レビ記19章9~10節 コリントの信徒への手紙一16章13~14節
「何事も愛をもって行いなさい」田口博之牧師
2024年が開けて最初の礼拝ですけれども、元旦の朝もこの礼拝堂で礼拝が捧げられました。地区新年礼拝です。暖かな朝の陽ざしが射しこみ、4年ぶりに地区内の教会で集まることができて、今年はマスクも取れて希望溢れる年になるのではそんな予感がしました。
ところが、その予感が外れたというのは早すぎるかもしれませんが、元旦の夕方、思いもよらないことが起きました。揺れが長く続き、これは東海・東南海地震のように近くではないけれども、かなり大きな地震であることが分かりました。まもなく、震源が能登であると知ったときは、まずいことになってしまったと思いました。
能登半島は中部教区のエリアです。北から輪島、七尾、羽咋の3教会で能登伝道圏を形成しています。能登半島の付け根には内灘教会がありますし、もう少し南、かほく市の沿岸には恵泉教会があります。羽咋教会は昨晩も震度6弱の地震があった志賀町に富来伝道所を持っており、羽咋教会の牧師が今日も夕礼拝に出かけます。
2007年3月25日に、能登半島沖でM6.9の地震が起きました。震度5強から6の地震に襲われ、古い会堂はダメージを受けたため、全国募金を展開して七尾教会と富来伝道所は会堂を建てかえることになりました。幼稚園舎で礼拝していた羽咋教会は、別の土地に会堂と牧師館を建築しました。あの時の地震で、建物は半壊でもなかったのですが、建築士の診断により倒壊の恐れがあることが分かり決断しました。素人目には、建てかえる必要が本当にあるのかと思えるほどでしたが、神様はその後、もっと大きな地震が来ることが分かっておられ、備えを与えられたのだと思いました。以前の会堂を補強しただけであれば、今回の地震には耐えられなかったでしょう。今回の地震で、七尾教会や羽咋教会は、地域の方たちの助けとなっています。
但し、輪島教会の会堂に関しては、被害のあったところを中心とした補修に留まっていました。今回の地震で残ったのは、補修改築した部分だけでした。会堂の中は入ってはいけないことになっているようで、今朝も会堂横の牧師館で礼拝しているはずです。牧師館は地震の後で建て替えたので、倒れることはありませんでしたが、隣の家が倒れてきて壁に穴が開いた状態です。それでも、信徒の家のほとんどが全壊しています。礼拝どころではない状況といえますが、信徒の方たちは集まって礼拝をしたいのだと思います。
能登半島は過疎地域でありますが、ちょうど正月なので子どもや孫が帰省していた家族も多かったと思います。被害に遭われた方は、この事態をどう受け止めてよいのか分からないという方は、とても多いだろうと思います。
東日本大震災が起こったとき、「なぜ、こんなことが」と神に問う人たちがいる中で、「なぜと問うのでなく、わたしたちが問われているのだ」というメッセージを聞くことがありました。ヨブ記の後半部分で、ヨブが神に苦しみの理由を問うた時に、神は何も答えない代わりに、天地創造の話をするのです。それはヨブが求めたことではありません。ところが神は、創造世界の話をされた後で、「お前に尋ねる、答えてみよ」と言われるのです。それは、「なぜと神に問うのでなく、わたしたちが神から問われている」ことの証しだと言えます。なるほどと思い、わたしも何度かそれに倣ったメッセージをしました。
しかし、一方で思うことは、詩編には嘆きの詩編と呼ばれるものがたくさん出てきます。詩人は苦難の中で、さんざん「なぜ」、「いつまで苦しめるのか」と問いつつ、助けを求めています。イエス様ですら十字架の上で「なぜ、わたしをお見捨てになるのですか」と叫ばれたのです。つまり、なぜと問うてはいけないのではなくて、問うていい。叫び、訴えていく中から神との対話が始まるのです。必死に訴えていく中で、神がこの状況を分かっていてくださることを知る。だからこそ神への信頼が生まれ、神賛美となっていくということに詩編を読むと気付かされます。だから、大胆に問うていいのです。あるいは、詩編の言葉を読むことをとおして、神に訴えたらいい。そうすることで、必ず答えも与えられる…。
