詩編117編
「たたえよ、主の民」

敗戦後、日本の教会に多くの青年たちが集まりました。そこにはGHQが日本の民主化を促進するために、キリスト教を奨励するという政策を取り、アメリカから教会を介して色々な援助物資が届けられたという外的な要因があります。そればかりではなく、敗戦による心の空洞化を埋めるためにキリストの教えを求めた人も多くいたことでしょう。

先週の聖書研究祈祷会に出席者された方が、1950年代前半のクリスマス礼拝の週報などを持ってきてくださいました。当時の名古屋教会のクリスマス礼拝での受洗者は、毎年30人前後いました。日本基督教団の統計でも、1950年前後、いわゆるキリスト教ブームと呼ばれた時代ですけれども、全国で1万5千人を超える受洗者がありました。しかし、ブームは一時的なもので、知らぬ間に教会から去って行かれた方が大勢いました。しかし、イエス様に従って生きていこうという、高い志をもって信仰に入った方がおられました。その頃に受洗された方の多くは天に召されましたが、今も教会生活を続けられている方も多くおられます。一期一会の思いをもって礼拝に出られている方もおられると思います。

その頃に受洗された方たち、いや後の世代も、讃美歌によって教会につながった方という方が少なくないのではないでしょうか。日本の教会、特にプロテスタント教会の伝道にとって、讃美歌は大きな力となりました。讃美歌を大きな声で歌うことができる教会は力があります。その意味で、座ったまま、小声でマスクしたままで歌うという状況からは早く脱したいと願うものです。

今朝の「キリストへの時間」を多くの方が聞いてくださったようです。1952年、日本の独立後に始まったものですので占領政策ではありません。当時のアメリカ南長老派教会が日本人に純粋に福音を伝えたいという思いで始まった放送です。朝6時半から正味14分の放送ですが、その間に初めの「十字架の血に」を含めると計3曲の讃美歌が流れます。放送時間の半分ほどが讃美歌なのです。今回、70周年記念放送ということで、横山先生は、わたしと二人で「十字架の血に」の讃美歌を歌いたかったようです。ゆずり先生に「絶対にやめろ」とダメ出しされたということで、今朝のような形となりました。

今朝の放送でも「キリストへの時間」が大切にしてきた讃美歌のお話をしました。70周年記念ということで、昨年のペンテコステ礼拝に奉仕された金城学院大学の松谷曄介先生のお連れで歌手の松谷由香さんに、金城学院の礼拝堂で何曲か歌っていただき収録しました。今朝の放送では、その中の1曲、讃美歌24番「たたえよ、主の民」が選ばれたことから、その曲にまつわるお話をしました。とても短い曲ですが、聖書に証される三位一体の神を、高らかにほめうたう素晴らしい讃美歌です。このような讃美歌を「頌栄」(doxology)と呼んでいます。

今日は皆さんに、讃美歌に親しんでもらう時間を持とうと思い、今朝の放送を膨らませる形でお話しようと考えました。最初に歌った讃美歌24番を開いていただけるでしょうか。讃美歌はただ楽譜と歌詞が載っているだけではありません。讃美歌の頁全体に色んな情報が詰まっています。

まず、楽譜の上の中央を見ると、「たたえよ、主の民」タイトルがあります。讃美歌の特徴は、歌いだしの歌詞が、その讃美歌の曲名となるということです。讃美歌を作る場合に、このことは知っておく必要があるでしょう。

曲名の上に、「礼拝 頌栄」と小さな字で書いてあります。頌という漢字は、たたえる、ほめるという意味の字です。頌栄は24番から29番までありますが、それらを見ていただくと分かるように、父と子と聖霊の三位一体の神のみ栄えをほめたたえる歌です。頌栄は礼拝の初めか終わりで歌うにふさわしい讃美歌ですので、名古屋教会の礼拝でもそのようにしています。ところが毎週、同じ頌栄で礼拝が始まり、同じ頌栄で礼拝を終えるという教会は少なくありません。特に「たたえよ、主の民」は、頌栄の中でも、特に英語圏の教会ではもっとも広く歌われています。先月召されたエリザベス女王も在位70年でした。戴冠式の様子をNHKアーカイブズで見ることができるのですが、この讃美歌が歌われる中で入堂されていました。

頁の左肩に目を移すと、24番の下に小さく英語で書かれた字があります。ここにトーマス・ケンとあるのは、作詞者の名前です。彼はイギリス人、イギリス国教会の主教を勤めた人ですが、1637年から1711年という彼が生きた年代が示すとおり、イギリスのピューリタン革命後、王政復古、名誉革命などイギリスの変革の時代を生きぬいた人でした。彼は作詞家として著名です。それまで詩編しか歌っていなかった国教会において、最初に讃美歌を作ったのです。その英語の歌詞の最初の行が小さく出ています。Praise God, from whom all blessings flow直訳すれば、「神を賛美せよ、すべての祝福(恵み)は神から溢れ出る」となるでしょうか。

