ホセア書10章1~2節、 ルカによる福音書23章26~31節
説教 「十字架への道行き」田口博之牧師
説教題を「十字架の道行き」と記しました。ポンテオ・ピラトにより、十字架刑の判決を受けたイエスが、「されこうべ」と呼ばれるゴルゴタで十字架にかけられるその道中のことを十字架の道行と表します。意外に思われるかもしれませんが、十字架の道行きについて記すのはルカによる福音書だけなのです。
そのことは、「人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」という言葉から分かります。ルカはこの出来事が、イエスを引いて行く途中で起こったことを記しています。もちろん、イエス様の十字架を担いだキレネ人シモンのことは、マタイやマルコにも出てきます。
たとえばマルコでは、「そして、十字架につけるために外へ引き出した。そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた」とあります。マタイもほぼ同じ書き方をしています。つまり、ピラトがイエス様を彼らに引き渡すため、法廷から外に引き出した時点で、キレネ人シモンに十字架を担がせたように読めるのです。
ローマの法では、処刑に使う十字架を本人ではなく、誰かに担がせることは当たり前に行われていました。そうでなければスムーズに刑の執行ができないからです。もし、ペトロが逃げ出さなければ、弟子であるペトロが代わりに担いだことでしょう。ところが、イエス様に従う人は誰もいなかった。それで、その場に通りかかったキレネ人シモンが兵士たちの目にとまり、イエス様の十字架を担ぐことになりました。
カトリック教会の聖堂に入ると、キリストのご受難を黙想する14の場面を描いた絵や彫刻の額が掛けられていることに気づきます。わたしが足を踏み入れた教会、あるいは修道院にはどこでもありました。世界祈祷日も来年はカトリック教会が担当するようですので、来年出席される方は覚えておいていただくとよいと思います。あの14の額は、イエス様がピラトから死刑の宣告を受けられてから十字架で死んで葬られるまでの14の場面を描いています。この14の場面を留(りゅう)と呼びます。停留場の留という字を書きますが、英語でいえばステーションです。
これはカトリック教会に特有の信心業といえるものですが、その額の前で立ち止まって黙想し祈りを進めていきます。後から分かったとですけれど、そうした祈りの行為そのものを「十字架の道行き」と呼んでいるようです。
この十字架の道行きを示す14の留は、聖書に根拠を持つものではありません。では何を根拠にしていたかといえば、エルサレムの「ヴィア・ドロローサ」、イエス様がゴルゴタへと向かう悲しみの道です。ローマが十字軍により聖地を奪還すると、信者たちはエルサレムの巡礼の旅に憧れを持ちました。しかし、どこをどう巡ればよいか分からない。そこで、14世紀当時のローマ皇帝からエルサレムの管理を任されたフランシスコ修道会が、イエス様が十字架を引いて通られたであろうと思われる道を巡礼の道としたのです。そこには、十字軍のような武力ではなく、平和の統治への願いが込められています。カトリック教会の14の留は、ヴィア・ドロローサの14の留に倣ったものです。
わたしもエルサレムに行ったとき、ヴィア・ドロローサを通りました。第1留はピラトの法廷、第10の留以降は、イエス様が十字架につけられる聖墳墓教会の中にありました。そこに至る狭い路地にはパレスチナ人の商店が並んでいました。別にユダヤ人と争うこともなく店が並び、当たり前のように共存しています。十字架の道行きのところどころに紹介した留があり、停留所らしくベンチなどが用意されていました。
ただしそこで不思議に思ったことがありました。14の留が聖書に根拠を持たないと言いましたが、聖書に出てこない場面がいくつも紹介されているのです。たとえば、ヴェロニカという女性がイエスの御顔の汗を拭ったことを記念する留がありました。ヴェロニカとは誰のことなのか。途中でイエス様は三度倒れられ、それぞれに留がありました。実際に倒れられたかもしれません。だからキレネ人のシモンに十字架を背負わせたとも考えられますが、4福音書を読んでいく限り、イエス様が倒れたという記述は一度もないのです。
ちなみに、今日のルカが記しているシモンがイエス様の十字架を担ぐところは第5の留です。教皇ベネディクト16世は、ここで次の祈りを指示しました。
「主キリスト、あなたを礼拝し、賛美します。
あなたは、尊い十字架とご死去をもって世をあがなってくださいました。
