詩編22編17~19節 ヨハネによる福音書 19章16b-~24節
説教 「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」 田口博之牧師
4月、新しい年度に入り最初の礼拝です。例年よりも暖かで桜も一気に満開となり、すでに散りかけているほどです。暖かな春の装いに反するかのように、今日から受難週に入ります。エルサレムに入られたイエス様が十字架へと向かわれ、よみがえりの日の朝を待つ1週間です。今日はヨハネによる福音書を通して、十字架へと向かわれたときのイエス様の思いと、周りにいる人々の思いを知ることをとおして、受難週を歩むわたしたちの信仰を整えたいと思います。
ローマ総督ピラトは、イエスに死刑の判決を下しました。ところがピラト自身は、19章6節で「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言っています。12節には「イエスを釈放しようと努めた」とあります。イエス様を十字架刑に処すことは本意ではなかった。しかし、ユダヤ人たちの声に大きな声に押されてしまい、16節(今日のテキストの直前ですが)「ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」のです。
それが、段落も変わって16bという言い方になりますが、「こうして、彼らはイエスを引き取った」のです。「引き取った」とは、まるで荷物を引き取ったような言い方です。しかし、引き取られたイエス様のほうは、「自ら十字架背負い、いわゆる『されこうべの場所』、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた」のです。荷物のように背負われるのでなく、イエス様ご自身が背負われたのです。背負われたのは十字架です。しかも、強いられて背負わされたのではなく「自ら」、ご自分の意志で十字架を背負って、ゴルゴタへと向かわれました。
ここにヨハネによる福音書の特色があります。マタイ、マルコ、ルカ三つの福音書を読むと、その場所にいたキレネ人シモンに十字架を担がせています。3人の福音書記者は、その場面を直接目撃していたのか、あるいはそのような証言を聞いて記したのかもしれません。ヨハネもシモンの存在は知っていたであろうと思います。しかし、シモンについては何も語っていません。まるでイエス様が一人で十字架を背負ってゴルゴタへ向かわれた、そんな書き方をしています。すると、ヨハネは間違った書き方をしているのでしょうか。
そういうことではなく、これがヨハネの受け止め方なのです。ヨハネの福音書のことを霊的福音書と言う人がいます。なぜ罪なき神の子が十字架に死なれることになったのか。ヨハネはその意味を追究しながら福音書を書きました。わたしたちの救いのために、命を捨ててくださったイエス様を見つめるとき、自ら進んで十字架を負って歩んでくださる。そのお姿をヨハネは心の目で見たのです。
十字架が立てられたゴルゴタは、「されこうべの場所」と言われていました。わたしがこの箇所を最初に聖書を読んだとき、ここは極悪人の死刑場であり、遺体の引き取り手のなかった犯罪者のされこうべが転がっていたのではないか、そんな想像をしていました。実際には、十字架の立てられたこの丘がされこうべのような形をしていたことから、そう呼ばれたようです。
ゴルゴタには三本の十字架が立てられ、その中央がイエス・キリストの十字架でした。ピラトはイエスの十字架の上には、罪状書きを書いて掛けさせました。罪状書きとは、どのような犯罪で刑を受けているのかを示すものですので、名誉なものではありません。肩書きとは違う。この人はどんな罪で罰せられたかと書いてある。
しかし、この罪状書きはいかにも肩書きのようです。ピラトは「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書かせました。みなさんの中で、イエス様の十字架を描いた絵画や彫刻を本か何かで見られたことがあると思いますが、そのほとんどの絵に、アルファベットで「I N R I」(インリ)と書かれた札が、イエス様の十字架の上につけられていることがおわかりでしょうか。それがこの罪状書きです。
最初のIはイエスのI、Nはナザレの、Rは王を意味するRex、最後のIはユダヤ人(iudaeumでユーダイオム)の、というラテン語のそれぞれ頭文字を並べたものです。他の三つの福音書ではこの罪状書きには、「ユダヤ人の王」ないし「ユダヤ人の王イエス」と書かれていたとありますので、出身地の「ナザレの」があるのはヨハネだけです。ですから「I N R I」とは、ヨハネによる福音書に基づくものなのです。またヨハネのみが、この罪状書きが「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた」と記しています。ヘブライ語はユダヤ人の母国語、ラテン語はローマ帝国の公用語、そしてギリシア語は当時の地中海沿岸世界の共通語です。言いかえれば、ヘブライ語は宗教用語、ラテン語は行政用語、そしてギリシャ語は文化・経済用語です。ここが都に近かったこともあり、ユダヤ人ばかりでなく、すべての人々に、イエス・キリストは、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」であることが知られることになりました。
