2022.8.7 平和聖日礼拝
イザヤ書52章7節「平和の使者として」
2022年度、わたしたちの教会は「平和を祈り求める共同体」という年度標語のもと歩んでいます。これを標語にとしたきっかけは、2月24日のロシアのウクライナ侵攻でした。ニュースで人々が大勢住む町にミサイル弾などが撃ち込まれる。信じられない思いとなり心沈みました。戦争が始まってまもなく、「ウクライナのための平和の祈り」を書きました。今日の平和聖日祈祷会の祈りにも加えられています。戦争が始まって半年近くなりますが、終結の目途は立っていません。状況はますます酷くなっています。
ロシアの指導者は積年の恨みがあるようですが、権力に物を言わせて戦争をするなど言語道断です。しかも核の使用をちらつかせています。昨日の広島の平和記念式典が行われましたが、ロシアの駐日大使は招待されませんでしたが、その仕方はどうなのかと議論を呼びました。他方、国連の事務総長は12年ぶりに参加し、ロシアによるウクライナ侵攻に触れながら、「核兵器という選択肢は永久に議論から外してください。被爆者のメッセージに耳を傾けましょう」と呼びかけました。今日、心を尽くしてウクライナの平和への祈りを捧げます。この祈りは世界の平和への祈りに通じます。
今朝の平和聖日礼拝にあたって、イザヤ書52章7節を選ばせていただきました。
「いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ
あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。」
何が「良い知らせ」なのでしょう。「良い知らせ」という言葉から「福音」という言葉が生まれました。では、「良い知らせ」、「福音」とは何でしょう。イザヤは「彼は平和を告げ」と言っています。「平和」こそ、「良い知らせ」、「福音」なのです。さらに「恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ」と言われています。「平和」は、「恵みのよい知らせ」であり「救い」なのです。「平和」と「救い」が、一つのこととして語られています。
戦争がない状態が平和ではないと言われます。確かにそうです。先週も豪雨被害に遭った地域がたくさんありますが、その地域に住む人々は平和ではありません。平和と訳されたヘブライ語のシャロームは、すべてに満ち満ちた、欠けのない状態を表しています。とはいっても、ウクライナのことを考えれば、戦争が終わるという知らせが届けば、そこから平和が始まります。戦禍にいる人々にとって、それはまさに「良い知らせ」であり「救い」です。
イザヤ書の具体的な文脈の中では、良い知らせはバビロン捕囚からの解放です。イザヤ書40章から55章は、第二イザヤという言い方がされていますが、第二イザヤの時代に、捕囚の民はバビロンからの帰還が許されたと考えられています。また今日のテキストと、イザヤ書40章9節以下は響き合っています。
今朝の礼拝の初めに読まれた招詞は、イザヤ書40章9節から11節の口語訳でした。9節はこうあります。
「よきおとずれをシオンに伝える者よ、 高い山にのぼれ
よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、 強く声をあげよ、
声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え、
『あなたがたの神を見よ』と」。
ここで勝利を伝える者は、高い山に登って、強く声をあげよと言われています。名古屋教会の講壇も階段に手すりがつくほど高いところにあり、牧師は誰の耳にも届く声で「よきおとずれ」である、「福音」を語ります。
ところが、イザヤ書52章では、高い山の上から声をあげるだけではないのです。そうではなく、山々を行き巡って良い知らせを告げるのです。ですからここでイザヤは、良い知らせを告げる者の「声」ではなく「足」に注目しています。よい知らせを告げる者の足を見て「いかに美しいことか」と感嘆の声を挙げています。
なぜ、足の美しさを語るのでしょうか。イザヤが見た福音を告げる人の足は、とてもスラリとしていたのでしょうか。それとも、陸上の選手のような力強さがあったのでしょうかい。しかし、イザヤが語ったのはそうではないのです。足そのものは、ほこりにまみれで汚れているのです。豆ができて、血が吹き出していたかもしれません。当時、足というのは、人間のもっともきたない部位ととらえられ、だからこそ、足を洗うのは奴隷のする仕事でした。そのような足を見て、「いかに美しいことか」と叫んでいる。
