ミカ書4章1~3節、 マタイによる福音書26章52節
「もはや戦うことを学ばない」田口博之牧師
日本基督教団は、8月第一聖日を「平和聖日」と定めました。広島への原爆投下によって被爆した牧師・信徒たちが教団に要請して定められたものです。奇しくも今年の平和聖日は8月6日となりました。今朝、平和公園で行われる平和記念式典をテレビでご覧になってから、教会にいらした方もいらっしゃると思います。
わたしは大学を卒業してから広島で就職しました。平和公園の中におそらく地元の人しか通らないであろう車が通れる道がありました。職場から得意先に行くときには、原爆ドームを横目で見ながら、車で日に何度も往復していました。広島に住んでいた頃は、平和記念公園も原爆ドームも日常の風景の一つでした。しかし、毎年8月6日だけは特別な日でした。普段は朝礼など行わない会社でしたが、8月6日だけは必ず行われ、上司の一言がありました。先ほどお話した平和公園内の車道も、8月6日は進入禁止となりましたし、それ以外の道も、動けば渋滞にはまりました。
中部教区の平和聖日献金は、原爆孤老ホーム(現清鈴園)設立支援の前史を受け、1974年より、広島在住の韓国人・朝鮮人の被爆された方々への支援のため用いられています。国の支援を受けることができなかった方たちです。平和聖日献金は、全教団的になされているものではなく、中部教区が戦争責任告白の証として始めたものです。今年が50回目の平和聖日献金となっており、これまでに5800万円を超える献金をしてきました。今はお二人の方の支援となっていますが、お一人は爆心地より3キロで胎内被爆された方です。生まれた時から病弱であったとのこと。もうお一人は86歳ですが、長年C型肝炎で苦しんでおられます。礼拝献金をする時に、お二人の方への祈りをもって、おささげくださればと思い、お話させていただきました。
さて、今年の平和聖日礼拝のメインの聖書テキストとして、旧約聖書からミカ書4章1節から3節を選びました。この聖句は、午後の平和聖日祈祷会でも取り上げられています。ここを読まれたとき、何人の方はイザヤ書にも同じ言葉があると、思われたのではないでしょうか。イザヤ書2章1節以下に、ほぼ同じ言葉がありますし、むしろイザヤの預言として知られています。ニューヨークの国連本部には、イザヤウォールと呼ばれる壁があり、イザヤ書2章4節の聖句が刻まれています。イザヤ書では、
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」
第二次世界大戦の反省から生まれた国連の精神を表した言葉だと言えるでしょう。壁面の最後にイザヤという字が刻まれています。宗教色を避けるためか、当初はイザヤとおう字は刻まれておらず出典のない言葉として刻まれたとのことですが、平和を希求する普遍的な言葉として認められたのだと思います。
イザヤとミカは、紀元前8世紀前半、ほぼ同じ時代に活動した預言者です。北イスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされ、南ユダ王国も風前の灯火となった時代です。ミカ書1章1節によれば、ミカは「モレシュトの人ミカ」と紹介されています。モレシェトとはユダの山里の町です。貴族階級であったイザヤが神殿に自由に入ることができ、王に進言できる立場であったのとは異なり、ミカは農村部のどこにでもいるような人でした。
そんなミカを、主は預言者として召しました。そして、イザヤと同じ預言を残したのです。今なら、SNSで拡散したとか、二人は預言者のLINEグループでつながったと考えられるかもしれませんが、普通に考えれば、二人に接点はなかった筈です。一人の主から同じ言葉が託されたと考えてよいのかもしれません。あるいは、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」とありますが、鋤や鎌といった農具に触れることは、農村に暮らすミカの方が日常だったと思われます。イザヤの方が情報量は長けていますので、どちらかがオリジナルだったとすれば、ミカの方だと考えられます。
ミカが体験したように、平和は当たり前といえる日常の中にこそあります。そんな日常を奪うのが戦争です。太平洋戦争のさ中、一般家庭は、鍋ややかんが軍に差し出さねばならなくなりました。鉄が不足しており、鍋ややかんを打ち直して、武器弾薬に使われたのです。ミカの預言とは真逆なことが行われました。
