証「信頼と希望の中で生きられる喜び」 石井幸枝姉
「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず 常に主を覚えてあなたの道を歩け。 そうすれば 主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」箴言 3章5節から6節
「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」フィリピの信徒への手紙 2章13節
洗礼を受ける前から、私の生活には常に何かしらキリスト教との関わり合いがありました。イエス様との初めての出会いは3歳の頃です。カトリック城北橋教会の隣にある名古屋みこころ幼稚園に通っていました。自宅から少し遠いという理由で年中の途中で転園dしたため、幼稚園生活については本当にわずかな記憶しかないのですが、城北橋教会の神父さまやシスターたちがいつも優しいほほ笑みで園児を迎えてくださったことはっきりと覚えています。3歳の私の生まれて初めての「いえずすさま」の思い出は、神父さまとシスターの温かい笑顔に重なります。
再び聖書に触れたのは小学校5年生の時だったと思います。子ども向けの聖書通信講座というものがあることを知り、無料のコースをすべて終えると最後に新約聖書がもらえることに魅かれ、気楽に申し込んでみました。漫画や読書が好きだったので、「おもしろい本」として聖書を読みたいと思ったのでしょう、講座の課題を毎月せっせとこなし、葡萄の木の絵が表紙の新改訳聖書が送られてきたときはとても嬉しかったです。当時、母の友人に自宅の一室で日曜学校を開いている方がいました。母から私の講座の話を聞いたその方は、怪しい団体の主催ではないかとても心配して、私にいろいろと質問をしました。私の話を聞いて「どうやらその講座は怪しいものではなさそうだけど、もし聖書に興味があるなら私の家に来てみない?」と誘ってくださり、日曜学校に通うことになりました。お家での集まりのほかに、その先生が所属していた教会の礼拝にみんなで一緒に行くこともありました。私の関心ごとは教会のお泊り会が楽しいとか「イエス様を信じたら私も天国に行けるかな?」程度で、残念ながら11歳の心に信仰心が芽生えることはまだありませんでした。
中学生の頃、叔母の山田登世子が川崎市のイエス・キリストもみの木教会に通い始め、受洗しました。私の身近な人から初めてキリスト者が誕生したのです。叔母と母と一緒に、たびたびもみの木教会を訪れました。単立系の小さな教会ですが、叔母が洗礼を受けて間もないころはたくさんの人が集まり、礼拝の始まりから終わりまでオリジナルのゴスペルソングで賛美していました。そこに集う人がよく歌い、よく笑い、そして本当によく泣いていたのが印象に残っています。毎回、礼拝のたびに証も行われていたようで、この今日の証をまとめるのに大変苦戦した私からは信じがたいことですが・・辛いことを抱えて教会に来ている方ばかりでしたが、それぞれの福音を、本当に幸せそうに語っていたのです。私ももみの木教会へ行くたびに「洗礼を受けない?」と誘われました。ですが、まだ私はイエス様の十字架の贖いを理解していませんでしたので、賛美しながら涙を流す人たちのことは、少し遠い存在に感じられたのです。洗礼の話が出るたびに、逃げ回っていました。
あっという間に大学進学を考える時期が来ました。私は小学生から海外に興味があり、高校も英語科に進学したので、英語に強い東京の大学に行きたいと考え、両親の経済的負担も考えず、青山学院大学に進学しました。何度教会を訪れても、信仰につながらず気楽に遊び惚けてばかりいた私ですが、キリスト教系の学校に通うことで神様と繋がれた気がしました。
さて、次に家族の中でキリストに結ばれたのは母です。私が24歳の時父にステージⅣの肺がんが見つかり、診断から約11か月後に亡くなりました。入院以来あっという間に衰弱していった父でしたが、一日だけ症状が落ち着いた日があり、朝から元気にテレビを見ていました。とても晴れた凪の日に、父の病室で母はもみの木教会の牧師による洗礼を受けました。洗礼式で父はしっかりと母に拍手を送り、数時間後、その日の晩に旅立ちました。父がいなくなった悲しみはありましたが、あまりにも天気が良くて穏やかな一日だったので、母が受洗するために、神様によってすべて整えられたように感じました。
