イザヤ書25章6~8節 ルカによる福音書24章36~43節
「体ごとよみがえり」田口博之牧師
2週続けて、エマオへと向かう途上の出来事と、エマオでの出来事が記された御言葉に聞きました。二人の弟子は、イエス様だとは分からずに話を聞いていましたが、エマオで一緒に食事の席に着いたとき、二人の目は開けてイエス様だと分かりました。分かった瞬間にイエス様の姿は見えなくなりましたが、二人は途方に暮れることはありません。「時を移さず出発して」、エルサレムへと急ぎました。すると、ペトロを含む十一人の弟子たちや仲間たちが集まっていて、「本当に主は復活して、シモンに現れた」と語り合っています。二人の弟子は、墓が空だったことは知っていても、ペトロに現れたことは知らなかったでしょう。この話を聞いた二人は、イエス様が復活されたことのさらなる確信をもって、エマオへの途上からエマオでの出来事を心躍らせて話したに違いありません。エルサレムにいた弟子たちは、どのような思いで二人の話を聞いたでしょうか。
今日のテキストの冒頭、36節の「こういうことを話していると」とは、この時のことを受けています。段落が変わるだけでなく、小見出しが入ると話が分断される気がしますが、話は連続しているのです。ここだけではありません。ルカによる福音書24章で語られていることのすべてが、イエス様が復活されたことが明らかになった1日の出来事なのです。
週の初めの日の明け方早くに、女性たちは墓に行くと墓にはイエス様の遺体はなく、二人の天使から「あの方は、ここにはおられない、復活なさったのだ」という宣言を聞きました。女性たちは、このことを使徒たちに知らせに行きますが信じてもらえません。唯一ペトロがこのことを確かめに墓に行くと、墓の中は空でした。これが復活の日の午前の出来事です。
そして13節以下、エマオへと向かう出来事が復活の日の午後の出来事、28節以下のエマオでの食卓がその日の夕食、時を移さず彼らがエルサレムに着いたときには夜も深まっていたと思われます。そんな時に、彼らが集まって話をしていると、いつの間にかイエス様ご自身が、彼らの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように。」と告げられたのです。一体いつからいたのか。弟子たちは皆、恐れおののいて、イエス様の亡霊を見ているのだと思いました。
おもしろいなと思います。弟子たちは、シモンペトロから、二人の弟子から復活のイエス・キリストと出会ったという報告を聞き話し合っていたのです。ところが、現実に復活されたイエス様が現れると、亡霊だと思って恐れおののいてしまうのです。どういうことでしょうか。さらに言えば、復活は信じられなくても、それが亡霊、幽霊やお化けの類であれば、人は信じてしまうのです。今も昔も変わらない人間の姿を描いています。
そんな弟子たちを見たイエス様は、「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある」と言われ、手と足をお見せになりました。その手や足には、十字架につけられたときの釘跡があったに違いありません。そうすることによって、自分は手も足もあるから、幽霊ではなく復活されたことを伝えたかったというだけではなく、わたしは、あの十字架にかかって死んだイエスなのだと、証されたのです。39節で「まさしくわたしだ。」と言われているのは、そういうことです。
それでも弟子たちは信じることができません。すると今度は、「何か食べ物はあるか。」と言われ、焼いた魚一切れを弟子たちの前で食べられたのです。食事することで、自分は亡霊などではないということを、示してくだったのです。エマオでのパンを裂かれた姿を見て、イエス様だと分かったように、エルサレムの弟子たちも、魚を食べるイエスの姿を見たことで、一緒に過ごしたイエス様がよみがえられたことを知りました。
以上、今日のテキストをなぞってみましたが、皆さんの中でヨハネによる福音書の復活顕現の記事との共通点に気づかれた方が、いらっしゃると思います。特に36節の「イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」という部分。そして40節の「こう言って、イエスは手と足をお見せになった」というところです。
ヨハネ20章19節から20節です。そこには、「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった」と書かれてあります。
