聖書 イザヤ書56章7節 ルカによる福音書19章41~46節
説教 「涙と怒り」 田口博之牧師
エルサレムは標高800メートルの小高い丘の上に立つ町です。ザアカイがいたエリコは世界で最も古い町と言われていますが、死海の近く、海抜マイナス250メートルの世界で最も低いところにある町です。エリコからエルサレムへ向かうとき、標高差1000メーター以上の山道を上ってゆくのです。
その道中、オリーブ畑と呼ばれる山のふもとにベトファゲとべタニアという町があり、そこでイエス様はまだ誰も乗ったことがない小さな子ろばに乗って、エルサレムに入られました。エルサレムの中でいちばん高いところにあるのがオリーブ山です。このオリーブ山からギドロンの谷を隔てたところにエルサレム神殿があります。
皆さんの中で聖地旅行をされた方がいらっしゃるでしょうか。エルサレムに行かれた方はおそらく、オリーブ山からエルサレムの旧市内を眺められたと思います。わたしがシナイ山とイスラエルへ旅行に行ったのは2009年でしたので、もう13年前になりますが、オリーブ山からエルサレムを見たときの景色が思い出されます。
そこで思わず口ずさんだ讃美歌が、この後に歌う「主よ仰ぎ見れば」でした。2節に「美しの都、エルサレムは」の歌詞が出てくるからです。幸いなことに2節までは暗唱できていたので、参加者をリードして歌いました。今は城壁の内側に屋根に金メッキが施された岩のドームがあります。そこはイスラム教の聖地なので、ふさわしくない言い方かもしれませんが、美しの都の景色を引き立たせていました。もちろん、イエス様がご覧になったエルサレムには岩のドームはありません。そこにはヘロデの造った神殿、当時の建築技術を駆使した神殿が建てられていました。
イエス様はこのとき、どんな思いでエルサレムの町をご覧になったでしょうか。41節に「エルサレムに近づき、都が見えたとき」その都のために泣いたと記されてあります。なぜ泣いたのでしょうか。ここで泣いたというのは、すすり泣いたというほどではありません。激しく泣いた、号泣したと言ってよいほど、計り知れぬ深みからあふれた涙を流されたのです。
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……」とあります。聖書で三点リーダーが出てくるのは、おそらくここだけだろうと思います。涙で言葉に詰まったのです。すすり泣くくらいではこうはならない。感情があふれ出して言葉が出なくなってしまったのです。
では、なぜエルサレムを見られたイエスさまは涙したのでしょうか。ひとえに悲しみの涙です。二つのことが言えると思います。一つはエルサレムの罪に対する悲しみ、もう一つはエルサレムにこれから起こることを見ての悲しみです。
「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」
ここでイエス様は何度か「お前」と言われています。この「お前」とは、エルサレムのことです。眼下に広がるエルサレムの町を見ながら、エルサレムに住む人々のことを思いながら、そう語りかけています。「平和への道」とあります。エルサレムという地名は平和に由来します。しかし、平和へのわきまえがなかった。弟子たちは「天には平和、いと高きところには栄光」とまだ歌い続けていたかもしれません。でも、この歌がエルサレムには届いていないことをイエス様は知っていました。
「もし、この日に」とあります。「この日」とは、いつの日かと言えば、イエス様が訪れている、この日のことです。この日この時のことが、この言葉の終わり、44節後半で「それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」と言いかえられています。
「わきまえ」という言葉が、41節と44節に二度出てきます。で訳されていますが、「わきまえる」という言葉は、物事の道理をちゃんと理解しているということです。ところが最近では、「空気が読める」かどうかという意味合いで、その人のわきまえのあるなしが判断されているような気がします。原語の意味からしても「わきまえる」は、「知る」と置き換えて読んだほうがよいと思います。「もしこの日に、お前も平和への道を知っていたなら……」このようにはならなかった。「それは、神の訪れてくださる時を知らなかったからである」というように。
イエス様がどんな目的でエルサレムに訪れたのか。このことを知らなかったから、「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」というのです。随分と具体的な描写がなされていますけれども、このイエス様の言葉は、「エルサレム滅亡預言」と呼ばれています。エルサレムの町が崩壊するという予告です。
事実、起元66年にローマ軍がエルサレムに攻め入り、4年後の紀元70年にエルサレムに占領され、神殿は崩壊しました。イエス様の予告どおりとなりました。ただ、これを予告と言っても、ルカによる福音書は、エルサレム陥落後に書かれた福音書ですので、ルカは自身の目で見たことを記しているとも言えるのです。すると、ルカの思いとして、これからイエス様を拒否することになるエルサレムに罪、神の訪れをちゃんと理解していれば、このようなことにはならなかったのにと、エルサレムの崩壊をイエスの拒否と結びつけています。そのような意味で、イエス様の涙は、わたしがここに来ていることを、神の訪れと理解しなかったエルサレムの罪への悲しみであり、愛するエルサレムが崩壊してしまうこと、エルサレムの住民を思っての悲しみの涙であったと言えます。
そういう悲しみを抱えながら、イエス様はエルサレム神殿の境内に入って行かれました。神殿に入ってイエス様が見せられたのは怒りでした。そこで商売をしていた人々を追い出すのです。いわゆる「宮清め」と呼ばれる出来事です。この商人たちは、なにも悪徳商人ということではないのです。当時流通していた貨幣では神殿にささげることはできませんでした。それで商人たちは、神殿にささげものができる貨幣に両替をしたのです。あるいは、神殿にささげる供え物は、傷やシミがないものでなくてはなりませんでした。そのような供え物は遠くから抱えてくることができないので、供え物にするための検査にパスしている鳩を神殿の境内で売ったりしていたのです。しかし、通貨の両替の手数料も鳩の代金も高値でした。イエス様の怒りはそこに向けられています。これは神殿の境内での商売ですから、商売人が得た利益の一部は、商人だけでなく神殿祭司らの懐を温めたのです。
