聖書 イザヤ書55章6~9節 ルカによる福音書11章1~4節
説教 「祈りを教えてください」 田口博之牧師
先週の礼拝後に全体集会を行いました。12時前には終わったといいながら、礼拝すら閉じている教会も多い中で、全体集会まで行うことができたのは大きな恵みです。「なくてはならぬもの」と題した説教が全体集会の主題となり、これを受けて二人の長老の発題がなされました。わたしたちの教会が、コロナ下にあって、また緊急事態宣言が出ている今も礼拝を堅持していることの意味を確かめ、また振り返る全体集会であったもといえるでしょう。
わたしたちが属する日本基督教団には「教憲」といって、憲法に相当する法があります。教憲は11条から成る短いものですが、その中で唯一「教会は」を主語に始まる条文があります。それが教憲第8条で、「教会は主の日毎に礼拝を守り、時を定めて聖礼典を執行する」とあります。「教会は主の日毎に礼拝を守り」これが教会のいのちです。時を定めて行う聖礼典もそうで、どうすれば聖餐も守れるか、そこを考えた1年でもありました。
さらに教憲8条は、礼拝では何をするのか、「礼拝は讃美・聖書朗読・説教・祈祷および献金等とする」と続きます。わたしたちの普段の礼拝でしていることもまさにそうです。CSで献金があるのもそれが礼拝だからです。神様に献げ物をするというのが、旧約聖書の時代もそうですし、おおよそ宗教と呼ばれるものにはなくてはならないものです。献金はお金ではなく、わたしたちの感謝と献身をお献げするしるしです。讃美歌も捧げものです。聖書朗読や説教は受けるものではありますが、わたし自身の中では、聖書を読むときも、説教するときも、神への捧げものとして、神に聞いていただくという思いを持っています。説教を準備しつつ、「神様、これであなたの御心を伝えることができていますか、自分の思いだけを語っていませんか」。そう問う中で、神の言葉を受け、軌道修正されていく。そのたびごとに「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている」との第二イザヤの声がこだましていますが、主の憐れみと赦しを呼び求めながら歩ませていただいています。
祈りもまた神への捧げものです。礼拝の式次第を見ても、「主の祈り」に始まり、讃美歌に負けない数の祈りが出てきます。あるいは、わたしたちの教会は、献金の後で「まごころこめ」の讃美歌を歌いますが、週報をマイナーチェンジした折に「献金の歌」としていたところを「献金感謝」と修正しました。たいていの教会は献金に続いて献金感謝の祈りをします。わたしがこれまで仕えた二つの教会も、献金当番を二人、または四人あらかじめ決めておいて、最初に名前の書いている人が献金の祈りをすることになっていました。わたしが献身する前に出席していた教会は、礼拝が十数名だったこともありますが、説教が済むと牧師が「今日の献金奉仕は、誰々さんお願いします」と指名するのです。指名された者は、献金を集めに回った後で、献金の祈りをしました。今の名古屋教会で、あらかじめ当番を選んでおくことも簡単ではないでしょうし、朝受付で「今日の献金当番の後で献金の祈りをお願い」と言われれば、遠慮のかたまりになってしまうでしょう。まして、説教の後で当てられるなどあろうことには、「もう礼拝には行かない」とか「教会を代わる」という人が出てきてしまうかもしれません。でも、ほんとうはそれでは困るのです。
わたしが名古屋教会に着任して、すぐに感じたことは、「祈りが弱い」のではないか、ということでした。初めの頃、色んな集会の始まり、また終わりに「先生、お祈りをお願いします」と言われることが多く、そのことについては指摘をしたこともあります。兼務が解けて専任となったとき、まず始めたいと思ったのは今は中断している「聖研祈祷会」でした。比重が高かったのは「聖書研究」よりも「祈祷会」の方でした。祈りに強くなることが、これからの名古屋教会にとってとても大事なことだと思いました。そして、どうしたら祈りが学べるかと考え、聖書研究も初めのうちは、聖書に出てくる祈りや詩編を題材にしたものです。聖研祈祷会での祈りは強制ではありません。そこに出席して教会員の誰かの祈りを聞くことで、祈りを覚えるということもあります。祈り祈り合うことで、まことに教会が主にある交わりとなります。祈りの教会が築かれていきます。
