聖書 イザヤ書51章12節 、コリントの信徒への手紙二1章3節~11節
説教 「慰めと希望の神」 田口博之牧師
コリントの信徒への手紙二1章3節~11節を読みました。先月6月24日の礼拝で1節から8節までを読みましたので、あれ?と思われたかたもいらっしゃると思います。説教題も前回は「慰めを豊かにくださる神」で今回は「慰めと希望の神」で、テーマは同じく慰めです。なぜ、同じテーマでほぼ同じテキストとから話をするのかといえば、それは説教したわたし自身に手応えがなかった。前回の説教を聞かれて、難しいと思われた方が少なくないと感じたからです。
説教の中で、ヨブの三人の友人が苦難を受けたヨブを責めようとしたのではなく、純粋に慰めようとしてやってきたのに、ヨブが頑なになったという話はよく分かったと言われた方がいます。それでも、全体を通すと分かりにくいものとなった。それが何故なのかを考えてみたときに、考えられることはいくつかあります。一つは「慰め」という言葉との距離感です。わたしたちにとっての救いの言葉となっていないのではということ。加えてパウロの言葉の分かりにくさがあります。5節と6節をもう一度読んでみます。
「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」
パウロは論理的な人です。わたしも論理性は高い部類に入ると思いますが、それでも分かりにくい。たとえば、「わたしたち」という言葉は2節から4節にも出てきましたが、5節までは手紙の送り主であるパウロとテモテばかりでなく、コリントの信徒たちも含また「わたしたち」の中に入ります。「わたしたちの父である神」、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神」と言うときには、そのような呼びかけによって祈りを始めるわたしたちも含まれます。
ところが6節で「あなたがた」が出てくると、「わたしたち」はパウロとテモテとなり、「あなたがた」はコリントの信徒たちとなります。キリストとわたしたちの間で言われていたことが、パウロとテモテとコリント教会の話に変わってくるのです。わたしたちもまた、わたしたちではなく、あなたがたに含まれます。こういう説明をすると、話を分かりにくくさせてしまう要因となるでしょう。だったら話さないがよいということになり、そこはいつも迷うところです。
何も新共同訳聖書の翻訳に問題があるわけではありません。ちなみに分かりやすさを心がけた聖書としてはリビングバイブルが知られていますが、最近は若者にも通じる言葉を意図して翻訳した聖書もいくつか出てきています。たとえば、ALIVEバイブルという聖書がネット上に公開されていますが、5節、6節をこう訳しているのですね。
「そう、救世主(キリスト)が試練をくぐったように、私たちもくぐらなければならないのだ。しかし、それと同時に神の偉大な愛情が注がれ、他の人を助けるだけの力をみなぎらせてくれるのだ。私たちが試練にぶつかるのは、神に力を注がれ、救いを手放さないほど強くするためなのだ。私たちが強められれば、あなたたちを強めることができる。こうして、根性が築き上げられ、我々同様の試練を受けて立つことができるようになるのだ。」
随分と勇ましい訳となっています。これはやはり分かりやすさを心がけた英語の聖書から日本語に訳しているようですが、翻訳者の意図が入りすぎていて、聖書というより聖書の解釈になっている気がします。でもパウロはここで根性論をたたきこもうとしているわけではありません。
ポイントは5節だと思います。「キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいる」とは、わたしたちが経験する苦しみは、キリストも経験された苦しみであるということです。わたしたちが受ける苦しみはキリストも先立って受けてくださっている。キリストが知らない苦しみは一つもない。だから慰められるというのです。そう言っても分かりにくさが残るのはなぜかと考えたときに、どういう苦しみなのか具体性がないからです。具体的なことが語られないから、どういう慰めになるのかも分からない。聖書の言葉は具体的に語られないと、わたしたちは理解しにくいところがあるのです。
今日、8節から11節を合わせて読んだのはそういう理由です。7節までに語られていた苦難と慰めについて、具体的なことが記されているのが8節以下だからです。パウロは8節で「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」と語っています。その時の苦難は、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」というものでした。
