出エジプト記12章21~28節、 ルカによる福音書22章1~13節
「過越の食事」田口博之牧師
ルカによる福音書も21章まで読み進めてきましたが、22章から受難物語に入っていきます。ヨハネは別ですが、共観福音書と呼ばれる、マタイ、マルコ、ルカの三つの福音書は、どれも終わりの3章を受難と復活の証言に充てています。使徒言行録を読めば分かることですが、使徒たちが宣べ伝えたのは、もっぱらイエス様の受難と死と復活でした。使徒信条でも、イエス・キリストについて語ることの中心は、受難と復活です。そこが初代教会の宣教の中心だったのです。わたしたちは、何年か前からルカによる福音書を読み始めていましたが、いよいよ、肝となる部分に入っていくことになります。
さて、ルカは受難物語の始まりを、「過越祭と除酵祭が近づいてきた」という言葉を合図としています。7節には、「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た」と書かれてあります。ルカは過越祭と除酵祭を区別していませんが、厳密にいえば、この二つの祭りは違います。過越祭はニサンの月、ユダヤの暦でいう正月の14日に小羊を屠ることで始まります。わたしたちの暦では、ほぼ半年先の3月下旬から4月の最後の晩餐記念礼拝を行う日がこれに当たります。除酵祭の方は、過越祭に続いて15日から1週間行われました。小羊を屠って焼く過越祭は牧畜祭であり、除酵祭の方は農耕祭という違いもあります。
しかし、過越祭も除酵祭も出エジプトの出来事、イスラエルが奴隷状態にあったエジプトからの解放を記念する祭りであることは共通しています。この二つの祭りについて、主が「このようにしなさい」と命じられたことが、出エジプト記12章1節から20節に書かれてあります。続く21節以下を先ほど朗読していただきましたが、過越祭について、どのような仕方で行うのか。なぜこのようなことをするのかについて、モーセが、イスラエルの長老らに語った言葉が記されています。
「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである」とあります。
ここで分かることは、過越とは、災いが「過ぎ越す」ことが基になっているということです。エジプト王ファラオがイスラエルの民を解放するために、主は十の災いをもたらしました。その最後の災いとなったのが、主の過越でした。
24節以下にあるとおり、主はこの儀式を永遠に守るように命じました。そして、子どもたちが、この儀式をすることの意味を尋ねたときは、「これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである」と答えるようにと言われたのです。
また、除酵祭についても、12章から13章にかけて詳しく語られていますが、直接的な起源となった出来事が、12章39節に記されています。除酵祭とは種入れぬパンの祭りという言い方をされることがあります。パン種を入れない、すなわちイースト菌を入れないパンを焼いたということになります。それでは膨らまないパンしかできないのですが、その理由は、39節に「彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、過越の食糧を用意するいとまもなかったからである」と書かれてあるとおり、エジプトから逃れる時には、パンが膨らむのを待つ暇もなかったのです。
それほど切羽詰まった状況の中で、ユダヤ人はエジプトから脱出して約束の地へ向かったことを、過越祭の祝いと共に毎年、記念したのです。すなわち、民族の解放、救いを祝う祭りが過越祭であり、除酵祭でした。その意味でルカが記したように一つのことと言って差し支えない。ユダヤ人にとって、いちばん喜ばしく大きな祭りとなりました。
問題は、そのような祝いが近づいたときに、祭司長たちや律法学者たちは、イエスを殺すにはどうしたらよいかと考えていたということです。それができないでいたのは、「殺してはならない」という律法を説く立場にあったからではありません。理由は「彼らは民衆を恐れていたのである」からです。イエス様は民衆に人気があったので、それができないでいたのです。神を恐れるのではなく、人を恐れていた。何ということでしょう。彼らとしては、イエスがエルサレムにいるうちに何とかしたい、しかし、人々がごった返している過越祭の時に行えば、暴動でも起こりかねない。そうなれば責任が取れない。そんなことを考えていたのでしょう。
