マタイによる福音書26:69-75
「ペトロの涙」

わたしたちは今日の礼拝で聖餐を祝います。コロナの対策により控えていました。安心というわけではありませんが、この日はどうしても聖餐を行いたいと思いました。1月2日の礼拝以来、実に100日ぶりの聖餐式です。聖餐はイエス・キリストが十字架にかけられる前夜、弟子たちと共に食卓を囲み、「これはわたしの体」と言ってパンを割き、「これはわたしの血」と言ってぶどう酒を配られた最後の晩餐を記念するため、代々の教会は聖餐をサクラメントとして定めました。わたしたちは聖餐を受けるたびに、わたしたちのために肉を裂かれ、血を流されたイエス様のことを思い起こします。

ところで、わたしの1日は朝食を食べながら朝ドラを見ることで始まります。今週から、沖縄を舞台にした朝ドラが始まりました。今朝の放送では、主人公の家庭に「ラフテー」という豚肉を使った郷土料理が並びました。子どもたちはおいしそうに食べていますが、その豚が家で飼っていた「アババ」という豚だと分かりました。子どもたちがかわいがっていた豚です。ここにいる皆さんも見られた方が多いと思うので、どうなることかとハラハラしていたのではないでしょうか。でも、お父さんが「生きているということは、ほかの動物、植物を食べないといけない。いただきますとは、命をいただくこと。だからきちんと感謝しながらきれいに食べてあげる。それが人の道」と言うと、子どもたちは素直にその言葉を受け止めて、あらためて手を合わせて「いただきます」と言っておいしそうに食べ始めました。

あのシーンを見ながら、わたしたちはどういう思いをもって聖餐に与るのかを問い直しました。ここに用意されているのは小さな食パンのかけらと、一口に満たないぶどう液です。あの豚肉料理の方がはるかに豪勢です。でも、わたしたちがいただくのは、はるかに勝る恵みに満ちた食事です。聖餐のことをユーカリストと呼びます。ギリシャ語の感謝、εὐχαριστία(ユーカリスティア)という名詞の変化形です。この食事をいただくことで、わたしたちは、今日を生きるどころか、永遠の命に生きることができるのです。永遠の命に生きるためには、わたしたちの罪が赦されねばなりません。そのためには、たくさんいる豚のうちの一匹ではない、罪なき神の子羊が犠牲にならねばなりませんでした。今日の聖餐でいただく食事は特別なものなのです。

さて今日の聖書箇所は、最後の晩餐を終えたイエス様と弟子たちが、祈るためにゲツセマネに向かう途中の出来事から始まります。イエス様は弟子たちに、「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われました。すると、この言葉を聞いたペトロが「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言います。イエス様は、「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と、ペトロの裏繰りを予告します。 ところが、ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言うのです。ペトロだけでなく、「弟子たちも皆、同じように言った」と、聖書は告げています。この1節は、案外見落としがちな言葉ではないかと思います。わたしたちも同じことを言うだけなら言えるのです。

それから間もなく、ユダの裏切りによりイエス様は捕らえられ、大祭司カイアファの屋敷に連れて行かれます。ユダヤの最高法院での裁判がここで始まったのです。イエス様に従っていた弟子たちは、皆、散らされてしまいました。ところが、「ペトロは遠く離れてイエスに従い、大祭司の屋敷の中庭まで行き、事の成り行きを見ようと、中に入って、下役たちと一緒に座っていた」と聖書は告げています。弟子たちの中、ペトロだけは「イエスに従い」大祭司の屋敷にまでついったのです。確かに「遠く離れてイエスに従い」という言葉が、ペトロの弱さをあらわしています。逃げ道は用意していたのです。いつでも逃げられるような距離を取っていたのです。同時にペトロには、ある期待感もあったのではないでしょうか。イエス様は捕まってしまったけれど、メシアとしての力を発揮され、人々がひれ伏すようなことが起こるかもしれない。どんでん返しの期待です。

そのように事の成り行きを見守っていたペトロに、思いもよらない出来事が起こりました。一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言ったのです。ペトロは「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と打ち消しました。すると、ほかの女中がペトロに目を留め、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言うのです。ペトロはもう完全に否定するしかなくなりました。「そんな人は知らない」と、今度は、誓いまで立てて打ち消したのです。