「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」とありますが、この言葉とは裏腹な歩みを人類は続けてきました。国は国に向かって剣を上げ、つねにどう戦えばよいのかを学んでいるのです。「この道はいつかきた道」という歌詞の唱歌がありますが、戦うことを学ばない人間は、同じ道を通ってしまうのです。
ロシアとウクライナの戦争が始まって、1年半になろうとしています。戦争が始まってまもなく、わたしたちは、ウクライナのための平和の祈りを出しました。「どうか、ひと時も早く、この戦争を終わらせてください」と祈りました。しかし、戦争は終わりません。「ロシアの指導者のために祈ります」と祈りました。しかし、どれだけ祈ってきたでしょうか。「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」とのイエス様の約束に逆らうように、祈ったって聞かれはしないという諦めが先立っています。
この戦争を終わらせるため、西側諸国はロシアに対して経済制裁を行いましたが、上手く行きませんでした。戦争の悲惨は、尊い命が失われることは勿論そうですが、一度始まったら終わらないことにあります。長期化すればするほど、出口が見えなくなってきます。停戦、休戦に至るには、甚だ難しい状態に入っており、ウクライナのために平和の祈りの言葉も、初めに作ったのと同じ言葉では、祈りとして成り立たなくなりました。少なくとも、ロシアだけでない、ウクライナの指導者のための祈りを加えねばなりません。では、どういう祈りを加えればよいのでしょうか。これ以上の犠牲者を出さないように、1日も早く抵抗することはやめて戦争が終わるようにするのか。そんな祈りが、出来るはずがないのです。
しかし、このまま抵抗し続ければ、ロシア側が核の使用をちらつかせているような、そんな事態になりかねません。核兵器が使われることがありませんように、そんな祈りを加えねばならないほどの危機感を持っています。戦争が終わるには、当事国の指導者が戦争の愚かさに気づき、悔い改めるしかないと思いますが、そこに至るために、もっと悲惨な状態が生じるしかない危機的なところに来ているような気がします。ロシアもベラルーシも、チェルノブイリの事故で核の恐ろしさは知っている筈ですが、そこがどこまで見つめられているのかと思います。わたし自身、これまで以上に、広島と長崎に思いを馳せています。唯一の原爆の被爆国である日本がどういう態度を国際社会に示していくのか、平和憲法を持つ日本が、軍拡への道を進んでよいのか。それがどういう事態をもたらすことになるのか。知らないうちに決まっていくことのないようにせねばなりません。
2週間前に名古屋キリスト教協議会の講演会がここでありました。話の冒頭で内河先生が、「来年の今頃は、憲法改正の国民投票になるかもしれない」と言われた瞬間、この会堂にひと時の静寂が流れました。皆がはっとしたのです。憲法改正を是とするか非とするか、一人一人が判断せねばならない時が来ています。世論調査では、改憲賛成の方が多いようです。実際に、憲法改正論者の主張を聞けば、ああそうだよな、と思えるところは確かにあるのです。問題は、だから変えるべきなのか、変えなくてもよいのかどうなのか、ということです。
2015年に岩波書店から『私の「戦後70年談話」』という本が出ました。各界で活躍される戦争体験を持つ41名の方々が、自身の経験と共に、次の世代に、今、これだけは語っておきたい、そんな思いを書いておられます。8年前に発行された本ですが、私が知るだけで10数名が逝去されています。宝田明、高見のっぽ、海部俊樹、梅原猛、奈良岡朋子、森村誠一、半藤一利など。戦争の語り部が少なくなってきました。
愛知西地区も8月15日に「敗戦の日を覚えての祈祷会」が行われ、戦争体験が語られてきました。昨年は南山教会の尾関明さんの証でしたが、証言されてからまもなく主のみもとへ帰られました。今年は金城学院の小室尚子学院長です。もちろん小室先生は戦後生まれ、70歳になったかどうかで、戦争は知りません。「第二次大戦下のキリスト者の働きと平和教育」という主題でお話してくださいます。貴重なお話が聞けるものと楽しみにしていますが、やはり戦争体験の語り手が少なくなったことでお役が回ってきたわけです。
