出エジプト記33章18~19節 ルカによる福音書14章15~24節
「来れ、既に備りたり」 田口博之牧師
先週も非常に重苦しい気持ちで過ごされた方が多いだろうと思います。水曜日からレント受難節に入りましたが、わたしの心はすでにレントですと言われた方がみえました。ロシアのウクライナへの侵攻は、明らかな侵略行為です。市民が普通に生活していた住居や学校などにミサイルが撃ち込まれています。死者は民間人だけで数千人を数えたと言われます。原子力発電所が攻撃されるなど、「なぜ」としか言いようのないことが起こっています。ロシアの大統領の表情を見ていると悪びれる様子もありません。意見できる人は一人としていないのでしょうか。
今日は3月第1聖日ですが聖餐式を行いません。先月の長老会で3月までは休止することを確認したのです。それでも、お休みしていたCSは再開しました。CSでは「てぶくろ」という絵本を紹介しました。ウクライナ危機が起こってSNSで紹介される方がいて、そうか、ウクライナの民話であることを思い起こしました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますがこんな内容です。おじいさんと子犬が雪の森の中を歩いていました。おじいさんは片方の手袋を落としてしまいました。すると、ねずみがその手袋にもぐり込み寒さをしのぎます。そこに、かえるがやってきて、「わたしも入れて」と願うと、ねずみは「いいよ」と、かえるを招くのです。その後、うさぎ、きつね、おおかみ、いのしし、だんだん大きな動物が手袋に入ります。最後は大きなくまも入り込みました。手袋にそれだけの動物が入るなどありえないことですが、この物語には夢があります。違いのあるものも手袋の中で仲良くし、はじけそうになり、押し合いへし合いしながらも共に生きている。ウクライナは八つの国と国境を接しています。歴史的に様々な民族や国家の狭間で翻弄されてきたウクライナの人々の思いが、「てぶくろ」という民話には表れているように思います。
そんなウクライナにロシア兵が入り、ウクライナを助けるために各国から義勇兵が集まっていると聞きます。「てぶくろ」とは正反対の世界が描かれています。そんな温かみのある「てぶくろ」ですが、切ない思いになって終わるのです、手袋を落としたことに気づいたおじいさんが森に戻り、手袋を見つけた子犬が「わん」と吠えると、中にいた動物たちは逃げ出してしまう、そこで終わるのです。争いがあるところでは共にいた人たちが散らされていく。すでに100万人を超える避難民がいるとも言われています。日本も覚悟をもって受け入れ、ウクライナに平和と秩序が回復されるまで避難民を守ってほしいと切に願います。それも人任せにせず、わたしたち自身があたたかな手袋になりたい。キリスト者は行動するときにも、祈りから始めます。「ああなってほしい、こうなってほしい」と願うばかりでなく、神がわたしに何を望んでいるのか、何をなすべきかを聞くのです。行動も祈りから生まれます。いや、祈りそのものが行動なのです。
イエス様は「神の国」について語る時に「たとえ」を用いられました。神の国とは「あそこにある、ここにある」といえるものではないので、たとえで語ることによって聞く人が神の国のイメージを膨らませていく。そこにイエス様のねらいがあります。その意味で、先の「てぶくろ」からも神の国がイメージできます。違いのあるものも一緒に生きていくことのできるイメージです
イエス様は、今日のルカによる福音書14章15節において、神の国を大宴会にたとえています。神の国がどういうところかイメージすることができます。では、この大宴会は祝福に満ちているでしょうか。確かに15節で、ここにいた客の一人が、イエス様に「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言っています。彼の言うことは正しいことです。
ではこの人が、先にイエス様が言われたことを正しく受け止めて、こう語ったのでしょうか。イメージし損なっているように思えます。正しくイメージできていたとすれば、大宴会のたとえを話すことはなかったと思うからです。
イエス様は言われます。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう用意ができましたから、おいでください』と言わせた。すると皆、次々に断った。」少し説明が要るかもしれません。当時の慣習では、宴会を開くことが決まると、まず招待したいと思う人を招待します。そして宴会の時刻に近づくと「行きます」と返事した人に僕を遣わして、「準備ができました」と招きに行く。そういう二段階の招きしたようなのです。
