創立140周年記念礼拝
ホセア書6章1~3節、ルカによる福音書24章44~49節
「心の目が開かれ」田口博之牧師
わたしたちの礼拝が成立する根拠は何でしょうか。名古屋教会が教会建設式を行ったのは、1984年5月3日。以来、毎年5月第1聖日を創立記念礼拝として覚えています。今日は創立140周年ということですが、すでに141年経っています。しかも、教会建設式を執り行った日には、28人の会員の名が連なっていますから、実質的には1878年12月の植村正久と山本秀煌の有松伝道を契機に教会の歩みは始まり、146年6カ月という長い歴史を重ねています。
では、それだけ長い間、なぜ礼拝が行われてきたのでしょうか。そして、なぜ、今日も行われているのでしょうか。聖霊なる神様が、わたしたちを集めてくださっているといえばそのとおりですが、なぜ、わたしたちはその招きに応えて礼拝をしているのでしょうか。もちろんそれは、名古屋教会だけの話ではなくすべての教会に共通していえることです。
もっとも基本的なことをいえば、イエス・キリストが死んでよみがえられたからです。もし、イエス・キリストが復活なさらなかったとすれば、わたしたちはこのような礼拝をすることはありませんでした。もし、わたしたちがユダヤ教徒だったとすれば、律法の規定に従って安息日である土曜日に礼拝することはあり得たかもしれません。しかし、律法を持たない異邦人であるわたしたちが、礼拝する民になることはなかったでしょう。
キリスト教会が日曜日に礼拝するのは、イエス・キリストが復活されたのが週の初めの日である日曜日だからです。この日、主は復活して弟子たちの前に現われ、聖書の御言葉を語り、弟子たちと共に食事をしてくださった。この出来事を追体験するために礼拝は始まったと言ってもいいのです。ここに主が共にいてくださる。わたしたちの礼拝もそう。少なくとも、聞くとためになるだろう牧師の話を聞くために集まっているのではないのです。まして人と会うためでも、讃美歌を歌うために集まっているのでもありません。
イエス様の復活されたことは過去の出来事ですが、イエス様は過去の存在ではないのです。イエス様はこの後、天に昇られますが、死んで天に昇られたのではありません。今も生きて天において神の右の座におられます。しかし、「かつていまし、今いまし、やがて来ますお方」と言われる実に不思議な存在となられたのです。
イエス様が復活されたということが、初代の教会において大切な物語となりました。福音書の中心もそこにあります。ルカによる福音書24章には、イエス様が復活されて墓の中が空になっていたこと、婦人たちに現れたこと、エマオに行く途上の二人の弟子たちと共に歩まれ、聖書の話をたくさん聞かせてくださったこと、エマオの家でパンを裂いてくださったこと、そしてエルサレムにいる弟子たちの真ん中に立たれ、「平和があるように」と言われたこと、焼いた魚を食べられたことなどが、生き生きと語られています。この物語が、教会の礼拝で毎週のように語られたのです。
食事の話が出て来るということは、教会生活というのは、信徒たちの生活に密着していたことの表われです。当時は、聖餐と愛餐の明確な区別はなかったと思われます。わたしたちの礼拝は午前中に終わりますが、当時は食事を挟んでもっと続いていたでしょう。礼拝順序などの決まりはなく、自由な礼拝がなされていたと思われます。しかし使徒言行録にあるように「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」のです。
きっと食事をするときにも、世間話に花を咲かせながらではなく、イエス様がこんなことを言われた、こんなことをなさった。そんな話をしながら食べていたと思われます。日常生活と礼拝とが深く結びついていました。
そして何よりも、イエス様の復活の物語を喜んでしたと思うのです。しかし、そのたびに弟子たちは、自分たちがいかに愚かであったかを語らなくてはなりませんでした。イエス様が予告していたとおりに復活し、一緒に歩いて話をしてくださったのに、イエス様だとは分からなかったことを告げたのです。イエス様が復活されたことを皆で話しているのに、いざ目の前に現れると亡霊だと思ってしまったのです。そんな愚かな弟子たちが信じる者になるために、パンを裂いて分けてくださる。焼いた魚を一切れ食べてくださるのです。そのようにして生きていることを示してくださいました。
さて、ルカによる福音書24章は、イエス様が復活された日の朝から夜までの出来事を記していました。ただし、今日の44節以下は、復活された日の夜の説教として聞くこともできますし、イエス様が天に上げられるまでの40日間に、繰り返し語られたことの内容がまとめられているとも考えられます。
特に44節から49節の言葉はとても重要で、イエス・キリストの教えと約束と弟子たちに委託されたことが折り重なっています。44節の「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」とは、教えであり、約束です。「これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」という言葉には、一緒にいた頃は理解できていなかったというニュアンスがあります。
しかし、今は違うのです。そのためにイエス様は45節以下、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われたのです。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する』と。これはすでに実現したことです。『また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。」と。ここには約束が含まれています。そして、49節「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」とは、教えであり、約束であり、弟子たちへの委任です。
よく「預言と成就」という言い方がされますが、ここにはそれ以上のもの。歴史を生きられたイエスと、復活のキリストとの連続性が強調されています。弟子たちは繰り返し「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する」という予告を聞いていました。その予告通りにイエス様は復活されました。それは、旧約聖書がすでに預言していたことでした。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」とある通りです。「モーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄」とは、聖書の具体的なここということではなく、旧約聖書全体を指しています。この言葉はまた、エマオへの途上で語られた主の言葉。27節の「モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」と響き合っています。