イエス様は「彼ら」、すなわち商人たちに言われました。
「こう書いてある。
『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』
ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
この「祈りの家」という言葉は、イザヤ書56:7の引用です。
「わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/
わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。
彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/
わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。
わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。」
イザヤ書56章、第3イザヤと呼ばれる時代は、捕囚期間後、神殿が再建されても、未だ信仰のよりどころが取り戻せていない、そんな時代でした。イザヤは、ここでいけにえが捧げられることで、神殿が形だけではなく祈りの家として再建されることを願いつつこの言葉を記しています。
イエス様も、神殿でいけにえが捧げられることを否定しているのではないのです。しかし「祈りの家」として回復させるためには、神殿の境内でしている商売人は邪魔でしかなかった、そのために商人たちを追い出したのです。すべての民がここで礼拝することを第一とするならば、両替人など要りません。いけにえの動物を供える必要もない。大切なのは、ここで心からの祈りでしたが、神殿には祈りが失われていたのです。
イエス様にとって、商人を追い出すという行為は神殿を清めることでしたが、祭司長らユダヤ教の指導者にとっては、神殿を、ひいては神を冒涜する出来事でしかありませんでした。この出来事がきっかけとなり、祭司長たちの反感を強く買い、十字架への道が決定的なものとなったのです。
今年、多くの教会で、規模を小さくしつつもバザーが再開されました。前任地も毎年バザーをしていました。ところが、あるとき教会でするバザーについて一人の教会員から、教会は祈りの家であるべきとイエス様は言われているのに、教会でバザーをするのはどうなのかと。その時に、バザーは商売やお金をもうけのためにしているのではないこと、売り上げのどれだけかはチャリティーとして寄付していること、このことが教会のよい交わりの場にもなるし、奉仕の心を知ることができる。教会は敷居の高いところだけれども、バザーをとおして地域に向けてのよい証となるのだから。そんな話をしました。その方は、その後バザー委員として活躍されましたので、納得していただいたのだと思いますが、この宮清めの箇所を読むたびに、その時のことを思い出します。
ルカによる福音書は、イエス様12歳のとき、神殿で起こった一つのエピソードを記しています。2章41節以下です。少年イエスは迷子になってしまったのです。迷子というより、不注意だったのは両親、ヨセフとマリアの方です。帰路について、ようやく1日経ってから、イエスがいないことに気がついたのですから。
慌てて捜しながらエルサレムに引き返すと、ようやく三日の後に、イエスが神殿の境内で学者たちの話を聞いたり、質問したりしていたところを見つけたのです。驚いたマリアが「お父さんもわたしも心配していたのです」と諭すと、少年イエスは「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と返しました。随分と生意気な言い方だなと思いますが、ここで大事なことは、イエスがエルサレム神殿を「父の家」と呼んだことです。この言葉に、イエス様の神殿理解が表れています。
イエス様はここで、わたしの本当の父は、ヨセフあなたではないと言いたかったのではありません。また、エルサレム神殿に、父なる神が住まわれる場所でないことも分かっていました。わたしの父は天におられますこと、人間の目に見えるところにはおられないことを、独り子であるがゆえに誰よりも分かっていたのです。でもイエス様は、神殿は父なる神に祈りがささげられる聖なる場所であることを知っていました。神殿は商売が行わるべきでないことを、少年時代から、そして誰よりも強く思っていたのです。
今日はイエス様の涙と怒りにスポットを当てましたが、これほどイエス様が感情を露わにされた箇所を他に見つけることはできません。「あまり感情的になるな」というと、その人を批判する言葉となっていますが、この時のイエス様の感情は、人間イエスというよりも、むしろ神の子としての感情がほとばしっているのではと思います。福音書の中で、「憐れに思う」という言葉が何度か出てきます。原語は「スプランクニゾマイ」というギリシア語であり、「スプランクノン(はらわた)」から来ています。この言葉は、神様、イエス様にしか使われない言葉です。人間が可哀想にと思うのとは比較にならない、はらわたがちぎれるほどの憐れみです。
数か月前、ある方とのやりとりの中で「神の憐れみをひしひしと感じている日々です」という返事をいただきました。その方は入院中でした。何もできないという自分の無力さの中で、大いなる神の憐れみを感じられたのです。その信仰に励まされる思いでした。
イエス様はわたしたちの髪の毛が何本あるのかもご存知のお方です。人間が見る以上の神のまなざしをもってイエスさまは見ていてくださっています。オリーブ山からエルサレムが見えたとき、エルサレムの罪と滅びに対して、はらわたが痛むほどの悲しみをもって号泣しました。エルサレム神殿に入ったときに見せた怒りも、はらわたが煮えくり返るという言葉を使えばいかにも人間的ですけれども、そこを超えた神の怒りが現れたのではないかと思われています。
来週からアドベントに入ります。神の訪れを待つ時です。何のために神の子がこの世を訪れてくださったか、平和への道を示されるためです。しかし、罪ある人間は神の思いに逆らい続けています。神様は、どういう思いをもってこの地上をご覧になっておられるのでしょうか。神に悲しみの涙を流してほしくありません。怒ってほしくありません。そのことができるのは、神の御心を知るわたしたちだけです。そのことの意味を深く思いつつ、アドベントを迎えるこの週の歩みを始めてまいりましょう。