説教「弱さを誇る逆説」 文 禎顥教師
コリント人への手紙II 12:5~11

導入)
皆さん、おはようございます。今日は弱さを誇る逆説というタイトルでお話いたします。普通自分の弱いところや弱点などは隠したいものでしょう。とくにスポーツなど競争の世界では、相手の弱さを突いてそこから攻めていき最終的には相手に勝つというのはごく常識的なことです。弱いところや弱点は失敗や敗北の入り口になりがちなため、できれば見せないようにするわけです。
したがって、弱さを誇るという今日の聖書の話は、競争で勝つことがすべてだと思う人たちにとっては非常識的な現実離れの話として無視されたり、あるいは一時的な心の慰めぐらいにしか評価されないかもしれません。
自分の弱さを誇るというのは、自分の弱さを強さとみなし、それを表に出すことも辞さないということですね。しかし、それは実際は弱いのにただ強い気持ちを表すだけのことに過ぎないように見えます。先ほど申し上げましたスポーツのような競争世界では、弱さを誇り表に出すことは自己破滅的なことで、あまりおすすめできないですね。
競争世界において弱さを誇ることは自己破滅的なことになるかもしれない、ということですが、キリスト教の信仰においては自己破滅の反対の意味をもつということになります。今日はこのことについて少しお話したいと思います。
 
展開)
★ライオンの前のガゼル
皆さん、弱肉強食の動物世界では実際は弱いのに強く見せかけようとする自己破滅的な特徴が遺伝子として生まれながら植え付けられている生き物が少なくないと言われています。動物における自己破滅的な遺伝子について語るのは、ジャレド・ダイアモンドという世界的な進化生物学者です。彼は『銃・病原菌・鉄』(2012)という本で有名ですが、別の著書『若い読者のための第三のチンパンジー』(2017)の中で、その例をいくつか挙げています。例えば ガゼル(Gazelle)という動物の自己破滅的な行動です。ガゼルは鹿(しか)のような格好をしていて、雄も雌も鋭くとがった角を持っています。体はシャープで四本足は細く、動きは俊敏で走りはとにかく速いようです。
アフリカのサバンナや草原に生息するガゼルですが、捕食者のライオンがこのガゼルに近づき、狙っているとしましょう。近くにライオンが狙っているにもかかわらず、ライオンの前でたまに何度もジャンプジャンプするガゼルがあるといいます。ジャンプの際、ガゼルは左の後ろ足で地面をトントンとたたくように空中に高々と飛び上がることを繰り返します。その際四本脚が地面からすべて離れ、頭は地面に向け、背中は丸くするような形になります。そのジャンプを「ストッティング」(Stotting)と呼びます。ストッティングという名前がついています。
ストッティングというジャンプは一種の信号だそうです。どんな信号かというと、狙われているガゼルが捕食者のライオンに送る信号です。ラブコールではないと思いますが、少し気になるでしょう。ライオンの前で高く飛び上がるジャンプの信号には次のような意味があると言われています。つまり、「おれは脚が速くて、ほかよりも優れたガゼルだぞ。こんな真似をした後でも、十分に逃げ切ることができるのだよ。(あんたは)おれを捕まえることは絶対にできない。捕まえようとしても無駄だよ。だから止めた方がいいよ」という意味の信号です。
草や木の葉っぱしか食べない草食のガゼルは、百獣の王ライオンの前では弱い存在です。ガゼルの速い足もライオンを攻めるためでなくライオンから逃げるために使います。ライオンが本気で追いかけると逃げ切れない可能性があるので、速い足もライオンの前では結局弱いものですね。
それゆえ、見た限りではストッティングと呼ばれるガゼルのジャンプは、逃げる時間や体力を無駄に費やしてしまう行為、ライオンに襲いかかる機会を与える自滅的な行動としか思えません。そのように見えます。実際に、ライオンにとって、ガゼルが送るジャンプの信号がごまかしや嘘として見られてしまえば、その信号は無視され、食われてしまう可能性もあります。
ところが、時間と体力というコストを費やし、危険も伴うガゼルのジャンプの信号が、ライオンに嘘や偽りのない本物の実力として伝わる時もあるそうです。そういうとき、ライオンはガゼルの信号をよく見て、その信号がガゼルの脚の速さと正直ぶりを示していると判断します。つまり、ライオンは、この目の前でジャンプしてするガゼルが嘘をついていないな、本当に足が速い奴かもしれないなと説得され、無駄にガゼルを追いかけることを諦めてしまうということです。
生物学者ジャレド・ダイアモンド氏によると、ガゼルがライオンの前でストッティングというジャンプを選ぶという「選択」行動は、遺伝子によって決定されたもの、遺伝的に組み込まれた特徴(進化の産物)だといいます。要するに自己破滅的なシステムが遺伝しているということですね。
弱いのに強いふりをする信号は、当の動物に危険をもたらし、不利を強いるのは当たり前ですが、逆説的に危険で不利な行為だからこそ、ライオンに不要で意味のない追跡を免れるようになるという側面もあります。もちろん、ガゼルのジャンプという自己破滅的行為は、ライオンに襲われ、殺されるという危険も伴う場合もありますが、結果としてガゼルは生きのび、一頭でも多くの子孫を残せるようになるのです。
このように自己破滅的行動とその行動がもたらすよい効果という逆説が動物の世界において広く見受けられており、それが進化生物学の基礎的原理になっていると言われています。(イスラエルの生物学者アモツ・ザハヴィの主張(1975年)

