聖書  詩編46編1~12節、 マルコによる福音書6章45~52節
説教 「神はわが砦」田口博之牧師

さふらんとヨナで礼拝に行くとき、はじめに「今日は何の日」なのかを話します。ネットで「今日は何の日」なのかを教えてくれる雑学ネタ帳のようなものがいくつかあるのです。10月31日といえば何でしょう。出てくるのは「ハロウィン」です。ほかにもいくつか出てきます。ガスの記念日、日本茶の日、クレアおばさんのシチューの日とか、商売に絡んだものが多いようです。しかし、どのサイトを見ても「宗教改革記念日」は出てきません。

キリスト教、特にプロテスタント教会にとって10月31日は重要です。ドイツの修道士であったマルティン・ルターが、聖書の教えから離れてしまっていた当時のローマ教会に対して、95か条からなる抗議文をヴィッテンベルク城教会の扉に打ち付けたのが1517年10月31日のことでした。いつ頃からか、教会はこの日を宗教改革記念日として記念することになります。名古屋市内の日本基督教団の教会にも、10月の最後の聖日を宗教改革記念日礼拝として献げる教会があります。わたしたちは、そういう言い方こそしていませんが、今日は10月31日ということで、宗教改革記念日を意識してテキストなどを選びました。

讃美歌377番を歌いました。歌詞も旋律も改革者マルティン・ルターのものです。バッハのカンタータ80番は有名ですが、メンデルスゾーンも交響曲「宗教改革」やオラトリオ「エリア」にこの旋律を取り入れており、昨日はYouTubeやCDで流しながら、御言葉を黙想していました。

讃美歌377番の「神はわが砦 わが強き盾」ではじまる1節の歌詞は、詩編46編2節から取られています。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」。ルターは反逆者として、ドイツ皇帝とローマ教皇の双方から弾圧を受け、宗教裁判にかけられました。ルターは大きな困難を経験しましたが、そのような折に、仲間のメランヒトンと詩編46編を歌いながら、互いに励まし合ったと伝えられています。

46編の1節を見ると、小さな字で「指揮者に合わせて、コラの子の詩、アラモト調」と書かれてあります。この詩編が指揮者に合わせて歌われていたことが分かります。コラの子というのはレビ族で祭司の家系ですが、神殿で音楽に奉仕する役割を負いました。アラモト調は何か見解が一致していませんが、high-pitched(高音の)と意訳した英訳の聖書がありました。途中に三度出てくる「セラ」とは、休止、休めという意味の言葉です。ルターとメランヒトン、メランヒトンも神学者でしたが、音楽に長けていたのかもしれません。二人がどのように詩編46編を歌ったのかと想像するだけで楽しくなります。そのような中から、377番のメロディーが生まれたのでしょうか。

教会を追われ、行き場を失ったルターですが、詩編46編を繰り返し歌う中で、神こそが避けどころであり、砦あることを知り、支えとしたのです。わたしたちは、人生の避けどころ、砦といえる場を持っているでしょうか。好きなことをして気分を紛らわせたりして、目の前の問題を忘れようとする。それは、その場しのぎになるかもしれませんが、「本当の解決」にはなりません。正しい避けどころとは言えないのです。では、苦しみのとき、わたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

詩編46編は、東日本大震災が起こった後によく読まれました。記念礼拝などでも説教のテキストとされたのです。3節から4節に「わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも」とあります。この記述は、地震や津波を連想させます。こうした自然災害は今だけのものでなく、旧約聖書の時代にもずっとあったことを知らされます。

今や民間でも宇宙に行ける時代になりました。人類は数々の難病を克服してきました。神にわずかばかり劣る知恵を授けられた人間は文明を進化させました。防災対策も随分と取られるようになってきました。それでも大規模災害が起こる時は起こるのです。自然の猛威になすすべなしと思えるときがあります。また人間が科学技術を発展させたがゆえに、自然災害が人災となりうる状況を生んでいます。

