創世記1章1~5節 説教「光の創造」
同労の牧師の中には、親も牧師をしていた人が何人かいます。話をしていると、この人は牧師の子として育った人だなと分かることがあります。純粋培養といえば大袈裟ですが、わたしなどとは違って彼らは概して純粋です。物事を真っ直ぐにとらえようとします。
親が開拓伝道したという牧師の二世と話したときに、自分の欠点は、神様はいないと考える人の気持ちが分からないと言ったことに驚きました。出発点が違うことを知らされました。彼は「初めに、神は天地を創造された」そこからスタートしています。神様はいるということが生き方の前提になっているのです。もちろん彼も「こんなことが起きて、神様っているのか?」と問うことがあったとしても、存在している神に向っての問いですから、問い自体が宙に浮いてないのです。無神論者が、「神が存在するなら、その証拠を見せてほしい」と言うとき、それは神を信じている人に対する批判にしかなっていないので、質が違います。
聖書は「初めに、神は天地を創造された」に始まり、安息日を含む七日間の創造の業を語ります。人が創造されたのは六日目なので、最初の人は天地創造の様を見ていたのではありません。「光あれ」という神の言葉も聞いていないし、光の創造を目撃したのでもありません。創造物語は、世界の成り立ちを伝えているのではなく、なぜこのような世界が存在しているのか。神こそが創造主であるという信仰を伝えようとしているのです。この聖書の言葉を前に、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」と応答するのが、わたしたちの信仰です。
さて、この天地創造の物語ですが、古くはモーセが書いたと考えられていました。創世記から申命記までをモーセ五書と呼んでいます。しかし、聖書学者たちの研究成果によれば、創造物語は、紀元前6世紀のバビロン捕囚期にまとめられたと考えられています。バビロン捕囚とはイスラエルの歴史の中でもっとも困難な時代でした。国は滅び、エルサレム神殿も破壊されます。バビロニア帝国は、彼らが国の再建などを考えることがないようにするため、主だった人たちを首都バビロンとその郊外に捕囚しました。異国に連れられた人たちは、「お前たちの神はどこにいる」と嘲りを受けます。そのような時代が半世紀以上も続いたのです。
その間に世代が変わります。初期に捕囚された人々は、バビロンで死んでしまいました。捕囚地で生まれた2世、3世の人々は祖国を知りません。捕囚の現実を当たり前のようにとらえるようになり、エルサレムへの帰還の願いも薄れていました。人々の宗教観にも変化が見られます。それでも捕囚された第一世代の中には、信仰をもって捕囚という出来事をとらえていました。預言者も今ここにいることは、神に背いたことへの裁きであることを伝えます。バビロンでは、神殿祭儀による礼拝ができない代わりに、御言葉による礼拝が始まりました。預言者も時を経て、慰めを語るようになりました。
創世記1章の創造物語もバビロンの地で書かれました。2節に「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とありますが、この言葉は、捕囚地の人々の現実を表しているといえます。捕囚の民は、混沌「カオス」としかいえない闇の中を、無秩序な現実の中を生きていたのです。
そのような中にあって、希望を伝えようとしました。生きる価値を見出せない人々に、あなたがたは神に似せて造られた尊い存在であることを伝えようとしたのです。詩編の多くも捕囚地で編まれました。ですから詩編には「嘆きの詩編」と呼ばれるものが多いです。しかし詩編は嘆きだけでは終わりません。詩編の詩人たちは、嘆きの中に希望を見出しています。神が希望の源泉であることを知っていたからです。
その希望は、今日の聖書でいえば「光」です。「神は言われた。『光あれ』。こうして光があった。神は光を見て、良しとされた」とあります。神が光を創造されたことで、カオスの状態に秩序が与えられたのです。絶望の中に生きていた人々は、希望を探す一歩も踏み出すことができました。闇の中を生きていた人々が、新しい希望の光に照らされて歩み始めていける。神はこれらの様子を見て、「良しとされた」のです。
