イザヤ書53章9~10節、マルコによる福音書15章1~15節
説教 「人に裁かれるままに」 田口博之牧師

受難節、レント第5週の礼拝です。例年はレントの時期に七つの燭台にろうそくを立てて一本ずつ決す燭火礼拝をしています。第5週であれば、ろうそくの火がまた一つ消えて残り2本となるところです。レント第5聖日には、ポンテオ・ピラトによるイエス様の裁判の記事を読み、そしてろうそくの火を消す時にこう言っていました。「ポンテオ・ピラトに引き渡され、ピラトのもとで尋問されるイエス様の姿を思いつつ、このろうそくを消します。」と。

ポンテオ・ピラトのもとでのイエス様の苦しみについて、わたしたちはこの後で告白する使徒信条を通して知ります。「処女マリアより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と。先週もある方が、礼拝に出ていてポンテオ・ピラトにいう人が、どれほどひどい仕打ちをしたのかと思っていたけど、聖書を読むとそうではなかった。意外だったと話をされました。そう思われる方は少なくないと思います。

使徒信条は、紀元4世紀頃に成立した古ローマ信条が元となり、今の形になったのは8世紀頃と言われています。使徒信条は教派を問わずほとんどの教会の礼拝で唱えられています。キリスト教会が世にある限り、ピラトの名が忘れられることはありません。しかし、わたしたちはピラトを気の毒がっていたとしたら、何前年というキリスト教信仰を受け継いだことにはなりません。わたしたちが目にとめるべきは苦しみを受けられたイエス様です。

受難物語にあるピラトによる裁判、その前のマルコ14章53節以下にある最高法院での裁判もそうですが、聖書は裁き主である神が、罪ある人間の裁きを受けられたことを伝えています。わたしたちは不条理の問題に苦しみますが、ピラトはイエス様に罪がないことを知りながら死刑の判決をくだしました。これほどの不条理は他にはありません。

さきほど讃美歌313番を歌いました。マタイ受難曲やヨハネ受難曲で繰り返し歌われる受難のコラールです。愛するイエスが、いったい何をしてこれほどの裁きを受け、苦しまれたのか。それは私の罪のためではないか、という切なる嘆きと悔いる思いがこの讃美歌の歌詞に込められています。問題はピラトだけでなく、ピラトを見ているとわたしたちの罪の姿が重なります。

次週受難週の火曜日には、名古屋教会幼稚園のおひさま・マンション問題の裁判の判決が出ます。この問題の経緯をまとめたものが、おひさまのフェイスブックページにリンクされていましたので、少し編集して受付においておきました。まだ取られていない方は、礼拝が済んでから取っていただき思いを寄せてください。いったい何に問題があって、なぜ裁判をするに至ったのか。よくまとめられています。ぜひ手に取って読んでみてくださればと思います。

仮処分の後に本訴を提起し、これまで11回の口頭弁論が行われました。わたしも生まれて初めて裁判の証言台に立つという経験をしました。この裁判は特殊な裁判だったと思い返しています。わたしは「おひさま」という言葉は最初からあまり使いませんでした。日照権の侵害を訴えるだけの裁判ではないからです。多岐に及ぶ被害を受けました。このようなことを良しとする開発者のモラルを問うて、経済優先主義により小さき者が犠牲となる、それを当たり前のように黙って見ていてよいのですか。これを社会にそして司法に問う、そういう裁判でなかったかと。

訴えたいことがたくさんあるだけに、証言台に立つのも被告、訴えられた側ではなく、原告であるわたしたちの方が圧倒的に多かったのです。100を超えるたくさんの証拠を書面で提出しました。先方から出てきた反対書面は僅かであり、同じことの繰り返しでした。小さき者を脅かしながら、法に守られている力ある者の傲慢さをも感じました。

同時にそこに、この裁判の難しさがあると思いました。裁判官は法の下に裁くからです。ここが法に違反していることが明らかにならなければ、裁くことはできません。これが違法だとすれば、業者だけでなく建築許可を出した名古屋市も間違ったことをしたということになります。幼稚園など教育施設の隣に中高層建築物を建ててはいけないという法律や条例があれば話は違いますがそれはなかった。ですから条例を作ろうという運動も並行していますが、「これまでの経緯」も運動が中心に記されています。こちらのほうが裁判よりも体力を要することでした。