ある神学者は、「礼拝とは祈りである」と言われました。イスラム教の礼拝などは、メッカに向かっての祈りです。わたしの礼拝では、祈り以外の行為はありますし、「礼拝とは祈りである」ということが何を意味するか、皆さんの前で話をするのに、つかみきれていないところがあります。そのように思うということは、祈りについて、学び足りない面があるからです。わたし自身のなかに、祈りの弱さを自覚する時があります。キリスト教会の祈りは、祈りについて教えてもらうことで身につけていく、そういう面があります。
イエス様の弟子たちもそのような思いがあったのでしょう。今日のテキストはこう始まっています。11章1節「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った」とあります。弟子たちはイエス様に祈りを教えて欲しいと願いましたが、抑えておくべきことがあります。ユダヤ人である彼らは、祈りはよく知っていたはずだということです。皆小さい頃から祈りの中で育ってきました。祈りが生活の一部だった。そこはわたしたちと違うところです。そんな彼らが、「祈りを教えてください』と言ったのは、なぜでしょうか。
二つのことが言えると思います。一つには、イエス様が祈る姿を遠くからでも見ていて、自分がしている祈り、自分たちがこれまで見聞きしてきた祈りとは何かが違う、そう思っていたからでしょう。祈っているイエス様を遠目には見ながらも、簡単には近づけないような、「畏れ」を感じていたのではないでしょうか。イエス様は一体、どんな祈りをされているのだろう。今まで自分たちがしてきた祈りは、ほんとうの祈りではなかったのではないか。ほんとうの祈りは、イエス様に教えていただかなければ分からないままではないか。そういう思いを抱きつつ、勇気を出して尋ねたのではないでしょうか。
あるいは、もう一つ考えられることがあります。彼らは「自分たちの祈り」が欲しかったのではないかということです。それは「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように」という言葉から分かります。ヨハネとは洗礼者ヨハネのことです。イエス様が宣教を始められたのは、洗礼者ヨハネがヘロデにより捕らえられてからでした。そしてこの頃には、9章7節以下の記述からも分かるのですが、ヨハネはヘロデに首をはねられていました。しかし、ヨハネの弟子集団はそのまま残っていたのです。イエスのうわさを聞いたヘロデはヨハネが復活したのではないかと思ったほど、影響力があった。
イエス様の弟子たちは、そんなヨハネの弟子たちには彼らの祈りがあることを知っていました。ヨハネが教えた祈りがあることを。弟子たちはヨハネの弟子たちのように自分たちの祈りを持ちたいという思いがあったのではないか。それで、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」という言葉になったのではないでしょうか。
イエス様は彼らの願いに答えられました。2節以下です。「そこで、イエスは言われた。『祈るときには、こう言いなさい。『父よ、 御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、 わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」。
この祈りは、わたしたちが礼拝のたびに、あるいは祈祷会のたびに、そして毎日祈っている「主の祈り」の原型です。言葉が足りないところがあって、「主の祈り」の形が整うのは、もう少し後の時代です。マタイの6章9節以下では、わたしたちが知っている「主の祈り」に随分近い言葉で出てきます。おそらくは、マタイ教会とも呼べる、マタイの共同体の礼拝の中でこれが用いられてきたと考えられます。ルカ福音書の場合には、あくまでも弟子たちの「わたしたちにも祈りを教えてください」という願いに答えて、「主が教えられた祈り」として記されたものして記されてあります。やがてこれが「主の祈り」として、「主の弟子たちの祈り』、「教会の祈り」として根付いていったのです。その意味で、今日の箇所は「主の祈り誕生秘話」とも呼べる重要な箇所です。