具体的だと分かると言いつつ、「アジア州でわたしたちが被った苦難」がどういうものであったのか具体的に述べているわけではありません。コリントの信徒たちも分かってはいなかった。なぜならパウロは「兄弟たち、アジア州でわたしたちが被った苦難について、ぜひ知っていてほしい」と語っているのですから。
ではどういうことがあったのか。アジア州の州都がエフェソでした。もともとパウロは第二次伝道旅行でアジア州への伝道を志しましたが、聖霊から御言葉を語ることを禁じられて、先にヨーロッパすなわち、マケドニア、ギリシャへと渡ったのです。コリントもギリシャ第二の都市でした。彼らはアジア州での苦難と聞けばエフェソの出来事を思い描いたはずです。
使徒言行録19章には、エフェソで大騒動が起こったことが記されています。コリントの信徒への手紙一15章33節には、パウロが「エフェソで野獣と闘った」という記述が出てきます。ローマ皇帝は、野獣の中にキリスト者を放り込むという仕方で迫害をしたことがあったようです。パウロもそういう目に遭ったのでしょうか。いずれにせよ、「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしまいました。わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした」とあるように、パウロが被った苦難は死を覚悟するほどのものでした。生きることに絶望的な状況に追い込まれたのです
人間の可能性のすべてが奪われたとき、後に残るのは弱さしかありません。強い人と弱い人がいれば、誰もが強い人に頼ります。弱いというのは実に頼りないものでしかないのです。でもパウロは、同じコリントの信徒への手紙二12章9節で「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という主の言葉を聞き、「むしろ、大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」「わたしは弱い時にこそ強いからです」と語っています。
どうしてそう言えるのでしょうか。かつてのパウロは強い人でしたが、自分の強さを誇っている限り、神が働かれることはないことを知ったのです。強いと思っていた自分が、実は脆くて弱い者だと知った時に、神が働かれる場が開かれる。そんなパウロは1章9節で、「それで、自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」と語っています。
もちろんパウロは、それまでもイエスを復活させ、わたしたちの復活を確かなものとしてくださる神を信じていました。だからこそパウロはキリストの使徒として戦ったのです。そのようなパウロが、「自分を頼りにすることなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました」と改めて語るのは、死の宣告を受けたような体験をしたからに違いありません。
そして10節「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」と言っています。望みなきとこに望みが生まれる。そこに真の慰めがあります。そこにこそ、キリスト教信仰の真骨頂があります。
一昨日ですが、急遽東京に行くことになりました。青山教会の増田将平牧師の葬儀に行くためです。説教塾や改革長老教会協議会などで交わりがある牧師でした。たくさんの参列者が予想されたので、富士見町教会で行われましたが、会堂が満堂となり、献花も40分以上かかりました。おそらくは、400名を超える参列者があったと思います。牧師も全国津々浦々から大勢集まっていました。現職で52歳ということもありますが、説教で語られたように、一緒にいるだけで心が和む。誰もが「自分がいちばん親しい」そのように思わせる牧師でした。
増田牧師の体調が酷く悪いという話が聞こえてきたのは、2年前の8月でした。背中の痛みが半端なく、検査をすると希少がんで有効な解決策も見いだせないまま闘病生活が始まりました。それでも可能な限り、教会や学校の働きを続けましたが、昨年のクリスマス前に厳しい状況に置かれました。皆さんも覚えているでしょうが、昨年は12月24日が日曜日でした。増田牧師も朝と夕の奉仕をやり遂げます。翌25日に満身創痍で病院に行くと、二つの肺に穴が開いて気胸を起こしているとのことで、緊急入院となりました。肺への転移があったのでしょう。医師からは今のうちに会うべき人と会うように言われ、緩和ケアに入ることを勧められたそうです。体力が持たないので積極的な治療は出来ない。でも増田牧師は、緩和ケアを断ったのです。確かにモルヒネを打てば、痛みは避けられる、その方が長生きできるかもしれない。では自分は何のために生きるのかと神に問い、体に負担があっても積極的治療を選ばれたのです。どんなに痛みがあり苦しくても、「神よ、どうか生きている限り、あなたを賛美できるように」、「この存在を通して神の力を示してください」と祈り求めた。
