聖書 創世記28章13~15節 ルカによる福音書24章13~27節
説教 「エマオへの道」
イエス様が復活された日の午後、エルサレムからエマオへ降る二人の弟子にイエス様が一緒に歩かれたことを告げるこの物語は、多くの人から愛されてきました。この箇所を読んでいると、この時の情景が浮かび上がってくる気がします。とても美しい物語ですが、語られていることは神学的にも重要です。ルカという人は大切だけれども難しい話を、物語ることで分かりやすく伝えようとしたことを思わされます。
本来ですと、この物語は35節までで一まとまりとなります。一気に読む方がよいかなと思いつつ、20分足らずの説教では語り尽くせない。考えた末に今週と来週、二週に分けて説教することにしました。ですので、来週は28節以下を読みますが、今週すでに28節から35節の内容に入るところもあります。また来週も今日のテキストを振り返ることになると思います。
さて物語は「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」という言葉で始まっています。
「ちょうどこの日」とは、イエス様が復活された日のことです。「二人の弟子」とは、十二弟子の中の二人ではなく、18節によれば、一人がクレオパという人であることが分かります。もう一人の名は出てきません。ヨハネによる福音書19章25節で、イエスの十字架そばにいた婦人たちの中に「クロパの妻マリア」がいます。ある解説者は、クレオパとはクロパのことで、名前のないもう一人の弟子は、クレオパの妻ではないかと言っています。そこははっきりしないのですが、29節によれば、二人は「一緒にお泊りください」と言ってイエスを家に迎えていることから、二人が夫婦かもしれないと思います。
二人の家があったエマオという村ですけれども、巻末の聖書地図にはエルサレムから西北西あたりにエマオというポイントが打たれていますが、実際はどこにあるかはっきりと分かっているわけではありません。エマオという地名は、聖書のここにしか出てこないのです。分かっていることはエルサレムから60スタディオン離れているということです。いったいどのくらいの距離なのか。聖書巻末の度量衡から計算すると、その距離は11.1キロのようですが、口語訳聖書には「7マイルばかり離れた」と書かれてありました。マイルと言われてもピンと来ませんが、計算するとやはり11.1キロ位になります。わたしは、これだけの距離を走ったことはありますが、歩いたことはありません。けっこうな距離です。
ちなみに、文語訳聖書を開いてみると「三里ばかり」とありました。約12キロと距離が少し伸びてしまいますが、間違いではありませんし、かつての日本人の生活に密着している表現だなと思います。
先週のイースターで、かつて兼務していた日進教会が90年の歴史を閉じたという話をしました。教会といっても、実質は日進の塚本という家の教会でした。塚本家初代のクリスチャンである塚本孫平さんは、名古屋教会が設立した翌年、1885年(明治18)5月5日、阪野嘉一牧師から洗礼を受けられた方で、日進最初のクリスチャンです。名古屋教会百年史にも、「その当時、この家から名古屋教会まで片道4里の道をわらじをはいて礼拝に通いました」という孫の塚本章さんの証言が出ています。今のように道は舗装もされていなません。雨の日も日照りの日も、冬場であれば夜明け前に家を出なければ、4里、約16キロの道をわらじばきで歩いてここまで来ることはできなかったでしょう。
聖書には「履物の紐を解く値打ちもない」という言葉が出てきますが、エマオへの道も険しかったのではないでしょうか。それは、距離や履物だけのことでなく、二人は失意の中を歩いていたからです。「この一切の出来事について話し合っていた」とありますが、一切の出来事とは、この後で語られているここ数日の間に、イエス様に起こったことです。
二人が「話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とあります。復活されたイエス様は、魂だけでなく体をもって復活されました。ところが鍵をかけた部屋の真ん中に立ちもします。そこに、復活の体の特質があります。一緒にいて気づかないような体です。けれども、それがイエス様だと分からなかったのは、かつてと同じ人だとは分からない体として復活したということではありません。二人がイエスだとは分からなかったのは、二人の目は遮られていたからです。イエス様だとは分からないように遮る何かがあったということです。
これと対照的な言葉が、次週学ぶ31節に出てきます。「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあります。ここで、二人の目が開かれた。遮るものがなくなったら、イエス様だと分かったのです。このことは、テキスト全体を理解する上で、そしてイエス様の復活を考える上で重要なことです。
さて、エマオに向かって話しながら歩く二人に対して、イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言いました。二人が暗い顔をして立ち止まると、クレオパの方が、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と言っています。イエス様に向かって、イエス様のことを知らない人と認識したのです。そのように目が遮られた状態でイエスについて話し始めるのです。
この19節から24節を読むと、二人が三つの話をしていること、どういう思いでエマオに向かっていたのかが分かります。一つは、「この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした」という総括的な話です。この言葉から、二人がイエスに望みをかけて従っていたことが伺えます。
二つ目、「それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言って、十字架の話をしています。この人こそと、イエスに望みをかけていたのに、失われてしまったのです。
そして三つ目が、十字架から三日目たった今朝の話です。「ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体を見つけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした」と言っています。