福音書の成立に関する一般的な見解は、マルコ福音書がいちばん古いのは明らかで紀元70年前後、ルカとマタイが80年代、ヨハネが一番遅く90年代と言われています。ところが、今引用した共通部分については、ルカがヨハネから借りてきているとする学者が少なくありません。これは本文批評という話になってしまうのですが、写本家がこの言葉を加えたということになるのです。でも、そうした読み方は聖書の面白さを損なうような気がします。確かに出所はヨハネだったかもしれません。でも、ヨハネ福音書もいきなり出来たのではありません。ヨハネ福音書が成立する前に、イエス様が弟子たちの前に現われて、「あなたがたに平和があるように」と言われたれたこと、釘跡のついた体をお見せになったことは、ヨハネの共同体を通して伝わっていたことであり、その伝承を聞いたルカが記したことは十分に考えられるからです。
復活されたイエス様が、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」と言われたことの意味を考えるのです。十字架の死よりよみがえられたイエス様が、弟子たちとの間に造り出そうとされたことは、神様とわたしたちとの間の「平和」なのだということです。平和がなければ救いがないことは、わたしたちも容易にイメージすることができます。
神と人との平和、それは和解という言葉で言い換えることができます。和解とは仲直りするということですけれども、罪ある人間の側から和解していただくことはできません。神様の側から和解の手を差し伸べていただかねば、なしえないことです。十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください」と祈ってくださった主が、死をもってわたしたちの罪を赦してくださった。そして復活の第一声として「あなたがたに平和があるように」と、和解を宣言してくださったのです。驚くべき福音です。
そして、イエス様が釘跡のついた手と足を見せられたのも、自分は手も足もあるから幽霊などではないこと、そしてただ死から復活したことを伝えたかったのではなく、あなたがたの救いのために十字架にかかって死んだイエスが復活したことを示すためでした。
説教題を「体ごとよみがえり」としました。イエス様の復活が霊魂だけでなく、体をともって復活されたことは、今日のテキストが語っているように明らかです。信じるか信じないかは別の話として、歴史的な事実です。「亡霊を見ているのだと思った」弟子たちに、傷跡のついた手や足をお見せになったのも、体ごとよみがえられたことを明らかにしようとする意図があります。しかしなお問題が残るのが、わたしたちの復活です。
20世紀を生きたフランスの神学者でオスカー・クルマンという方がいます。新約聖書の証言から『霊魂の不滅か死者の復活か』という本を出しました。聖書は霊魂不滅について語っていません。わたしたちの信仰、使徒信条も「体のよみがえり、永遠の生命を信ず」で結ばれています。復活とは、霊魂不滅でなく、体のよみがえりなのです。
ところが、「霊魂不滅」の考え方を否定して「死者の復活」イコール「体の復活」を肯定したクルマンの書は、賛同と同時に多くの反対や攻撃を受けることになるのです。クルマンはこの書の冒頭で、「普通一般のキリスト者に、死後の人間の運命に関する新約聖書の教えはどんなものと考えているのかをたずねるとするなら、ほとんど例外なく「霊魂の不滅」という答えを得るであろう。しかしこの広く受け入れられている考えは、キリスト教についての最大の誤った理解の一つである」と書き始めています。
実際にこの両者は相容れないものであり、クルマンの考えは、使徒信条でも明らかなようにキリスト教会の正統教理を述べたものです。ではなぜクルマンの主張が、賛同と同時に多くの反対や攻撃を受けることになったのでしょうか。
理由は、ソクラテスの死を語るプラトン以来、「霊魂不滅」は、ギリシア哲学の中心思想として、紀元前4世紀以降、西洋世界に根深く浸透していたことからです。この考え方は今も生き続けています。死者の復活は、霊魂不滅で考える方が、抵抗なく受け入れられるのです。それは、復活のイエス様の体を見た弟子たちが、亡霊だと思ったことにつながります。死んでも霊は亡くならないと思うのです。イエス様がここで魚を食べられたのは、まさに体の復活を示すためでした。
