聖書 ダニエル書7章13~14節 ルカによる福音書21章20~28節
説教 「救いは近い」田口博之牧師
礼拝の初めに「こころを高く上げよ」という讃美歌を歌いました。讃美歌第二編の1番に載ったことで、日本の教会でとても親しまれる讃美歌となりました。教会の歴史をひもといていくと、すでに初代教会の時代、聖餐を司式する司祭が口にした言葉だったこが明らかになっています。平和の挨拶をした後に、「スルスム・コルダ」、「こころを高く上げよう」と呼びかけ、聖餐の祝いが始まるのです。
聖餐は「マラナ・タ」の讃美歌が歌われるように、主の来臨によって完成する御国を待ち望む祝宴です。イエス様はご自分のことを、たびたび「人の子」と呼ばれました。今日のルカによる福音書21章27節において、イエス様は、「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」と言われました。このときの「人の子」は、意味的にもダニエル書7章13節の「『人の子』のような者」から借りたものです。ダニエルはこう言いました。
「夜の幻をなお見ていると、見よ、『人の子』のような者が天の雲に乗り
『日の老いたる者』の前に来て、そのもとに進み 権威、威光、王権を受けた。
諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え 彼の支配はとこしえに続き その統治は滅びることがない。」
バビロンからペルシャへと時代に覇権が移りゆく時代の中、捕囚の地で翻弄されていたダニエルは、メシアが「人の子」のような姿で、天の雲に乗って到来し、世を統治する幻を見たのです。
イエス様は、これからやってくる苦難の時代において、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」と告げました。さらに「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」と言いました。「身を起こして頭を上げなさい」。それが主を待ち望む姿勢だと言うのです。
かつてのダニエルがそうでした。人の子が雲に乗ってやって来ることが分かったのは、顔を上げていたからです。信仰者は、どんな時にも、うつむかないで、しっかりと頭を上げて、体も心も高く上げて生きる。それが主を待ち望む姿勢なのです。苦難の中で、どうして上を向くことができるのでしょうか。「あなたがたの解放の時が近いからだ」とイエス様は言われます。解放の時、救いの時が近いからこそ、顔を上げることができるのです。ここに希望があります。
では、どうして希望が持てるのでしょうか。「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」とありますが、「そのとき」が、どんなときかと言えば、20節から26節に記されている時です。そこには、苦難の時という言葉では片付けられないほどの苦難が語られています。しかし、その時にこそ、救いが近いことを知れと言われるのです。
厳密に言うと、20節以下と、25節以下は、別のことが描かれています。20節以下は、「エルサレムの滅亡を予告する」という小見出しがあるように、イエス様の十字架、復活、昇天から30年以上先、ローマ軍がエルサレムに侵攻したユダヤ戦争という歴史上に起こったことの予告となっています。「起こったことの予告」だったと聞くと、何かずるいように思われるかもしれません。ユダヤ戦争というのは、紀元66年から70年に現実にあった戦争です。ルカによる福音書が執筆されたのは、紀元70年以降と推測されますので、ルカは明らかに、ユダヤ戦争の顛末、エルサレム神殿が崩壊したことも知った上でこれを書いたのです。
20節の「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら、その滅亡が近づいたことを悟りなさい。そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」という記述は、とても具体的です。ところが、この箇所の並行記事にマルコによる福音書ではどうなっているかと言うと、マルコは、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」と始めています。「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら――読者は悟れ――」という表現は、ルカの「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら」と比べると謎めいています。マルコによる福音書が書かれたのはルカよりも早く、ローマ軍侵攻の危機感はあったものの、まだ始まってはいなかったのです。おそらくマルコは、エルサレム神殿の崩壊と終末を結び付けていたと考えられます。ですから、終末への切迫感があり、急いで書かれているように思えます。
