2024.2.11 ルカによる福音書23:1-12
「神の子の沈黙」

2月11日は暦の上では「建国記念の日」という休日ですが、日本基督教団に限らず多くのキリスト教会が「信教の自由を守る日」としています。これは、建国記念の日の制定に対する反対から起こりました。そのあたりの経緯は、午後に行われる「信教の自由を守る祈祷会」で、奥村隆平長老がお話くださると思います。

信教の自由を守るために欠かせないものに、政教分離の原則があります。国家が一つの宗教を強要してはならないというものです。この原則に基づけば、当然すべての人の信仰の自由は守られねばなりません。

裁判もまた、政教分離の原則に即して行われます。あまりいい例ではありませんが、ある牧師が教会の牧師を辞任することになったとします。でも牧師は、その決定が気に入らない。手続き的にも問題があった。その場合に、裁判所に訴えたとしたらどうなるでしょうか。そんなことをする牧師はいないだろうと思うでしょう。訴えたとしても、裁判所が取り合う筈がないと考えると思います。これが教会ではなく、一会社であればどうでしょう。納得がいかない、不当だと訴え出たら、当たり前のように裁判として争われるでしょう。

では、その違いは何なのかといえば、政教分離の原則があるからです。国は企業のもめ事にはタッチしても、宗教に関わるもめ事にはタッチしないのです。しかし、知恵の働く牧師であれば、教会を辞めることで働けなくなったというだけでなく、牧師館にも住むことができなくなった。これは宗教の問題ではなく、生存権が侵されていると訴えれば、裁判所も門前払いとはいかなくなる場合が出てきます。その場合、牧師も牧師館に居すわろうとするでしょうから、教会も徹底的に闘う。そうなると、証しどころではなく泥沼です。

その意味で、文科省が旧統一協会の解散命令請求を裁判所に出したのは、異例といえば異例なのです。反社会的なことを継続的にし信者を騙し家族を苦しめてきた。それでたくさんの人が苦しんできたのですから、わたしとしては、きっちり裁いて欲しいと思っています。しかしながら、国家が宗教法人の解散請求を求めたに関して、政教分離の原則に違反し、信教の自由を脅かしていると考える人たちもいるのです。その危惧は分からないわけでもありません。

わたしたちは今、イエス様の裁判の場面を読んでいます。ユダヤの最高法院は、イエス様を有罪とみなしました。これはあくまでも宗教的な事柄でしかありません。最高法院なのですから、政治的なことを扱えないことはないはずですが、当時はローマ帝国ユダヤを支配していたので、最高法院では政治的なことは扱うことができなかったのです。最高法院としては、自分たちの権威を脅かすイエスを生かしておきたくなかったけれども、死刑のような刑事罰を与えるといった権限はなかったのです。

ではどうしたか。23章1節「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った」。ローマ総督であるピラトにイエスを死刑にしてもらおうとしたのです。全会衆とは民を代表する最高法院全員ということでしょうが、彼らは三つの訴えをしました。一、「この男はわが民族を惑わし」、二「皇帝に税を納めるのを禁じ」、三「また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と。彼らはイエス様を政治犯に仕立てることで、ピラトに極刑を下してもらおうとしたのです。

しかし、どれも濡れ衣だと分かります。わたしたちはルカによる福音書をずっと読んできましたが、イスラエル民族を惑わすようなことがあったでしょうか。いつ皇帝に税を納めることを禁じたのでしょうか。イエス様は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と言われたのであって、皇帝へ税を納めることを禁じてはいません。「メシア」なのかという問いに対しても、そうだとは答えていないのです。しかも彼らはここで「王たるメシア」と言うことで、皇帝の権威を脅かそうとする危険人物だと訴え出ているのです。

この訴えに対して、ピラトが「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と答えました。最高法院の時のようなどっちつかずの答えですけれども、この答えを聞いたピラトは、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言いました。興味深いのが、最高法院で同様の問いが出されたときにも、イエス様は同じ答えをしたということです。ところが、同じ答えでも、最高法院とピラトの受け取り方は違ったのです。ピラトは、イエスは問いを否定したと受け止め、何の罪も見いだせないと結論を出したのです。