二人は、イエス様が復活された話をしたのです。しかし喜んではいません。あきらかに、復活されたことを信じていない話し方をしています。墓に行った婦人たちにからかわれてしまった、憤りさえ感じているようにも伺えます。そもそも婦人たちの話を信じていたら、エマオに向かうことはなかったのです。だから、二人はイエス様に話しかけられていても、暗い顔をしていたのです。一緒に歩きながら話をしていても、イエスだとは気づかなかったのです。
二人の話を聞いたイエス様は、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」と嘆いています。イエスが前もって十字架の死と復活を予告していたのに、その通りのことが起こったのに、信じられずにいることが残念だったのです。そこで「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」のです。イエス様はエマオへの長い道のりを、聖書全体を説きながら二人と共に歩まれたのです。
おそらくは一方的に話し続けたのではないでしょう。イエス様の話はいつも対話的です。このエマオへの三人の旅路も、二人の弟子が論じ合っているところに来て、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と、イエス様から尋ねています。そして、クレオパが、「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか」と答えると、イエス様は存じないどころではないのに、あえて「どんなことですか」と言われ、クレオパの言葉を引き出しているのです。
二人は最初、暗い顔をしていました。エルサレムからエマオへの道は、失意の中の道だったのです。でもイエス様が「聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された」とき、変わってきたと思います。イエス様ご自身が聖書の話をずっとして下さるのです。そんな贅沢な話はありません。
エマオと聞くと思い出すことあります。前任地で韓国の教会との交流がありました。それもあって今は忘れていますが、韓国語も勉強します。二つの交流ツールがありましたが、うち一つがあるクリスチャンドクター家庭との交流でした。ご夫人の方が医師でした。わたしが着任する前のことですが、ご主人の方が韓国から名古屋の大学に研究に来られ、桜山教会で教会生活をされました。すると夫人のほうが、夫婦は離れていてはいけないと神に示され、病院を休職しご一家で名古屋来られたのです。それが1992年から93年のことです。その後、わたしが着任して数年たった2002年だったと思いますが、ご夫妻からアプローチがあり、交流が再開しました。その頃には、韓国の全州というところでご主人が理事長、ご夫人が院長となって病院を作られていました。その病院の名が「エンマオ サラン ホスピタル」、訳せば「エマオ愛の病院」となります。病院にはホスピスもありました。驚いたのが病院の敷地に火葬炉もあり、仏教やキリスト教の葬儀も出来る場所があったことに驚いています。
わたしは、なぜエマオ サラン ホスピタルと名付けたのかを尋ねたわけではありません。でも、想像はつくのです。エマオに向かって歩き始めた二人は、暗い顔をしていました。人生の望みを失ってしまった、それがエマオに行く人の心なのです。病を得て、傷を負い、人生の夕べ、たそがれ時を生きている。その人たちの病気を治し、寿命を延ばす。それだけが医療ではなく、最後まで人間らしく質の高い医療を提供する。「神いやし、我ら仕える」をモットーとされた川原先生も、そのような思いで愛知国際病院にホスピスを作られたのではないでしょうか。
今日のテキストで大切なことは、エマオへの道を行く二人の弟子にイエス様の方から近づき共に歩まれたということです。故郷を逃げるようにして出たヤコブに対し、神は「父祖アブラハムの神、イサクの神、主」として臨まれ、「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と約束されました。この約束はヤコブにとって大きな支えとなりました。
しかし、ここで復活の主イエスは、ただ約束するだけでなく、失意の二人と共に歩まれたのです。そして、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されました。この時点で二人はまだ、この人がイエスだとは分かっていませんが、慰められ、もっと話を聞きたいと思いました。ですから29節「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言ってイエス様を引き留めたのです。
今日は先週の予告に変えて、この後、聖餐の前の讃美歌を218番「日暮れて、やみはせまり」を歌うことにしました。1節の歌詞は、
「日暮れて、やみはせまり、 わがゆくて なお遠し。
助けなき身の頼る 主よ、ともに宿りませ。」
今お読みした29節から霊感を受けて作られた讃美歌です。
2節ではさらに
「いのちの 終わり近く、 世の栄え、うつりゆく。
とこしえに 変わらざる 主よ、ともに宿りませ。」と歌うのです。
よるべなき思いを歌った讃美歌ですが、そこに復活の主が宿を取ってくださっている。わたしたちの信仰は不確かでも主は確かなお方。たからお委ねすることができるのです。
イエス様は、イザヤが予告したインマヌエルの主です。わたしたちと共にいますお方は、わたしたちが信じたから共に歩んでくださるのではありません。信じることができずにエマオへの道を行く弟子たちに、イエス様の方から近づいて一緒に歩いてくださったように、見放すことなく共にいてくださいます。そして、信じない者ではなく、信じる者になることを願って聖書を説いてくださるのです。神の言葉である聖書は、正しく説き明かされることでまことに神の言葉として立ち上がることを示してくださる。
そして、わたしたちのうちに宿を取ってくださり、共に食卓を囲み、パンを裂いてくださるのです。エマオへの道、ここには主の体なる教会がたいせつにしてきた説教と聖餐の恵みが先立って語られていることを思います。わたしたちはその恵みを思いつつ讃美歌218番を歌い、そして聖餐に与ります。主は聖書の言葉と聖餐においてわたしたちのところにのぞんでくださっています。その恵みを感謝しつつ、新しい2024年度を共に歩んでまいりましょう。