そして讃美歌の右肩には、通常は作曲者名が書かれてあります。ここでは人の名前ではなく、16世紀宗教改革者カルヴァンが礼拝のために編んだジュネーヴ詩編歌のOld Hundredth(オールド・ハンドレッズ)。古い100番ということですが、もともとは詩編100編の詞により作曲されたということです。これと同じ曲が讃美歌21の148番に出てきます。148番は「全地よ、主に向かい」で始まります。新共同訳では詩編100編は、「全地よ、主に向かって喜びの叫びを上げよ」です。148番は曲だけでなくまさに詞もジュネーヴ詩編歌Old Hundredthのオリジナルということになります。但しここでも、最後の5節に三位一体の神をほめ歌う頌栄が加えられています。

ちなみに、ペリー艦隊が幕末日本で停泊中に船内で行われた最初の礼拝でOld Hundredthが演奏されたという記録が残っています。そうすると、日本で最初に歌われた讃美歌と言えるでしょうか。

また148番の方では、曲の方の上に小さく〔Ⅰ4,5,539曲〕と書かれています。これは、讃美歌21の前に使っていた讃美歌集、1954年版と呼んでいますが、54年版では、4番、5番、539番と3曲載っているということです。この3曲は、すべて違う和声の伴奏譜となっていました。特に539番は、「あめつちこぞりて かしこみたたえよ みめぐみあふるる 父、御子、御霊を」で親しまれていた讃美歌です。フェルマータを伸ばすかどうかも議論を生みましたが、「たたえよ、主の民」は原曲に近い旋律となりました。また、とてもいい歌詞に訳されたと思います。

讃美歌の話としては最後になります。楽譜の下の歌詞の下にある、詩117,Ⅱコリ13:13とは、この讃美歌の詞に関連する聖句のことです。詩117とは、今日朗読された詩編117編のこと、Ⅱコリ13:13とは、新約聖書コリントの信徒への手紙13章13節、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」という三位一体の神の祝福が語られています。礼拝の祝祷で読まれる御言葉です。トーマス・ケンはこの二つの聖書から導かれてこの讃美歌を作詞しました。ちなみに彼は、讃美歌21の209番「めざめよ、こころを」と、213番の「み神をたたえよ」も作詞しています。209番が朝の歌、213番が夕べの歌となりますが、二つの讃美歌とも、最後の節は、「たたえよ、主の民」、父と子と聖霊の三位一体の神をほめうたう頌栄としています。どうしても頌栄で終えることに、トーマス・ケンの信仰が表れているといえます。

詩編117編については、今日の朗読箇所としていました。あらためて読んでみます。旧約957p詩編117編
「すべての国よ、主を賛美せよ。すべての民よ、主をほめたたえよ。
主の慈しみとまことはとこしえに わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。」。

150編ある詩編の中で一番短うたった2節しかない詩編です。詩編119編が、176編まであるのと比べて対照的です。短いですが、神を賛美するに必要なすべてのことがすべて表されているといえます。わたしが最初にこの詩編を読んで驚いたことは、当然のことながら、詩編というのはユダヤ人が自分たちの信仰を歌ったものです。ところが、ここには「すべての国よ」、「すべての民よ」とあるように、世界の国の人々に向かって主なる神への賛美が呼びかけられているのです。詩編117編の詩人は、すべての国の民は、イスラエルの民を通して、彼らの神をほめたたえるようになると考えていたのです。

イスラエルは長い間、異邦人に支配され、迫害され続けてきました。彼らにとって、イスラエルの主なる神がわたしの神であり、わたしが主の民とされていることがアイデンティティだったのです。にもかかわらず、「すべての国民よ。主をほめたたえよ」と呼びかけるのは、容易なことではなかったのではないでしょうか。

でも考えてみれば、主なる神がイスラエルを通してすべての国民の主となりたもうという信仰は、旧約聖書全体に貫かれていたといえるのです。救いの歴史はアブラハムの召命によって始まりますが、創世記12章で、主はアブラムに「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」と言われたのです。

主を賛美することの普遍性を伝える詩編117編に着目したのが、使徒パウロでした。パウロはローマの信徒への手紙15章6節以下で、「福音はユダヤ人だけでなく、異邦人のためにもある」という主張を、4つの旧約の御言葉をとおしてとして、異邦人伝道の正当性を訴えます。その中の三つ目、「すべての異邦人よ、主をたたえよ。すべての民は主を賛美せよ」が詩編117:1の引用となっています。

なぜ主をたたえるのでしょう、その根拠が詩編117編2節に記されています。
「主の慈しみとまことはとこしえに わたしたちを超えて力強い、ハレルヤ」と。

コロナの問題があり、もうしばらく我慢の時が続きますが、そのような中にあって、今日は普段あまりしない讃美歌の話をしました。「主を賛美するために民は創造された」という御言葉があります。声高らかに主を賛美の歌を歌える日が来ることも待ち望みます。今は、心の中で精一杯主を賛美しましょう。そのために讃美歌の歌詞により親しんでいただきたく思っています。父と子と聖霊なる神の祝福が、あなた方の上に世々限りなくありますように、アーメン。