★自己破滅的行動=自己破滅的プログラム
自己破滅的行為が動物の世界において広く見受けられるというのは、動物の中にそのような自己破壊的な特質が遺伝的に受け継がれてきたことを意味するでしょう。実は人間にも同じような自己破滅的特質があると言われています。むしろ人間のほうがより破滅的で極端的だといいます。
たとえば、アルコール、タバコ、毒性薬物などを摂取する行為もそれに該当します。アルコールや、タバコや、毒性薬物などには人体に害を与える物質が含まれているでしょう。取り過ぎると致命的な場合もあります。
しかし、人間は危険だと知りながらも、何かによって駆り立てられて、それらに手を出してしまいます。様々な理由があると思いますが、生物学においては、毒性薬物に手を出す理由として、例えば異性に好かれることを目的で自分の遺伝的強さをアピールするという側面もあるということです。
毒性薬物だけでなく、暴走族、バンジージャンプ、入れ墨も同じような理由だそうです。自己破滅的なプログラムが、私たち人間の遺伝子の中にも組み込まれているということですね。
 
★小学生時代の頭突き
ここで話が変わります。皆さん、1960年代、70年代韓国出身のプロレスラー、大木金太郎(おおききんたろう)という人をご存じですか?大木金太郎氏は1929年( 2월 24일)韓国生まれで 、2006年(10월 26일)77歳の年で亡くなった人です。本名はキム・イルという名前です。
大木金太郎は、1959年に日本のプロレスラー力道山の助けで「日本プロレス」に入門し同年11月にプロレスデビューを果たし、力道山の弟子として活動します。1965年韓国に帰り、1995年引退します。1974年にはアントニオ猪木氏とも対戦した経験があるようですね。大木氏は石頭として知られ、そんな彼の決め技はヘッドバット、「頭突き」でした。
私は1971年韓国大邱市生まれで釜山で育ちましたが、小学生の時はテレビ中継で大木選手の戦いを何度も見たことがあります。韓国では彼はスーパースターで、決め技「頭突き」で勝ったときは全国で大歓声が沸き起こりました。当時小学校1~2年生だった私も大きな感銘を受けました。私だけでなく男子の小学生たちも知らない人がいないほどで、私が通っていた小学校では大木の頭突きが流行していました。頭突きが流行したというのは、クラスで二人の子供が向き合って額と額をぶつけて諦めるほうが負けでそれで勝敗を決める、そうしてクラスで一番強い石頭を選ぶということでした
私も参戦して勝ち抜いて頂点の近くまで行きました。しかし、ある日私より背が低く痩せて少し頭が大きい男の子と頭突きして負けてしまいました。それが悔しくて悔しくて堪らなかったですね。それで挽回するために、家に帰って練習をしました。韓国の家は、日本の家と違って一般的にコンクリートのブロックを積み重ねて造られていました。もちろん部屋の壁もそのブロックでセメントを塗って造ったものです。
家に帰ってどういうふうに練習したかというと、最初はコンクリートブロックの壁に自分の頭を少し軽く当ててみる、それから少しずつ強くぶつけながら、耐えるところまで頭突き練習をしたということです。約1~2週間ほど鍛えてから、以前クラスで私を頭突きで打ち負かしたあの石頭の友達にもう一回頭突きの挑戦をしました。2~3回思い切りぶつけていきました。でもまた負けてしまったんです。彼の頭はまるでコンクリートブロックのように感じられました。それ以降は頭突きはしなくなりましたね。小学生の頃頭がぼうっとしてあまり勉強ができなかったのはあの頃の頭突きの影響も少しあるかなと思います。
これも弱いのに強いところを見せつけようとする人間の中の自己破滅的システムから出てきた行為なのかどうかよく分かりませんが、そんな感じもしますね。
 