父の死以来、母ひとり子ひとりの私たち親子の結びつきは強固になり、特に娘の私は、母がまだ元気な頃から病的に母の死を恐れるようになってしまいました。幸いにも今の夫を与えられて結婚することができましたが、血がつながっていない夫と母以上の関係を築ける自信がありませんでした。たった一人の肉親がやがてこの世にいなくなる先の人生に希望を抱けず、母が元気で100歳まで生きることだけを願い、私自身の生き方をよりよくする方向には歩んでいませんでした。80歳の誕生日の1週間後に、母は不整脈で突然召されました。目の病気で入退院を繰り返し心不全も進行していましたが、日常生活では元気に過ごしていて、母自身も私ももっと長く生きられると信じていましたので、本当に急な出来事でした。その頃の私は「あなたが強く願えばすべて望みは叶う」というような根拠のないスピリチュアル本に頼っていて、どこにいても何をしていても、常に不安でした。スピリチュアル本に書いてあることを実行すれば幸せになれると幻想を抱いていましたが、願い事や望みを100回以上ノートに書いてもただ手が痛くなっただけで、私は母を失ったのです。
最も恐れていた母の死に直面した時、人間の儚さを思い知り、これまで「つかず離れず」の関係だと私が勝手に思っていた神様を、弱い人間の意志など遠く及ばない確かなお方として、強く求めるようになりました。投げやりなようですが、私なぞの意志ではどうしようもないことが人生には起きるので、そうであれば全部神様に委ねようと思いました。名古屋教会での葬儀式に出席できたこともとても大きいです。叔母の登世子は2016年、母の美以子は2020年に天に召されましたが、もみの木教会の牧師が体調不良で葬儀を行えず、叔母も母も会場の手配に苦労しました。名古屋教会員の赤松礼子さんと母が長年聖霊病院でのボランティア仲間だったなど様々な導きがあり、二人とも名古屋教会で葬儀を行うことができました。受け入れてくださった田口先生と、名古屋教会員のみなさまに深く感謝いたします。死者を偲んで泣くのではなく、十字架によって私たちの罪を償ってくださった主イエス・キリストに感謝し、主の復活を信じて主が再び来られることを待ち望む。名古屋教会の葬儀式の式次第のしおりには、ヨハネによる福音書の11章25節が記されています。イエス様を信じる者は、死んでも生きるという御言葉は、愛する家族を亡くした悲しみの中でも遺族に希望を与え、死の恐怖から解放してくれるのです。子どもの頃から行ったり行かなかったり気まぐれに訪れていた教会から今度こそ離れたくない一心で、母の葬儀後は名古屋教会の聖日礼拝に通い続けました。そして翌年2021年のペンテコステに受洗しました。死に打ち勝った主を心から信じ、
あれから3年がたち、私は時々葛藤します。「神様を信頼してすべてをお任せしようと決めたけど、私の生き方のどこまでをお委ねすればよいのだろう?私が自分で何かを決めてその通りに進んでも良いのだろうか?」と。そんな時、冒頭にお読みした御言葉を思い起こすのです。何かを私自身で決断したり、舵取りしなくてはいけない時もあるけれど、自分の身勝手な願望をつらぬきとおすのではなく、神様を信頼し、その御心にお尋ねして、祈りを聞いていただくこと。そうすれば、必ず道は整えられるという希望があります。母がこの地上にいなくなってからの4年間、様々な主の守りや導きがありました。名古屋教会へ導かれ、洗礼によって新しい命を与えられたことが、イエス様にいただいた最大の恵みです。苦しみや不安を抱えて生きていてまだ救い主を覚えていない人が教会を訪れ、主の愛と慈しみに励まされ、平安で満たされますように。今日はお聞きくださりありがとうございました。
説教「信頼と希望の中で生きられる喜び」 田口博之牧師
詩編37編1~6節
毎年、ペンテコステ伝道月間での証を聞くたびに、その後でわたしが改めて何かを語る必要はないのではないかと思わされています。今日の証も感銘を受けました。
