「幼きサムエルの祈り」サムエル記上3章1-10節
文 禎顥教師
皆さん、こんにちは。サムエルという人物は旧約聖書の有名な預言者(士師)です。今日はサムエルの幼い頃の話をさせていただきます。
最近神戸出身の画家小磯良平氏が描いた幼いサムエルの絵を見ました。このサムエルの絵を含めて全部32葉の聖書関連挿絵を見ました。それは次の書物に載ってある写真です。『聖書の風景 小磯良平の聖書挿絵』(岩井健作著、新教出版社、2018)。
この本を読んで初めて洋画家小磯良平という人物について知るようになりました。彼は20代のときに現在の東京芸術大学の前身、東京美術学校を首席で卒業し、50歳頃は同大学の教授に昇任するエリート画家です。1979年76歳のときは文化功労者に決定され、彼の功績は高く評価されます。インターネットで調べてみましたら、小磯氏は女性の肖像画を多く描いたようです。そのため女性像の画家として知られているでしょう。
今回『聖書の風景 小磯良平の聖書挿絵』に載っている小磯氏の32葉の挿絵を通して見えてくる聖書の風景もとてもいいなと思いました。新鮮な感じでいろいろ勉強になりました。小磯氏の挿絵についてですが、実は、1967年末から1968年はじめにかけて日本聖書協会のある関係者から「聖書の挿絵」を依頼されたことをうけ、絵の作成に取りかかったといいます。小磯氏は約6ヶ月間構想を練って、またまた6ヶ月かけて日本聖書協会の『聖書』の中に入る32葉の挿絵を完成します。1970年67歳の時です。そしてその翌年日本聖書協会の『聖画入り 聖書』(口語訳1971年)(挿絵入りの新共同訳聖書もある)が発刊されます。小磯氏は1988年(85歳)天に召されますが、あれから20年ほど立った2008年の春にそれらの挿絵は神戸市立小磯記念美術館にて開かれた特別展「小磯良平 聖書の挿絵」で展示されたそうです。
小磯氏の32葉の挿絵にコメントをつけて上記の本『聖書の風景 小磯良平の聖書挿絵』を出した著者岩井健作という方は、小磯氏が通っていた日本基督教団神戸教会の牧師(1978年に赴任)で、小磯氏とは牧師と信徒の関係として10年ほど親交を保っていました。岩井牧師先生は小磯氏の家に招かれたこともあります。小磯氏が1988年(85歳)に肺炎で亡くなったとき、岩井健作牧師は彼の葬儀を司ったそうです。岩井牧師は2002年神戸教会を退職し、2015年には群馬県のある高年者ホームに入所します。その頃ある出版社関係の人に勧められて、岩井先生は聖書研究という形で行った「小磯良平と聖書」という講義レジュメを発展させて2018年にこの本の出版に至るのです。先ほど触れましたようにこの本の中には小磯氏の32の挿絵とそれぞれに対する岩井牧師のコメントが載っており、その中の一つがサムエルに関するものです。その作品名は《サムエルへの主の呼びかけ》です。
この作品名はもちろん聖書に由来しますが、その箇所をご一緒に読んでみましょう。サムエル記上3:8-10です。
“主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」”(新共同訳)
皆さん、このサムエルはハンナという女性の子ですね。結婚しているのにハンナは不妊で苦しんでいました。そのような苦しみのためある日神殿で切に祈ったことがあります。その後彼女の祈りは叶えられ、男の子を授かるようになるでしょう。その子がサムエルです。サムエルが生まれる前ハンナは不妊の問題で苦しみ神殿で祈るときに神様に約束したことがあります。その約束はもし子を授かるようになれば、その子(幼い少年サムエル)を乳離れしてから神殿の祭司たちに預け、その子が神様の僕としての人生を生きるようにするということでした。幼児のサムエルが神殿で生活していたのはそういう事情のためです。
