聖書:イザヤ書49章11~13節 マタイによる福音書2章1~12節
説教:「もうひとつのクリスマス」
毎年クリスマス礼拝の翌週は1年の最後の礼拝となります。12月にしては暖かな日が続くと思っていたのですが寒い朝となりました。雪の心配もありますが、こうして皆さんと主のご降誕を賛美することができることを感謝しています。
2021年が皆さんにとって、どのような年だったでしょうか。今年愛する人を天に送られた方もいます。思いもかけぬ病気になった方もいます。クリスマスの最中に思いがけずに怪我をしてしまった牧師もいます。東京オリンピックからまだ半年も過ぎていませんが、ずっと前に行われたような気がします。コロナも8割近い人がワクチンを接種し、ウィズコロナの様相を強くする1年でした。それでも、デルタ株の感染が激しかった時も、名古屋教会としては礼拝を閉じるのは、感染者が出て保健所から指導があった時か、幼稚園、学童に感染者が出て閉鎖されている時としていましたので、そういう事態にならなかったこと、主の守りを感謝しています。
さて、クリスマス礼拝は先週でしたが、今朝はマタイによる福音書に記された、東方の学者たちの来訪のところをテキストとしました。クリスマスのメインテキストの一つです。メシア誕生の知らせは、イエス様が生まれたベツレヘムの人々に広がったのではなく、不思議な星の導きにより東方の占星術の学者たちに知らされました。
「占星術の学者」とは、原語ではマゴス、複数形がマギとなり、マジシャンを連想させる言葉になっています。ところが口語訳聖書や新しい共同訳聖書では、「博士」と訳されていました。マゴスは占星術、魔術、夢解釈により、人の運命や世の動きについて神意を伝える祭司的な働きをしていたと考えられています。この時代、天文学と占星術の区別は明確ではなく、それで学者と呼ばれているのです。肯定的にも、否定的にも解釈できそうな身分の人たちですが、彼らはユダヤ人から見れば異邦人です。占いに頼っているのであり、神を信じているわけではありません。マタイは救われるはずのない人達が、イエス様を最初に礼拝したことを伝えているのです。
しかも、このテキストにおいて、彼らだけが喜びに溢れています。エルサレムにいる人は、王をはじめ、祭司長も、律法学者たちも皆が恐れに支配されています。この違いは何なのでしょう。占星術の学者たちは、ユダヤ人の王たるメシアがどこで生まれたのか知りませんでした。彼らは星を頼りにエルサレムまでは行けましたが、そこまでが限界でした。メシアがどこに生まれるのか、その答えを導いくのは聖書です。ヘロデもそのことはわかっていたので、聖書の知識に長けている祭司長や律法学者たちを集めて「メシアはどこで生まれることになっているのかと問いただします。ヘロデ王に尋ねられると、彼らはたちどころにミカ書を示して、メシアがユダの地、ベツレヘムで生まれることになっていることを告げました。
ここでの問題は、彼らは自分たちが待ち望んでいたメシアが誕生したかもしれないと知ったにもかかわらず、異邦人に任しておくわけにはいかないとは考えなかったのです。彼らはヘロデに伝えるだけで、自分たちは立ち上がろうとしませんでした。ヘロデに正直に伝えると何が起こるのか。16節以下に書かれてあるように、ベツレヘムとその周辺にいる幼子が殺されるかもしれない。そんな想像もできたはずなのに、自分の身を守るためにヘロデに答えて終わったのです。
ヘロデは、占星術の学者たちに星の現れた時期を確かめた上で、ベツレヘムへと送り出します。学者たちに見つかったら知らせてくれと命じたのは、拝むためではなく自分で行って殺そうと考えたからです。学者たちが出発すると、東方で見たあの星が動き出します。彼らを導くように。やがてその星は幼子のいる場所の上に止まりました。「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」とあります。彼らを導いていた星が幼子のいる家に止まったことで、探し求めていた幼子がこの家にいることを確信したからです。
家に入ってみると、幼子すなわちイエスは母マリアと共にいました。学者たちはこの幼子が探し求めてきたユダヤ人の王であり、ユダヤ人がメシアと待ち望んでいる幼子であると確信し、黄金、乳香、没薬をささげます。
わたしたちが知るクリスマスのページェントでは、博士たちが贈り物を献げるのは、飼い葉桶に眠るイエス様で、周りには羊飼いたちがいます。今朝のCS礼拝でも同じ個所がテキストになっていましたが、紙芝居を見た幼稚園の子が「ここは馬小屋?」と聞いてきました。そこには、家畜や羊飼いが居る様子がなかったからです。
少々夢を壊すような話になってしまうかもしれませんが、それはルカの降誕物語とマタイのそれとの合作です。マタイだけ読めば、飼い葉桶も羊飼いも出てきません。そもそもマタイは皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令によって、ヨセフとマリアがナザレから長旅をしてきたことも告げていません。
わたしたちがルカの物語を知らなければ、ダビデの家に属するヨセフは、もともとベツレヘムにいたと考えた方が自然なのです。では、イエス様がどうしてナザレのイエスと呼ばれたのかといえば、2章22節以下にあるとおり、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、ナザレという町に住んだからです。そしてマタイは、「彼はナザレ人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われたことが実現するためだったと伝えているのです。
今日のテキストでも、博士たちが幼子を礼拝したのはベツレヘムのヨセフの家です。イエス様は赤ちゃんではなく、幼子でした。だから、ヘロデ王はベツレヘムと周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺したのです。
