでも手もとに取っておきなさい」と告げたのです。そう言ってあったにも関わらずパウロは行かなかったのです。わたしのように、忘れていたからではありません。実は今日のテキストは、予定通りに行けなかったことへの弁明なのです。

第二の手紙の1章15節以下に、「このような確信に支えられて、わたしは、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした」とあります。これは第一の手紙で予告したルートも時期も違います。予定を変更しマケドニア経由で冬前に行くのではなく、先ずはコリントに行ってからマケドニア州に行き、再びそちらに戻ってからユダヤに行くという旅行を立てたと書いています。しかし、その計画も実行されなかったのです。おそらくは、コリント教会の対立が酷いという報告を受けて、今は行く時期ではないと考えたのです。何をするにも、時というものがあります。早く解決せねばならない問題はあるけれども、はやる気持ちを抑えて、今は待ったほうがいいという場合もあります。予定を早めて行ったとしても、当初の予定通りに訪ねたとしても、エルサレムの教会を覚えての募金を集めることはできないと判断したのかもしれません。但し、その理由はここで述べられていません。

ところが、行かなかったことでパウロ批判がより高まってしまったのです。言うことが違うではないか。予定を変えて早く来ると言ったから急いで準備をしたのに、結局は来なかった。いい加減な奴だ、そんな非難の声が大きくなってきたのです。そこでパウロは弁明するのですが、この弁明がパウロらしく、それゆえに分かりにくいのです。普通なら、これこれしかじかの理由で行けなくなったと、説得力のある言い訳を考えるものですが、パウロはそういう話をせずに自らの行動原則というべきものを述べています。

それが12節です。「わたしたちは世の中で、とりわけあなたがたに対して、人間の知恵によってではなく、神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました」と言います。「神の恵みの下に行動」するというのが、パウロの行動原理であって、行く、行かないも人間の知恵で決めたことのではないのだと言うのです。「人間の知恵」とは、「人間的な知恵」と言ってもいいでしょう。17節にも「人間的な考え」という言葉が出てきます。それはまた「この世的な考え」と言い替えることもできます。そのように言っているということは、コリント教会自体が、人間の知恵、この世的な考えに支配されていたからです。

教会はこの世にあります。神様が独り子をお与えになったほどに愛されている世です。わたしたちも世に生きています。わたしも牧師になる前は会社勤めをしていました。牧師になるのでと退職の意思表示をしたとき、「この世の経済と離れて、隠とん生活に入るのか」と言う上司もいました。でも、そんなことはありません。教会は世にあります。しかし、パウロがローマ書12章2節で「あなたがたはこの世に倣ってはいけません」と言ったように、教会は世から選び分けられた群れであることを忘れてはなりません。

今、教区の互助制度を支える自主献金を募集していますが、世の中の論理だともっと効率を考えて、牧師が支えられないなら献金などと考えず、合併したらよいではないか、そんな声が出てくると思います。常識的に考えればそうですし、そういうことはあり得るかもしれません。でもそれは、伝道方策として考えるべきことであって、牧師が支えられないtか、効率が悪いからという考えから生まれるものではないのです。伝道も費用対効果で考えるべきではありません。教会が世の論理で物事を考え始めるとどうなるのか。世俗化するのです。この世から選び分かたれた教会が、この世と同化してしまうのです。

おそらくパウロの後から来た指導者たちは、この世的な知恵を巧みに用いたのです。そういう人たちは雄弁です。聴く者の心を捉えます。パウロはどうだったのかといえば、この手紙の10章10節に「手紙は重々しくて力強いが、実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない」という人がいたと書かれています。パウロは人の心を惹きつけるような話術を持たなかったのです。パウロは人間の知恵で人を引き付けるのではなく、ただ神の恵みの下に行動したのです。

では神の恵みとは何でしょう。神の恵みいう言葉を、わたしたちは簡単に使うことがありますが、お恵みをくださいと手を差し出せばいただけるような安価なものではありません。神の恵みは、イエス・キリストの十字架において表されました。その神の恵みの下に行動するとは、罪に滅ばされるこの身を救ってくださったキリストのために、自分の体を神の恵みの道具として献げる、献身するということです。神の恵みに生きる人は、自らの栄光を求めることはなく、神の栄光が表されるために生きるのです。パウロは、神の恵みを「神から受けた純真と誠実」と言っています。純真も誠実も、汚れがない、混じり気がないという意味の言葉です。様々な利害や人の気に入るやり方を考えていく、この世の知恵、人間の知恵とは対極にあるものです。

パウロはコリントの信徒たちから、変更しなければならないような計画を立てること自体が軽はずみだとか、人間的な考えだと非難されました。そんなパウロは、「わたしにとって『然り、然り』が同時に『否、否』となるのでしょうか」と言っています。どういうことか分るでしょうか。コリントの人たちは、パウロは「然り」イエスだと言っても、心の中では「否」ノーと言っている。また、「然り」と言ったり、「否」と言ったり、言うことがコロコロ変わる、いい加減で信用できないと人間だと非難したのです。そのような非難に対して、パウロは18節で、「神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、『然り』であると同時に『否』であるというものではありません」と言っています。