わたしたちが経験した裁判も、ピラトの裁判も最高法院での裁判も、この世の裁判ですから限界があります。しかもイエス様が受けられた裁判は法に基づいたものではありませんでした。その結果、真に裁くべきお方が裁かれてしまったのです。

イエス様は被告人として裁判官であるピラトの前に立っています。弁護人もいませんし、イエス様を援護する証人もいません。弟子たちは皆、身の危険を感じて散ってしまったからです。最高法院での裁判の場合、裁判官は大祭司でした。訴えたのは祭司長、長老、律法学者たち、すなわち最高法院です。それで正しい裁きが出来る筈がありません。イエスの罪を何人かの者が証言しましたが、その証言は食い違っていたと14章56節、または59節に書かれてあります。ところがイエスは何も答えられません。唯一、大祭司が「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と問われたとき、イエスは「そうです」と答えました。すると、裁判官たる大祭司は常軌を逸した振る舞いをして「一同は、死刑にすべきだ」と決議したのです。

しかし、それで死刑執行できたのではありません。最高法院と言いながらも、最高裁のような決定権はなかったのです。当時のユダヤはローマの支配下にありましたから、ユダヤ人が勝手に犯罪者を死刑にすることはできません。そんなことをすれば、ローマの権力を侵害することになるからです。しかしそれは、ユダヤ人にとって面白くないことでした。皆さんも経験があるでしょうが、誰かの許可を得ないと何もできない。お伺いを立てねばならないというのは、とても窮屈なことなのです。イエス様を死刑にする権限がなかったユダヤの最高法院は、ローマの裁判で裁いてもらうしかなかったのです。しかし、その結果、ユダヤにはなかった十字架にイエス様は引き渡されることになりました。

ここでピラトはイエスに「お前がユダヤ人の王なのか」と問うています。そのように尋ねたということは、最高法院全体は、この者がユダヤ人の王と自称しローマに対して政治的な反逆心を持っていると訴えたということです。するとイエス様は、「それは、あなたが言っていることです」と答えました。わかりにくい言葉ですが、否定していないことは明らかです。そこで祭司長たちが「いろいろと、イエスを訴えた」とあります。「いろいろと」とはまさにいろいろであって、筋が通っていなかったのでしょう。ここでもイエス様は何の弁明もされていません。この後は十字架の上に至るまで、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と言うまで、沈黙を守られるのです。イザヤ書53章の苦難の僕のごとく「彼は口を開かなかった」のです。

ピラトは、イエスが何も答えないので不思議に思いつつ、何の罪も見いだすことができませんでした。ピラトは「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたから」です。裁判官である限り、罪のない人間を裁くことはできません。何とかして助けたいと思い、祭りの度に行っていた恩赦を利用しようとしました。ところがそこに押しかけてきた群衆は、イエスではなく人殺しとして投獄されていたバラバを釈放してほしいと訴え出るのです。ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言うと、群衆は「十字架につけよ」と繰り返し叫び立てました。

このときの裁判がわたしたちの知りうる裁判と異なるのは、これが公開裁判だったということです。ユダヤの最高法院は大祭司の屋敷の中で行われていたようですが、ピラトの裁判はおそらくは屋外です。群衆も押し寄せることができたからです。名古屋の裁判所の場合、裁判が始まった頃から、空港と同じく手荷物検査、保安検査を受けなければ入場できなくなりました。もし傍聴人が裁判中に声を出せば、裁判官は「静粛に」と注意を促すでしょうが、ここでピラトは群衆が叫ぶに任せています。きわめつけは、判決の理由です。「ピラトは群衆を満足させようと思って」と書かれてあります。群衆を黙らせるどころか、こともあろうに「十字架につけよ」と叫び立てる群衆を満足させるためにイエス様を裁いたのです。

ピラトは確かに極悪非道の人物ではありませんでした。頭の切れるエリート官僚です。しかし、ピラトは誤った裁きをしました。ピラトが群衆を満足させようとしたのは、ここで暴動を避けたかったからです。こんなことで自身の評判を落としたくなかったからです。正しく裁くことができたのにしなかった罪は重く、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言われることに弁解の余地はありません。