しかし、彼らは納得できません。「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張ったのです。するとピラトは、「ガリラヤ」という言葉に反応しました。ガリラヤを治めているのは、ガリラヤ領主のヘロデなので、イエスの裁きはヘロデに任せればいいと思ったのです。しかも都合よく、過越祭だったからでしょうか、ヘロデがガリラヤからエルサレムに来ていたことをピラトは知っていたのです。何と好都合なことかと思い、ピラトはイエス様の身をヘロデのもとに送ったのです。

ヘロデもまたこれを喜びました。8節に「彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである」とあります。この記述には背景があります。ルカによる福音書の9章7節以下に、ヘロデのことが出てきます。ガリラヤ領主であったヘロデは、イエス様の評判を聞いていました。イエスが何者かについて、人々が何と言っていたかといえば、「洗礼者ヨハネだ、エリヤだ、昔の預言者が生き返ったのだ」という、ほぼ三通りでした。ところが、ヘロデはかつてヨハネの首を跳ねていたのです。気になって仕方がありません。ヘロデはイエス様について、「いったい何者だろう。こんなうわさの主は」と、ずっと会いたいと思っていました。すると、思いがけないことにエルサレムで会うことができたのです。

ヨハネの首を跳ねたようなヘロデは、恐れを知らない人でした。評判のイエスに会いたい、どれほどの力があるのか見てみたいと望んでいました。かつて某マジシャンが、体を縛られても炎の中から大脱出するなどし、随分と話題になっていました。秋にさふらん生活園の何人かとサーカスを見に行きました。メンバーと出かけることの楽しみと共に、数十年ぶりにサーカスを見られるという楽しみもありました。見てどうだったか。すごいなと思う演技もありましたが、全体的には残念、今一つというのが正直な感想でした。

この時のヘロデもそうだったかもしれないと思うのです。今一つというより、全く面白くなかった。なんのしるしも見せないし、何も言わないのです。楽しみにしていたのに、期待外れも甚だしい。ヘロデの期待は裏切られたのです。いや、あるいはそればかりではなかったのかもしれない。ヘロデはイエスの力を利用したい、取り込みたいと思ったのではないでしょうか。ペトロは自分の力で何でも支配できると思っていたのです。だとすれば、まことに恐ろしいことです。

ヘロデにとって、何も答えないイエスは、ヨハネのように殺す価値も見いだせなかったのではないでしょうか。結局は、「自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した」のです。これはユダヤ人の王ですよ、ピラトさま後はお好きにしてくださいと言わんばかりに。12節「この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである」という言葉で、この段落は結ばれています。

水曜日の夜の聖研祈祷会で、この箇所を前もって読みました。最後にわたしは、「この二人が、なぜ仲良くなったのか。ここだけはよく分からないので、調べておくことにする」そう言いました。実際には調べきれませんでした。注解書はその部分を気にしてないようです。

でも、わたしは気になりました。黙想しているうちに、こういうことかもしれないと思うことがありました。まず考えうることは、敵対していた二人だったけれども、互いを尊重したということです。互いに相手を立てて、裁く権威を委ねたのです。ピラトとしては、面倒な裁判に巻き込まれたくない。下手に裁いて民衆が騒ぎ出せば、その責任を問われることになりかねない、そういうことでしかなかったかもしれません。ピラトは、ユダヤ総督という地位を与えられていましたが、ローマから見ればユダヤは片田舎です。次の異動でもう一つ上を目指したいという思いがあったかもしれません。とにかく余計なことで揉め事が起こるとやっかいなことになるので、それは避けたかった。ヘロデが裁いてくれるなら好都合でしかなかったけれど、送り返されたのですから、喜ぶ理由はないのです。