すると、この罪状書きを見たユダヤ人たちは異を唱えました。21節にあるように、ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と頼んだのです。彼らはこんな男が「ユダヤ人の王」であると世界に知られたら自分たちが恥をさらすことになると思ったのです。自称という訴えは、もともと7節と12節にも出ていますので、ここでの彼らの訴えは筋が通っています。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と、彼らの訴えをとりあいませんでした。
ピラトにとって、イエスを死刑にするという判決は不本意なものでしたから、この罪状書きは、ユダヤ人たちへの腹いせでしかなかったかもしれません。ところが、この罪状書きによって、思ってもみなかったこと、十字架につけられたイエスが何者なのかという真実が明らかにされていきます。
イエス様は、「ダビデの子」と呼ばれました。ダビデはユダヤ人たちが理想とする王であり、ダビデの血統であるユダヤ人イエスこそが、わたしたちの王であることを皆が期待していました。イエス様が「ユダヤ人王」であることは、自称したというよりも、皆の期待が込められています。しかし、イエス様の歩みは、多くの人々が期待することとはズレがあったことも事実です。そのズレがひび割れとなり、最後には砕け散っていった。
ですから、イエス様を直接十字架につけたのは、ユダヤの指導者層であり、ピラトであり、ローマの兵士であり、イスカリオテのユダだといえますが、最後はユダヤの民衆もイエスの十字架に賛同し、近くにいた弟子たちも散って行いきました。イエス様はすべての人の罪のため、その罪をすべて自ら背負って十字架につけられたのです。
野球のWBCの熱が冷めやらない間にプロ野球が開幕しました。優勝したから悪くいう人は誰もいません。でも、もし途中で負けていれば、村上が最後まで打てなければ、本人だけでなく使い続けた栗山監督も大バッシングを受けていたはずです。期待した人が期待通りの働きをしてくれないと、期待が大きい分、批判も大きくなります。しかし、大事なところで打ってくれた、やはり村神様だ!と手のひらを返すようにして喜んでいる。それが人間です。実にいいかげんです。イエス様は、そんなおろかな人間の罪を引き受けられて、ご自身がゴルゴタまで背負って歩かれた十字架にかけられ死なれたのです。
では十字架の下はどうだったでしょう。見るに耐えない光景が繰り広げられています。イエスを十字架につけた兵士たちが、イエスの着ていた服を分け合あっています。下着もです。イエス様は全てを剥ぎ取られて十字架につけられたのです。身に着けているのは茨の冠だけで、全ての衣服を剥ぎ取られ十字架で裸の姿をさらしているのです。
かつてアダムとエバが罪を犯した時、裸であることを知った二人は、いちじくの葉をつづり合わせて腰を覆うものとしました。そんな二人に、主なる神は皮の衣を作って着せてくださいました。しかし、身ぐるみはがされたイエス様の体を覆うものは何もありません。
しかも着ていた服は、兵士たちの役得として分け合っています。四つに分けたということは4人いたのでしょう。ところが下着は一枚織りだったので分けることをせず、くじ引きで誰のものになるかを決めようとしています。なぜ一枚織りという理由で分けなかったのでしょうか。一枚織で高価なものだったからです。それを切り分けてしまったら価値が下がってしまうからくじびきとなった。愚かしいことです。
しかしそれは、「『彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた』という聖書の言葉が実現するためであった」とヨハネは語っています。だから、「兵士たちはこのとおりにしたのである」と。
その聖書の言葉とは、今日の旧約テキストである詩編22編19節「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」です。ここに、人間の非道の中にあって、神の計画が進んでいることを知ることができます。十字架の上では、ユダヤ人の王であり、世界の王であるイエス様が裸の姿を晒している。十字架の下では、衣の取り合いに夢中になるような罪の中にあって、下着だけは裂かれることはなく尊厳が守られた。それは詩編22編の預言どおりであったのです。
また、この詩編22編というのは、全体を通してイエス・キリストの十字架の死を語っています。22編1節には、「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか」とあります。これは、イエス・キリストの十字架上の七つの言葉の一つ、ヘブライ語では「エリ・エリ・レマサバクタニ」です。その詩編の中に、着物を分け合い、くじを引くということも語られていて、兵士たちはその通りのことをしたのです。そのようにして、神の救いの計画は進行していきました。
ピラトが「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」という罪状書きを掲げたこと自体、不本意な判決を出させたユダヤ人への恨みを晴らす程の理解しかありませんでした。しかし、ピラトの思いをはるかに超えて、ユダヤ人の王であるイエスが、ローマ世界、いや世界を救う王であることを知らしめることになったのです。わたしたちの罪をすべて背負われてゴルゴタへの道を歩んでいかれたイエス様の背、十字架を見つめつつ受難週の日々を重ねてまいりましょう。