兵士たちは、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、
イエスの十字架を無理に担がせます。望まずして起こった出会いから信仰が生まれます。
主よ、わたしたちが苦しむ隣人に寄り添うことができるよう、どうかお助けください。 他者と十字架をともに担うことができるのは、恵みであると悟らせてください。
主よ憐れんでください。わたしたちを憐れんでください。
聖母よ十字架にくぎづけられた御子の傷をわたしの心にしるしてください。」
このシモンについて、先程も読んだマルコ福音書には、「アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人」と紹介していました。キレネとは今のリビアの地域です。おそらくはディアスポラのユダヤ人で、イスラエルの地から離散したユダヤ人だったけれども、過越祭ということで巡礼に訪れていたのではないでしょうか。そして「アレクサンドロとルフォスの父」というように名前が残っていることから、シモンと二人の息子は、初代教会で重要な働きをしたと考えられます。
もしかすると彼らは家族で過越祭に来ていたのかもしれません。だとすると実にタイミング悪い。通りがかったシモンは、イエス様の十字架を担がされたのです。そして、その様子を二人の息子は見ていたのではないか、そんな想像をするのです。初めのうちは悔しかったでしょう。どうして父さんが…そう思いつつ、父の姿を見ていたのではないでしょうか。シモンもそうです。でも、後から分かったと思うのです。主の十字架を背負う、そこにこそ、主に従う道があるということを。イエス様は言われました。「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない」と。
十字架を背負うということは、自ら進んで、喜んでするようなものではありません。十字架は背負わされるものです。どうして自分が、と思えるものが十字架です。シモンが背負ったのは、まさにそうです。「田舎から出て来た」とあります。それまでイエス様のことは知らなかったでしょう。イエスを引いて行く途中に、たまたま居合わせたのです。なのに、十字架を背負わせられた。実に運の悪い人です。はじめわけが分からなかったでしょう。
でもそういうことはあるのです。たまたまとか、運がいいとか悪いとかは、信仰者が使う言葉ではありません。人の目には偶然だったとしても、神にとっては必然だったのです。自分は神に選ばれた。そのように受けとめることができる人を、神は選ばれるのです。そのとき、苦難を恵みと受けとめ直すことができるのです。
ルカだけが記す十字架の道行きで、シモン以上にたくさんのスペースを取っている人たちがいます。27節に「民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った」とあります。このうち、民衆とは、イエス様を「十字架につけろ」と叫んだ人々のことだと思われます。他方、婦人たちとは、ガリラヤにいる頃からイエス様一行の世話をし、この後イエス様の十字架と復活の目撃者となる女性たちだと考えてよいと思います。二つの群れが大きな群れとなって、イエスに従ったのです。その前には、十字架を背負ったシモンがいたのです。従うとは弟子の姿勢の象徴ですが、同じ従うでも、民衆と嘆き悲しむ婦人たちの姿勢は異なります。ルカだけが記す十字架への道行きです。
すると、イエス様は婦人たちの方を向いて言われました。
「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る」と。
「わたしのために泣くな」とは、同情する必要はないということです。それは十字架の道にふさわしいことではない。十字架の道は、あなたがたのための道であることを知りなさいというのです。「人々が『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。」この言葉は、エルサレム滅亡を予告した21章23節の「それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」と対応しています。イエス様は、これから起こること、すなわち自身の十字架の死は、終末における裁きとの関連で起こるのだと言っているのです。
ヴィア・ドロローサの第8の留、ここはルカ福音書のとおり、イエス様が女性たちと出会われた場面です。ベネディクト16世はこういう祈りを残しました。
