聖書  イザヤ書52章7節    エフェソの信徒への手紙2章14~18節
説教  「平和の福音」田口博之牧師

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」堂々たる宣言によって今日のテキストは始まっています。平和聖日礼拝に聞くにふさわしい御言葉です。では、何をもってキリストはわたしたちの平和だというのでしょうか。そのように言うことができる根拠はどこにあるのでしょう。わたしたちにとって平和とは何でしょうか。どういう状態であれば平和だと言えるのでしょうか。

まず、エフェソの信徒への手紙に限らず新約聖書は、パックスロマーナ=ローマの平和と呼ばれた時代に書かれたということを忘れてはなりません。アウグストゥスが紀元前27年にローマ皇帝に即位してから五賢帝時代の終わりまで約200年にわたるローマ帝国の黄金時代です。では、この時代に戦争が起こらなかったかといえばそんなことはないのです。たとえば紀元66年にユダヤ戦争が勃発します。その2年後に皇帝ネロが自殺すると、1年のうちにローマ皇帝は4人も交替し大混乱に陥り、ユダヤ戦争も膠着します。紀元70年にエルサレムは陥落しますが、それで戦争は終わったわけではなく、3年にわたってマサダでの攻防戦が続きました。多くの血が流されました。ユダヤ以外の血でも戦争は起きました。それでも総じて平和だったといえるのは、ローマ全体から見るならば、大きな危機に陥ることはなかったからです。軍事力により領土も拡大し、文化、芸術、科学技術も発展します。映画「テルマエ・ロマエ」ではないですが、広場に公衆浴場が作られるなど平和の象徴といえます。ところが、同じ頃にキリスト教徒たちはローマによって大きな迫害を受けていたのです。それでは、ほんとうの平和とは呼べません。

聖書で語られる平和、旧約聖書が書かれたヘブライ語のシャローム、新約聖書が書かれたギリシア語のエイレーネーもほぼ同じ意味ですけれども、神の祝福に満たされた状態を言います。いじめや差別があったり、飢餓がおこったり、健康や経済的な問題で不安にさらされているとすれば、戦争状態でなくても平和であるとはいえません。誰もが平和が欲しいのです。先のことを心配せず不安なく過ごしたいと願っています。ですから、イエス様は、弟子たちを伝道に遣わしたとき、「まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」と命じました。イザヤが預言したとおり、イエス様は「平和の君」として世に来られ、地上を歩まれました。軍馬ではなく小ろばに乗ってエルサレムに入城されたこともその証です。さらに、復活されて弟子たちの前に現われたときの第一声が何だったか。彼らの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われたのです。おびえている限り、平和は失われています。それではいけない。では、「キリストはわたしたちの平和」だというときの平和はどういう意味なのでしょうか。

14節に「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」とあります。テキストに即せば、ここでいう二つのものとはエフェソの信徒である異邦人とユダヤ人のことです。11節に「あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました」とありますので、この手紙の主たる読み手は、ユダヤ人キリスト者ではなく、異邦人のキリスト者だったと思われます。その意味ではわたしたちと同じですけれども、わたしたちが想像する以上の対立が両者にはありました。

聖書で、異邦人という言葉が出るとき、これはユダヤ人から見た外国人というだけでなく、差別的な意味が込められていたことも覚えておく必要があります。割礼を受けていない、律法を持たないという意味での差別です。「割礼のない者と呼ばれていました」と書かれてありますが、明らかに差別的で、偏見に満ちた表現です。偏見という字は偏って見ると書きます。ユダヤ人は偏った目で異邦人を見ていたのです。そのような目で物事を見る時、正しい見方は出来ません。おのずと分裂や敵意をもたらします。

