聖書:詩編16編7~11節
ルカによる福音書13章31~35節
説教:「今日も明日も、その次の日も」田口博之牧師
先週は礼拝を中止するという措置を取りましたが、1回の休みで済んだことを主に感謝しています。このケースでは礼拝を中止することを長老会で決めたことに従ったものですが、取り決めをした時点と今とでは状況が変わっています。後で振り返ると、発症してしまった人がなおさら責任を感じてしまうのではないか、そんな思いも芽生えはじめて忸怩たる思いに捕らわれていました。
礼拝の大切さはたびたびお話してきたことでもありますが、「教会は公の礼拝を守り」と唱えられるように、礼拝は教会のいのちです。礼拝するために教会は立てられているといってもよいのです。「聖なる断食」という言葉を使いましたが、一食抜いただけでは断食とは言わないように、いのちなる礼拝を休んだというのは日曜の朝ごはんを食べなかったという話ではありません。イエス様は断食を勧められたことはありませんが、断食などしても意味がないと否定されたわけではないのです。来週もそうするのですが、これまでにも何度か聖餐をお休みしました。けれども、休むことで気づかされることがあるのも事実です。また「聖なる断食」というように、これは神が与えた時として受け止めねばと思いましたし、そう捕らえてほしいと思いました。
同封したメッセージに、わたし自身の体験も合わせて、「礼拝に行くのが当たり前」という言葉を使いました。礼拝が当たり前になるのは、信仰者にとって良いことではあるのですが、裏を返せば習慣であり、惰性ともなり得るものなので気を付けねばならないことなのです。新型コロナウイルス感染症は、わたしたちが当たり前だと思っていた様々なものを奪いました。礼拝も奪われました。無くなって初めてその価値が分かるということがあります。当たり前であることが、どれほどの恵みであるのかを知らされました。
イエス様は断食を命じたことはありませんでしたが、ご自身は40日間、荒れ野で悪魔の誘惑にさらされて断食しました。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ」と悪魔に言われました。そのとおりパンにすることはできたでしょうが、、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言われ、誘惑を斥けられました。
わたしたちは礼拝に出られなくても聖書を読むことができます。祈ることもできます。礼拝に出られないからといって信仰が失われることはありません。しかし、礼拝でしか経験できないことがたくさんあるのです。御言葉を聞く時には、一人で聖書を読んでいる時とは違う出来事が起こることがあります。これはわたしのために語られた言葉だと思い、心震える時があります。そんなことはいつも起こることではなく、退屈もする時もあるでしょう。同じ言葉を聞いても、一人として同じ聞き方はしないのです。礼拝後に、今日はこのような話をありがとうございましたと言われ、聞きながら「そんなこと言ったかな?」と思う時もあるのです。若い頃は、それは聞き方が悪いのではと思ってしまいましたが、今はそれがその人が聞いた御言葉だと、受けとめるようになりました。そういうことは礼拝でしか、起こり得ないものなのです。
礼拝について話は尽きなくなりますので、今日のテキストの話をします。今日の箇所は、31節「ちょうどそのとき」という言葉で始っています。「ちょうどそのとき」と言うのですから、前節からの連続性があるのです。前節といっても、22節を見てもらうのがよいと思いますが、イエス様がエルサレムに向って進んでおられました。その途上で「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と尋ねる人がいて、その問いをめぐって話をされ、最後に答えられたのが前節でした。救われる人は、多いか少ないかというよりも「後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」のだと答えられたのです。
こうしたやりとりをしていた「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て」イエス様に忠告をしたのです。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と。ファリサイ派の人々はどういう思いで忠告したのでしょう。ああ、ファリサイ派の人々の中にもイエス様に好意的な人がいて、この町にヘロデが来ているので逃げてくださいと言った。読んでいてそのように思いました。
確かに聖書を読むと、ファリサイ派の人というのは、イエス様を敵視した人ばかりではなのです。しかしながら、こうも読めるでしょう。彼らは「ここを立ち去ってください」くださいと命じています。もしかすると、自分たちが住んでいるこの町からイエスに出て行ってもらいたかったのではないか。それでヘロデを口実に使ったのかもしれない、そのように思いました。実際に二通りのとらえ方ができるとする注解書は少なくないのです。ファリサイ派の人々の忠告に対するイエス様の答えに感謝の言葉がないことも確かです。
イエス様はこう言われました。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。」
ヘロデを「あの狐」と呼ばれたイエス様の思い、またファリサイ派の人々とヘロデとの関係については、別の機会に譲りたいと思います。ここで大事なことは、「あなたを殺そうとしている」という言葉に対するイエス様の覚悟です。エルサレムへの道は受難への道だとたびたび話してきました。イエス様は、「預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ」と語られています。エルサレムでご自身が十字架にかけられることを承知して、これを「自分の道」として「進まねばならない」と言われたのです。この「ねばならない」という言葉は、神の必然を表しています。自分の意志でエルサレムに行きたかったのではなく、神の定めとして進んで行かれたのです。
では、イエス様が目指すエルサレムは、神が永遠の都と定められたところです。もともとはエブス人の町でしたが、戦争に勝ったダビデが、エルサレムで政治を行うこととし、契約の箱を持ち込みました。ダビデの子、ソロモンの代になって神殿がつくられました。神の民は、エルサレムに主が住まわれるところと信じて集まってきます。エルサレムは「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」民を憩わせる、そういう都であった筈です。しかし、その歩みは異なりました。