この手紙を読んで分かることは、パウロは自分への批判に対して、わたしではなく、神を主語にして答えているということです。それで、神の純真と誠実、神の恵み、神の真実という言葉が出てきたのです。わたしは真実であられる神の考えに立って生きているから、わたしを非難するということは、神を非難することと同じだというのが、パウロの論理なのです。わたしたちも自分が非難されるのは仕方ないけれど、それを親の育て方が悪いとか、家族のせいにされたらたまったものではないと思うのではないでしょうか。パウロも自分が批判されるのは構わない。しかし、神の恵みによって救われた者として、自分が宣べ伝える福音に問題があるとか、神に矛先が向くとしたら黙ってはいられない。そう思って、神がどういうお方なのかをここで語るのです。

ここでの中心は「神は真実な方」だということです。わたしはその真実な神に召され、仕えているのだから、あなたがたが言うように、「然り」と同時に「否」になるはずがないではないか、神が然りであるように、言葉に裏表があるはずがないではないかと言うのです。19節には「わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません」とあります。シルワノとは、シラスのことです。パウロは一人で伝道旅行したのではなく、アンテオキアからシラスを伴い、途中テモテを弟子にして伝道旅行をし、コリントにも行きました。彼らが「宣べ伝えたイエス・キリストは、「『然り』と同時に『否』となったような方ではありません」とは、矛盾がないということです。そして「この方においては『然り』だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において『然り』となったからです」と、神の真実を語るのです。「神の約束」とは、旧約聖書全体に預言された神の約束です。その約束が、この方すなわちイエス・キリストにおいて「然り」となった。約束が実現したと語るのです。

この神の真実にわたしたちはどう答えればよいのか。それが、神の真実に「アーメン」と応答する生き方です。アーメンとは、まさに「然り」、それは真実ですという告白です。わたしたちは、祈りや讃美歌の終わりにアーメンと言いますが、それは祈りや賛美に対する応答であり、決して形式的な言葉でも、終わりの合図でもありません。あまり言わない方がいいかもしれませんが、説教後の牧師の祈り、司式や献金感謝の長老の祈りに、同意できないと思ったら、「アーメン」と言う必要はないのです。讃美歌もわたしたちの教会ではアーメンを付けて歌っていますが、付けない教会もかなりあります。讃美歌21の発行をきっかけにアーメン論争が勃発しました。讃美歌21が出る前に、改訂讃美歌試用版と呼ばれる讃美歌集が出ました。讃美歌委員会は、試用版をもって讃美歌改訂に関して広く意見を求めようとしたのです。そこで一番多く集まった意見は、アーメンを無くしたことへの批判でした。改訂讃美歌試用版の楽譜にアーメンが消えていたのです。鎖国が解け日本が開港し、キリスト教が入ってきた明治期は、アメリカでもすべての讃美歌にアーメンを付けて歌う時代であり、讃美歌もアーメン付きでそのまま入ってきたのです。しかし、20世紀の終わりには、もともとの讃美歌についていないアーメンを習慣的につけて歌うのはおかしいという考えが主流になり、讃美歌改訂の際にはアーメンを取るという方針でいたのです。ところがそれに大きな批判が出たことで、讃美歌21ではほとんどの讃美歌にアーメンを付けてしまいました。讃美歌21の前の方にある「この讃美歌の使い方」の6にも書かれてありますが、必要に応じて使えるように、ほとんどの曲にアーメンを付けたのです。それは実に中途半端なことでした。CSで使う「こどもさんびか」にはアーメンがついていないので歌っていません。ついてなくても自然なのです。

余計な話をしてしまった気もしますが、伝えたかったことは、アーメンとは習慣的につければいいというものではなく、神の恵み、神の真実、神の「然り」が実現したことの応答として、心から「然り」という思いで応える賛美の言葉だということです。説教を聞いて、そういうことかと気づいたり、ああその通りだと思ったりしたときに、口に出さずとも心の中でアーメンと唱えればいいのです。そういう応答性は大事ですし、それは、わたしたちもまた神の真実に生きることの表明でもあるのです。そのようにして神をたたえるところに、わたしたちの真実が生まれてきます。

パウロはこの弁明を通して、訪問が伸びてしまうという理由で、軽はずみだとか、優柔不断だとか言って非難するコリントの信徒たちを非難することはしませんでした。そうではなく、神の約束と真実とが、イエス・キリストにおいて「然り」実現したこと、そのキリストに結ばれたわたしたちも真実であることを伝えようとしたのが、このテキストの主旨であるとわたしは理解し、この説教を通して、そのことを伝えたいと思いました。