2022.6.26「神の業が現れるため」ヨハネ9:1-3
かつて仕えていた金城教会では、洗礼式または転入会式が行われた時に証をすることが常でした。新しく仲間になった方がどういう方であるのか、証を通して教会員も知ることができます。名古屋桜山教会でもそのようにしていました。名古屋教会でもできればと思いつつ、ペンテコステ礼拝で証の時が与えられるので、それでよいかなと思いました。但しいつ回ってくるのかは分かりません。
先週、証してくださった紀さんは4年前のクリスマスに洗礼を受けられました。そして今、証された鈴村惠さんはご子息の一郎さんと共に今年の2月に転入会されました。紀さんは何度も原稿を出してくださいましたが、鈴村さんの場合は前もって原稿を読んだわけではありません。しかし、転入会前の面談時に以前の教会でなさった証の原稿をいただいており、そのことをお話くださったので構わないと伝えていました。
ところが、以前と同じでいいと言っても、すでに名古屋教会員となっていますので同じにはなりません。そういう意味でも準備されるのは大変ではなかったと思います。15分位でとお願いしたものの、一郎さんとの半世紀を超える歩みを振り返るのにはあまりにも短いと思いましたが、よくまとめてくださって感謝しています。
今日は「神の業が現れるため」という説教題をつけました。ヨハネ福音書9章3節に出てくる言葉です。「神の業が現れる」とはどういうことか、その答えは簡単ではありませんが、今の証を聞きながら見えてくるものがありました。
ヨハネ9章に出てきた盲人は、見えなかった目が見えるようになりました。その奇跡が神の業の現れなのかといえば、聖書はそのようなことを伝えているのではないのです。この人は目が見えたから救われたのかといえば、それも一つの証には違いありませんが、聖書が伝えているのはそうではないのです。
弟子たちのイエス様に対する問い。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか」という言葉は、いわゆる因果応報論です。「何事も原因があって結果がある、誰かが過去に悪いことをしたために、こんな悪い結果がもたらされた」という考え方を、因果応報と呼んでいます。当時のユダヤだけでなく、現代社会に根深くある考えです。
ところがイエス様は、「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と言って因果応報論を否定しました。因果応報という考え方を打ち破るこの言葉が、この人を救ったのです。
わたしたちも、なぜこんな苦しみに会うのか分からずに、その原因を過去に求めることはしていないでしょうか。イエス様はここで、原因を問うよりも、そのことが神の栄光を表すため、と目的を示されました。苦しみには意味があるのです。意味が見つけられないから苦しみます。でも、苦しみの意味を過去にさがしていては後ろ向きです。イエス様は未来志向です。今の苦しみの意味を将来の目的から考えられるのです。「神の業が現わされるため」に苦しみがある。鈴村さんも、一郎さんを通して神の業が現されるとはどういうことかと、ずっと考えて来られたと思います。神の御業は弱さの中に表されていきます。
今日は筋ジストロフィーにより23歳で天に召された石川正一さんのお話をしたいと思います。キリスト者の両親のもとで生まれました。正一さんは5歳で発症し、9歳で歩行不能となりました。14歳のとき、お父さんに「ぼくの病気は治るの?」と尋ねます。ほんとうは「自分はいつ死ぬのか」と聞きたかったけど、親への気遣いもあり、心臓をドキドキさせながら聞いたのです。するとお父さんの左門さんは、今のところ治らない病気だと答えました。すると正一君ははっきりと尋ねました。「ぼくはいつまで生きられるの?」と。左門さんは、20歳までの命であると正直に答えると、「でもね、正ちゃん。人間は、いつまで生きられるかではなくて、どんなふうに生きたかが問題なんだよ」と告げました。
自分の命が短いと分かった正一君は、どう生きるかを考えました。そして生命を完全燃焼させる決意をしました。そんな彼を支えたのはクリスチャンの家庭であり、教会学校でした。信仰の家族に囲まれ、聖書を学びながら成長しました。
正一君は2冊に本を出しています。1冊が17歳のときです。あ、ちなみに、正一君と言ってますが、1955年生まれですので、生きていれば67歳です。出版社は「もしもぼくに明日があったら」という題名ではどうかと提案します。すると正一君は「その題は、僕の生き方にそぐわない気がする」。「むしろ、ぼくの生き方は、たとえぼくに明日はなくとも…という生き方なんだ」と。書名も『たとえぼくに明日はなくとも』になりました。「たとえ明日、世界が滅びようとも今日、私はリンゴの木を植える」と言ったルターの考え方です。
本の最後に、タイトルと同じ題の詩が出ています。
たとえぼくに明日はなくとも
たとえ短い道のりを歩もうとも
生命は一つしかないのだ
だからなにかをしないではいられない
一生けんめい心を忙しく働かせて
心のあかしをすること
それは窯のはげしく燃えさかる火にも似ている
窯の火は陶器を焼きあげるために 精一杯燃えている。
正一君は、「お祈りを仕事にしなさい」という牧師の言葉に目覚めます。その一言で、祈ることしかできないという考えから抜け出して、人のために祈ることを天職としたのです。彼は言います。
「お祈りが本職にできるなんて、筋ジスであればこそだものね。朝から晩まで働きづめの健康者は、忙しい時間に追われるばかりで、聖書を読むこともままならず、お祈りも自分の事を祈るのがやっとかもしれない。だけど筋ジスの一生はなるほど短いには違いないけど、一日のうちの自由な時間は、遥かに健康者よりも豊かに恵まれているからね」。
正一君は自分を通して、多くの人に生きる意味を伝え、23歳と7か月の生涯を閉じました。短い人生でしたが、彼の生き方を通して、神の御業が現されたのです。正一君はもう一冊『めぐり逢うべき誰かのために』という題の本を、天に召された後、お父さんの左門さんとの共著という形で出しています。
左門さんは中小企業の経営者でしたが、正一くんの難病をきっかけに難病支援運動に献身し人権賞も受賞されています。その本には、やがて看護職についた弟さんやお母さんの手記が散りばめられています。お母さんの恵美子さんは。正一くんの介護に身を尽くしました。本の中に、ある新聞に紹介された作者不明の詩で、恵美子さんが愛誦していた一障害児の母の詩が出ています。お母さんの思いがこの詩に表されていたのだと思います。これを紹介して終わります。
私の子供に生れてくれてありがとう
あなたが私の子供でなかったら
石を投げられた者の
痛みの深さも知らなかったでしょう
障害の重い人たちが
天使の心をもつことも知らなかったでしょう
本当の愛も思いやりも
富める人の貧しい心も
貧しい人の豊かな心も
あなたが私の子供でなかったら
知らずに過したことでした
私の子供に生れてくれてありがとう