それでも、マルコ、ルカに共通した表現があることに目を留めたいのです。「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」と語られていることです。この当時のキリスト者の集団は、ナザレ派と呼ばれており、ユダヤ教の一分派として見なされていました。しかし、ユダヤ戦争を機に、ユダヤ教のナザレ派ではなく、ユダヤ教の枠外に置かれたのです。なぜそうなったかと言うと、信者たちがエルサレムに留まるのではなく、逃げるようにと教えた、イエス様の言葉に従ったからです。
ルカの21章21節に「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」と書かれてあるとおり、信者たちはエルサレムから立ち去ったのです。この逃げるという行動は、わたしたちの感覚からすれば、当然のことをしたように思います。「逃げるが勝ち」と言いますが、戦争は逃げきってこそ、生き延びることができます。ところが。ユダヤ教の人たちからすれば、逃げるというのは、考えられない行為でした。
日本の戦国時代でも言えることですが、戦の勝ち負けは、城を落とせるかどうかで決まりました。ですから、攻められている側は。最後には城に立て籠って、敵の攻撃に耐えるという籠城戦が取られたのです。エルサレムの都は城壁に囲まれていました。ですから、イエス様がエルサレムに入られるときも、エルサレム入城という言い方をしたわけです。この都の中心にエルサレム神殿があります。ユダヤの指導者たちは、田舎にいる人々も都に入って共に戦うよう命じました。わたしたちには神殿があるから。神は守ってくださると教えていたのです。
ところが、イエス様はそんなことは言われません。むしろ真逆で、「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」と告げられ、信者は実際にそのとおりにしたのです。それはユダヤ教の人々からすれば、反逆罪に当たることであり、この戦争を機にナザレ派はユダヤ教の共同体から追い出されることになりました。しかし、それはキリスト教会として独立の歩みをはじめていくことに通じます。
ですから、ルカがマルコとは異なり、事後予告として書かれてあるという話をしましたが、ルカがその事実を知っているから、こう書けたということではないのです。大事なことは、イエス様が地上に歩まれた頃、エルサレム神殿で説教された言葉が伝えられおり、多くの信者たちがその言葉に従ったということ。ルカによる福音書を読む人たちはそのことを知り、自分たちも主の言葉に従って生きようという思いを新たにしたのです。
しかし、全員がそうはしなかったと思います。信者の中には、エルサレムを捨てるわけにはいかないと思い、逃げることを潔しとしなかった人がいたとしても不思議ではありません。あるいは、23節に「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」とあります。そのことのゆえに、逃げることができなかった女性たちもいたのです。戦争は不幸をもたらします。戦争で闘う勇気がどれだけ説かれたからといって、実際に弾丸が降り注がれる中から生き延びるためには、迎え撃つのでばく逃げしかないのです。
そして、これは聖書全体を読んで気づかされるのは、聖書は逃げることを否定していないということです。父の祝福をだまし取ったヤコブは、殺意を抱いた兄エサウから逃れるため旅に出ました。イスラエルの指導者となったモーセもミディアンの地に40年間逃れました。律法には、いくつかの逃れの町を備えることを伝えています。
使徒パウロは、「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」と約束されました。逃げるということは、決して恥ずかしいことではありません。また、ただ怖くて逃げた人にとっても、このイエスの様の言葉は、生き延びた人々を支えたのでなかったでしょうか。
ところでルカは、ユダヤ戦争によるエルサレム陥落の結果として、24節ですけれども、異邦人の時代に入ったことを告げています。「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる」とは、散らされていくユダヤ人の歴史を示しているといえます。しかしそれは、神の民が異邦人世界に増え広がっていく様を示すことでもあるのです。
わたしたちもユダヤ人から見れば異邦人です。先人たちの異邦人伝道によって導かれたわたしたちは異邦人の時代を生きているのであり、この時代は、イエスが再び来られる時まで続くのです。聖餐制定の言葉に「主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」とあるように、異邦人の時代とは、伝道の時代であり、伝道とは、実に終末的な業だと言うことができます。
このようにして、エルサレム陥落という歴史的な出来事が語られた後に、25節以下では、主の再臨によって起こる終末について語られていきます。こちらは、歴史の中で起こった出来事ではありません。事後予告ではなく終末預言です。