地震の話から始めましたが、今日は新年最初の礼拝にあたり、「何事も愛をもって行いなさい」という説教題としました。テキストとした旧約のレビ記は、いわゆる落ち穂ひろいです。「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。」ルツ記でのボアズの行動がまさにこれですが、収穫物を貧しい者や寄留者のために残しておくという愛の律法が記されています。
新約聖書から、コリントの信徒への手紙一の結びの言葉となる16章13節から14節をテキストとしました。そこに四つの勧めが出てきました。
一.「目を覚ましていなさい。」二.「信仰に基づいてしっかり立ちなさい。」三.「雄々しく強く生きなさい。」そして四つ目が14節、説教題にもなった「何事も愛をもって行いなさい」です。
年末に「ローズンゲン」『日々の聖句』を買われた方はお気づきと思いますが、「何事も愛をもって行いなさい」は、「2024年の聖句」として選ばれたものです。この御言葉を心に刻みつつ、2004年を歩むことができればと思い、新年礼拝の御言葉として聞こうと思いました。
「神を愛し、隣人を愛す」ことを最高の戒めとするキリスト者にとって、「愛をもって行う」というのは当然の生き方だといえます。ところが、「何事も」と言われると、言うほどに簡単ではないことを思わされます。よく引用される「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」も、言葉としては簡単に覚えられますが、やってみようとすれば大変なことです。「いつも」、「絶えず」、「どんなことにも」なのですから。
ローズンゲンの解説に、年の聖句「何事も愛をもって行いなさい」について、次のように書かれていました。
「私たちがなすところの「何事も」とは、何を指すのでしょうか。例えば、寝ることや起きること、歯を磨くこと、買い物をすること・・・そういうことなのでしょうか?たしかに、それらもそうでしょう。私たちの営みの一部ですから。しかし、それよりも何よりも、「何事も」とは、 私たちが他の人々と、どう出会うかということについてなのです。私たちが 「互いにどのように語り合い、 互いについて何を話すのか」 という、その選択のことなのです。」どうでしょう。今の解説の前半部は分かります。しかし、後半部に言われていることは分かりにくい解説だと思わなかったでしょうか。
「何事も」について、たとえば、「トイレ掃除をする時にも」と言ってくれるならわかりやすいです。わたしなら、そういう解説を書くでしょう。いやいやするのでもなく、言われたからするのでもなく、何も考えずにするのでもなく、愛をもって行うのだと。しかし、口で言うほど簡単なことではありません。
昔、渡辺和子シスターの講演会に出た時に、若い頃に修道院の食堂でお皿を並べていた時の話をされたことを思い出しました。渡辺和子さんは高い志をもって修道院に入ったけれど、毎日する仕事は同じこと。ある日、お皿を並べていたときに、先輩のシスターから何を考えてお皿を並べているのと言われたのです。何も考えずに並べていたことを見透かされたようにして。するとシスターは、「そこに座って食事をする人が幸せになることを思って」と言われた。これは言い換えれば、「何事も愛をもって行いなさい」ということだと言えるでしょう。渡辺和子さんのシスター人生の中で、決定的な出来事となったようです。
「この世に雑草という草はない」と言ったのは、牧野富太郎博士ですが、渡辺和子さんは「この世に〝雑用〟という用はない。用を雑にしたときに、雑用が生まれるのだ」と本に書いています。
先のローズンゲンの解説は分かりにくいと思いますが、後になって、ああ同じことを言っているのだと思わされました。「『何事も』とは、 私たちが他の人々と、どう出会うかということについてなのです」と言った後で、「私たちが 『互いにどのように語り合い、 たがいについて何を話すのか』 という、その選択のことなのです」と続きます。
確かにお皿一つ並べるとしても、そのお皿で食べる人の幸せを考えて並べるとすれば、その行為は雑にならない選択をしたといえます。トイレ掃除も、トイレを使う人が気持ちよく使えるように掃除すれば、使う人も雑な使い方をしないでしょう。ちょっと汚れたと思えば、次に使う人のことを考えて、きれいにしてから出ようと思うのではないでしょうか。