この箇所は、水曜日の聖研祈祷会でも取り上げたのですが、ユダヤ人と異邦人の断絶をよくわきまえておかないと、今日は説教にならないと思いました。そこで準備し黙想する中で、二つの聖書箇所が浮かび上がってきました。一つが、使徒言行録16章3節です。ここには、パウロが第二次伝道旅行を始めた頃、弟子として同行させたいと思ったテモテに対して、「その地方に住むユダヤ人の手前、彼に割礼を授けた」という記述があります。わたしはこの箇所について、なぜパウロがそのようなことをしたのか不思議でたまらず、腑に落ちないでいました。ユダヤ人の手前そうしたとは、ずいぶんと妥協したような表現で、パウロらしくありません。しかし黙想するうちに、そこまでのことをしなければ、ユダヤ人には受け入れてもらえない状況があったのだと思うにいたりました。

そして、もう一か所浮かんできた聖書が、コリントの信徒への手紙一9章19節以下でした。311pです。パウロはこう言っています。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。

このように語っています。ユダヤ人をキリストに導くためには、愛するテモテに割礼を授けるまでしなくてはならない。はたから見れば妥協したとさえ思えるようなことをしたことも頷けます。続き21節以下を読みます。

「また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。」

ここにパウロの伝道者魂があります。福音のためなら、伝道のためならパウロはどんなことでもしたのです。その人のため、そのことのためならば、どんなことでもするというのは、愛がなければできないことです。でも、それを先になさったのが父なる神でした。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)とあるとおりです。

そして、神の独り子なるイエス・キリストは、父なる神の御心に従いました。「この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください」と、汗が血のしたたるように祈りに祈って十字架への道を進まれたのです。十字架への道は、敵対する者たちを神と和解させる道。平和を切り開く道でした。

今日のテキスト14節に「二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し」とあります。御自分の肉においてとは、十字架で裂かれた肉を示しています。また16節には、「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と書かれてあります。

敵意という隔ての壁を取り壊す、敵意を滅ぼす。それは並大抵のパワーで出来ることではありません。神の子が、十字架にご自身の命を投げ出さなければ成し遂げられなかったのです。福音書の記者たちは、イエス様が十字架で死なれるときに、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」と告げています。人はこの垂れ幕を越えて至聖所に入ることはできませんでした。聖なる神と、罪ある人間との間には歴然たる壁があったのです。イエス・キリストが、ご自身の十字架において隔てを取り壊し、和解の道を開いてくださったのです。

十字架の形は、神と人という垂直次元と、人と人との水平次元から成り立っています。その交点にまことの神であり、まことの人となられたイエス・キリストがいます。十字架による神と人との和解があって、敵対していた人と人との和解、二つのものが一つになるという和解もなし得ます。ユダヤ人は異邦人を差別していたと言いましたが、逆もあったはずです。自分たちの文化が優れている。ユダヤ人は流れてきた者たちではないか、そんな差別意識があったことはその後の歴史が証しています。物理的に考えれば、隔ての壁を築いたのは一方の側でしょう。双方で協力して壁を作るようなことはしません。しかし、ひとたび壁が造られると分断が生まれます。双方に敵意が生まれます。

一昨日、蔡行健君が参加するということで、日独ユースミッションのオンライン壮行会の招待があり参加しました。これまでの準備会の中でベルリンの壁についても学んだと言われました。ベルリンの壁が崩壊して35年が経ちます。参加するユースにとって、東西冷戦時代の証であるベルリンの壁の存在は、歴史上の出来事になっています。

今年の4月に、説教塾で指導を受けた加藤常昭先生が逝去されました。加藤先生はドイツにいらした頃、西ベルリンの壁に近いところで生活された時期がありました。夜に何度か銃の音を聞いたと言われます。壁を乗り越えようとした者を、東ベルリンの兵隊が狙い撃ちしたときの銃声です。加藤先生は、東ドイツの牧師たちと交流がありましたが、当時日本と東ドイツの間には外交関係がありませんでした。東ベルリンに入るため、総領事館に行くと、トラブルが起きたときに何も出来ないから入ってはいけないと言われたそうです。