まさにそのような時、彼らにとって好都合なことが起こりました。十二人の中の一人、イスカリオテのユダの中に、サタンが入り、どのようにしてイエスを引き渡そうかと彼らに相談をもちかけたのです。12弟子の一人であるユダが、なぜイエス様を裏切り彼らに引き渡そうとしたのか。推理小説のように、ユダの心の内の思いを様々に探ることはできます。こうではないかと考えられることはありますが、聖書は何も述べていません。いや、述べていないのではない。ルカは「ユダの中に、サタンが入った」と述べています。これは、「サタンが入った」としか言えないようなことが、ここで起こったということなのです。
その意味で、ユダはどうして裏切ったのか。心の内を探ったとしても意味のないことです。むしろ、わたしたちの誰にでも同じことが起るということを知ることが大事です。私たちの誰もが、サタンの誘惑に遭う脆さがあります。美しいものを求めたり、欲にまみれたりすることがある。ここでは「彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。ユダは承諾した」とあります。
イエス様はなぜ、自分を裏切ることになるユダを選ばれたのか。よく問題にされることですが、これを詮索することも、あまり意味はないことだと思います。イエス様が十字架に引き渡されたとき、三度知らないと言ったペトロだけでなく、12弟子のすべてが散ってしまったのですから。わたしたちの誰もが、イエス様を裏切る者となり得るのです。
このことはまた、イエス様の受難は、祭司長や律法学者の企みをユダがサポートしたのではなく、サタンの働きによって起こったということを教えます。サタンとは誘惑する者のことです。力ある悪魔です。かつてヨハネから洗礼を受けられたイエス様は、悪魔の誘惑を受けられました。ルカによる福音書の4章です。イエス様は悪魔の誘惑を退けられましたが、4章13節を見ると「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」と書かれてあります。その時が来たということなのです。
では、イエス様は悪魔の支配に屈したために、苦しみを受けたあげく、十字架で死なれたのでしょうか。そうではありません。荒れ野で誘惑を受けたときにも、イエス様は悪魔の力によって荒れ野に行かれたのではなく、洗礼を受け、聖霊に満たされたイエス様が、“霊”すなわち聖霊によって、荒れ野の中を引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられたと記されています。ここでも、神がサタンの力を用いられたと考えてよいのではないでしょうか。過越祭を神の時とするためです。イエス様の死を、過越の小羊の犠牲と結びつけたのです。かつてのイスラエルの民がエジプトから解放されたように、新しい神の民の救いを実現される時としたのです。
そのことは、7節以下から読み取ることができます。イエス様が過越祭の間に死ぬことは、人間が求めたものではありません。むしろ、民衆を恐れていた彼らは、過越祭の間は避けたかったのです。しかし、父なる神は、過越祭、除酵祭の日を時となれました。8節に「イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた」とあります。ここでイエス様ご自身が、これから起ころうとしていることを、前もって準備されていたことが分かります。
イエス様の言葉を聞いた、ペトロとヨハネは、「どこに用意いたしましょうか」と言います。するとイエス様は、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか」とあなたに言っています。』すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい」と言われました。
すべて、イエス様が主導権を担っていることが分かります。わたしはここを読むと、イエス様のエルサレム入場の記事を思い起こします。19章28節以下を読んでみます。
「イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた。そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさい。もし、だれかが、『なぜほどくのか』と尋ねたら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。」使いに出された者たちが出かけて行くと、言われたとおりであった。」
イエス様が、弟子たちを遣わすと、言われたとおりの準備ができていたという点で、二つの記事は共通しています。このところを読んで、イエス様はあらかじめ、用意するように頼んでいたとする解釈があります。だとすると、下見をしていたことになります。あるいはまた、これから起こることをイエス様は予知しておられたという解釈があります。確かにその二つのどちらかしか考えられないと思います。
