詩編103編1~5節 、ルカによる福音書17章11~19節
説教:「いやしから救いへ」田口博之牧師
キリスト教は、人々を救うことを目的としています。では、いやしと救いは、どのような違いがあり、どのような関係にあるのでしょうか。イエス様は人々に御言葉を教え、福音を宣べ伝えると共に、多くのいやしを行っています。では、教会はどうでしょうか。礼拝では御言葉を教え、福音を宣べ伝えています。しかし、目に見えるかたちでのいやしは行われません。教師検定試験でも、多くの試験科目があり、教師としてきっちりと教え、福音を伝えることができるか否かを確かめられますが、いやしができるかどうかは試験科目になっていません。それは医学が神学から分かれたからなのでしょうか。一方で思うことは、いやしを求めて教会に行こうと思う人は、増えているということです。教会への求めが昔とは変わってきているように思います。このあたりをどう考えてゆけばよいのでしょうか。
少なくともわたしは、「ここはあなたがいてもいいところ」。教会はそう思えるような居場所を用意できるところでなければならないと思っています。果たしてそうなっているかどうでしょうか。しかしながら、いやしだけが取り出されることがあってはなりません。教会はいやしを与えられればそれでいい、というのであれば、いやしと救いの区別がなくなってしまいます。「いやしから救いへ」という題をつけましたが、そこには明確な違いがあります。
一方で、いやしとはただ病気が治るだけ、治癒、治療が同じかといえば、それも違うという思いをもっています。イエス様はいやしをされましたが、そのいやしは治療に終わるのだけではありません。いやしとは魂をも含めた全人的なものだからです。
今日、名古屋ダルクのメンバーが礼拝に参加されています。礼拝後にお話を伺うことになっていますが、薬物やアルコール依存からの回復支援を目的とされています。おそらくは、治療できればよいのかと言えばそれだけではないと思います。精神疾患を抱えておられる人も、その人が健やかなに生きていけるようになれば、治療のための薬は吞み続けるとしても、いやしにはつながっています。では教会はどうなのか。治療はできなくても、教会でいやされたという証を聞くことがあります。では、そのいやしと救いはどう違うのか「。そのことを今日の聖書箇所は明らかにしてくれると思います。
ルカによる福音書17章11節以下を読みました。ここには10人の重い皮膚病を患った人が出てきます。この10人はイエス様に清くされました。いやされたと言ってもよいでしょうが、イエス様のところに戻ってきたのは一人のサマリア人でした。するとイエス様は、戻ってきたサマリア人に「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。つまり、戻ってこなかったほかの9人は救われてはいないことになります。このサマリア人は、いやしから救いへの道を歩みました。
さて、この物語の舞台はエルサレムへの旅の途上、ガリラヤとサマリアの間にあるある村でした。ここで重い皮膚病を患っている10人が出迎えたのです。出迎えたといっても、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言った」のです。彼らは、近づきたかったけれど近づけなかったのです。それでほんとうに出迎えたといえるのかと思えるほどです。彼らは遠くからこそ声を張り上げるしかありませんでした。なぜかと言えば、近づくことが許されなかったからです。
ところで「重い皮膚病」と読んでいますが、皆さんがお持ちの聖書には「重い皮膚病」ではなく「らい病」と表記された聖書があると思います。「らい予防法」が1996年に撤廃されたことを契機に、「重い皮膚病」と読み替えがされるようになりました。この病気について、ギリシャ語聖書では「レプラ」とあります。戦後ハンセン病と呼ばれるようになりましたが、レプラ菌によって感染すると言われ日本でもレプラと呼ばれた時代もありました。日本でこの病気にかかった人は、強制的に療養所に入れられ、隔離されました。一生そこから出られないという施策が、天下の悪法と呼ばれる「らい予防法」が撤廃されるまでとられたのです。強い伝染性のある病気ではないのに、隔離され社会復帰ができないという想像に絶する差別を受けてきました。