「何事も愛をもって行いなさい。」「何事も」と言っても、その先には誰かがいるのです。愛を行うということは、人を愛するように、相手がいて初めて成立するのです。「『互いにどのように語り合い、たがいについて何を話すのか』という、その選択のことなのです」と、コミュニケーションの話になっていますが、すべて同じだろうと思います。
1月3日に越冬炊き出しの配食に行きました。今年は丼の白ご飯をよそう役をしました。そこですることはご飯をよそうことなのですが、それだけではすみません。丼を食べる人がいるからです。初めのうちはよそうことで必死ですが、慣れてくるとその人の顔を見て挨拶し、どのくらいの量を食べるかを聞いてよそうようになります。中には「炭水化物は取らない」という人がいます。「なら、具を盛り沢山ね」と具をよそう係に申し送ります。逆にいっぱいつけて欲しいと言われる方には、丼の具をつける人がつけやすいように、盛ったご飯をぐっと押さえて、かつ真ん中をしゃもじでクロスして穴を開けることで、具を盛りやすいようにする。すると一緒に働く人とのコミュニケーションも生まれる。
能登に地震が起こったと分かった時、まずいことになったと思いましたが、何がまずいなと思うのかといえば、被災者のことだけでなく、自分のことを考えてしまったからです。中部教区内で災害が起きれば、離れていたといても、自分も当事者になってしまうのです。
それでも、教区議長の任期が終わっていたことは幸いでした。4年間の任期の中にコロナという災害がありましたが、教区内で自然災害はありませんでした。議長の間に地震だけは起こらないようにと祈ったのは、名古屋教会は東海キリスト者災害ネット(TCDN)の総会や役員会の会場となっているように、大災害が起こったときに、ここに災害対策本部を置くことが決まっていたからです。
このTCDNというのは、地域の福音派やNCC系の団体を含む超教派のネットワークなのですが、いざ災害が起こった時に、福音派の宣教団体は、日本基督教団とは違う動きをすることが分かってきました。具体的には、いくつもの団体は今も能登の被災地に入って活動を始めています。でも、教団はそういう動きをしません。むしろ初動の情報が不足している段階では、混乱した中に行くのはではなく、被災地域の支援も被災教会のニーズに沿った仕方で息の長い支援をしていきます。つまりアプローチの仕方がまったく違うのです。アプローチの仕方が違うと言っても、どちらが良い、悪いという話ではないのです。
一昨日、全国のキリスト者災害ネットの共有会議がオンラインで行われました。100名近い人が参加されていて驚きましたた。わたしは日本基督教団とTCDN二つの所属としての参加でしたが、あくまでも教団としての姿勢を告げることに徹しました。後で考えれば、「何事も愛をもって行いなさい」のローズンゲンの解説にあるように 「互いにどのように語り合い、 たがいについて何を話すのか」という、その選択をしたといえます。
他に報告した人は、現地に入って活動されている方たちでしたので、わたしが話したことは、場の空気を読めていないものだったと思います。それでも、教団としてはこう考えて、こうするとはっきり言ったのは、よかったと思うし、そう思われた方は大勢いたように思いました。何といっても同じ主を信じる者同士です。支援の仕方が違っても、互いのことを認め合う。そういう道筋が作れたのではと思っています。野球のWBCの決勝で、大谷の球を初めて受けた中村がしっかりとキャッチした。そんな会議ではなかったかと思っています。
ローズンゲンの解説には続きがあり「“何事も”——そう言われると、私たちは疲れてしまいそうです。でも、それは本当はシンプルで、実に癒しを与えてくれる言葉なのです。なぜならそれは、私たちの生の根源、つまり神の愛についてのことだからです」と言います。
もう少し続きますが、解説の解説が要りそうですのでここでやめておきます。先ほど「何事も」の背後には、必ず人がいると言いました。被災地で瓦礫の撤去をされていますが、それはただの作業ではない。人の命に係わることなので、迅速かつ丁寧にされているはずです。道路の普及も同じです。わたしたちは、離れていても祈りで支えることができます。
中部教区も募金を開始しました。これは被災教会の再建支援を中心とした募金で、受付に箱を用意しています。それが、祈ることと共に今のわたしたちができることであり、必要なことだと信じています。そして、それをするときに、愛をもって行うのです。