聖書 エゼキエル書18章30~32節
ルカによる福音書15章11~24節
説教 「復活のいのちに生きる」田口博之牧師
2022年のイースター礼拝、コロナ3年目となり予断の許さない状況が続いています。そのような中、神は多くの方をこの礼拝に招いてくださったことを感謝しています。
さて、今年のイースターは、「放蕩息子」のたとえをテキストにすることとしました。ここをイースター礼拝のテキストとすることは、あまりしないことです。しかし、レントに入ってからルカによる福音書15章「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえを読んできました。説教の中で、ルカ15章というのはルカ全体を通しても大きな山を迎えていること、それは山脈のように三つの頂があるという話をしていました。ここを読むということは、アルプスを縦走するようなイメージです。
ここには、失われたものが見いだされるというテーマが、三つのたとえにより連続して語られています。そしてこの三つ目の頂、「放蕩息子」のたとえは、山脈の中の最高峰といえます。この放蕩息子のたとえには、福音とは何かが端的に物語られているのです。これを、多くの方が集われるイースター礼拝で共に読んでみたいと思いました。
この話自体、ご存知の方が多いと思いますが、今日は四つの場面に分けてお話したいと思います。第一場は11節から13節の途中まで、タイトルは「弟の旅立ち」です。
11「ある人に息子が二人いた。 12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち」そこまでが第一場です。
ここまでで何を感じられたでしょうか。少し弟のことを弁護すると、現代の日本とは違いユダヤには長子権というものがあって、長男には弟の倍の財産が与えられることになっていました。ですから弟として生まれた時点で、かなり損をしているのです。この弟はそれが面白くなかったのでしょう。家督を継ぐことはできないし、財産も半分しかない。そこで弟はせめてもの思いで父親に生前分与をせがみました。お父さんがまだ生きているのにあり得ないように思いますが、父親はこの申し出を聞き入れました。何と気前のいいことかと思いますが、こうしたことは律法に禁じられておらず、当時のユダヤでは珍しくはなかったようです。父親は財産を二人に分けてやるのですが、当然もらえたのは兄の半分です。弟は財産の全部を金に換えました。財産といっても現金ではなく、家畜とか物、そして不動産だったと思います。今土地をもらったって仕方がない。さっさと売って身軽になったところで家を出て、これからは遠い国で自由に生きていこう、弟はそう思って旅立ったのです。
第二場は13節後半から16節まで、タイトルは「遠い国の弟」。「そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。 14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。」
ここには弟の悲惨が描かれています。「放蕩の限りを尽くして」という言葉から、この話は「放蕩息子のたとえ」と呼ばれるようになりました。愚かな弟は、財産を湯水のように使いきってしまいました。そんな自分の問題に加えて、飢饉という社会的な不幸が重なったのです。「その地方」という言葉が繰り返されていますが、律法では汚れた動物として飼われることのない豚が出てくることから、ユダヤの外に行っていたことになります。弟は律法にも縛られたくなかったのでしょう。お金のあるうちは、たくさんの人が彼のもとに集まってきました。でもお金の切れ目が縁の切れ目。お金がなくなった彼を助けに来る人は一人もいなかったのです。すべての人からも見放された状態におかれました。
第三場は、17節から20節前半。「弟の後悔」とします。弟は、父の家にいる時には食べるのに何の不自由もなかったことに気が付いたのです。17節から19節の二重鍵カッコで語られているところは、弟の独り言です。「17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」
すべてを失った弟は「我に返り」ました。直訳すれば「自分自身に返る」ですので、まさに「我に返る」ですけれども、この「我に返る」をめぐって、聖書学者の間で正反対の二つの評価があります。一つは、弟は信仰的な悔い改めをしたという解釈です。つまり、「この弟はすべてを失って、自分で好き勝手して生きていこうとした傲慢さに気づき、天すなわち神に対して、お父さんつまり肉の父に対しても罪を犯したことに気づいた。もう息子と呼ばれる資格はない、雇い人の一人でいいので、まずお詫びをしたい」そういう解釈です。
しかしある人は、彼はそんな高尚なことは考えていないというのです。「我に返る」というのは、この弟はただお腹が空いてしまって、生きていくためには父のもとに帰るしかないことに気が付いた。でも、ゆるしてもらえるとは考えにくい。そこで、「もう息子と呼ばれる資格はない、雇い人の一人にしてください」。そんなシナリオを用意して、父のもとに帰ろうとしたのだ。そういう解釈をするのです。
このどちらが正しいのか、わたしは前者で考えたいのですがよくはわかりません。しかし、たとえ後者であったとしても、父親の態度が変わることはなかったでしょう。そのことを語るのが第四場、この物語のクライマックスです。20節後半から読みます。
「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。」
