10.23.子ども祝福礼拝 ルカによる福音書19:1-10
今日はイエスさまが、エリコという町でザアカイという人と出会ったお話をします。聖書の中でもよく知られている物語です。今日は親しみを込めてザアカイくんと呼びたいと思います。(カット①)
ザアカイくんは徴税人という仕事をしていました。徴税人は人々の税金を集めることが仕事でした。日本にも税金にはいろいろありますが、税金を払うのが好きだっていう人は、あまりいないように思います。実はここにいるみんなも払っている税金があります。そう、消費税です。100円ショップで買い物をしようとすれば、100円玉一つでは何も買えません。100円の商品を買うには110円払わねばなりません。その10円が消費税です。消費税は、社会保障っていって、教育の無償化や年金の財源にもなるので、わたしたちに帰ってくるのだけど、何か損した気持ちになります。
でも徴税人が嫌われていたのは、それとは違う理由がありました。徴税人はユダヤ人を支配しているローマに雇われていたからです。ローマは税を集める仕事を民営化し、ユダヤ人にさせたのです。取り立てた税金は、ローマに入ることになっていましたが、余分に集めて徴税人のお財布に入れていいことにしたのです。ザアカイくんもそうでした。彼はおまけに徴税人の頭なので、生意気なやつだとみんな怒っていたのです。
そんなザアカイくんの住んでいるエリコにイエス様がやってきました。ザアカイくんはイエス様のことを噂に聞いていたのか、どうしても見たいと思いました。ところがイエス様を見たい人は他にもいました。困ったことにザアカイくんは背が小さかったのです。(カット②)背が小さいと、前の方に行かないと見ることができませんね。でも、ザアカイ君はみんなから嫌われていたので、前に行かしてくれなかったのです。
そこで、ザアカイ君は考えました。そうだ先回りして木に登ろう!高い木に登ればイエス様を見ることができるぞ!ザアカイくんは木登りが得意で、いちじく桑という木に登って、イエスさまが来るのを待っていました。(カット③)
おかげで、ザアカイくんはイエス様を見ることができました。ところが、イエス様が木の下を通られた時に驚くべきことが起こりました。なんとイエス様が木の上の自分を見て、「ザアカイ」と自分の名を呼んだのです。(カット④)そして「ザアカイ、急いで降りて来なさい、今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言う。ザアカイくんはびっくりしました。「ちょっと、そこの君」ではなくて、何でイエス様はボクの名前を知っているのだろう。不思議でした。どうしてボクの家に泊まりたいって言うのだろう。みんなから嫌われていたザアカイくんの家には、これまで友達が遊びに来ることもなかったのです。
でも、ザアカイくんはとっても嬉しかったのです。急いで木から降りてきて、イエス様をお家に迎えました。(カット⑤)エリコの町の人は、ザアカイの家に行ったイエス様を見て、何であんなやつの家に泊まるのか不思議でたまりませんでしたが、イエス様は、はじめからザアカイくんの家に泊まろうと決めていたのです。ザアカイくんがお金持ちだったから、ご馳走をいただけると思ったからではありません。独りぼっちでいたザアカイくんの友達になろうと思っていたのです。
イエス様はザアカイくんに、神の国の話をたくさんされました。わたしはあなたのことを前から知っていた。あなたはみんなから嫌われているけど、わたしはあなたのことを愛している。大丈夫、あなたは一人じゃない。わたしはいつもあなたと共にいる。
ザアカイくんは、イエス様の話を聞いて、神様を愛し、隣人を愛する人になろうと思いました。そして、イエス様にこう言いました。(カット⑥)
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」ザアカイくんは生き方を変えたのです。これからは、税金を余分に取るようなことはしない。ぜいたくは捨てて財産は困っている人にあげよう、自分は貧しくなっても、みんなと共に生きていこう、そう決めたのです。
イエス様はザアカイさんの言葉を聞いて嬉しくなりました。そして「今日、救いがこの家を訪れた」。「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と言いました。(カット⑦)「人の子」とは、イエス様のことです。イエス様は「ザアカイ、あなたは救われました。わたしがこの世に来たのは、迷子になっている人を捜して救うためです。わたしは、今日あなたを見つけて救うために、この家に来たのです。」そういう言われたのです。
イエス様は、ザアカイくんの名を呼ばれたように、みんなの名を呼んでくださいます。これから牧師が皆に祝福の祈りをしますが、牧師というのは、神様のお話をするのがお仕事ですが、按手って言って、神様からの特別な祝福を受けた人です。実は、神様から特別に受けた祝福を伝えるために牧師は存在しているのです。今日、名前を呼んで祝福を受けるのは子どもたちだけですが、礼拝の終わりに皆さんのためにも祝福を告げます。
世界では戦争が起こっています。子どもたちはこれからどうなるのか、だんだんと生きにくい世の中になってきて親御さんも心配だと思います。でも、神様の前に失われた人は一人もいません。幼稚園の子も、はこぶねの子も、CSの子も、金城の生徒も、今日の礼拝に来ることができなかった子も、たとえこれからどんなことが起ころうとも、イエス様が探し出して、救ってくださるのです。