これはヘロデがその子を恐れていたことの証です。ヘロデはこの時ユダヤの王でしたが、実はユダヤ人ではありませんでした。ヘロデはエドム人で、彼の祖先はヤコブの兄のエソウです。実質的にユダヤを支配するローマに取り入ることでユダヤの王としての地位を与えられていたに過ぎません。だから「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」という学者たちの言葉を聞いて恐れたのです。ベツレヘムとその周辺にいる二歳以下の幼子を皆殺しにしたのは、ヘロデの恐れの裏返しです。
今日「もう一つのクリスマス」という説教題をつけたのは、今日の礼拝も先週に続けてクリスマスのメッセージを告げるということでもあり、CSクリスマスや燭火礼拝でしたルカが語るクリスマスとは別のもう一つのクリスマスという意味からでした。これはどちらが正しいか間違っているかということではありません。
ルカによる福音書は、ローマ人であるテオフィロ様への献呈の言葉から始まるように、イエス様の福音を世界に広めたいという目的がありました。イエスによる救いの出来事について、多くの人々が既に手を着けていることを知った上で、独自に資料を収集して順序正しく調べて書いたので、そこに偽りはありません。ルカはローマ帝国の中で起こった世界史的な出来事という位置づけをはっきりさせるために、この時代に確かに行われたアウグストゥスによる人口調査をモチーフとしたのです。マタイの場合は、福音を伝えようとした相手がユダヤ人でしたので、旧約からの系図をもってスタートし、ヘロデ王の時代であったとユダヤ史的な位置づけをしました。イエス様がベツレヘムで生まれたことも、ナザレに住んだことも「預言の成就」であるとしたのです。
その後もマタイは、5章17節にあるように、「律法の完成者」として来られたイエスを描くのです。10章6節で12人の弟子たちを派遣する時にも、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と命じています。でもそれは順序の問題であって、イエスの福音をイスラエルの中にとどめようとしているのではありません。とどめようとしたならば、異邦人のしかも律法では許されていない占星術を行う学者を登場させる筈がないのです。しかし、そもそも異邦人がユダヤ人の王を礼拝するのも旧約の預言の成就です。イザヤは「見よ、遠くから来る 見よ、人々が北から西から、またシニムの地から来る」と語り、時が来れば、すべての民がユダヤ人の王たるメシアを拝みに来ることを語っています。シニムの地から来た占星術の学者たちは、その先駆者です。
学者たちがユダヤ人の王を拝みに来たのも、彼が世界の王となられると信じたからです。彼らは幼子に「黄金、乳香、没薬」をささげました。彼らが黄金を献げたのは、この幼子がまこと王であるにふさわしい方として考えたからです。乳香とは祭司が礼拝の時に用いるものです。祭司には、神と人とを仲立ちをする役割があります。神と出会う道を開くのです。没薬とは何でしょう。新約聖書ではあと二回、十字架の死と葬りの場面に出てきます。一つはマルコによる福音書 15章 23節「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった」とあります。ヨハネによる福音書 19章 39節では「そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た」とあります。ここから没薬には鎮痛剤、防腐剤としての働きがあったことがわかります。すなわちイエス誕生の時、すでに死の準備があったのです。イエスがつけられた十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状書が掲げられたことも象徴的です。
昨日、説教を書きながらバッハのクリスマスのためのカンタータを聞いていました。音楽を聴きながら仕事するときは、結局聞き流してしまっていることが多いのですが、昨日は一度だけ原稿を書く手が止まった時がありました。あのマタイ受難曲で何度か繰り返され讃美歌21の311番「血潮したたる」のメロディーが流れてきたところです。この曲はクリスマスオラトリオにも出てきます。すなわちバッハは、クリスマスの中に主の十字架を仰ぎ見ているのです。
学者たちの献げ物でもう一つ大事なことは、これらのものが「宝の箱」に入っていたということです。自分たちにとっての宝物を幼子にささげたのです。これらは彼らの商売道具であったと言われることがあります。だとすれば、これらを献げたことで、彼らは自分たちの生きる手立てを捨てたことになります。幼子を礼拝したとき、明日からどう生きようかなどとは、考えなかったのです。古い自分を捨てたのです。彼らが「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」ことも、そのことの象徴です。
わたしたちもこの礼拝が済むと、それぞれ自分の家に帰っていきます。日常の生活に戻るのです。ではすべてが元のとおりになるのかといえばそうではありません。わたしたちは礼拝するごとに新しくされているからです。ストレスの多い1週間を生き抜く力が与えられるために礼拝はあります。主に招かれて教会に集ったわたしたちは、主から派遣されて教会を出て行くのです。
次にわたしたちがここで顔を合わせるとき、2022年という新しい年となっています。どんな年になるか、何が起こるか分かりません。それぞれが今は予想もしていない、新しい課題が与えられるかもしれません。でも、どんなことがあったとしても、十字架を負われた主が、あなたを支えてくださいます。
それぞれの新しい年の歩みの上に、主の祝福が豊かにありますように。