「主キリスト、あなたを礼拝し、賛美します。
あなたは、尊い十字架とご死去をもって世をあがなってくださいました。
イエスは婦人たちの方を振り向いて言われます。
『エルサレムの娘たち、わたしのために泣くことはない。
むしろ自分と自分の子どもたちのために泣け。』
主よ、わたしたちが罪にたいする無とんちゃくから抜け出せるように招いてください。 わたしたちを回心に導き、新しいいのちをお与えください。
主よあわれんでください。わたしたちをあわれんでください。
聖母よ十字架にくぎづけられた御子の傷をわたしの心にしるしてください。」
この留の前に立つ時、主の憐れみと赦しを祈ることを教えるのです。
先にホセア書10章を読みました。ホセアは、神の愛を語った預言者ですけれども、10章ではイスラエルの罪を断罪し、裁きを預言します。1節、2節で
「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。
実もそれに等しい。 実を結ぶにつれて、祭壇を増し
国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。
彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き
聖なる柱を倒される。」
ホセアは豊かさへの警告を語ります。さらに8節では神の裁きを語るのです。
「アベンの聖なる高台 このイスラエルの罪は破壊され
茨とあざみがその祭壇の周りに生い茂る。
そのとき、彼らは山に向かい 「我々を覆い隠せ」
丘に向かっては 「我々の上に崩れ落ちよ」と叫ぶ。」
このホセアの言葉を、イエス様は30節で引用されました。
「そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、
丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。」さらに、
『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」と言葉を続けます。
解釈の難しいところですが、おそらく「生の木」は、命の木であるイエス様のこと、「枯れた木」とは、命を失った木、裁かれるべき人々と見なしてよいと思います。つまり、「神の子であるイエスでさえこのような悲惨な目に遭うのだから、罪人であるあなたたちは、なおさら酷いことになる」のだと。
わたしは十字架の道行きを記す今日の箇所を読んで不思議なことに気づきました。というのも、イエス様への裁きが続いていましたが、イエス様が口を開いたのは23章3節。ピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と問われたときに、「それは、あなたが言っていることです」と答えられた。それ以降は、ヘロデの前でも、再びピラトの前に引き出されたときにも。イエス様は沈黙を通しておられるのです。何もお答えにならなかった。ところがここで沈黙を解かれたのです。しかも、かなり長い言葉で、旧約を引用しながら。
どうしてなのかと思います。しかも解釈するのが難しいです。不謹慎な言い方となりますが、説教者にとってはない方がいい。ここを話し始めると聞く人を退屈させてしまいそうになります。十字架への緊迫した場面であるにもかかわらず。そのことが分かったからなのか、他の福音書記者は省いてしまったとも考えられます。でも、ルカはここをなしにすることはできなかった。
このところでルカが、イエスの十字架の死を、世の終わりの裁きとの関連づけていることは間違いありません。しかし、世の終わりの裁きは、信じる者にとっては救いの完成なのです。
つまりイエス様は、ホセアの裁きの言葉を借りながら、救いへと招いているのです。わたしは、あなたがたが受けなければならない神様の裁きを代わりに受けようとしている。だからあなたがたが必要なのは、悔い改めること。わたしへの同情の涙では必要ない、悔いて涙せよ。そして信じなさい。そう呼びかけておられるのです。わたしが十字架に死ぬことで、あなたたちの罪を赦す。これからは、わたしが与える赦しの中を生きなさいと。
レントは十字架に向かうイエス様の背中を見つめて歩む時です。今日の箇所でも、イエス様は先頭にいます。でもここでイエス様は振り向いて言われたのです。シモンに十字架を担がせてでも、語らねばならなかったのです。今、悔い改めて、わたしに従いなさいと。そのように救いへと招かれているのです。