憲法改正は9条だけの問題ではありませんが、何といっても戦争放棄をうたった9条があるからこそ、日本国憲法は平和憲法と呼ばれるのであり、戦後78年間、日本は戦争をしてこなかったことを忘れてはなりません。憲法9条の解釈論議の中で、自衛隊は違憲状態であるので、改憲せねばという主張がされます。しかし、武力行使をしない、戦力を保持しない、国の交戦権を認めない、という条文がなければ、安保条約の下で戦争をする国になったという可能性は大であったと言わざるを得ないのです。
8月1日、日本基督教団社会委員会(柳谷知之委員長)は、「神の支配の平和に生きるために」というタイトルで平和メッセージを出しました。日本が防衛費倍増、敵地攻撃能力保有という軍拡への道を突き進んでいることへの問題点を五つ述べた後で、
「聖書は武力と暴力に頼ることについて、次のように警告しています。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26章52節)、「暴力に依存するな。搾取を空しく誇るな。力が力を生むことに心を奪われるな。」(詩編62編11節)。さらに、終わりの日に、武器が平和の道具に変えられるビジョンを打ち出しています。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(ミカ書4章3節)。この平和のビジョンは、日本国憲法の「平和主義」とも響き合っています。」
そう述べています。
ミカが預言した平和へのビジョンは、楽観的なものではありません。北イスラエル王国は滅亡し、南ユダ王国もアッシリアの脅威にさらされていますが、これを神の裁きによるものだと語りました。そのような中にあって、人に頼るよりも主に信頼こと、そして終わりの日に完成される平和への希望を告げたのです。
終わりの日の完成とはどういうことでしょうか。神の国がやって来て、わたしたちの救いが完成するということです。信仰をもって生きるということは、神を信じれば幸せに生きることができるということではありません。むしろ、この世で幸いを得たとしても、すでに報いを受けているから不幸だとイエス様は言われます。この世では上手く行かないことばかりでも、それがすべてなのではない。慰めの日が来ることに希望を持てることが幸いなのです。
聖書の終わり、ヨハネの黙示録は、確かに世の裁きを語りますが、裁きでは終わりません。新しい天と地が来て、終末の救いの完成を告げています。神が涙を拭ってくださる日、もはや死はなく、もはや悲しみも労苦もない日が来るのです。
黙示録の最後は、「アーメン、主イエスよ、来てください。主イエスの恵みが、すべての者と共にあるように」で終わっています。「主イエスよ、来てください」という言葉で閉じられていることは、終わりの日を待ち望むことの中にこそ、救いがあるということです。もはや戦うことを学ぶ必要はない。終わりの日から聞こえてくる御言葉に立つときに、人は戦いの愚かさを知る者とされる。だから剣を鋤とし、槍を鎌にせよというのです。
ミカが預言した終わりの日の平和は、滅びの後にエルサレムが再建されることが希望への基盤となっています。すなわちシオノズム。そこに、新約に生きるわたしたちの終末観との違いがあります。わたしたちにとっての救いは、地上のエルサレムではなく、新しいエルサレムです。イエス・キリストの十字架の贖いによってもたらされる平和です。「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と言って抵抗する弟子たちをいさめ、十字架に向かわれたイエス・キリスト。キリストの十字架が、敵意という隔ての壁を取り壊したのです。
終わりの日から今を見つめるときに、戦うことの愚かさを知ることができる筈です。剣を鋤とし、槍を鎌とする。戦いの地にある人々が、当たり前の日常を取り戻すことができますように。
教団社会委員会の平和メッセージは、次のように結ばれています。
「私たちは、日本国憲法の「平和主義」に基づく外交努力を第一とし、武力によらない対話による平和構築の推進を求めます。「主よ、御国を来たらせたまえ」と主の平和の到来を共に祈りましょう。平和を実現するために共に働きましょう。」