12月25日に入院してから何度かの手術をされました。3カ月の入院を経て退院したのは受難週。3月31日の青山教会のイースター礼拝に出席することができました。そのときの説教者は並木せつ子先生。名古屋教会出身の隠退教師です。並木先生は、これまでもそうだったと思いますが、無牧となる青山教会を助けてくださるお一人となられることでしょう。
増田牧師が説教者として講壇に立たれたのは、翌4月7日の礼拝でした。この時の増田先生の説教は、素晴らしいという単純な言葉では言い尽くせないもので増田先生の魂が込められています。動画で公開されていますので、一緒に聞いてみたいと思うほどの説教です。
増田牧師は、説教の後半で、カルヴァンの「祈りについて」という本を紹介されました。祈とは神との対話である。独り言ではない。真実の自分と真実の神との語り合い。神はわれわれの心を注ぎ出すことを待っておられるというカルヴァンの言葉を紹介しながら、自分が何を祈ってきたかを告白されました。その祈りは、先ほど述べたような「生きている限り、あなたを賛美できるように」、「この存在を通して神の力を示してください」という祈りばかりではなかった。
増田牧師は真実の自分の思いを神に注ぎ出されました。「神さま、何でわたしのことをこんなに苦しめるのですか。どうか食事ができるようになりますように。どうか夜、眠れますように。神さまどうか、息苦しさから解き放ってください」そう祈ったというのです。そしてカルヴァンの言葉を引用しながら、信仰者も心が覚めて、祈る時が面倒くさくなる。そんなときこそ、神様に火の矢を放っていただいて、わたしの心を燃やしてください。求めていることはすべてかなえられないとしても、それによってがっかりする必要はない。神はわたしの祈りを無視しておられるのではない。父なる神なので、自分の思ったとおりのことが、そのとおりではなくても、いちばんいい道を備えてくださるのだと。
そう説教しながら、肩の痛みをこらえています。この痛みの原因は明らかで、病から来ている。病は手強い、色んな痛みがある。そうゆうとき、まるで自分の主人は病ではないかと思えると言うのです。こんな声が聞こえてくる。「お前の主人は誰か知っているか。俺だ。お前の体の中にいるこの病。俺がお前をすべて支配している」。これはとっても恐ろしいささやきだと。自分の痛みばかり気になって仕方がないけれども。そんなときに、顔を天に向けて、どうかわたしの祈りを聞いてくださいと祈る。そのときの支えとなるのが、わたしたちのために死んでくださった方が復活されたという事実です。この方はわたしたちの代りに死んでくださり、わたしたちが死ぬべき死から復活して勝利してくださった。死は最後の支配者ではなかったのです。
増田牧師は病気をして説教が変わったと言われました。若者に向かってはつらつと語っていた時とも素晴らしかったですが、本物の御言葉を聞いたと思いました。死の宣告を聞いた思いになり、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになったパウロとシンクロしているようです。でも、増田先生は、死の宣告を聞いた思いではなく、事実として死の宣告を受けたのです。パウロのように死の危険から救われることなく死んでしまった。それでも、最後まで神に希望をかけることはやめなかったのです。その希望はイエス様が死んで復活してくださったことにある。復活の信仰が力となったのです。
パウロは11節で「あなたがたも祈りで援助してください」とコリントの信徒たちに願いました。信仰者は祈ってくれる人がいることがいちばんの慰めになります。わたしも痛みと闘う教会員から、「自分の祈りでは足りないから祈ってください」と言われました。祈りの力を知っている方だなと思いました。能登半島地震も、教会の被災でいえば、輪島教会にばかり目が行くところがありますが、周辺の七尾教会、羽咋教会、富来伝道所なども多くの被害を受けています。能登半島に限らず、富山県の教会も被害が報告されている。具体的に励まされ、慰められるのは祈りだと言われています。
わたしたちは今年度「慰めの共同体」という年度標語を掲げました。女性のつどいがしたような寄せ書きと訪問をするのも具体的ですし、祈りも求めている人のために祈り合うこともまた具体的です。聖書研究祈祷会に行けなくても、時間を決めて祈りの時間を持つことも大切なことです。祈ることしかできないのではなく、祈りにこそ力があります。祈りの人は神に希望をかけることができます。わたしたちの神は、慰めと希望の神だからです。