マンション問題の裁判の判決がわたしたちにとって厳しいものであることは予測できます。仮処分の決定もそうでした。主文「1.本件申立てをいずれも却下する。2.申立費用は債権者らの負担とする。」4回の審尋の間、裁判官はわたしたちの意見をよく聞いてくれていただけにショックは大きかったです。その中で弁護士の先生方は、やがて仮処分決定を評価する文書を出してくださいました。

そこを引用します。≪裁判所は、園児にとって「園庭において日照などの適切な環境を享受する利益は、その心身の健全な発育へとつながる重要なものとして、法的保護に値する」としました。また、園庭の日照について「園庭に日照を受ける園児の利益は、十分に保護されるべき性質のもの」と認めています。その上で、受忍限度の判断要素の一つとして、これまでになかった項目として新たに「日照に関する利益保護の程度」を加え、本件の日照は「十分に保護されるべき」と強調しています。この点において、子どもの日照権をめぐる裁判において、新たな一頁を加えたものと高く評価することができます≫そういうものでした。

今回、裁判所から和解の提案、すなわち教会が損害賠償を申し入れした牧師館解体費の半額程度を被告に払わせるという和解案の提示がありました。しかし、わたしたちは先方より先に和解ではなく、判決を求める上申書を出しました。中途半端な和解では、もう1ページ開くことができないからです。

11月証人尋問の日、わたしは証言台に立つ幼稚園のお母さんや先生がたが被告弁護人から尋問に堂々と受け答えされている姿を見ながら、質問しているあなたはこれをどう考えているのか、逆に問い返しているように思いました。それだけよく準備が出来ていました。わたしも被告側の弁護人から二つほど尋問を受けましたが、もっと問うて欲しいと思いました。そう思って弁護人の顔を見ると、「もう一つ、聞こうと思ったけど忘れた」と席に戻り、拍子抜けしました。裁判官からも聞いて欲しいと思いました。

イエス様はピラトから「お前がユダヤ人の王なのか」と問われたとき、「それは、あなたが言っていることです」と答えました。不思議な答えですが、わたしは、イエス様はここで、ピラトに問い返したのではないかと思えるのです。「あなたは、わたしをどのような王として見ているのか」、「王であるわたしをどのように裁こうとしているのか」と。ヨハネの並行記事では、ピラトはここで「真理とは何か」とイエス様に問うています。

どうしても幼稚園の裁判の話に戻ってしまうのですが、和解ではなく判決を選んだと決めたことを聞いたとき、裁判官に「あなたはこれをどのように裁くつもりなのか」、この問題をよく見つめて判決文をきっちり書くようにと返した、そんなとらえかたをしました。目に前にある法は建築基準法だとしても、憲法に保障されている人権を基準に考えれば違う答えが出るだろう。子どもの権利条約という国際基準から判断することは考えられないのか。わたしたちの訴えに、司法はどう答えてくれるのですか。

裁判に向かうまでにも色んな思いがありました。お母さんたちの中にも、また教会にも何も裁判までしなくてもと思われた方もおられるでしょう。でも、わたしたちは狭くて厳しい道を選びました。それはわたしたちのために苦しみを受けられた十字架の主に従う道であり、「自分の十字架を負う」道でなかったかと思います。そしてその道には十字架の主がいつも共にいてくださいました。わたしたちに先立って歩み、後ろに回って背中を押し、疲れた時には背負ってくださいました。

イエス様の送別説教の最後の言葉は、「わたしは世に勝っている」でした。そして人間の裁きに身をゆだね十字架に引き渡されましたが、それは神が備えられた道でした。

どんな判決であったとしても、人間の裁きに完全なものはないと思えば落ち込むことはありません。イエス様ですら裁かれたのです。でもそれで終わりでなく、三日目に復活されました。死がゴールではありません。だから恐れることなく歩むことができるのです。神の国はわたしたちの努力によって造り出せるものではなく、神が憐みをもって成してくださるのです。「御国を来たらせたまえ、御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」神の御業を待ち望むのがわたしたちの信仰です。