当時、幼き少年サムエルは神殿で生活しながら、神殿の祭司たちから神様に仕えることを学んでいました。サムエルは神様の契約の箱がある神殿で寝ていた(サムエル記上3:3)という聖書の証言からすると、幼い彼は誰よりも神様を畏れる純粋な心を持って祈っていたかもしれません。そのような心のためだと思いますが、先ほど読んだ聖書箇所の証言通りに、寝ているときに神様に声をかけられるという不思議な体験をします。最初はその声が祭司エリのものだと思い込みエリの寝床に行きます。何度も同じ行動をするサムエルを見て不思議に思ったエリ祭司は、ふとサムエルが霊的体験をしているかもしれないと気づき、サムエルに適格な指示を出します。それに従ってサムエルは神様の声に答えるようになります。この場面を小磯氏は挿絵で表しています。それが《サムエルへの主の呼びかけ》という作品です。挿絵をご覧になりますと、寝床に寝て手を上げているのは祭司エリで、エリの方に振り向いて立っているのはサムエルだと思います。そして左側の扉を通して外に出ようとするのは神様の御言葉を伝えに来た天使です。この挿絵は天使と向き合って話をしている場面を描写しているものではないです。これからサムエルがエリから離れて扉の外へ天使(神様の御言葉の伝令)についていくことを想像させるとてもユニークなシーンです。小磯氏は聖書の話に想像力を吹き込んで新しい解釈をほどこしているように見えますが、私は少し気になってこの挿絵の意味について考えてみました。そして、この挿絵から窺える信仰的意味を引き出すことができました。これはあくまでも私の解釈ですが、次のような意味をもつ挿絵だと思います。つまり、正しい信仰や正しい祈りというのは、サムエルが神様の御言葉を伝える天使についていったように、エリ祭司も手を挙げてそれを認めたように、神様の言葉に従う(従って生きる)ことだということです。この挿絵を通してそのような意味が伝わってくるような気がいたします。上記でご紹介しました『聖書の風景 小磯良平の聖書挿絵』の著者岩井牧師は、「天使が離れていく」場面は祭司エリへの「神の叱責」だと解釈し、そのことを絵のメッセージとして受け取っています。
岩井牧師は、こういうふうに《サムエルへの主の呼びかけ》という挿絵についてコメントをつけながら、ご自分の一つの思い出について語ります。それは、第二次世界大戦下で幼少期を過ごしていた頃、彼の家に「英国の画家ジョシュア・レイノルズ(1723-1792)の《幼児サムエル》の複製画の額が飾ってあり、それを眺めて育った」という思い出です。どんな絵なのか、少し気になったのでインターネットで調べました。そうしたら私もよく知っている有名な絵でした。それは《幼児サムエル》というタイトルの作品です。この絵を見て私はとても嬉しくなりました。といいますのも、この絵は私の懐かしい思い出でもあるからです。いつからかは覚えておりませんが、私が小学生の頃はすでに祖母の部屋に同じ絵が古びた額に収まって壁一面にかけられていました。その絵に描かれている幼児サムエルの祈りの姿と、いつも祈っていた祖母の祈りの姿は、祖母の部屋を覗いてみるといつも目にするものでした。今は天国にいる私の祖母ですが、信仰的絆のためなのか、いろいろ大変なことがあるときには私は祖母のことをよく思いだします。今回岩井牧師の書物を読んでいたとき、忘れかけていたこの絵の思い出は懐かしい香りとしてほんのり私の周りを漂っているように感じられました。そして、その香りに包まれたまま、目を閉じ、自分の心の底に立って、天に向かって自分の信仰の原点に立ちかえりたいと静かに叫んでみました。できれば早くジョシュア・レイノルズの《幼児サムエル》を購入して自分の部屋に飾りたいなと思っております。
今日は小磯氏の挿絵と、ジョシュア・レイノルズの絵《幼児サムエル》とを通して、旧約聖書のサムエルについてお話しました。サムエルは自分の幼い頃の神殿生活とあの不思議な体験を自分の人生と信仰の原点と見なしていたに違いありません。皆さん、私たちの過去の思い出には人生の原点、信仰の原点のようなものが埋もれていて、私たちは現実のことによってそれを忘れて生きているかもしれません。たまに振り返ることって大事ですね。幼き少年サムエルのように純粋な心から献げられる祈りは間違いなく人生の原点、信仰の原点に立ちかえるように助けてくれるでしょう。今日のお話はこの辺で終わりたいと思います。