とても丁寧だと思いますが、わたしたちも似たようなことはしています。3月20日に第一次総会をしますが、先週から週報に案内しています。そして次週には詳細な総会案内が出ます。そこには何が議されるかが詳しく書いてあります。総会に出席される方が、これをよく読んでおかれる。準備して総会に臨む。その場で気づいたことを思い付きで発言しない。そうすることで、神の御前での会議は整えられていきます。
ところが、イエス様がたとえで語る大宴会は、困ったことになっています。18節以下にあるとおり、宴会に招待された人が、「畑を買ったから」、「牛を飼ったから」、「妻を迎えたから」という色んな理由をつけて次々に断ってしまったからです。彼らが断った理由は、作り話でなければ、正当な理由だといえるでしょう。その人の人生がかかっている、一生を左右するほどの理由といえるからです。
けれども、招待した側はどうなのか。わたしたちの間では、自分が主催者であることをイメージすれば、断られて残念だなと思いこそすれ、「だったら仕方がない」と思うことはままあります。でも、これは神の国の宴会です。あの人もこの人も来られないという報告を受けた家の主人は怒ったと書かれてあります。怒るなんて料簡が狭いということではありません。このたとえでの家の主人は神様です。神の国の宴会の招きを断るなど、いかなる理由があっても考えられないことだからです。
この三人は、はじめは宴会に行こうと思ったけれど、だんだん煩わしくなってきた。そういうことではないのです。彼らは自分たちが招かれるのは当然だと思っていたのです。当然だと思うということは、神の招きよりも自分の都合を優先させていたということです。だから土壇場で招きを断っても、申しわけないなどとは思っていない。約束を破った。だからこの主人は怒ったのです。
これはたとえ話です。たとえ話ということで考えると、招く主人は父なる神、あらかじめ招かれていた人たちは、ファリサイ派の議員を代表としたユダヤ人を指しています。自分たちは神の民だという自覚を持っていた彼は、招かれて当然なだと思っています。そんな彼らは、イエス様の招きを断わったのです。このたとえに出てくる僕ですけれども、原文で単数形が使われていることから、この僕はイエスのことだと聖書学者たちは解釈しています。神の独り子が僕となって世に来られたのです。僕は神の御心に従って、神の国を宣べ伝えます。しかし、ファリサイ派の人に代表されるユダヤ人から拒絶されてしまったのです。
ユダヤ人は宴会への招きを断ります。しかし、神の国の宴会が閉じられることはありませんでした。神の招きは、この当時救われるに値しないと考えられていた「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人」へと広がっていきました。それでもまだ席に余裕がある。すると主人は「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」と言います。先に語られていた「町の広場や路地」とは町の中であるのに対し、「通りや小道」とは町の外を意味する言葉です。つまり神の招きは、ユダヤ人世界を越えて、異邦人世界へと広がっていくのです。
わたしたちはいったいどこにいるのでしょう。ユダヤ人から見て外国人であるわたしたちは、町の外の「通りや小道にたまたまいた人」と言えるでしょうか。神の選びは自由です。かつてモーセが、「どうか、あなたの栄光をお示しください」と雲の中に臨在する主に言ったとき、主は「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」と言われました。わたしたちはただ、神の恵みと憐れみによって救いに与ったのです。ところが、いつしかその恵みを忘れてしまう。最初の人たちのように、招かれていても断るのも自由。いつしか自分の都合を優先してしまうのです。
この僕はイエス様だと言いました。神の祝宴を開くために、あちこちを駆けずり回って「もう用意ができましたから、おいでください」と迎えに行くのです。町の中にいる人たち、当時罪人だと蔑まれていた人たちに声をかけます。そして、町の外にまで出かけて行く。それはまさに伝道です。今日はギデオンラリーが行われますが、ギデオンの方たちも主の招きを伝えるために聖書を配られます。でも、渡そうとしても拒絶されることの方が多いのです。学校の門の近くで中学生や高校生に配る、でもその聖書が道端で棄てられてしまうこともある。ところがその棄てられた聖書からでさえ、実を結ぶことがある。拒絶されるのは辛いことですが、そこを超えるところで喜びを見出すことができる。