それでも、ヘロデが送り返してきたということは、ヘロデがピラトを立てたことには違いないのです。ヘロデもまた、イエスが送られてきたことで、ピラトが自分に一目を置いている。それは勘違いではあるのですが、気分がよかったのではないでしょうか。たとえば、自分より上の地位の人に相談される。上ではなかったとしても相談されたら、ああ自分は頼られているんだなと思う。それだけで、いい気分になるということはないでしょうか。しかも、ヘロデは勝手には裁かずに送り返したのです。もし、勝手に裁いてしまったら、ヘロデにとってあとあとよいことにはならない。ピラトとしても、何でヘロデに勝手に裁かせたのかという報告が人事に入れば、マイナスの評価となる。ヘロデさん、よく送り返してくれた、そんな思いになったのではないか。そのようなことを思い巡らしました。

このようにして、イエス様は再びピラトのもとに再び引き渡されました。「人の子とは異邦人に引き渡される」という受難予告のとおりに進んでいきました。気づかされることは、イエス様が十字架につけられるまで、何の言葉も発しなくなるということです。3節で「ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった」。これを最後に、イエス様は沈黙を守り続けます。ヘロデから、いろいろと尋問されますが、「イエスは何もお答えにならなかった」のです。答えても意味がないので、何も語らなかったということでしょうか。

本来であれば、裁かれる人間は弁明すべきなのです。使徒言行録でも、ペトロやパウロの裁判が何度か出てきますが、二人とも実に多くの弁明をしています。黙っていれば、罪を認めてしまうことになるので、弁明して当然です。しかし、イエス様は黙されました。答えることを求めたヘロデの問いに答えなかったことで、ヘロデの支配から自由になった。そのように考えても、よいのではないでしょうか。

先週の説教で、この世に理不尽と思えることは多いけど、裁き主が罪ある人間の手にかかって死なれるほどの不条理はないのではないか。そんな話をしました。不条理なことがあれば、誰もがなぜと叫ばずにはおれない。でも、残念ながら、満足の行く答えは帰ってこない。神は沈黙されている。わたしたちは、そこでいら立ったり、信仰を疑ったりすることがあります。なぜ、黙っておられるのか。何も言って下さらないのかと。遠藤周作の『沈黙』は、この問題にテーマを当てたものです。

わたしは今日の説教を、説教題がそうであるように「神の子の沈黙」をテーマに語ろうと思っていました。しかし、そのテーマについて考える中で、底なし沼にはまっていくような苦しさを感じました。あまりにも深く、答えは簡単に見つからないと思いました。ですので、結論のようなことは語れません。会議だと継続審議というものがありますが、このテーマについては改めて時間を持ちたいと考えています。

でもそれで今日の説教を終わるわけにはいかないでしょう。黙想する中で考えされた二つのことを暫定的結論とまでは言えませんが、手掛かりとなる二つのことがあると思いました。その一つは、神の子であるイエス様が沈黙されたということは、すなわち神が沈黙されたということです。わたしたちが、神に尋ねても答えが聞こえてこないけれども、神がここでも沈黙された。もしかするとヘロデがそうであったように、答えたところで信仰に結びつかない問いに対しては、神はすぐに答えられないのではないか。すぐと言ったのは、イエス様はこの後、十字架の上で言葉を発せられているからです。

もう一つは、今の話とも関わりますが、神の沈黙について考えようと思えば、わたしたちもしゃべり過ぎないことが必要なのではないか。沈思黙考という言葉があります。黙ってじっくりと、深く考える。その上で、神にどうなのですかと尋ねてみる。いや心を空にして沈黙する中で、神の言葉を聞く。「主よ、お話しください。僕は聞いております」と言ったサムエルのように。礼拝の時間に持つ、会衆の祈りも、そういう時間とすることで、御言葉を聞く備えとすることも必要ではないでしょうか。

最後にイザヤ書53章の主の僕の歌より、罪人を救うために沈黙の中で屠り場に引かれて死なれたさまを歌う、イザヤ書53章の7-8節をお読みします。

苦役を課せられて、かがみ込み 彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように 毛を刈る者の前に物を言わない羊のよう
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
命ある者の地から断たれたことを。