後にドイツの大統領をしたヴァイツゼッカー氏がベルリンの市長だったとき、ベルリンの壁を背にして「誰もがこの壁はどうしても崩れないという呻きを心に抱いていた」と言います。それほどに固い壁だった。しかし、その壁と向き合いながら「この壁は必ず崩れる、理由はただ一つ。神が造られた壁ではない。人間が造った壁は神の手によって必ず崩される」とヴァイツゼッカー氏は言われたのです。そして、壁は壊されました。

しかし、世界では今も大きな隔ての壁が築かれているところがあります。アメリカとメキシコの間には何百キロにもわたって壁が築かれています。イスラエル旅行で、ベツレヘムに入ろうとしたとき、巨大なコンクリートの分離壁が築かれていることに言葉を失いました。イエス様が誕生された地が、どうしてこのようになっているのか。今もイスラエルはハマスの指導者がイランで殺害されたり、レバノンと戦闘状態に入っている報道を見聞きするとき、イスラエルは神の民ではなかったのか、「平和を実現する者は幸い」とイエス様が言われた地において、どうしてこのような憎しみの対立が起こっているのかと、途方に暮れる思いになります。「実に、キリストはわたしたちの平和であります」。この言葉は生きているのか。神の言葉はむなしく地に落ちてしまったのではないか、そんな疑いを持つことがあります。

それでも、いやそんな思いを抱く者であるからこそ、神は聖書に立ち帰ることを求めています。「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」とあります。「新しい人」という言葉は、「古い人」との対比として、すなわち洗礼を受けて新しくされたということで語られることがありますが、ここではそうではありまえん。二つのものを一つに、二人の人が一人になった。すなわち、ユダヤ人と異邦人とが一人の人として全く新しくされた状態を指しています。

18節にも「それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです」とあります。先ほど見てきたような、ユダヤ人と異邦人とが敵対し合っていた状況を思うとき、奇跡としか言えないことが起こったのです。パウロはここで教会の話をしています。教会に生きるわたしたちに向かって、あなたがたもそうだろうと語っています。

イエス様は山上の説教において、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。この言葉は、わたしたちが平和の実現に向けて努力すれば、あなたを神の子と認めてあげる。そのような意味ではありません。聖書はあなたたちの努力で平和を実現せよ、そのような言い方はしていません。「実に、キリストはわたしたちの平和であります」とあるように、主語はわたしたちではなくキリストです。イエス・キリストが十字架によって、神と人との和解のかけはしとなり、敵意を滅ぼしてくださったのです。

15節に「こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」とあるように、キリストが実現してくださるのです。17節には、「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました」とあります。ここでの主語もキリストです。福音とはよき訪れを意味します。キリストが平和というよき知らせを運んでくださったのです。わたしたちの役割はその手足となることです。

増田将平牧師の葬儀でイザヤ書52章7節が読まれました。「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」とあります。お父様の増田志郎先生は、この御言葉をもとに息子に将平という名をつけたそうです。そこには、「平和の大将になれ」というお父さんの願いが込められていると聞きました。平和は自分たちの内から造りだせるものではありません。イエス・キリストが天から降られたように、わたしたちも山の上にとどまるのではなく、山から駆け下りてキリストの平和を、恵みの良い知らせを、救いを、平和の福音を宣べ伝える教会になることを神は期待しています。

教会は、ユダヤ人とギリシア人が一つになろうとして互いに努力したから出来たのではありません。イエス・キリストが、ご自身の一つの体である教会に二つのものを迎え入れてくださったのです。今もこの世界には、なおたくさんの「敵意という隔ての壁」があり、平和が失われた状態が続いています。わたしたちはそこに虚しさを覚えるのでなく、キリストの平和を和解の福音を宣べ伝えていくことです。キリストの平和を告げ知らせるときに、新しいことが必ず起こることを信じつつ。