ただし、ユダの裏繰りの動機もそうですが、そこがどうなのかを考えるのは、あまり意味のないことではないかと思います。人間の思考で詮索すればするほど、この出来事を小さくしまうのではないか。「主がお入り用なのです」と言われたのは、イエス様です。救いの計画を実行するために、必要なことであったということ。しかみそれが、備えられていたということが重要です。イエス様が遣わされた二人の弟子は、備えができていたことの証言者です。
今日のテキストでも、過越の食事をする部屋は、すでに備えられてあったことをペトロとヨハネは目撃し、そのことを証言しているのです。
考えてみると時は過越祭。エルサレムはごった返していた筈です。繁忙期に宿にせよ、食事にせよ、場所を用意するのは簡単でないことを、わたしたちも経験します。わたしは社会人になって3年目位まで、花見の場所を取っておくように上司から言われることが、憂鬱でならなかったことを思い出します。予約しておくことができないのです。花見の席の備えと一緒にすることは不謹慎だと承知していますが、人間ではなく主が必要なことは備えられていたのです。過越の食事の席が備えられていたということは、受難への備え、死の備えがイエス様には出来ていたということです。
時が来たとはそういうことです。時が来るまで離れていたサタンがユダの中に入り、受難物語が進行していくことを今日の箇所は示します。13節「二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した」と書かれてあります。
かつてエルサレムを旅行した時、イエス様と12人がこの過越の食事をした部屋、すなわち最後の晩餐が行われたとされる、二階の広間に行きました。シオンの丘と呼ばれるところにあり、驚いたのが一階はダビデの墓であったということです。ほんとうにそうであったのかは、確かではありません。しかし、確かなことは、過越の食事が行われたこの家は、この後も重要な場所となるということです。
ここは、復活されたイエス様が、隠れていた弟子たちの真ん中に立たれた家となりまです。復活から昇天までの40日間、弟子たちと共に過ごされた家、そして、ルカの続編と呼ばれる使徒言行録の2章で、弟子たちの上に聖霊が注がれた家です。この家が、エルサレム原始教会の拠点となりました。そのことを思う時、受難は受難で終わらない。死と復活、聖霊降臨から、伝道への派遣という、大いなる救いの物語が、ここから始まっていくことを思わされます。
この過越の食事が、主と弟子たちとの最後の晩餐となりました。今日、わたしたちの教会は、世界聖餐日から1週遅れましたが聖餐式を行います。聖餐式は最後の晩餐を記念して行いますが、その基となっているのが過越の食事です。
今日のテキストで、イエス様が過越の食事を備えてくださっていたことを思う時に、この聖餐の食卓を備えてくださったのも主イエスご自身であることを忘れないで与りたいと思うのです。すでにこの聖餐卓には聖餐のパンと杯が備えられています。聖餐当番が、パンと杯、それぞれの器に用意します。ぶどう液が杯からこぼれないように慎重に入れています。前もってパンをカットしてくださる方がいます。コロナ以来、使い捨てができる杯をネットで海外から取り寄せています。誰かの手が直接パンに触れないように小さな容器も用意します。礼拝堂に入れば、聖餐が備えられています。たくさんの方の奉仕があってのことです。しかも、選挙で選ばれた長老が給仕の役割をして、聖餐のパンと杯を配っています。当たり前のように座席に配られるとは思っていただきたくない。また、奉仕をする者も含めて忘れないでいただきたいことは、この食事を備えてくださったのは、イエス様ご自身なのだということです。
そして、イエス様は過越の食事の席を備えられただけではありません。洗礼者ヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」と言われたように、御自らが過越しに小羊として十字架に屠られました。わたしたちは主が裂かれた肉と、流された血、契約の血に与ることによって、イスラエルの民がエジプトからの救いを確かめたように、新しい神の民としての救いを確かめる時とするのです。
最後に新約の305頁、コリントの信徒への手紙一の第5章6節、7節を読んで終わります。
「いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠られたからです。だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。」