まとめ)聖書本文
皆さん、動物と同じように、人間の中にも組み込まれているとされる自己破滅的な特徴、自己破滅的なプログラムは、正しく教育さえすれば正しく方向付けさえすれば、様々な分野で成長と発展をもたらすこともあるでしょう。弱いにもかかわらず強く生きようとすることは、間違った方向に進むと自己破滅的な結果をもたらしかねませんが、正しく方向付けられると素晴らしい結果につながるでしょう。
キリスト教の信仰においては、人間の弱さがキリストの力と恵みによって導かれるようになると、その弱さをマイナスではなくプラスとみなし、強く生きることで素晴らしい結果を生み出すということはよく強調されてきました。今日の聖書本文に出てくるパウロの話がその典型的な例ですね。
今日の聖書本文は次のように要約できるでしょう。
第一、パウロの体のどこかには弱いところがあった。第二、その弱さには高ぶらないようにという信仰の意味がある。第三、なぜ高ぶるのがよくないかというと、キリストの力と恵みというのは、高ぶるところではなく、弱さを自覚しへりくだったところに宿るからである。第四、したがってパウロはキリストの力と恵みが宿る器としての自分の弱さを誇るという。第五、結局自分の弱さを誇るという信仰は、キリストの力と恵みを自分の人生に留める結果につながる。
こういうふうに今日の聖書箇所をまとめることができるでしょう。
パウロの弱さ、パウロが語る自分のとげというのは、体の弱い部分で、具体的には、①頭痛、耳痛や頭の通風という説もあれば、②顔の麻痺性障害という説もあります。どんな説が正確なのかはわかりませんが、パウロは自分の病が治るように神様に何度も真剣に祈りました。しかし治ることはなかったですね。一種の挫折を経験したわけです。しかしその挫折を通して彼は日常生活において不思議な霊的力と深い恵みを経験するようになり、それを通して自分の弱さにも意味があることに気づくのです。
不思議な霊的力と深い恵みを経験するということはどういうことでしょうか?それは、イエス様が私のために十字架で血を流し亡くなり、私に永遠の命を与えられたという聖書の教え、福音を深く悟り、味わうことができたことを意味します。イエス様の受難と十字架の死は、神の子イエスキリストが最大の侮辱を受け、最も弱くなられたことを意味するでしょう。イエス様のこの弱さに触れることによって、パウロは逆説的にイエス様の弱さこそが、自分に罪の赦しと永遠の命をもたらす強力な力と究極的な恵みであることを深く経験したのです。そしてパウロはそのようにイエス様の弱さをイエス様の力と恵みとして経験することによって、自分の中に植え付けられている自己破滅的な特徴、自己破滅的なシステムを、よりよい方向へ発展させます.つまり、弱いのに強い降りをするという自己破滅的な特徴、自己破滅的なシステムを、神様の福音のために用いて誰よりも勇敢に宣教活動に励んだということです。多くの人に福音をのべつたえ、宣教活動に取り組むなか、パウロは自分の弱さがイエス様の弱さを伝える道具になっていることに気づき、自分の弱さにも意味があると確信し、今日の聖書本文で自分の弱さを誇るという逆説について語っているのです。
競争世界においては弱さを表に出し、それを誇ることは自己破滅的な結果につながるかもしれません。それに対して、イエス様の弱さを強調するキリスト教においては、パウロのように自分の弱さを誇るというのは、私たちを永遠の破滅から導きだし、永遠の不幸から救い出したイエスキリストの力と恵みがいかに素晴らしいものかを物語る表現なのです。この1週間はイエス様の受難、イエス様の弱さを特別に思い起こす期間ですが、祈りの中で弱さを誇る信仰について考える機会を一緒に持ちたいと思います。
 
ご一緒に祈りましょう。
父なる神様、
今週はキリスト教の受難週間で、特にイエス様の受難と十字架の死について学び、信仰を深める期間となさしめてください。弱さを誇るパウロの信仰に学び、私たちもイエス様の弱さを通して自分の弱さにも意味があり、自分の弱さをいい方向へ生かすことができるように導いてください。イエスキリストの御名によってお祈りいたします。アーメン