それでも、キリスト教が広がる中で、体の復活は抵抗を受けるのです。パウロが最も労苦したのもそこであったことは、聖書を読むと明らかです。使徒言行録17章16節以下にアテネ伝道の記述があります。ギリシア第1の都市であり、ギリシア哲学の中心地です。そこで一番の論争になったのが、復活についてでした。32節には、「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それで、パウロはその場を立ち去った」とあります。アテネで全く相手にされないという経験をパウロはしたのです。
アテネ伝道の失敗は、パウロにとって大きな痛手でした。なぜ失敗したと言えるのかと言えば、アテネには教会が出来なかったからです。だから聖書にアテネの信徒への手紙がないのです。パウロは意気消沈してコリントに向かいました。コリントではアキラとプリスキラから助けを受け、やがて御言葉に語ることに専念することができ、1年6カ月と長期にわたって滞在しました。コリントでは教会ができ、2通の手紙が聖書として残っています。そのコリントにおいても、やはり理解が得にくかったのは死者の復活についてでした。
だから、コリントの信徒への手紙一15章は、復活について集中的に語ることになるのです。パウロは、12節で「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。」と問い、33節では、「しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません」と言って、体の復活について、どのように考えればよいのかを、たとえ話を用いながら語ったのです。そして、「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです」という言葉で、復活について語りました。
それでもわたしたちは、体ごと復活することついて、現実問題として理解のしにくさを覚えています。それはわたしたちがする葬りを思い起こしても明らかです。遺体が納めてある棺の蓋が開いて、死人が起き上がる、そんな場面を目撃し、証言した例がいくつか報告されていれば、信じられるかもしれません。けれども、わたしたちは葬儀が済んだら、火葬を経験します。棺に入っても目には見えていた肉体も、火葬の炉が開くと真っ白で脆い骨となっています。そして、幾時か経つと、お骨を墓に入れるのです。その状態から、どうして体がよみがえるのだろうか。霊魂だけは焼かれることなく、天国で憩うイメージする方が考えやすいからです。
愛する人が、思い出としてはよみがえることがあります。夢に出てくることもあるでしょう。自分が死んだら、たまには思い出して懐かしんでほしいと思うこともあるでしょう。そこには慰めはありますが、それは復活ではないのです。以前、ある人と話をしていたら、死んだ人は天国で安らかであったらそれでいい、何も復活までしなくてもようのではないかと言われました。正直な思いだと思いますが、それがまさに霊魂の不滅なのです。そこには仏教的な要素もありますが、ギリシア的霊魂不滅思想が、キリスト教の復活と融合し、あまり抵抗もなく受け入れられてきたということです。クルマンはそこにメスを入れた。しかしそのことで、歓迎と抵抗の嵐が沸き起こったのです。
死後どうなるかということは、パウロ以外に明確に語った人はいません。そのことのゆえに、霊魂不滅という考えはキリスト教会の中に残っています。しかし大切なことは、十字架に死なれたキリストが体ごとよみがえられたことで、死が勝利ではなくなったこと、「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」とあるように、キリストがそうであったように、後に続くわたしたちも体ごと復活するということです。
では、復活がいつ起こるのか。これはわたし自身が今、言うことのできる暫定的結論としてもよいのですが、死んですぐ起こることではなくて、終わりの日なのです。主が再び来られるとき、「かしこより来たりて、生ける者と死ねる者とを裁きたまわん」と言われる日。そのときに「起きなさい」と呼ばれる主の御声を聞くときが来る。その日が来るまで、主のもとで安息するのです。何か別の生き物として生まれ変わるのでなく、さなぎから蝶になるように、新しく創造される。その体は、主に似たものとされている。そのように信じることができるならば、わたしたちはすでに永遠の命に生きているといえるのです。