エレミヤ書33章14~16節 ルカによる福音書2章1節~12節
「飼い葉桶の奇跡」田口博之牧師
預言者エレミヤは、「恵みの約束を果たす日が来る」、「その日、その時、わたしはダビデのために正義の若枝を生え出でさせる」との主の約束を語りました。そして「彼は公平と正義をもってこの国を治める。その日には、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都となる。その名は、『主は我らの救い』と呼ばれるであろう」と主は言われるのです。 キリスト教会は、このエレミヤの預言は、イエス・キリストによって成就したと捉えています。それがクリスマスです。けれども、ユダヤの人々が期待したのは、ローマの支配から脱し、ダビデ王のごとく世を支配する王の到来でした。
イエス様が聖霊により母マリアの胎に命を授けられたとき、ローマは皇帝アウグストゥスが支配する時代となっていました。アウグストゥスは「尊厳ある者」という称号であって、本名はオクタヴィアヌスです。ローマは共和政を敷いていましたが、養父カエサル亡きあと、群雄割拠したローマを治めたのがオクタヴィアヌスでした。彼は元老院を支配したことで、初代ローマ皇帝となり、地中海世界全域を治めます。彼は、パックス・ロマーナ、ローマの平和と呼ばれる時代を気づきました。ローマに歯向かう力を持つ国がなかったから、戦争が起こらなかったのです。
では、当時ローマの人々、ローマの支配下にあった国の人々が平和であったかといえば、そうではありませんでした。イエス様が生まれた時、アウグストゥスは全領土に住民登録の勅令を出しました。住民登録は、新しい税を課すこと、そして徴兵を目的に行われます。住民登録は、権力者が君臨していることのしるしでした。ユダヤの王ヘロデもローマの言いなりで、これに協力します。ローマに忠誠を尽くすと見せて自分の立場を守ろうとします。そのためユダヤの人々は、住民登録をしに故郷に帰らねばなりませんでした。ローマ皇帝の勅令には、身重のマリアを伴わねばならないほどの強制力があったのです。
これは2000年前の問題ではありません。ロシアの大統領の命令は絶対的なもので、ウクライナとの戦争が起こりました。戦争が終わる様子はありません。ロシア軍はクリスマス前に再びキーウに攻め込むと言われています。この間に多くの人たちの尊い命が失われました。民間人も大勢犠牲になりました。国外に避難した人、帰国したけれども家のない人がいる。今日の名古屋はこの冬いちばんの冷え込みですが、かの地の寒さは比較にはならず、最高気温も零度以下です。家を失い路上にさまよっている人も大勢いるのです。
平和憲法を持つ日本も、防衛費の大幅増額が閣議決定されました。その財源は増税によって賄われるということです。東日本大震災の復興税をも用いようとしています。首相自らが、「戦後の安全保障政策を大きく転換させるものだ」と平然と語るなど考えられないことです。すべてを閣議決定で推し進めていくという手法は、安倍元首相の国葬決定で問題視されましたが、その比ではありません。数の暴力です。予算はもちろん国会決議するものですが、立憲民主主義が脅かされています。時代の転換期をわたしたちは生きています。
アウグストゥスの住民登録の勅令により、ダビデ家の血筋であったヨセフは、いいなづけのマリアを連れて、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムへの100キロ以上の長旅を強いられてしまいました。ところが、ベツレヘムの町は住民登録する旅人でごった返していたのでしょうか。彼らには泊まる場所がなかったというのです。それはこの二人が貧しかったという証でもあります。ヨセフがダビデ家の末裔であったとしても、重んじられるようなことはなかったのです。
幼稚園で行うページェントでは、宿を捜し求めるヨセフとマリアと3軒の宿屋の夫婦が登場します。ヨセフとマリアは「トントントーン、今晩は、一晩泊めてくださいな、トントントーン、トントントン」と歌って挨拶します。ところが、一軒目の宿屋の夫婦は、「ホントにホントにお気の毒、うちのお部屋は満員で、どなたもお泊めはできません」とのお返事です。ヨセフとマリアは二軒目の宿屋に向かいますが、やはりそこも満員で断られてしまいます。三軒目にようやく「馬小屋だったら空いてます。さあさあどうぞ、お入りください。」それで、馬小屋に入ることができたのです。ほのぼのとした場面です。