石井幸枝さんの証の中にも出ていましたが、8年前の叔母にあたる山田登世子さんの葬儀のときに、石井さんとお母様の須谷美以子さんと初めてお会いしました。それからしばらく経って、お母様が医療センターで入院されたことがありました。そのときに、石井さんがご主人と礼拝に出席しされましたが、心配でたまらない表情をしておられ、お母様の回復を、熱心に祈られていたことを思い出しています。
そのお母様が急に亡くなられたのが、2020年9月、コロナのただ中でした。ご遺体はいったん葬儀会館に運ばれましたが、導きを得て名古屋教会で葬儀することとなりました。打ち合わせの際に、わたしが愛唱聖句を尋ねたからでしょうか、「永遠の命」という言葉が出たことを覚えています。お母さんの命を永遠であられる神の御手に委ねたい、そんな思いを込めての言葉だったと想像します。葬儀以降、欠かさず礼拝と夜の聖書研究祈祷会にも出席されるようになりました。この方は洗礼を望まれているに違いないと思いました。
受洗されたのが2021年のペンテコステでしたので、ちょうど3年経ったわけです。先ほどの証を聞いて、安定感のある信仰を身につけられたと思います。その安定性の基は、何といっても聖書です。聖書を読むと、神を信頼し神に委ねることの幸いを知ります。しかし、委ねるとか任せるということは、簡単なことではありません。
わたしたちの身の回りのことを考えても、たとえばこの仕事を誰かに任せようとしたとき、その人が信頼するに足る人でなければ、とうてい任せることはできないでしょう。任せることができなければ、大変でも自分でした方がよいとなってしまう。その結果、次の人が育たないということがあり得ます。
鉄でできた船がなぜ沈まないのか。あんなに重量のある飛行機がなぜ空を飛ぶのか。これらは説明を聞いて理解することは簡単ではありません。理解し納得するよりも先に、わたしたちは船が海の上を進み、飛行機が空を飛んでいるのを見て、あまり考えることなく乗るのではないでしょうか。それでも、疑い始めたら不安でたまらなくなります。実際に事故もあるのです。なんだってそうです。誰かの車に同乗するときも、この人の運転なら大丈夫だろうと思って乗るのでしょう。自分の力で生きていると思っている人でも、いろんなところで、誰かに頼り、委ねながら生きています。
そのようにして生きていながらも、神に委ねることは簡単ではないと考えてしまうのです。そこだけは、まずは頭で考えて納得してからでないとと、考えてしまうのです。委ねるという言葉には、投げ捨てるという意味があります。体ごと、捨て身で神様にあずけてしまう、それが委ねるということです。しかし、受けとめてもらえないと思えば、躊躇してそれは体をあずけることはできません。
委ねることができないのは信頼していないからです。信頼していないのに、信仰があると言えるでしょうか。信仰、元の言葉ピスティスには、信頼という意味があります。信頼というと人間関係をいう時に使う言葉となり、信じて仰ぐと書く信仰という言葉を使うことには意味があると思います。しかし、信仰というと、キリスト教という教えを信仰していると捉えがちになります。でも、キリスト者は、キリスト教という教えを信じている人ではなく、神を信じている人です。ですので、人格的関係のある言葉で、神を信頼しているとした方が、はっきりするのではないかという思いがあります。
さて、今日の礼拝の主題とした「信頼と希望の中で生きられる喜び」とは、石井さんが付けた証の題ですが、説教題も同じにしようと考えて、導かれたのが詩編37編1節から6節です。40節まである長い詩編なので6節までとしましたが、全体を通して主なる神への信頼と希望に溢れた詩編です。人生には色んなことがあるけれど、長い目で見れば何も心配することはないことを、ダビデの名を借りた詩人は伝えています。
詩人は冒頭で「悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな」と言います。悪い者が栄え、幸せに生きているように見える現実は、今だけでなく昔からあったことを知らされます。そうすると、正しく真面目に生きていることが、馬鹿らしく思うことがあるのです。あの人たちは、神を信じているわけではない。だったら、信じても信じなくても同じではないか。そうすると、信仰者でありながら、自分の生活が中心になってしまいます。