ルターが愛した詩編46編の詩人は神が必ず助けてくださることを信じています。この詩編を読んで気づかされることは、詩人は苦しみに遭っても嘆いていないということです。この詩編は嘆きの詩編ではないのです。「地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも 海の水が騒ぎ、沸き返り その高ぶるさまに山々が震えるとも」、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる」と確信している。そこにこの詩編の力強さがあります。

ですから、轟く水の恐怖を感じるわたしたちに逆らうかのように、5節では「大河とその流れは、神の都に喜びを与える」と歌うことができるのです。ここでは水の流れが命の水のイメージで表されています。神をよりどころとする人は、目の前にどれほどの苦難が広がっていようとも、命の水に与り続けます。そこに主はいてくださる。「神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる」と大胆に告白することができる。

今日の説教を準備するにあたり、4年前に買って一度も開いてなかった『ルターから今を考える』という本を一気に読みました。4年前とは2017年、この年は宗教改革500年という年でした。本を書かれた方は、現在は関西学院大学神学部で教鞭を取っておられる小田部進一教授。「まきば」施設長の小田部先生のお兄さんです。この本はルターがどういう死を迎えたか、というところから始めています。中世ヨーロッパの平均寿命は30歳前後だったようです。14世紀半ばにペストとして知られる感染症が猛威を振るい、人口のおよそ3分の1が命を落としていたということです。ペストはその後も繰り返し流行ましたが、ルターが活動した時代には最大の猛威を振るいました。永遠の命を信じるキリスト教徒にとっては、死を避けることではなく良い死を迎えることが課題となっていました。死を確信したルターは、臨終の際にもヨハネ3章16節など、暗唱した御言葉を繰り返し語り、祈り続けたそうです。塗油の秘跡を受けることもなく、聖人たちに呼びかけることもなく、祈りの中での神との対話であったと看取った人は証言しました。

ペストが流行し、ヴィッテンベルクに避難命令宣言が出されたときも、ルターはこれを拒否してその地に残ったと言われています。それから500年後、新型コロナウイルスが猛威をふるった初期の頃、イタリアで何十人もの聖職者が命を落としたことが、メディアに取り上げられたことがありました。死に行く人に油を塗るためにとどまり、医師よりも多く死んだと言われています。

元国立感染症研究所室長で「人類と感染症の歴史」の著書がある加藤茂孝氏は、「中世の欧州ではペストがきっかけで、近世へと向かう変化が起きた」と指摘しています。加藤氏の言葉が新聞のウェブサイトで今も読めるのですが、インタビューの中でこういうことを言っています。

「当時はキリスト教のローマ教皇の全盛期でした。教会がすべての権威を持っていました。ところが、ローマ教皇が祈ってもペストは治まらない。医学を担当していた神父たちもぜんぜん治せないわけです。 人々が不満を持ち始め、その後の宗教改革へとつながっていきます。また、産業構造もがらりと変わりました。当時は荘園制といい、地主(領主)が農奴に土地を貸し付け、農作物を納めさせていました。農奴はいわば奴隷的な身分でした。しかし、ペストにより農奴が一気に減り、荘園制が次第に維持できなくなります。農奴は待遇改善を要求し始め、後に賃金を得て労働する賃金労働制へと移行していきます。そのほかにも、ペストがきっかけで検疫が始まりましたし、医療も近代化していきました。ユダヤ人迫害もこの時代に顕在化しました。このように 100 年、200 年 かけて、中世ヨーロッパ社会がペストの大流行により大きく変わっていったのです。」

わたしはずっと、宗教改革のさなかにペストが大流行したという認識でしたが、実のところペストの流行が宗教改革の原動力になったというほうが正しいようです。

今月中に締めきりだったあるグループの機関紙に、「ウィズコロナ・ポストコロナ時代の教会」というテーマで原稿を依頼されました。あらためて今という時を見つめたときに、教会はこのようにして感染に注意しましたということでは十分ではない。まさに「新しい生活様式」が始まったように、信仰生活、教会生活の様式も変わったということを認めねばならない。教会は「以前のように戻れるか」というけれど、すでに教会の少子高齢化は世の中の10年以上先を進んでいたことを考えれば、戻って何がしたいのか。同じように戻ることはできないことを認めるなかで、であるならばどうすればよいのか。ペストが宗教改革の原動力になったというとらえ方をするならば、なおさらコロナのとらえかたも、コロナ禍、禍(わざわい)とは別のとらえ方が必要ではないか、教会はそこを見つけねばならないのではと原稿に向かいながら思わされました。