しかし現実は、とても厳しいものであったに違いありません。おそらくマリアとヨセフは、最初から馬小屋に案内されたわけではない。当時のベツレヘムの宿屋の様子は想像でしか言えませんが、個室があるわけではなく、大部屋での雑魚寝だったと思います。ヨセフとマリアも、初めは大部屋にいたかもしれません。しかし、産気づいてきたので、そこで出産というわけにはいきません。二人のために部屋を開けてくれる様子もなく、彼らが部屋から出ねばならなかったのです。
雑魚寝と言って思い出すのは、学生時代の友人たちとの下宿生活であり、四国の松山に行き帰りする時のフェリーの中です。40年前、四国には橋が架かっていませんでした。飛行機以外だと、どういう経路を取るとしても本州に渡るためには船に乗るしかありませんでした。貧乏学生でしたので、松山大阪間の関西汽船の二等船室、料金は3500円位だったと思います。ちなみに大阪からは、近鉄に勤めていた兄の家族優待券を使えばただでした。船の話をすると、規制するのは盆と正月です。その時期の二等船室は、足の踏み場がない程に混みあうのです。あまりに多いと、そこで寝ることはできない。わたしは穴場を探し、叱られるまで一等船室の廊下に行ったり、夏場には甲板で横になれるところを探したものです。平たいところが見つかったと思えば、ボイラー室の上で大変な思いをしたこともありました。
マリアとヨセフはそれどころではありません。子どもが生まれそうなのです。宿屋の中で最低限のプライバシーが守られるスペースを探し出して出産したのだと思います。そこには家畜の餌を入れるために用いる飼い葉桶が置いてあり、そこに彼らが持ってきていた布に包んで幼子をそこに寝かせた。そういうことでしょう。飼い葉桶という、そこに置かれてあったあり合わせの物をベッド代わりとしたのです。
飼い葉桶に寝かせたということから、そこが馬小屋とか家畜小屋であったという想像はできます。けれども、ページェントで描かれるような、ほのぼのとした空間ではありませんでした。そこは、人が横たわるはずのないところです。臭いもあります。不衛生です。赤ちゃんが生まれるのに、これ以上ないだろうという劣悪な環境の中で、イエス様は生まれたのです。
エレミヤの預言を聞いて期待した人々は、救い主はヘロデ家ではなく、ダビデ家の中から生まれると信じていました。しかし、ヨセフのようにガリラヤのナザレに流れて行った者の中から、ダビデの子が生まれるとは考えてもいなかったのです。ベツレヘムの宿屋の主人も、そこに泊まった客も、赤ちゃんが生まれたことは知っていたでしょう。しかし、宿屋にいた人々の中にイエス様を礼拝した人は、誰もいなかったのです。救い主は、誰も知られずにひっそりと生まれました。
しかし、誰にも知られないままであってはいけないのです。救い主誕生の出来事は、人から人へ伝えられなくてはなりません。では誰に伝えればよいのか。神様は羊飼いに目を留められました。ベツレヘム周辺の野原で野宿し、羊の群れの番をしていた羊飼いのもとに主の天使を遣わし、救い主誕生の出来事を伝えたのです。
天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」と言いました。
羊飼いたちは、野宿をしていました。彼らもまた、屋根のある家にいたのではないのです。人間の住む場所で生まれることのできなかった救い主の誕生は、同じく住む家を持たなかった人々に知らされたのです。それは救い主は誰でも出会えることを示すためです。飼い葉桶に寝かされている救い主であれば、どんなに貧しい人でも会いに行くことができるのです。
その一方で、誰でも出会える救い主は、受け入れられているとはいえない現実があります。確かに、1年の中でこのクリスマスの時期だけは受け入れられています。けれども、人間の住むところではないところ、飼い葉桶に寝かされているイエス様を受け入れる準備が、果たしてできているでしょうか。
多くの人々は、救いは誰でも行けるようなところにはないと考えています。誰でも行けるようなところにある救いであれば、自分には必要がないと思っているからです。誰にでも手が届く、求めれば得られるような救い主であれば、別に求める必要はないし、なくてもやって行けると思っていると思うのではないでしょうか。そこに人間の傲慢があります。それどころか、救い主は誰でも近づけるところにおられるけれども、近づきたいとは思えないところにおられるのです。飼い葉桶とはそんなところです。
