創世記2章2~3節、   ルカによる福音書14章1~6節
「安息日の主」田口博之牧師

神は第六の日に天地万物を創造し、七日目に休まれたと創世記の創造物語は告げています。現実にわたしたちは、1週間7日のサイクルで生きています。わたしは小学校に入ってからこの暦を自覚しました。月曜日に学校が始まり、六日目の土曜日、当時は半日で下校して日曜日になれば学校は休み。そして月曜日になるとまた学校に行く。はじめて聖書を読んだとき、神様は第七の日に安息なさったこと、その日が安息日として休日になったという聖書の記述はなるほどと受けとめることができました。また、週末といえば土日のことだと考えていました。

ところが、これも教会に通い始めてのことですが、聖書の安息日は土曜日だということと、日曜日が週の初めの日であることを知りました。婦人たちがイエス・キリストの遺体を納めた墓に行ったのが、安息日が明けた「週の初めの日」であったことを福音書の記者たちは記しています。しかし墓の中は空でした。天使は「あの方は、ここにはおられない、復活なさったのだ」と告げたのです。このことを記念して、キリスト教会は、イエス・キリストが復活された日曜日に礼拝するようになりました。

ところで、1週間を7日という暦ですけれども、いつ誰が決めたのでしょうか。天地創造の物語を知っているわたしたちは、聖書に書いてあるとおりだと受け止めているかもしれませんが、実際はどうなのか。インターネットの検索ですけれども、週を7日と定めたのは古代バビロニアで、これがユダヤ教に広まり、古代ローマで採用されたことが一般的な説のようです。バビロニアは天文学が盛んで、当時知られていた惑星の数と太陽によって定めたというのです。これは、わたしたちの曜日の数え方からしても、わからない話ではありません。

聖書の言葉をすべて字句通り受けとめる信仰に立てば歓迎されないことですが、創世記第1章から2章3節までの天地創造物語は、バビロン捕囚期に書かれたというのが通説となっています。わたし自身がそうなのですが、聖書は科学の書ではないので、実際に七日間で天地が創造されたという理解しているわけではないのです。そうすると、すでに週を七日としていたバビロニアの暦が存在していて、そこで捕囚されたユダヤ人、創世記の記者たちが、天地創造の七日間を当てはめたと考えることはできないでしょうか。神が造られたこの世界は、七日間を一週間とするサイクルで歴史を重ねてきました。フランス革命後に一週間を10日とする暦が採用された時期があったようですが、長くは続かなかったのです。

やがて、ローマがキリスト教を国教としてから、つまり4世紀に入ってから、キリストが復活した日曜日が休日に定めらました。ですから起元1世紀の新約聖書の時代では、日曜日に礼拝をしていた記述がありますが、仕事が休日ではなかったのです。

中世ヨーロッパについては勉強不足なのですが、ミサを守るのは主には修道士だったようです。一般の人が日曜日に教会に行くということはほとんどなかった。事実、信者が日曜日に教会に集って礼拝するようになったのはプロテスタント教会、宗教改革によります。ルターやカルヴァンら改革者たちが、休みの日である日曜日に教会で礼拝するという信仰教育をしたのです。改革派教会のカテキズムの中にウエストミンスター小教理問答があり、そこにキリスト教安息日という言葉が出てきます。安息日そのものは、聖書に従えば土曜日です。日曜日が安息日に変わったということはありませんが、教会は、安息日はどういう日であるかを聖書によって受けとめなおしたのです。

西洋では休日は土曜日でなく、日曜日になっていましたので、安息日の精神をスライドさせたのです。六日間で天地を創造された神が、七日目に仕事を離れて安息されました。神はこの日を祝福し、聖別されたのです。神に造られた私たちにとって、真の安息はただ体を休めることではありません。神が祝福され聖別された神の御業を仰ぐ日とする。十戒の第四の戒めは、「安息日を心に留め、これを聖別せよ」です。わたしたちは日曜日の礼拝を聖日礼拝と呼んでいます。今日は神を聖別する日、わたしたち自身のからだを神に明け渡す日とするのです。

ウエストミンスター小教理問答は、「安息日は、どのように聖別すべきですか」という問いに対して「安息日は、次のようにして聖別すべきです。その日は終日きよく休むこと。他の日なら正当な世俗の職や娯楽さえもやめること。すべての時間を公私の神礼拝を守るのに費やすこと。ただし、必要やむを得ない業とあわれみの業にとられる時間は別です」と答えています。

福音書を読むと、安息日での出来事がたくさん出てきます。今年初めの礼拝の聖書箇所は、ルカによる福音書13章10節以下でした。イエス様が安息日の会堂で、18年間も病の霊に取りつかれ、腰が曲がったままであった女性をいやすという物語に聴きました。このとき会堂長は、イエス様が安息日に病人をいやされたことに腹を立てました。それは「主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」という律法に背くものであると判断したからです。働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない」。と言われたとき、「偽善者たちよ」と語気を強め、安息日の精神を回復するために戦われたのです。

今日のルカによる福音書14章1節以下もそうです。安息日、ファリサイ派のある議員の家が舞台でした。ここで人々はイエス様の様子をうかがっています。なぜなら、イエス様の前に、水腫を患っている人がいたからです。水腫という病気は、ひどいむくみを伴う病気で、特に腹部が膨張するのです。ユダヤ人たちは、この病気は罪の結果だと捕らえていました。そういう人がファリサイ派の議員の家にいるということ自体が不自然です。なぜそこにいたのか。おそらくは、イエス様をよく思わない人々が、イエス様を陥れるために、この人をわざとイエス様の前に連れてきたと考えることができます。そうだとすれば、人々はこの水腫の人自身については、何の関心もなかったことになります。そこにも大きな闇があります。