そうは言っても、天変地異、自然災害は、今も世界のここかしこで起こっています。8月のハワイ・マウイ島の山火事、9月には北アフリカではモロッコの大地震に続き、リビアで大洪水が起こりました。地球温暖化が原因だと言われています。地中海で発生した低気圧が、偏西風の蛇行により、乾燥地帯がとんでもない大雨の被害に襲われました。たくさんの多くの尊い命が失われてしまいました。逃げ延びた方たちも失意のどん底にある人たちがいます。
日本でも、昔とは違う台風の進み方となっていますし、台風と離れたところで、かつたはなかった豪雨被害が起こっています。9月半ばになっても最高記憶が35度を記録するなど、これまでの常識は通用しない気候変動が起こっている。
今年は関東大震災から100年経ったことで、テレビでも過去の映像が流されたりしました。今でこそ、地震が起こる物理的メカニズムは明らかになりました。それでも、現実に大規模地震が起こり、大津波に飲み込まれることが起これば、わたしたちは否応なしに、世の終わり、終末を意識してしまいます。ルカが記したように、「諸国の民は、なすすべを知らず、不安に陥る。人々は、この世界に何が起こるのかとおびえ、恐ろしさのあまり気を失うだろう。」そういう事態に陥りかねないのです。恐れや不安で押しつぶされそうになります
しかし、それらのことは終末の徴であって、世の終わりはすぐには来ないということを、ルカはすでに21章7節以下で記しています。今日の箇所では、そのようなときに、わたしたちが見つめるべきものは何かを教えているのです。27節「そのとき、人の子が大いなる力を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」というのです。恐れや不安の中で、脅え、惑わされそうになっているわたしたちが見つめるべきものは、再臨の主なのです。
クリスマスに、力なき幼子としてお生まれになった時とは異なり、再臨の主は、「大いなる力を帯びて」やって来られます。その力は、わたしたちを脅えさせる戦争や災害や疫病をはるかに凌ぐ裁きの力です。ですから、世の終わりを煽るような事態に襲われたとしても、それが終末の裁きだと恐れる必要はないのです。そういう時にこそ、わたしたちは裁き主の再臨を待つ信仰を新たにするのです。そのためにわたしたちは、「身を起こして頭を上げる」のです。
讃美歌18番「こころを高く上げよ」の4節は、
「おわりの日がきたなら、 さばきの座を見あげて、
わがちからのかぎりに、 こころを高くあげよう。」
という歌詞です。クリスマスに救い主として、小さくお生まれになった主は、終わりの日には、裁き主として、大いなる力と栄光を帯びて来られるのです。
わたしたちは使徒信条で、「かしこより来たりて、生けるものと死ねるものと裁きたまわん」という言葉で、主を待ち望む信仰を告白します。今生きている人だけでなく、すでに死んだ人も主の裁きの座に立たされる」ことが言われています。これは考えようによっては、恐ろしいことです。地上の命を終えて天国に行ったのだから、それで安心するわけにはいかないということになります。そこから、カトリック教会では、煉獄という思想が生まれました。地上に残された者は、亡くなられた方の魂が救われるよう、主に執り成しを祈らねばならなくなります。
しかし、福音主義教会(プロテスタント教会)は、煉獄の思想を否定しました。ですので、残された者の祈りは、すべてを主にお委ねするだけです。委ねることができるのは、裁きの時にこそ、救いが明らかになることを信じているからです。
わたしたちは地上で生きている限りは、救われたといっても、悩みが尽きません。病気になると辛いです。どうしてこんなことが自分に起こるのかと思える、そんな事態に巻き込まれることがあります。その意味で救いは地上では完成していません。一つ言えることは、この地上で神の裁きがなされることがないからです。ゆえに、不正を犯してもくぐりぬけることができる人がいます。神が裁かれるのですから、考え始めたら恐ろしいことです。でも信仰者にとっての神の裁きは、「義とされる」ということです。神の正しい裁きによってこそ、救いがはっきりします。
「罪の赦し、体のよみがえり、永遠の命を信ず」という告白も、主の約束を信じるがゆえの告白です。ですから、何かが起こると、現実の問題の方が勝って、救いの約束が見えなくなってくることがあるのです。今日の聖書テキストが言わんとしていることもそういうことで、戦争、疫病、災害に襲われる、これが裁きだと思ってしまう時に動揺してしまうのがわたしたち。しかし、そういう時にこそ、慌てることなく、まことの裁き主が現れるときを待つ信仰を整えるのです。
主は「あなたがたの解放の時が近いからだ」と言われるのです。救いは近いのです。主を迎えることができるように、身を起こして頭を上げるのです。こころを高く上げて、裁きの座を見上げて生きていくのです。