どうでしょう、ここで父親のとった行動は、帰ってきた息子の思い、そして聖書の読み手であるわたしの思いをはるかに超えたものではないでしょうか。わたしたちが予測できることは、息子がボロボロになって戻ってきたとしても、父親なのだからしっかり諭してから家に入れるか、あるいは息子を責め立てるようなことは言わずに黙って迎える。せいぜいそういうことではないでしょうか。でもそうではない。父親はあまりにも人が良いというか、弟を甘えさせるだけではと思うのです。今日はそこまでは読みませんが、このことを知った兄の反応が25節以下に出てきます。当然のことながら弟が歓待されている様子を見た兄は不機嫌になります。自分はこれほどの扱いを受けたことはなかったからです。誰もが兄に同情します。そこもあわせて読むのがいいのですが、兄の話は5月に入ってすることにします。
第四場を考えるにあたり、まず注目したいのは20節です。聖書というのは読むたびに新たな発見があります。この放蕩息子の物語はこれまで何度も読んできたはずですが、今日も新たに気づかされたことがありました。それは「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて」という記述です。このところで、まだ遠くにいたのに父親が見つけたのは、ずっと息子の帰りを待っていたからだ、そう語ってもきました。確かに20節は、「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った」とうという記述で始まっているので、弟が帰ってきたのは間違いない。でも考えて見ると、息子は散歩に出たわけではないのです。自由になろうと、ユダヤの外に出ていたのです。でもそこでボロボロになり、しかも飢饉により何も食べることもできなくなったのですからどこまで歩いて帰ることができるでしょうか。
そして、父親は息子がどこにいるのかずっと捜していたに違いないのです。羊飼いが迷い出た一匹の羊を捜し回ったように。女性がなくなった一枚の銀貨を念入りに捜していたように、父親もまた待っていただけでなく、遠く離れていた息子を捜しに出ていたのに違いないのです。そして、「父親は息子を見つけて憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」のです。
父親に抱かれたときの息子の言葉、『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』は、18節で息子が考えていた言葉と同じです。ここまでこの言葉を何度も口にしてに違いありません。でも唯一違うところがあります。それは息子が最後に言おうとしていた「雇い人の一人にしてください」という言葉だけは父の前では言っていないのです。息子が言えなかったのではなく、父が言わせなかったのです。父は息子がそう言う前に僕たちに「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい」と命じたのです。「いちばん良い服」とは裾の長い晴れ着です。「指輪」とは、装飾品ではなく、由緒ある家の者が使う名前の彫ってある印章のことです。雇い人の一人でなく、父の息子であることの証になるものです。彼の草履はボロボロで裸足に近かったに違いありません。そんな彼に父親は最上の履物を用意しました。そして、極上の子牛を料理して祝宴を上げました。
この父の行動は突拍子もないことです。わたしたちの常識を超えています。けれどもここまでして、父親が息子の帰還を喜ぶ理由は24節の父の言葉で明らかです。「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」。この事実がすべてです。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」。この事実があれば、息子の反省の言葉は必要ないのです。その意味で、息子は悔い改めたかとか、こう言えば赦してもらえると考えたとか、そのどちらでもいいのです。必要なのはただ一つ、息子がここにいるという事実です。
イースター礼拝で放蕩息子の物語に聞こうと思ったのは、この素晴らしい物語を皆で聞きたいということばかりではありません。ここに「死んでいたのに生き返り」という言葉が出てくるからです。これは復活の物語です。
このたとえ話に出てくる父親は、ただのお人好しではありません。この父親は失われた者を捜し求めている神ご自身です。20節に「憐れに思い」という言葉が出てきました。これは上から目線で、気の毒な人を哀れむということではありません。その人の苦しみや悲しみを自分の痛みとして、はらわたがちぎれるほどに痛みを共にする神の愛を表した言葉です。財産をお金に換えて自由奔放に生きようとしたこの息子は、遠い国で悲惨な状態に落ち込んだからではなく、家を出たところ、父なる神から離れてしまった時点で死んだ状態になっていたのです。そんな彼が我に返って、父のところに戻ろうとした。それは本来のあるべき自分のところに戻ろうとしたということです。弟であることの不満もあり飛び出したけれども、実は満たされていたことに気づいたのです。その時点で彼は生き返ったのです。
わたしたちも口にしたり、思ったりすることがあるでしょう。教会を離れていた時の自分を思い出して、放蕩息子のようであったと。それで何らかのきっかけで教会に戻ろうと思った。そして戻ってきたときに、ここが自分の故郷だった、いるべき場所であったことに気が付いた。わたしは放蕩息子だったけれども、こんなわたしを神様はずっと捜してくださっていた。後になって、そこに気が付くのではないでしょうか。
わたしたちは誰であれ、神様から命を与えられたものです。聖書はすでに創世記の初めにそのことを伝えています。でも、アダムとエバが罪を犯して神から逃げたように、わたしたちは離れてしまう。そんなわたしたちでも、神は「どこにいるのか」と名前を呼んで探してくださっている。わたしたちが礼拝に出るということは、命の与え主である神のもとに戻ってきているということです。弟息子が我に返ったのも、神がずっと探してくださっていたからなのです。
今日のイースター礼拝に出席された一人一人を見て、神は喜んでおられます。この人は「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と。わたしたちは今日から新たな思いで、復活の命を生き始めるのです。