わたしは、主が弟子たちに祈りを教えてくださったこと、教会に「主の祈り」が与えられたことは、まことに幸いなことだなと思っています。教会の中で、祈りが苦手だという人も「主の祈り」は祈ることができます。キリスト者でなくても、かつて教会学校に通っていた人、キリスト教学校や教会付属の幼稚園に通っていた子でも、「主の祈り」は覚えているか、一度祈り始めれば、言葉が続いて出くるのではないでしょうか。なぜ、覚えているのか。「主の祈り」はとてもシンプルだからです。言葉自体は、難しくないのです。教えられた弟子たちは、こんなに簡単だとは思ってなかったのではないでしょうか。拍子抜けしたかもしれません。しかし、内容はとても豊かです。そして「主の祈り」を通して、すぐに気づくことは、すべてが「願い」だということです。
よく言われることがあります。「祈り」と「願い」は違うと。わたしはあるとき、先輩牧師に諭されたことがあります。「田口先生の祈りは願いが多いと」と。正直、何でそんなことを言われないといけないのかと思いました。しかし、かなりショックな言葉として今も残っています。分かってはいるのです。祈りは、願いばかりではない。感謝もあれば、賛美もある。執り成しもあります。牧師だけでない、礼拝の司式をする長老などは、よく思うはずです。願いばかりでは、幼稚な祈りとなってしまう。もっと洗練された言葉で祈れるようにならねばならない。そのためにも祈りを学ばねばならないのだと。
祈りについて、わたしたち以上に、弟子たちはそんな思いが強かったかもしれません。昔から知っているユダヤ人として教えられた祈りではない。また、ヨハネの弟子たちのように、イエス様の弟子として、わたしたちの祈りがほしかった。弟子たちは、イエス様はどんな言葉で祈っているのか。近づきがたく、よく知らなかったのです。でも、イエス様のような祈りがしてみたかった。色んな思いが重なって、祈りを教えてほしいと思い頼んだ。すると、教えられた祈りはとても短いものでした。誰もが覚えることができる祈りを教えられた。その祈りがすべて願いであったことも、心にとめておきたい。
しかし、願いだと言っても、自分勝手な祈りでないことは明らかです。「主の祈り」は、前半、先ほどの62番の讃美歌でいえば、1~3節が、神の栄光が現わされることを願う祈りであり、後半の4~6節が、わたしたちのための祈りになっています。「わたし」ではなく「わたしたち」の祈りとされていることにおいて、「隣人を自分のように愛せるように」という願いです。
そこで気づかされることは、ルカによる福音書が、「善きサマリア人のたとえ」から「マルタとマリアの話」、そして「主の祈り」を順に配置するという構造の巧みさです。善いサマリア人のたとえが話される前提として、律法学者とイエス様との会話がありますが、ここで律法の中でもっとも大切な二つの教えが語られていました。27節の「神を愛し、隣人を愛する」という掟です。全体集会で奥村長老はここに目を留められて、善いサマリア人が隣人愛を、イエス様の御言葉に集中するマリアの姿勢は、神への愛として語られました。キリスト者にとって、この二つともなくてはならぬものです。その後で、神を愛せるようにという祈り、隣人のための祈りが教えられているのです。すべてが「願い」だと言っても、主から教えていただかねば、わたしたちの内からでは生まれない祈りです。
これらの祈りはすべて、神を「父よ」と呼びかけることが許されていることにおいて、湧き出してくる祈りといえるのではないでしょうか。イエス様が普段語られた言葉で言えば「アッバ」、日本語で言えば「お父ちゃん」です。わたしたちが使う「主の祈り」でいえば、「天にまします我らの父よ」と、少しいかめしくもなっていますが、イエス様は、ご自分と同じ「アッバ」、「お父ちゃん」と呼びかける名前を弟子たちにくださったのです。イエス様は、切っても切り離されることのない、父なる神とその独り子と等しい関係に、弟子たちを招いてくださったのです。あなたがたも神の子。どんな悲惨なことがあったとしても、神の目から見失われることはない。あなたも神に愛されている、神の子だよ、と。
イエス様が、「父よ」と呼びかけることから祈りを教えられたこと、それだけでも大きな意味があります。主の祈りばかりでなく、わたしたちの普段の祈りでも「父よ」と呼べる。わたしたちの祈りは、神に愛され、神の子とされていることの感謝から始まるのです。ただお願いするのでなく、感謝の中で「願い」をする。そこに何ものにも勝る確かさがあるのです。