2022年5月1日 創立138年記念礼拝
創世記37章2~3節 ルカによる福音書15章25~32節
「恵みへの招き」 田口博之牧師
わたしたちは、『新共同訳聖書』を使っています。新共同訳聖書はカトリック教会とプロテスタント教会との共同の翻訳事業とし出版されました。初版が1987年、名古屋教会では1993年4月から礼拝で用いられるようになりました。とても読みやすく優れた翻訳ですけれども、一部で問題視されたのが「小見出し」でした。小見出しは聖書本文にはないのです。小見出しのことを説教原稿に書いていたのですが、それを話すと5分以上かかることになったので省くことにしました。新共同訳聖書の読みやすさは小見出しにあるのですが、聖書解釈を固定化してしまう、読み手に先入観を与えてしまうという問題があるのです。
15章11節以下に「放蕩息子のたとえ」という小見出しがあります。これは昔からそう呼ばれていたので、小見出しにこだわることでもなさそうですが、だからこそ「放蕩息子のたとえ」と以外のいう小見出しをつけて欲しかったという思いがあります。一つの理由を言えば、今日の25節以降に放蕩息子は出てきません。もっぱら父と兄との会話で終始しています。ですから32節までを含むのであれば、「父と二人の息子のたとえ」または「失われた息子のたとえ」とした方がいい。兄は家出もしていないので、失われていないと言えますが、ここに出てくる兄の言葉や振る舞いからして、父との関係においては失われていたと思えるからです。しかし、少なくとも放蕩息子ではりません。
兄は父に対して忠実に生きていたのです。「ところで、兄の方は畑にいたが」で始まっているとおり、この日も畑で仕事をしていました。さらに29節「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません」と言っています。兄は真面目で優等生でした。そんな兄は「音楽や踊りのざわめき」を聞いて何を思ったでしょうか。
想像してみましょう。自身に置き換えてもいいし、兄の立場で考えてもいい。家に帰ると何か祝い事が始まっています。今日パーティーが行われるなど聞いていない。自分は蚊帳の外か、そう思うと心穏やかになりません。何かサプライズがあるのだろうか…兄は、わずかばかりの期待を込めて僕の一人を呼び、「これはいったい何事かと尋ね」ました。すると「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」という答でした。
どうでしょうか、兄の自我は崩壊してしまった。そう考えても大袈裟ではないのではないと思うのです。自分は真面目に生きてきたのに、こんなお祝い事をしてもらったことは一度もないのです。なのに、好き勝手して家を出ていった弟が帰って来ると、父は大宴会を開いているのです。兄が怒って家に入ろうとしなかった気持ちはよくわかるのではないでしょうか。
兄はこう訴えています。29節から31節。「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。」
兄は父に怒りをぶつけています。先ほど「兄の気持ちはよくわかるのでは」と言いましたが、簡単に「よくわかる」と言ってはいけないほど、怒りと悲しみにあふれていたのではないでしょうか。しかし、あらためて兄の言葉を聞くと、真に父と子との関係と言えないほどに離れてしまっていたのではと考えることができます。兄は「言いつけに背いたことは一度もありません」と言っていますが、果たしてこの父は兄に対して、「あれをしなさい」、「これをしなさい」と言いつけることがあったでしょうか。
また、「わたしは何年もお父さんに仕えています」と言っています。この「仕えています」という言葉は、よく主に「仕える」という時の言葉とは異なります。聖書原典に忠実な岩波訳聖書では、「奴隷奉公してきたではないですか」と言っています。「奴隷奉公」、これが兄の父に対する思いでした。親と子の愛の関係ではなく、主人と奴隷の関係として仕えていたのです。そういう意味で、兄もまた「見失われた息子」の一人でした。
わたしたちは、兄がそのように思っていたということは、父に問題があったのではないかと考えてしまいがちです。また、弟のほうをえこひいきしているように思えるかもしれません。でも、この父は、遠く離れていた弟を見つけた父は走り出しましたが、この時も何もしなかったのではない。28節に「兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた」とあります。兄の気持ちを理解して、ねんごろに慰めているのです。それでも逆らう兄に対して、父は31節で「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」と語っています。父は弟が帰ってきたから態度を変えたのではありません。これまでもそうでしたし、今も、そしてこれからも「お前はいつもわたしと一緒にいる」のです。まさにインマヌエル、ここにこそ恵みがあります。さらに「わたしのものは全部お前のものだ」と言っています。これ以上の恵みはないはずです。
弟の方はといえば、「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」そう言って、父は兄を喜びへと招いています。財産だけではなく、喜びもまた兄のものにしたいのです。
旧約聖書から創世記37章ヨセフ物語の最初のところを読みました。ヨセフ物語は、創世記37章から50章まで続きますが、聖研祈禱会でもずっと読んできました。ヨセフの立身出世物語のようでありますが、ヨセフと兄弟たちとの和解の物語と言ってもよいのです。ヨセフはヤコブの11番目の子どもで父から特別に可愛がられていました。しかし、若いころのヨセフは生意気な子どもでした。それで兄たちはヨセフを憎むようになり、殺そうとまでしたのです。結果的にヨセフはエジプトに奴隷として売られることになりましたが、ヤコブはヨセフが死んでしまったと思っていました。ところが賢かったヨセフは、エジプト王が見た夢から世界的な飢饉が来ることを預言して、エジプトを危機から救ったことでエジプトの宰相、総理大臣に当たる職を任されたのです。
