聖書 ルカによる福音書24章28~35節
説教 「心は燃えていたではないか」 田口博之牧師
イエス様が復活された日の午後、二人の弟子がエルサレムからエマオへの道を話しながら歩いていると、復活されたイエス様がそばに来て一緒に歩かれます。イエス様が、何を話しているのかと尋ねると、二人はここ数日エルサレムで起こったことを話し始めました。ナザレのイエスというイスラエルを解放してくださると望みをかけていた方が、十字架に殺されてしまった。ところが婦人たちが墓に行くと、ある筈の遺体がない。しかも天使たちが現れて「イエスは生きておられる」と告げたという。仲間の何人かが墓に行ってみたけれど、やはり見当たらない。二人は暗い顔をしながら、イエス様に話をされたのです。二人は復活を信じていなかったのです。
その話を聞いたイエス様は、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち」と嘆きつつ、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明されたのです。「説明された」とありますが、「解き明かされた」と訳したほうがいい言葉です。イエス様が聖書全巻を通して、自分がどのように証されているかを説教されたのです。
ここまでが、先週のテキスト13節から27節のプロットです。説教を聞いた二人が何を思い、何を感じたのかは書かれていません。しかし、好感を持ったことには違いない。そうでなければ、「一緒にお泊り下さい」と言って家に招くことはなかったでしょう。それ以上のことは分かりません。しかし、今日のテキストには書かれています。
32節「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」とあります。印象深い言葉です。
今日は本来なら、「牧師と話をする会」を行う予定でした。そこで何を話しするかは決まっていません。司会者の裁量でもあり、口火を切った方の話が続くこともあります。たまにその日の説教についての感想が語られることもあります。ネガティブな感想を言われる人はいませんが、残念ながら、「説教を聞いて、心が燃えました」といった感想を聞いたことはありません。では「心が燃える」とは、どういうことを言うのでしょうか。感動するとか、精神が高ぶるとか、良い意味で心を熱く燃やすような変化をもたらすことをいうのかなと思います。
今も説教をしていますが、聞いた人が、悔い改めねばとか、信じたいとか、主に従おうとか。説教を聞く前と変わらなければ、説教したとしても説教をしたことにはなっていないと思っています。願わくは心に火をつけるようなものでありたいと聖霊の助けを求めています。
それにしても、「わたしたちの心は燃えていたではないか」と、なぜエマオに着いてから言ったのでしょうか。説教を聞いていた最中は、心が燃えていたという自覚はなかったのでしょうか。はっきりしていることは、エマオに向かって歩いていた時の二人と、エマオに着いてからの二人には違いがあるということです。
二人はエマオへのおよそ三里の道をイエス様と一緒に歩きましたが、その時点ではイエス様だとは気づいていませんでした。なぜ気づかなかったのか、聖書ははっきり告げています。16節に「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」とあります。二人は目が不自由だったわけではなく、イエス様のことが見えています。でも、「目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」というのです。
ところが、31節を見ると、「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とあります。「目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」のに対して、「目が開け、イエスだと分かった」というのです。なぜ二人の目が開かれたのでしょうか。何が起こったのでしょうか。
二人に「一緒にお泊りください」と引き止められたイエス様は、泊まるために家に入られ、一緒に食事の席に着きました。明らかに二人がイエス様を客として招いたのです。ところが、30節には「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」とあります。ここで主客逆転していることに気が付きます。イエス様は客人であったのに、食卓の主人となって、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて二人に渡します。「すると、二人の目が開け」と続くのです。
最後の晩餐の時、イエス様は「パンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂かれました。最後の晩餐を囲んだのは、イエス様とユダを含む12人でしたから、この二人はその席にはついていません。しかし、5千人の給食の時には、イエス様がパンを取り、賛美の祈りを唱えてそれを裂いてお渡しになった様子を見ていたでしょう。あるいは、一緒に食事をされたのは、これまでにも何度もあったでしょう。ここで、イエス様が賛美の祈りを唱えてパンを裂かれるのを見たときに、あっ、イエス様だと分かったのです。その瞬間に、イエス様が復活されたことを遮っていた目が開かれたのです。そこで「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」のです。
わたしたちは時を定めて聖餐式を行います。そのとき、最後の晩餐でのイエス様のお言葉を思い起こしつつ、差し出されたパンと杯が、イエス様がわたしたちの罪のために裂かれた体であり、わたしたちのために流された契約の血であることを確かめます。それと共に、このエマオでの食事もまた、主の晩餐だということが、イエス様の言葉と所作から分かります。
聖餐には、十字架と復活、二つの意味があります。わたしたちは、聖餐を祝う時、主の贖いの業だけでなく、復活された主との出会いと交わりを経験するのです。復活の信仰は、聖書の言葉を聞くだけでなく、復活して今も生きておられるイエスが招き、分け与えて下さる食卓にあずかることをとおして、育まれていくのです。そして聖餐を受けることによって、説教の言葉がキリストの言葉としてよみがえってくる。「わたしたちの心が燃えていたではなくか」とは、そういうことなのです。