絶望の中に希望の光を見出す。このことを思いめぐらす中で、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を思い出し、昨日読んでいまいました。皆さんは読まれたことがあるでしょうか。第二次大戦、ナチの支配の強制収容所における体験を著したものです。著者のフランクルは、ウィーン在住の精神科医・心理学者でした。彼は、ユダヤ人というだけの理由で、この世の地獄とも呼べる強制収容所生活を余儀なくされました。ナチの時代、一説のよると占領国内の収容所に1200万人もの人々が連れて来られ、うち800万人が死亡したとも言われています。フランクル自身、一人の妹を除く家族全員を収容所で失いました。ユダヤ人にとって、バビロン捕囚以上と言ってよい、苦難を体験したのです。
フランクルはアウシュビッツ収容所にも送られました。そこには特別なガス室があり。アウシュビッツに行けば必ず死ぬということで格段に恐れられていました。彼がそこで生き延びたのは奇跡としかいえないことですが、その鍵は「未来に対して希望を抱くことができるか否か」であったとフランクルは言います。収容所の中でも祈ることを忘れない精神の持ち主は、生き延びる確率が多かったようです。フランクルの場合は、収容所での体験を通して、意味のない人生などはないことを世の人々に伝えること、つまり「夜と霧」を世に出せるまで生きることを支えとしました。
フランクルは、人間の本来のあり方は「人生から問いかけられている」ことだと言います。自分が「なぜ、こんな目に遭わねばならないのか」と問うのではなく、人生の意味はすでに送り届けられていて、それを発見し実現することなのだと。
わたしがする説教の中で、「どうしてこんなことが」という出来事に遭遇した時、神に問うよりも、自分が神から問われていることを考えるべきである。そういう話をしたことを覚えておられる方がいらっしゃるかと思います。様々な困難な事態に遭遇したときに、思い悩むより先に「あなたはどうするのか」と神様から問われていることに気づくことがよくあります。
自慢しているように聞こえるとすれば、望んでいることではないのですが、フランクルの本と出会って学んだというのではありません。「夜の霧」や「それでも人生にイエスと言う」といった代表作を読む中で、フランクルと同じ考え方をしていたことを知って驚いたものでした。
では、なぜそういう考え方をするようになったのか。もちろんフランクルのような壮絶な経験はしていませんが、それでも自分の頑張りではどうにもならない。限界を超える困難に遭遇したときがありました。牧師になる以前のことです。家業が倒産する前には資金繰りに東奔西走し、倒産してからは大きな責任を負わねばならなくなりました。自分の力ではとても立っていることができない経験をしました。ところがそのときに、それでも自分は立っていることを不思議に思ったことがありました。その時に「あなたはなぜ立つことができているのか」と誰かに問われていると感じたのです。
まもなく、その誰かとは神であることに気がつきました。そのように問うておられる神が、わたしを立たせてくださっていることに気がついたのです。そして、なぜ立たせてくださっているのかと考え始めたときに、神はわたしを選び、ご自身の計画のために用いようとされているのかもしれないと考え始めました。そのようにして、牧師への道を示し、開いてくださいました。牧師になってからも、たくさんの間違いをしました。それでも今も立たせてくださっています。牧師になったことも、問いに対する自分なりの答えなので、そこには勘違いがあったのかもしれません。しかし、神様は勘違いからでも導いてくださいます。間違っても、次は同じことをするなと赦してくださいます。
コロナの問題が起こってから、教会はこれまでにない程、どうすればよいのかを問いつつ歩んできました。神になぜと問うよりも、自分たちはどうすればよいのかを自発的に問うてきました。コロナの問題自体は、歓迎されることではありませんが、コロナの問題を通して色々なことに気づかされたと思います。礼拝一つとっても、同じ歩みをした教会はありませんが、神様がそれぞれの教会が「どうすればよいのか」と問いを立てて判断したこと、そこに迷いがあったとしても、それを見られて「良し」としてくださいました。
わたしたちが住むこの世界には、コロナ以上に深い闇があります。そのために、混沌の中をさ迷うような時もあります。しかし、光は与えられています。だからわたしたちは立っていることができます。神は光を見て、良しとされました。光が与えられたこの世界を、この世界に生きるわたしたちを神は肯定されたているのです。
光を創造された神は、光と闇とを分けられました。闇を消されたわけではないのです。しかし、光があったので、闇は混沌ではなくなりました。そして「夕べがあり、朝があった」のです。わたしたちは暗い夜を過ごしても、朝の光りに向って歩むことができます。「まことの光」なるイエス・キリストによって、絶望から希望へ、罪から救いへ、死から命へと歩むことができるのです。