しばらくすると周りの人も続々と近寄ってきて、「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる」と言いはじめます。すると、ペトロは、「呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始め」たと聖書は記します。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とまで言ったのは夕食後です。その後、ゲツセマネでの祈りを経て、イエス様は捕えられ、最高法院での裁判が真夜中に行われています。つまり同じ夜のうちに、ペトロはイエスさまとの関係を否定したのです。

「死んでも従います」という言葉に、嘘偽りはなかったと思うのです。わたしたちも、この人のためなら死ねると、言うことがあるでしょう。そのときは、確かにそう思っているのです。しかし、窮地に追い込まれてしまうと、そうは言えなくなる。そのような人間の弱さが、ここには表されています。人間の決意とか決心というものが、いかに脆いものであるのかを思い知らされます。

さて、ペトロが三度目に、「そんな人は知らない」と誓い始めると、「すぐ、鶏が鳴いた。」とあります。このときペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」そうマタイは伝えています。

このペトロの涙について、ルカによる福音書は、ここで「主は振り向いてペトロを見つめられた」という言葉を加えています。さきほど歌った讃美歌「ああ主のひとみまなざしよ」に歌われるように、イエス様のまなざしを涙の契機としています。しかし、ルカ以外の福音書には、イエス様のまなざしのことは記されていません。しかし、すべての福音書に共通しているのは、鶏が鳴く声です。ペトロは鶏の鳴く声を聞いて、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」というイエス様の言葉を思い出したのです。

ペトロの涙は何を語っているのでしょうか。ああ自分は何ということをしてしまったのか、あれほど信じ、慕っていたイエスさまのことを、三度も「知らない」と言ってしまった。悔やんでも悔やみ切れない思いが、ペトロを捕えたということでしょうか。しかし、ペトロの涙は、単なる悔恨の涙ではありません。ここで御言葉体験が起こっています。鶏の鳴く声を聞いたときに、イエス様が「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた。あの言葉を思い起こして泣いたのです。

受難週に入ると、マタイ受難曲をよく聞きます。今日もこの箇所の黙想をしていたとき、福音書記者のテナーが「そして、外へ出て激しく泣いた」と情景を歌った後、アルトのアリアが聞こえてきました。これはペテロの涙が土台となった名曲です。

「憐れんでください、わたしの神よ わたしの涙ゆえに
わたしをご覧ください、心も目も、あなたの御前に激しく泣いています
憐れんでください、わたしの神よ わたしの涙ゆえに」。

美しい旋律に乗ってこのフレーズが繰り返されています。マタイ受難曲では、ペトロの涙は憐れみを求める涙として解釈されています。そきにイエス様が共にいてくださるという事実があるからです。そこでしか立つことはできません。

ペトロばかりでなく、誰もが色々な破れをもって生きています。涙して、主の憐れみを求めるしかないときがあります。旧約の哀歌もそうです。ペトロは涙して立ち直ったわけではありません。実際にイエス様の言葉を思い出して我に帰ったペトロは、イエス様に近づいたわけではありません。ペトロは「そして外に出て、激しく泣いた」と記すのです。そして、マタイ福音書では、このあとペトロの名は出てこないのです。それでも、わたしたちの罪を嘆く涙に主は目をとめてくださるのです。

マタイ受難曲は、さきほどの「憐れみたまえ、わが神よ」の後で合唱曲が続きます。信仰の応答としての歌です。

「たとえあなたから離れても、私は再びみもとに帰ります。
御子が、自らの恐れと死の苦しみにより
私たちをあがなってくださったからです。

私は罪を否定しません。しかし、あなたの恵みと蕊しみは
私が絶えず自分の内に見出す 罪よりはるかに大きいのです。」

そんな信頼が歌われる。これはペトロの信仰ではなく、わたしたちの信仰として歌われています。御子の贖いが絶対的なものであるという信頼の歌です。わたしたちも同じ信仰の歌を歌い、そして今宵、感謝の聖餐に与ることができます。御子がわたしたちの罪を赦すため、ご自分の命を犠牲にして差し出してくださいました。罪が赦されることがなければ、永遠のいのちに生きることはできません。

今宵、差し出される聖餐のパンと杯でお腹が満たされることはないでしょう。しかし、ここに備えられた聖餐をいただくことを通して、生涯にわたって聖餐に与ることをとおして、わたしたちは永遠のいのちの望みに生きることができるのです。