残念ながら今日は喜びも聖餐を行うことを控えました。聖餐自体が感染リスクあるものとは言えませんが、奉仕者の負担と安心安全を考えて、3月まではやめようと長老会で決定していました。そう決めたときに、今日はこの箇所で説教しようと考えていたこともあり、聖餐の心をお伝えしようと思いました。
17節に「もう用意ができましたから、おいでください」とあります。僕が宴会の支度ができたことを告げに行く言葉ですけれども、文語訳の聖書では、「来れ、既に備りたり」です。説教題にもしました。シンプルですが歯切れのいい言葉です。以前に、戦争前から信仰生活をされていた牧師ですが、聖餐式の思い出を話しされたのを聞きました。その牧師が行っていた教会では、「来れ、既に備りたり。」この言葉を聖餐の招きの言葉にされたそうなのです。その言葉に励まされて、聖餐の食卓に進み出ていくときの緊張感を今も思い起こすというのです。
「来れ、既に備りたり」。もう、準備は出来ている、来るがよい。わたしたちプロテスタント教会は、毎週聖餐を祝ってはいません。けれども決して軽んじているわけではない。たとえば、この礼拝のスタイル、牧師が講壇に立って説教を語り、皆さんが聞くといったこのスタイルは、対面型とか教室型と言われます。でも、わたしたちは聖餐卓を囲んで対面しているのです。今日は聖餐式をしない礼拝だからと言って、聖餐卓を隅に片づけるようなことは決してしないのです。
ローマ・カトリック教会は毎週聖餐を行いますが、1960年代、第二バチカン公会議の典礼刷新によって、つちかってきた伝統捨てて、この仕方を取り入れました。かつて、司祭は聖餐卓の前に立ちますが、会衆に背を向けていました。仏式の葬儀のようだというとイメージしやすいでしょうか。それが、聖餐卓を挟んで会衆と向かい合うようになったのです。
コロナにより教会の交わりの部分が希薄になっています。愛餐会ができない、昼食を挟んでの行事。集会ができないので仕方のないところがあります。しかしだからといって教会の交わりが失われたわけではありません。何より礼拝を共にささげることができます。神の国の宴会の先駆けである聖餐の交わりがゆるされています。今日のようにパンと杯による聖餐を味わうことができなくても、聖餐卓を囲んで御言葉の交わりにあずかることができています。説教で語ることはいつもわたしたちのために十字架に死なれ、復活なさったイエス・キリストの恵みです。
その主が十字架に向かう背を見つめるレントに入っています。ウクライナ危機は深刻ですが、さふらんも大きな危機を迎えました。最初の感染報告があったのが2週間前、それから気の抜けない日々を過ごしました。生活園は3月9日から開所できます。レッドゾーンを抜け出した一ホームでは、今日から防護服を脱いでの支援が始まります。シャロームのすべてが、次週14日から全面開所の運びとなりました。難しい判断が強いられました。利用者の方、ご家庭には迷惑をかけましたが、協力いただからこそ、日中施設に広がることなく抑え込むことができました。皆さんにも祈っていただきましたが、大きな力となりました。
幼稚園も2度目の休園が開けてから、日ごと日常を取り戻しています。年長みどり組が来週の卒園式に向かって全員登園できることを祈っています。学童も大きな影響が出ないでここまで来ています。
コロナと共に生きるといっても、そこには闘いがあります。しかしそれは共に生きてゆくための闘いです。しかし、ロシア・ウクライナでは真逆の闘いが繰り広げられています。ロシア大統領は、ロシア正教会の信者です。キリスト者として神をおとしめるのでなく、神のみ旨をあらわせる行動をしていただきたい。自分を主とするのでなく、神を主とする心を取り戻せるなら、この戦争は終わります。主よ悔い改めの心を授けてください。どれほどの批判を受けたとしても撤退する勇気を与えてください。剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌としてください。剣を抜くものは剣で滅びるのです。「国は国に向って剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」いにしえの預言者が神から授けられた信仰に生きる者とさせてください。この世界に平和を与えてください。わたしたちを平和の道具としてください。主の御名によって、アーメン。