詩編46編9節に「主の成し遂げることを仰ぎ見よう」という言葉が出てきます。神の救いが確かであるとの信仰を告白した詩人は、実際の救いを仰ぎ見ようと招いておられます。「主はこの地を圧倒される」というのです。詩編46編は全体を通して、神の救いは確かであることを告げています。そうでなければ、「主の成し遂げることを仰ぎ見よう」という言葉は出てこないでありましょう。

イエス様は十字架の上で「成し遂げられた」と言って息を引き取られました。救いは成し遂げられたのです。わたしたちは、救いは成し遂げられていることを知っているはずです。詩人はそれを仰ぎ見ようと招くのです。主の成し遂げられたこと、十字架の主を仰ぎ見よう。そこにこそ確かさがある。さらにわたしたちは、十字架の主が復活されたことを知っています。6節に「夜明けとともに、神は助けをお与えになる」とありました。夜の闇が覆っている間は分からないかもしれない。しかし、闇が取り除かれ、夜明けがやってくる。夜明け、それは主が復活された朝です。

マルコによる福音書6章45節以下を読みました。弟子たちは逆風を受けて漕ぎ悩んでいます。このときイエス様は、「祈るために山へ行かれた」と聖書は告げています。わたしたちは逆風にさらされたとき、「神はどこにいるのか、何も助けてくれないではないか」そのように文句を言い、疑います。でも、イエス様はどこかに行ってしまわれたのではありません。悩みの中にあるわたしたちのために、山で祈ってくださっているのです。

しかも聖書は「逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに」来てくださるイエス様を告げています。わたしはここを読むたびに、復活された日の朝の出来事が、ガリラヤ湖の舟の上で先立って起こっていると思うのです。イースターの朝、弟子たちの真ん中に立たれた主は、「恐れることはない」、「あなたがたに平和があるように」と挨拶されました。ここでも、幽霊だと思い、大声で叫んでいる弟子たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と呼びかけて舟に乗り込んでくださっています。

嵐の舟の上で脅える弟子たちの姿は、マルコ福音書4章35節以下でも描かれています。この時は、そんな弟子たちを尻目にイエス様は舟の艫の方で眠っておられるのです。さらに水をかぶって「おぼれても構わないのか」と叫ぶ弟子たちの声を聞くと「黙れ、静まれ」と言って治めてくださる。

教会はしばしば舟にたとえられます。風が吹き、波が立つと舟は揺れます。同じように教会はいつも動揺しています。教会に生きるわたしたちは不安になります、脅えます。そのとき、嵐の中から直接に助けてくださるイエス様を期待します。ちっとも助けてくれないと文句を言ったり、神はほんとうにいるのかと疑ったりします。でも聖書は、わたしたちが知らないところで、主は祈っていてくださることを伝えています。嵐の中でも舟の上で眠っておられる主の姿を描いています。だから、心配することはないのです。そして、わたしたちが思ってもみないように、水の上を歩いて来られたり、波や風を叱ったり、そのような仕方で静めてくださるのです。教会はキリストの体です。教会という舟にはイエス様が共にいてくださいます。だから教会は避けどころとなるのです。そのようにして、神はわたしたちの船旅を導いてくださいます。

最後に詩編46編の終わり12節を読みます。「万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」。同じ言葉が8節にも出てきました。詩編46編が神殿礼拝で歌われたとき、指揮者はこのところは全員で歌うことを求めたでしょう。ルターとメランヒトンは1節ずつ交互に歌ったと思われますが、ここは二人で歌ったのではないでしょうか。わたしたちも同じ歌を歌いながら、信仰の旅を続けていくのです。