イエス様が入られた「ある村」にいた重い皮膚病の10人、この病気はハンセン病ではありませんが、同様に社会から隔離される仕打ちを受けたのです。「ある村」とは、この皮膚病を患った人達が住む村でした。彼らは人との交わりを断たれ、名も無き村に追いやられたのです。映画「ベン・ハー」で、主人公ベン・ハーの母と妹が、らい病を患って、人が近づかない洞窟でひっそりと暮らしていた場面を思い起こします。人々に恐れられている、誰も訪れることのない村にイエス様は入られたのです。
十人は遠くから声を張り上げて憐れみを求めました。病のいやしを求めたのです。するとイエス様は、重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。医者に診てもらえと言われたのではないのです。そうであれば、彼らを見捨てたことになってしまいます。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われたのは、この病気は医学的というよりも、律法に規定のある宗教的な病気だったからです。祭司がいやすのではないのです。祭司はこの皮膚病がいやされたかどうかを判断することが職務として与えられていました。
このことは旧約のレビ記13章(179p以下)に詳しく記されています。この病気にかかっていれば、祭司は「あなたは汚れている」と言い渡し、症状が治まって一定期間を経た後に「あなたは清い」と言い渡すのです。でも、それが他の患部に広がっていたら、祭司は律法の規定にそって、正確に判断せねばなりませんでした。そのようなこともあって、新しい共同訳聖書の翻訳では、「重い皮膚病」は、律法の規定通りに対処せねばならない病気として「規定の病」と翻訳されました。この病気にかかった人は、祭司のお墨付きをもらわなければ、社会復帰することが許されなかったのです。
日本では、らい病患者の隔離政策が取られたとお伝えしましたが、今も全国には13の国立ハンセン病療養所があります。感染力は弱く伝染性は認められないのです。ほとんどの方が病気そのものは治っています。しかし戸籍から抹消されて、家族の元に帰れず療養所にとどまっています。あまり知られていないことですが、13の療養所に29の療養所教会があります。教会のない療養所はありません。2020年5月の統計で入所者は1090人、教会員は338名ですから。療養所に住む3人に一人はクリスチャンということになります。社会から隔離させることを記す聖書の記述が、差別を助長したという批判もありますが、キリスト教会はハンセン病患者と向き合ってきました。日本基督教団の療養所教会も静岡県、岡山県、鹿児島県の三つあります。香川県の島の教会には専従の牧師はいませんでしたが、高松教会の牧師を中心に出張伝道に行かれていました。
10人はイエス様の言葉に従って祭司のところへ出発しました。「彼らは、そこへ行く途中で清くされた。」と書かれてあります。イエス様の言葉を聞いた時点では、まだいやされたという感覚はなかったかもしれません。しかし、信じて歩き始めたのです。そうでなければ、疑ったままであったなら、このいやしは起きなかったでしょう。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」とあるとおり、彼らは望みをもって出発したのです。そして、彼らは行く途中で清くされました。
ところが、この10人のグループが二つに分かれました。「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった」とあります。ユダヤ人とサマリア人は、もともとは同じ民族でしたが対立していました。いちばんの理由は、北イスラエル王国の首都サマリアが陥落したとき、サマリアに多くの異民族が入ってきたことで混血が起こった。これが純潔を重んじるユダヤ人が、サマリア人を差別した大きな理由でした。
イエス様は18節で、サマリア人のことを「外国人」と呼んでいます。これは独特の表現ですけれども、ユダヤ人とサマリア人にはそれほどの隔てがあったということです。そのことが、善いサマリア人のたとえ話の背景となっています。サマリア人はあれほど嫌われていたのにユダヤ人を助けたことが驚きを持って語られたのです。