さらに興味深いことは、「二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」と書かれてあることです。目の前にいた人が見えなくなったらどうするでしょうか。普通に考えれば,焦って、捜すのではないでしょうか。イエス様とせっかくお会いできたのです、食事も始まったばかりです。なのに、姿が見えなくなれば、ああ、やはり幻だったのか。そう思ったとしても不思議ではありません。
ところが、聖書はそんなこと書いてないのです。「その姿が見えなくなった。二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った」のです。焦って捜すどころか落ち着いています。余韻を楽しんでいるようです。
説教の感想の話をしましたが、説教を聞いてすぐに、心に火がついて爆発せんばかりに燃え上がる。そういうことではないと思うのです。一時的、瞬間的な盛り上がりはかえって危うい、消えるのも早い。信仰が燃えるというのは、打ち上げ花火のように、その時一瞬で湧き上がるものではありません。バーベキューをして、初めのうちは炭火に火がつかない経験をすることがあります。時間をかけて、じっくりと燃え広がっていきます。そして、バーベキューが終わるころの火が、いちばん良い感じになっていることもしばしばです。時間をおいてもなかなか消えない。「わたしたちの心が燃えていたではないか」と振り返るのも、それと似ていると思うのです。今も暖かい。そのときにどこで火がついたのか気が付くのです。
食事の最中に、イエス様の姿が見えなくなりました。何気ない表現ですが、ルカは「いなくなった」とは書いていないのです。いなくなったのではなく、「その姿は見えなくなった」と記しました。目の前に姿は見えなくても、復活して生きておられることを信じたのです。そう語り合った後二人は何をしたでしょうか。33節、「そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみる」のです。
エルサレムとエマオの間は60スタディオン、三里弱の距離を歩いてきたのです。もう「日暮れて、闇はせまり」そんな時間です。食事が済んだら後は寝るだけです。ところが、彼らは一晩エマオの家でゆっくりしたのではありません。「時を移さず」、エルサレムに戻ったのです。即座に戻ったのです。なぜそんなに急いだのでしょうか。理由は簡単です。イエス様が復活して、さっきまで自分たちと一緒にいたこと、食事のパンを裂いてくださったを告げたかったからです。
誰でも、よい知らせならすぐに伝えたいと思うでしょう。ところが、悪いことだと、すぐに知らせようとは思いません。出来るだけ先延ばしにしようとします。言いにくいからです。あわよくば、知られないまま乗り切りたいと策を練る。一平さんもそうだったのでしょう。まずいことをしてもすぐに言えば、今よりも傷は浅くて済んだのです。でも、それが出来ないのが人間です。それでも、嬉しいことなら黙ってはいられない。すぐに知らせたいと思うのも人間です。
エルサレムからエマオに向かう時、二人は暗い顔をしていました。でもエマオからエルサレムに戻る今は、晴れやかな顔をしています。エマオに行くときには重い足取りでした。共に歩くイエス様が、どうにか二人の足を支えました。でも今は、足取り軽く向かっています。エマオに行く時には目が遮られていて、イエス様が一緒にいてもわかりませんでした。でも今は目が開かれています。イエス様が一緒にいなくても、姿が見えないだけで一緒にいてくださることを信じる目を持っています。
二人は、悲しみと絶望から完全に立ち直って、エルサレムの兄弟たちのもとに行きました。すると、「十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた」のです。シモン、すなわちペトロのことです。ケファとも呼ばれます。この伝承が、パウロがキリストの復活を語るコリントの信徒への手紙一15章で、「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」と語った後で、「キリストが聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したこと。ケファに現れ…」と記したことに通じています。教会にとって、復活されたキリストを証するのが、墓が空であっただけでなく、顕現されたことが、重要な指針となっていきました。
希望のない状態に捕らわれてエマオへの道を歩んだ二人は、心を燃やしたまま、エルサレムへの道を急ぎました。そして、主は復活してシモンに現れたと言っている仲間たちに合流し、二人は、道で起こったことやパンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話しました。
ルカによる福音書は、イエス様が復活されたことをリアリティ豊かに物語りました。主を信じる仲間たちが集まっています。聖霊降臨はまだ先ですけれども、イエス様を信じる者たちがこうして集められ、語り合っているところに教会が芽生えています。
それでも、まだ教会が誕生したとは言えないのです。エマオから戻ってきた二人の証言は、仲間たちのもとに届けるだけで終わっているからです。仲間たちが集まって話し合っているにすぎず、彼らの言葉はまだ世に向かってはいないのです。世に向かう言葉となるには、やはり聖霊降臨を待たなくてはなりませんでした。
教会はエルサレムから始まりますが、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土、また地の果てに至るまで福音が告げ知らされていく中で、教会が広がっていったのです。アメリカ大陸が発見されたのも15世紀の終わりです。やがてピューリタンがアメリカへ渡る。19世紀の半ばにアメリカでゴールドラッシュが起こり、西へ西へと人々が移住していく中で、福音が西に広がり、その先には海しかない。そして福音は海を越えて日本に渡ったのです。そして名古屋の地にも福音が伝えられ、教会が出来ました。
顧みて、牧師が語る説教や、わたしたちが語り合う言葉が、教会の中だけに通じる言葉になっていないかを検証したい。2024年復活節の歩みを初めています。ペンテコステまであと5週間35日です。復活の主の力をいただいて、「聖霊よ来てください」と祈りつつ、心を燃やす思いで、御言葉と共に生きていきたいと願います。