ところが、その時点では、二人の弟子は聖書の話をしてくださっているのがイエス様だとは分かっていませんでした。後になって「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合っているにも関わらず、イエス様だとは分からない。これはとても不思議なことです。
不思議だけれど分かることもあります。今日のテキスト45節に「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた」とあります。ここに「心の目」という言葉が出てきます。ギリシア語の「ノウス」という言葉が使われていますが、これはギリシアの哲学者が大事にした言葉で、通常は理性とか知性という意味に訳されることの多い言葉です。原典に忠実であることを目指す岩波訳の聖書では、「彼は彼らの知力を開き、聖書が理解できるようにした」と訳していますが、新共同訳聖書はこれを「心の目」と意訳しています。でも、そう訳したことには明確な意図があります。
エマオに行く途上の二人が、イエス様だと分からなかったことについて、すでに16節で「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とあります。そして31節では「すると二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあります。つまり彼らが、イエス様だと認識できたかできなかったのは、心の目が開かれていなかったからだと、ルカはすでに語っていたのです。
そして心の目というのは、「そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」とあるとおり、イエス様が開かせてくださることなのです。心の目が開かれれば、目に前にいるのがイエス様だと分かるだけでなく、聖書を悟ることができるというのです。
「聖書を悟らせるため」というのは、いい翻訳だと思います。「悟り」というと、仏教用語になってしまいますが、「悟る」という言葉には、ただ知るとか、理解するという以上の深い意味を感じます。最近あるテレビドラマの影響もあって、言葉の「語釈」を自分なりに考えることが増えてきました。「語釈」というのは、辞書でどう説明するかということです。言葉の意味を解釈し、その言葉がどんな使われ方をするのかを考えてみるのです。「悟る」とは何かと考えてみると、事の重大性を悟る。物事の真意を悟る。自分の命があとどのくらいかを悟る。そんな用例が浮かんできます。すると、イエス様が、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開かれたのは、聖書の真理が、彼らの心の中に入り込んでくる。心の中に御言葉がとどまり、簡単に忘れることがない。そういうことだと思うにいたりました。
先々週のことですが、名古屋桜山教会で行われた葬儀に参列しました。牧師の田中文宏先生の話を聞くたびに、いつもすごいなと思うのは、語る言葉が自分の中にとどまっているということです。田中先生は目が見えません。点字も読めないのです。それでも、お話をしていて、目が見えない方であることを感じさせない方です。葬儀説教を聞いていて、亡くなられた方の生年月日はもちろん、洗礼を受けた日、結婚された日、お子さんが生まれた日も、間違えずに言われます。皆さんも、自分の誕生日なら間違えずに言えるでしょが、子どもの誕生日になると怪しくなることはないでしょうか。日にちは覚えていても、何年生まれなのかは、西暦ではなく昭和何年とか、元号でないと言えないということになりかねない。
わたしも、少なくとも葬儀があってしばらくの間は、誕生日や受洗日などは記憶しています。それでも、間違えないようにメモはしています。原稿も書いています。でも、田中先生はそれを見て話しをすることはない。障害をお持ちだからこその力だとは思いますが、聖書の言葉も、何を語るかもすべて受肉させてしまっているのだと思いました。
4月26日に逝去された加藤常昭先生もまた、最後はほぼ視力を失われていました。昨年の10月8日に代田教会で語られたのが最後の説教でしたが、この説教はYouTubeで見ることができます。説教中の聖書朗読は平野牧師に頼まれましたが、およそ1時間、長いとは感じさせない力ある説教をもちろん原稿なしでされました。そのような力を求めたい、主に心の目を開いていただきたいと願います。
弟子たちの心の目を開かれたイエス様は、聖書に次のように書いてあると言われます。「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」
ルカが福音書の続編として記した使徒言行録には、父が約束された、高い所からの力である聖霊に使徒たちが覆われたことで、イエス様が語られた教えを力強く宣べ伝えるさまが語られています。ルカはユダヤ人が拒絶した福音が世界に宣べ伝えられたとは言いません。福音があらゆる国の人々に宣べ伝えられることは、聖書すなわち旧約聖書に記されている神の計画であったと伝えています。
鎖国が破られ、日本に福音が伝えられたのは、開港前の1859年、日米修好通商条約が批准された年でした。米人の礼拝堂建設の権利、宗教の自由の行使、踏絵の撤廃がそこで認められ、やがて福音が日本人にも伝えられました。2009年にプロテスタント日本伝道150年を記念する様々な集会が日本基督教団でも祝われたことを思い出します。それから15年が経って、日本の教会は少子高齢化が目立ち、元気がなくなってきたように思います。日本基督教団には、2030年問題という言葉があり、この年を境にかなりの教会が消滅しているのではないかとも言われています。
教会が小さくなることは仕方ないです。現実は確かに厳しいかもしれない。しかし世界全体から見ればキリスト教人口は今も増え続けています。それは福音には力があるからです。目に見える現実だけを見て判断する時、わたしたちの心の目は閉じられています。名古屋教会は創立140周年という節目の年を迎えました。年度当初の目標には立てませんでしたが、創立150年に向けてどう歩んでいくか考える年としたい。復活されたイエス・キリストの御言葉に立ち帰り、心の目が開かれることを求めて、御言葉を希望としていきたい。礼拝において、「わたしたちの心は燃えていたではないか」という体験を重ねていきたい。使徒たちが、イエス様の約束に従って、高い所からの力に覆われることを待つことで、新しい出来事の担い手となったごとく、歩んでいきたいと願います。