しかし、詩人は「彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる」と言うのです。その時のことだけで判断しないのが神の知恵です。もっと長い目で見ることを教えるのです。
イエス・キリストも十字架に死なれました。そこだけを見れば、イエス様を十字架へと追いやった人々、悪事を謀る者たちの思い通りとなったのです。でも、イエス様は、三日目によみがえられました。信仰者は、三日目の待望の時を生きるのです。闇の中をさ迷っていたとしても、向こう側から光が射しています。そして、主がよみがえられたことを知る人にとっての三日目とは、主が再び来てくださる時なのです。その日は、裁きの日ですが、主を信頼している者にとっては救いの日となります。主を待ち望んで生きている人は、主を信頼した人です。
3節から5節にかけて、主に信頼せよ、主にゆだねよ、主に任せよという言葉が連なっています。主に信頼し、善を行えば、この地に住み着くことができる。すなわち世で祝福を受ける。主に自らをゆだねよ、そうすれば、必ず主はあなたの心の願いをかなえてくださる。だから、あなたの道を主にまかせよと勧めるのです。
預言者イザヤは、激動の時代にあって神を信頼して生きることを説き勧めました。イザヤ書7章では、「信じなければ、あなたは確かにされない」と言って、インマヌエル預言をしました。北イスラエル王国の首都、サマリアが陥落した時にも、「信じる者は慌てることはない」(28章16節)と言いました。そして、30章15節では、「お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と告げたのです。これらイザヤの言葉は、平安な時ではなく、危機の時に告げられた言葉であることを覚えたいのです。
詩編37編も、悪が栄える時代の中で詠まれた詩編です。不正を行い要領よく生きる者が、幸せそうに生きている時代。でも、羨ましがる必要はないこと、あなたは、あなたの道を主にまかせて進み行くことを教えるのです。
ある人が、人生を楽譜にたとえて、「ところどころに休止符がある」と言いました。「ところが人はそれを、曲の最後だと早合点してしまうのだ」と。順調に生きていたと思っていたのに、突然の病気に襲われたり、愛する人との別れが訪れることがあります。仕事が上手く行かなくなり、経済的にも苦しい思いをする時があります。そのときに、もう人生は終わりだと決めつけてしまう。
わたし自身もそんな経験をしました。そこからどうなって行ったのかをお話するのが、来週の証になるわけですけれども、神はそこでは終わらせませんでした。曲の終わりを知らせるのは休止符ではなく終止線です。讃美歌でも、休符がない曲がありますが、ブレスが必要です。一息で歌い切ることはできません。先週、教区総会を休んでしまいました。ワーカーホリック的なところがあるわたしは、さぼってしまったと罪意識にさいなまれました。それでも、少し休め、休んでもいいんだと、神様がわたしの人生の楽譜にわずかばかりの休符を加えられたと捉えようとしています。
詩編37編について、北森嘉蔵先生は、「典型的な神信頼の詩で、その恵みの高さは山のごとし」と表現しました。5節から6節、
「あなたの道を主にまかせよ。 信頼せよ、主は計らい あなたの正しさを光のように あなたのための裁きを 真昼の光のように輝かせてくださる。」ここを取り上げて、実に景気のいい詩だと言われています。世の中の景気はどうなっていくか分かりませんが、主を信頼し、主に委ねることの幸いを知る人の景気は悪くはならない。どんなときにも、心軽やかに生きていくことができます。
詩編37編を6節まで読みました。でもそこでは終わりません。いちど休んでから是非、今日のうちに40節までを読み通して読んで欲しいと思います。23節、24節に、「主は人の一歩一歩を定め 御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。」とあります。
今風に言って、刺さる言葉とはならないでしょうか。詩編は人が編んだものですが、神からの言葉として心にとどまる言葉が発見できると思います。すると、38章、その先も続けて読みたくなってきます。御言葉を通して、神を信頼して、」神に望みをかけて生きることがどれほど素晴らしいことか、新しい喜びが沸き上がってきます。