その頃、ヤコブと兄弟たちが住むカナンの地は、飢饉に苦しんでいました。食糧を得るために兄弟たちはエジプトへ下ります。ヨセフはすぐに兄たちだとわかりましたが、兄たちはヨセフだとは分かりません。しばらくの時を経て、兄たちはかつて弟を殺そうとしたことを悔い改めました。ヨセフは声を上げて泣き、身を明かします。父ヤコブとすれば、ヨセフはまさに「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった」子として喜びにあふれました。
創世記は、カインとアベルの兄弟殺しに始まり、イサクとイシュマエル、ヤコブとエサウ、そしてヨセフとその兄弟たちという一連のストーリーがあります。神の救いの出来事が、家族の和解の物語と折り重なるようにして語られていくのです。では、「放蕩章から息子のたとえ」に出てくる兄はどうしたか。「祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」という父の恵みへの招きに応えることができたでしょうか。
ルカによる福音書15章の話をする中で、ここはルカ全体を通しても頂点を迎えるところで、山登りにたとえてお話してきました。山脈を縦走するように、三つの山頂があった、うち放蕩息子のたとえは山脈の中でも最高峰です。ここからは、失われたものを見つかるまで探す、途方もなく大きな神の愛の景色が見えてきます。わたしたち一人一人が、神に見つけられた人としてここにいることが分かります。そう、わたしたちは1匹の羊のようであり、無くなった1枚の銀貨であり、放蕩の限りを尽くした一人の息子です。でもそればかりではなく、わたしたちは今日のたとえに出てくる兄のようでもあるのです。
実は今日のルカによる福音書15章25節以下は、この15章の三つのたとえ全体にかかってくる話でもあるのです。
というのも、15章の初めを読んでみると、「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。」そう始まっていました。ここに出てくる「徴税人や罪人」とは、失われていたのにイエス様が見つけられた人たちです。そして「ファリサイ派の人々や律法学者たち」とは、神のおきてをきっちりと守り、神の共にいた人たちです。イエス様のたとえ話の聞き手には、そういう二つのグループがいたのです。イエス様はいつも、聞き手のことを十分に意識して話をされました。
その意味で放蕩息子は「徴税人や罪人」をたとえていますし、今日のテキストに出てくる兄は、「ファリサイ派の人々や律法学者たち」をたとえています。自分は律法をきっちり守っている、言いつけをきっちり聞いている。それなのに、律法を守っていない人々が食事に招かれている。おかしいだろうと腹を立てている。
そんな彼らに向かって、イエス様はこのたとえに出てくる父のように外に出てきてなだめているのです。そして、失われていた彼らが見つかったのだから、一緒に喜ぼうと招いているのです。
たとえ話に出てくる兄が喜んだのか、ルカはこの続きを書いていません。では、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、このたとえ話をどう受け取ったでしょうか。おそらく納得できないままであったと思います。そんなに簡単には喜べばない。エルサレムに向かわれたイエス様が十字架に死なれたことが、これを証しています。
いちばんの問題はわたしたちがどう聞くかです。特に長く教会で奉仕を続けている人は、概ね兄のような立場にいます。しかし皆さん、奴隷奉公などとは思わず、主に見つけられたことを感謝して奉仕してくださっています。でも、ふとしたことがきっかけで、自分は顧みられていないのではと不満を持ってしまうことがあり得るのです。弟が帰ってきたことが引き金になったように、人と自分を比べて、そういうことを考えてしまうようになる。これは教会のことに限らず、日常でもあることでしょう。けれども父が兄に語られたように「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる」それ以上の恵みはないはずです。弟はすべてを無くしたとき、父のもとには何でもあったではないか、という恵みに気付ました。
レントの頃からイースターにわたってルカによる福音書15章を読んできました。神の大きな愛が語られていました。わたしたちは、ただ眺めているだけでなく、神の愛に生かされたことを知り、そこに生き続けることが大事です。今はルカ15章という愛の山脈を下っているわけですが、登山でも下りの方が難しいのように、ここからの生き方が問われているのです。この兄は宴席には加わらなかった気がしますが、わたしたちは喜びの招きに応えたい。ヨセフが兄たちの罪をゆるし和解したように、わたしたちが兄と弟が出会える物語を作っていくのです。
名古屋教会は今日から創立139年目の歩みを始めていきます。先週の総会は現住陪餐会員の出席は32名、5分の1をクリアして総会は成立しましたが、半数と言わずせめて3分の1、具体的には43名となります。無理ではないはず。そういう歩みができれば、教会はより健やかになります。それだけ集まれば全体集会も大胆で豊かな語らいができる筈です。集まることでまとまりにくくなる、ギクシャクするところは出てくるかもしれません。しかし、教会は仲良しクラブではなく、多くの賜物を持つ人たちが主の恵みによって集められたキリストの体なのです。そこで招き手となるのは、今すでに兄として集められている一人一人なのです。色んな思いや意見の中から対話を積み重ねるのが、名古屋教会らしさではないでしょうか。35年史をまとめながら感じたことの一つです。
そういう教会だからこそ「平和を尋ね求め、追い求めよ」そんな歩みができるのです。恐れていた弟子たちが、復活の主から「あなたがたに平和があるように」と祝福を受け、聖霊の命の息吹を吹き入れられて大胆に歩み始めたように。創立140年から150年に向けて新しい歩みを始めていくのです。