教会の使命は何かと問われれば、伝道することにあります。キリスト者の使命が何かと問われれば、それは伝道することです。このお方によって救われた人生を喜んで伝える。伝道にこそ喜びがあります。厳しい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、伝道しない教会は自然に衰退します。一生懸命に伝道しても、教会はそんなに目が留まるところではありません、何もしなければ衰退します。クリスマスのチラシとポストカードを作りました。伝道のために用いてください、と週報に記しました。礼拝が終わって、皆さんが帰った後で、まだたくさん残っているということでは困るのです。
では、わたしたちがする伝道とは何か。それは飼い葉桶に寝かされている幼子こそがキリストだと伝えることです。それだけのことですが、それはとても難しいことです。「神の子が、なぜ飼い葉桶で生まれなくてはならなかったのか」と説明するなど、上手く説明できるはずがありません。わたしたちができることは、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」という御声を聞いて、その場を立った羊飼いのように、御言葉に聞いて生きるということです。
松山にいた頃に、松山番町教会の小島誠志牧師にとてもお世話になりました。わたしが牧師になった頃には教団議長をされていた方、80歳は過ぎたと思いますが、まだ現役です。最近送られてきた教団の某グループの機関紙の巻頭に、小島先生のメッセージが出ていました。そこには、高校時代、クリスチャンの同級生に「神がいるならどうしてこんなことがあるのか」などと、問題をぶつける。すると同級生は答えられない。そうクリスチャンは勝てない。でも「そんなことを言わずに教会に来てみなよ」と誘う。小島先生は、それで教会に行きはじめ、礼拝に向かう人たちを見て、前に向かう世界があるんだと思い、洗礼を受けた。そのようなことが初めに書かれてありました。
わたしの教会の原体験も、聖餐を受けている人たちの後ろ姿でした。自分には遠い世界と感じたけれども、不思議と惹かれるものがあった。そして、教会の方たちに自分は受け入れられていると思ったことでした。教会が伝道するとは、そういうことなのです。
羊飼いは、かつては神に譬えられるほど誇り高き仕事でした。けれども、イエス様の時代の羊飼いはそうではなかった。安息日だからといって仕事を休むわけにはいかない。彼らは律法を守れないような仕事しかできない人として、罪人だと蔑まれたのです。羊飼いには家もありませんでした。ベツレヘムの飼い葉桶の救い主、ヨセフとマリア、羊飼い。皆、居場所がなかったのです。
実はイエスさまと関わる人たちは皆そうなのです。自虐的な言い方に聞こえるかもしれませんが、今のわたしたちもそうです。皆、居場所がない。だから集まっている。いや、他に居場所があるのに、ここに来ていると言われるかもしれない。でも、日曜日の朝の礼拝の時間を、わたしたちは最高の居場所としています。ここが神と出会える場だからです。それ以外の理由であれば、教会は仲良しの集まるサロンでしかない。そこに飼い葉桶のキリストがいるでしょうか。
忘れてならないことは、今、ここに集まることができていない教会の仲間も、一度はここを居場所としたということです。その中には、教会に行きたいけれど行けなくなっている人がいます。物理的に行けなくなっている人がいます。中にはそれ以外の理由で行けなくなっている人の話を聞いて、牧師として心痛むことがあります。別の居場所を見つけた人もいます。その人たちは、ここが居場所であることを知らない人たちよりも手強いです。今は祈るしかありません。それでも、せめてクリスマスの時には帰ってきてほしいと祈りを合わせる。教会の皆が、今ここにいない一人の人を覚えてその人の羊飼いとなる。相互牧会というのは、そういうことです。
誰もが出会える救い主を初めから信じた人は一人もいません。でも羊飼いがそうであったように、誰もがここから始まるのです。神の子がもっとも貧しいところで何もできない赤ちゃんとしてお生まれになった。飼い葉桶から救いが始まりました。そこに神の奇跡があります。