イエス様は、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる」と、言われます。ではイエス様はエルサレムを呪っているのでしょうか。そうではありません。「エルサレム、エルサレム」と、二度名を重ねています。イエス様は呪いではなく嘆いておられるのです。預言者を、救い主をも受け入れようとしない神の都のために嘆いておられる。
イエス様は、「言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」と言われました。現実にイエス様がエルサレムに入られたときには、「主の名によって来られる方に、祝福があるように」。この言葉によって迎え入れられたのです。
そのところ、ルカによる福音書19章37節を見てみましょう。(147pです)「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」エルサレムにもイエス様を主とあがめる弟子たちがいたのです。イエス様は、ダビデ王の再来として人々から歓迎され、クリスマスの天使たちの賛美さながらに迎え入れられたのです。
しかし、エルサレムの都を見られたイエス様は、都のために泣かれたのです。エルサレムに入られるとまっさきに神殿に向われ、商売をしていた人たちを追い出しました。祈りの家を強盗の巣になり果てたことへの嘆きです。
イエス様は、そのような嘆きを携えながらエルサレムへの旅を続けたのです。「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」と言われます。言うまでもないことですが、この三日目とは、今日、明日、明後日と数えて三日目ということではありません。三日目とは、大いなる御業があらわれる日、それは復活の日であり、終わりの日に向って、新たな段階が始まる日です。イエス様の地上での御業は、十字架と復活と昇天により終わりました。すべてを成し遂げられましたが、神の働きは今も終わっていません。
イエス様が復活されて50日後、天に挙げられた日から数えて10日後、エルサレムに聖霊が下ったのです。以来2千年、聖霊の時代が続いています。教会は聖霊の宿る神殿です。「今日も明日も、その次の日も」、主が再び来られる日まで続く営みです。
日本で最初のコロナ感染が確認されてから丸二年が経ちました。以来、わたしたちの労苦は続いています。この労苦はしばらくの間、まさに「今日も明日も、その次の日も」続きます。感染者の数はうなぎ上りとなっています。しかし、数に翻弄されないのがよいと思います。わたしたちは、この状態は一体いつまで続くのかと消沈する必要はありません。コロナウイルスが消えてなくなることはないかもしれませんが、感染拡大が永遠に続くわけではないのです。わたしたちは、「今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」と言われたイエス様に従う歩みを続けます。
このイエス様の思いに聞く時、宗教改革者マルチン・ルターの言葉だと言われている「たとえ明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える。」この言葉を思い出しました。たとえどんな状況に置かれようとも、できることを一歩一歩、着実に歩みを進めることだけ、そんな思いを告げています。但しルター研究者によれば、「たとえ明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える。」ルターの卓上語録はじめ、どの著作にも存在しないとのことです。すると、後の時代になって、ルターの言葉として権威付けがされてきたことになるのでしょうか。しかし、そうだとしても、ルターと言う人は、ペストの大流行により人口の3割以上が命を落としていくという状況の中で改革に邁進しました。命が尽きるまで、主のためになすべきことをし続けたのです。
東北大学に宮田光雄という方がおられました。思想史家、政治学者であり学生伝道の働きをなさった先生です。宮田先生は、1992年秋の伝道礼拝に名古屋教会に来られています。説教要旨が土器に残っていましたが、その年度のスペースの関係と内容の深さもあり、宮田先生の言葉を135年史に残すことはできませんでした。
その宮田先生が、先のルターの言葉について言及された文章があります。先生によれば、この言葉は1970年以降、ドイツ内外の多くの文学者や神学者、さらには政治家たちによって口にされたと言われます。疑似ルターの言葉は、ことに東ドイツの社会変革に対して力を発揮した。やがて若者たちの軍事教育反対や兵役拒否の動きとも連動して、ベルリンの壁を崩壊させることになったのだ。そのように語っています。
希望が見いだしにくい時代です。日本社会もそうですが教会もそう。先週は日本基督教団常議員会の教団機構改定の協議会や、予算決算委員会にオンラインで参加しました。名古屋教会だけでなく教団全体がダウンサイズする中にあって、高度成長期に作った機構では対応しにくくなっているのです。教団が債権を発行できる筈もありません。各教会からこれまでのように負担金を集めることができない中にあって、どのような教団であるべきかを話し合いましたが、ここ数十年の歩みと現状から見た時、厳しさだけが見えてきます。
先週の全体集会では、教会史を見ながら、教会の将来について話し合うことになっていました。金曜日の夜に牧師館建築検討委員会が行われましたが、牧師館単体ではなく、教会の将来像とつなげて考える必要があるという意見が出ました。教会の将来については、来年度の教会の目標に定めて話し合うことになるだろうと思います。今年度もいきなり全体集会では難しいので、各委員会や団体で積み上げたものを9月の全体集会に出すことがもともとの計画でした。今年度はそれができませんでしたが、委員会単位でなくても、教会員が2,3名集まったときに、世間話ではなく、教会の話に比重をおくことを心がけてほしいと思っています。
そのときに大切なのは、評論家のような見方ではなく、自分のこととして、わたしにできることは何か、そこから考えるということです。何もできないと思う人がいるかもしれません。それでも祈ることはできるはずです。どう祈っていいか分からない人には、このことために祈って欲しいとお願いします。
「たとえ明日が世界の終わりの日であっても、私は今日りんごの木を植える。」宮田先生は疑似ルターの言葉という言い方をしましたが、そこには「わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない」と言われたイエス様の思いがあらわされています。そのような主の御声が聞こえるような信仰生活を送りたい。そのためにも、できるかぎり礼拝を教会生活の基軸に置く。すべてはそこから始まるのです。