今日の物語も、イエス様が重い皮膚病患者の暮らすこの村に入らなければ、起こり得なかったことでした。外国人伝道を始めたのはパウロですが、イエス様は先立って外国人のところへ行かれたのです。その結果、神を知ることのなかった者が、神を賛美するために戻ってくる道、イエス様の足もとにひれ伏し、感謝をもって礼拝する道が備えられたのです。そのことのために、イエス様はあえてヨルダン川沿いのルートではなく、ガリラヤとサマリアの間の道を通って、隔離された村に入り、エルサレムを目指されたのです。エルサレムへの道き、十字架への道行きは、世界の民が救いへ導かれるための道だったのです。
いやされた十人全員が、イエス様の言葉を信じて行動したことは間違いありません。けれども「あなたの信仰があなたを救った」と言われたのは、サマリア人一人だけでした。大声で神を賛美するために戻って来て、イエス様の足もとにひれ伏して感謝したサマリア人。ルカはこの一人にサマリア人にスポットを当てました。この人だけが、いやしから救いへの道を歩み始めたからです。
このサマリア人と他の9人の分かれ目はどこにあったのでしょうか。確かなことは、戻ってこなかった9人も清くされた、いやされたのです。イエス様の言葉を信じた結果ですから、「あなたの信仰が、あなたをいやした」と言えそうなものです。でもイエス様は、そうは言われません。信じることでいやされるなら、ご利益信仰になってしまいます。イエス様の言うことを聞いて信じれば、病気はいやされるのだ。この聖書の言葉からそのようなメッセージをしたとすれば、カルト宗教と変わらなくなってしまいます。
戻ってこなかった9人はイエス様の言われるとおり、祭司のところに行ったのだろうと思います。だとすれば、イエス様の言う通りしたので問題ないともいえます。けれども、いやされた9人は戻ってこなかったのです。祭司から「あなたは清い」というお墨付きをもらい、社会復帰したからです。イエス様は「ほかの九人はどこにいるのか」と言われました。イエス様との出会いが、一過性のものに終わってしまったことに9人の問題性があるのです。いやされたらそれでよしとし、自分のこれからの楽しみに心を奪われてしまった。それゆえに、サマリア人のように「あなたの信仰があなたを救った」と声をかけられることもなかったのです。彼らは救いの道を歩み始めることはできませんでした。
それにしても、「あなたの信仰」とは、いったい何でしょうか。不思議な言葉です。イエス様が「わたしの信仰があなたを救った」と言われたとすれば、その方が正確でしょう。事実イエス様が救ったのです。わたしたちが、自分を救えるほどの信仰が持てるのか、不思議に思います。「あなたの信仰」が何かといえば、前回17章5節で使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言った「信仰」だと答えることができるでしょう。これに対してイエス様は、「あなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と言われたのです。ふけば飛んでしまうような、からし種ほどの信仰であっても、それを芽生えさせるのは神様であり、空の鳥が巣を作るほどに大きく成長するのです。神が成長させてくださる。
イエス様は、賛美と感謝とを携えて戻ってきたこのサマリア人に信仰を見られたのです。そして「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われました。同じ言葉を12年間も出血が止まらなかった女性をいやしたときに言われました。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と。彼女はいやされて終わったのではなく、震えながらもイエス様の前に進み出てひれ伏して、イエス様に触れた理由といやされた次第を話しました。そこにイエス様は彼女の中に芽生えた信仰を見られたのです。
いやしはイエス様の宣教の一つです。しかし、救われたものは、ここから立ち上がって、新しい人生を歩み始めることができます。いやしと救いの違いはといえば、いやしはこの世での出来事ですが、救いはこの世を超えて永遠のものです。それは「罪の赦し」と言い換えることができます。罪赦された人は、いやしが起こらなくても、病気や障害はそのままでも、神の栄光を現わすために感謝と献身の生涯を送ることができます。
その第一歩がこの礼拝から始まるのです。礼拝とはイエス様のもとに帰ってきた一人になるときです。イエス様との出会いを一過性のものとせず、サマリア人と同じ心を持って感謝と賛美の人生を送りたい。それは永遠の命への入り口でもあります。そこにこそ、まことの救いがあるのです。