イエス様はそんな彼らの企みを見抜かれていました。人々の悪意ある攻撃に対して、「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」とイエスご自身から問いかけられたのです。すると「彼らは黙っていた」と書かれてあります。答えることができなかったのです。イエス様が水腫の人をいやされた後に「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」と問われたときにも、「彼らは、これに対して答えることができなかった」のです。

なぜ彼らは答えることができなかったのか。きっと彼らも矛盾を抱えていたからではないでしょうか。十戒では、出エジプト記20章10節ですけれども、「七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない」とあります。しかしそれに続いて「あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの間の町の門の中に寄留する人々も同様である」とあります。自分が休む代わりに自分より下の弱い者を働かせるということはなく、弱い者も休ませるために定められていました。そのようにして、家畜にいたるまですべての者が、仕事から離れることで天地創造の神のみ業を喜び憩うことでまことの安息にあずかるのです。そこに安息日の精神があります。ところが、律法学者やファリサイ派の人々は、安息日にしてはいけない「仕事」に当たるのは何か、そういうことばかり考え、議論していたのです。

安息日には、その掟に従って、医者が医療行為をすることはありませんでした。休むことは大事です。ところが、イエス様はなさったのです。病人を治すことを医療行為という仕事だととらえれば、律法に違反したということになります。ではだからといって、目の前で助けを求める人がいるのに、それは安息日に仕事をしてはいけないから助けてはいけないのか。そんな話になってきます。助けられるのに見過ごしたことによって、「殺してはならない」という律法に背くことにもなりかねません。

ですから、命に関わる緊急な医療行為であれば、これは除外するなどの細かな規定が定められていったのです。そういうことが聖書に記された成文化された律法ではなく、言い伝えの律法と呼ばれるものです。13章にある18年間腰の曲がった女性の場合は、ここでいやさなくても死ぬわけではなかった。でも癒したからイエス様はとがめられたのです。水腫を患っている人も、命に関わることではなかったかもしれません。でも、イエス様からすれば、安息日だから病気を治してはならないということは、本来の安息日の精神からしてありえないことでした。そして、律法の専門家たちやファリサイ派の人々も、これに答えることはできなかったのです。彼らの中に矛盾が生じていたからです。

「すると、イエス様は病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった」とあります。たった1行で書かれてあることですが、ここには三つ動詞が重ねられています。一つ、病人の「手を取る」、その人を受け入れ助けようとする行為です。わたしたちもできることであるはずです。二つ目「病気をいやす」。これは誰もができることではありません。安息日でなくても、医者もいやせなかった人をいやされました。神との結びつきがなければできないことですが、イエス様はその人の手を取るところから始められました。三つ目は「お帰しになる」。これは自由を与える、解放するという意味の言葉です。この人は水腫という病気から解放されました。このとき、ファリサイ派の議員の家にいましたが、ここにいたままでは自由になりません。イエス様はこの人を、家族のもとへ、共に生きる仲間のもとへと帰されたのです。イエス様の配慮を見て取ることができます。

そのうえで「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか」と問われるのです。自分の息子と牛とを並べられるのもイエス様らしいと思います。自分の息子だったら助けるけれども、家畜だったら助けなくていでいいのか。彼らは思いめぐらしたでしょう。主導権は完全にイエス様のもとにあります。この安息日論争は、イエス様の勝利で終わりました。イエス様は終始、そのような戦いを続けられました。無益な戦いは一つもありません。そのような戦いを繰り返すことで、イエス様はユダヤ教指導者たちのねたみと恨みを膨らませていきます。エルサレムへの旅を象徴しています。しかし、そのような戦いを続けることで、まことの律法の精神を回復しようとしたのです。

律法の本来の目的は、人を縛ることではありません。ファリサイ派的な律法主義ではなく、人を神の御前に自由な存在として生きることができるようにするために律法はあるのです。聖書の順序に即していえば、人間が最初に与えられた律法は、園の中央にある善悪の知識の木の実だけは食べてはならないというものでした。何でも口に入れてしまう子どもに対して、親はこれは口に入れてはだめと教えます。それはまさに食べてはいけないものだからです。子どもを生かすためにそう教えるのです。

パウロはガラテヤの信徒への手紙3章24、25節で、「こうして律法はキリストへ導く養育係となったのです。」「もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません」と語っています。ですからわたしたちは、土曜日を安息日とする律法の下には生きる必要がないのです。けれども、安息日を聖とする律法は、神の御前に自由に生きる者としてたいせつなことを教えています。そのことを示すために、イエス様は病気の人をいやされたのです。教会はそのこころを引き継ぐべく、主が復活された週の初めの日曜日を聖別します。讃美歌で歌われたように「今日は光が造られた日」なのです。光が造られたのは第一の日です。その日を「今日は聖なる安息の日」とするのです。

わたしたちは今朝、その聖なる安息の日に招かれています。今はコロナの問題で、御前に集まることが難しくなっています。加えて今朝は雪の心配もありました。それでも安息日の主は、妨げを取り除いて集めてくださいました。イエス様が水腫の人の手を取られたように、ご自身のもとに招いてくださるのです。御言葉により、疲れているわたしたちの心を癒してくださいます。事情により礼拝に集うことができなかった方にも、御言葉を届ける手立てが与えられています。そして、礼拝が終わると、わたしたちはそれぞれの持ち場へと帰っていきます。わたしたちは礼拝を起点として、新しい一週間の歩みを始めていくのです。