なぜ、そのように言われているのかといえば、良い知らせを告げる者に託された使命が美しいからです。その使命を託すのは神であり、託されるのは使者です。福音の使者、平和の訪れを伝える使者です。使者がその使命を果たすためには足を使わねばなりません。高い山から降りて、山々を駆け巡らねばならないのです。
「良い知らせを告げる」。これは戦争の中から生まれたことだと言われています。使者は戦いの様子を伝えるべく、高い山に登り戦況を見つめます。今どういう状況なのか、知らせを待つ人々に知らせるために、声を上げ、山々を越えて休まずに走り続けるのです。その知らせが町の人々に喜びをもたらします。それを見て、良い知らせを伝える者の足は、何と美しいことか、と言われているのです。
昨日、横須賀で牧師をしている友人が、衣笠病院グループ創立75周年記念の講演会がYouTubeに上がっていることをSNSに載せてきました。わたしもFBでシェアしました。阿部志郎先生は、日本の戦後福祉のパイオニアと呼べる方です。阿部先生の講演は、「わたしは戦争っ子です」という言葉から始まりました。大正15年生まれの阿部先生は。20歳で敗戦を迎えました。先生は、若い頃には、戦争をしている国家を信頼していた、大本営は「勝って,勝って、勝つ」と勝利の報告ばかりだった。南方が陥落、全滅したときも、「転進」という言葉で、戦況が変わったとしか言わなかった。軍隊に入ると、さらに情報は限られてしまい、広島・長崎の原爆のことも知らせなかった。太平洋戦争戦況を伝えた人の足には美しさはありません。イザヤやエレミヤが戦った偽りの預言者と同じです。同様の言葉が、今の時代もあふれていると思えてなりません。
阿部志郎先生は、戦争が終わり信頼した国家に裏切られ、何も手に着かなくなった。そんなときにシュバイツァーの言葉と出会った。自分は「戦争によって、文化が崩壊した」と思っていたけれど、シュバイツァーが「文化が衰弱したから戦争が起こった」と語ったのを知り、目を覚まし、新しい文化を造らねばと大学に入り直したそうです。戦後、同様の思いをもって神学大学に入られた牧師は大勢いらしたと思います。阿部志郎先生の講演は力強いものでした。
イザヤは捕囚からの解放を告げ知らせました。それが良き知らせであり、平和と救いの告知でした。それはあなたの神、すなわちイスラエルの神が王となられたこと、神が勝利されたことを告げる宣言でした。日本の場合、8月15日の玉音放送は、日本が戦争に負けたことを告げる知らせでした。日本が勝つことを信じていた人々にとって、それを良き知らせと聞くことはできませんでした。天皇が神でなかったことを知らしめることになりました。しかし、戦争が終わったことで安堵した人々も大勢いた筈です。占領下の時代に、1947年5月3日に日本国憲法が施行され、第9条に「戦争の放棄」がうたわれました。平和憲法と呼ばれるゆえんです。戦争中には誰も言えなかった「平和」という言葉を、皆が口にできるようになりました。
最近感じるのは、多くの人が口にしていた「日本は平和だ」という言葉が、聞かれなくなったということです。戦争の影が忍び寄っているという思いがあるからでしょうか。でも、それだけではない気がします。平和、シャロームであると感じられなくなってきているのです。経済格差、分断、差別の問題。相次ぐ自然災害、そしてコロナの問題がそう思わせているのかもしれません。恐れと不安の時代にあって、良き知らせ・平和を告げる教会の役割はとても大きいのです。
イエス様が十字架に死なれたとき、弟子たちは恐れに捕らわれて部屋の中に閉じこもっていました。そんな弟子たちのところに復活されたイエス様が表れ、弟子たちの真ん中に立って「あなたがたに平和があるように」と言われ、ご自分の手とわき腹とをお見せになりました。「弟子たちは、主を見て喜んだ」と書かれてあります。
イエス様は、弟子たちを派遣したときに何を命じられたでしょうか。ルカによる福音書10章に72人を伝道に派遣した物語が出てきますが、イエス様は彼らに「どこかの家に入ったら、まず『この家に平和があるように』と言いなさい」と命じています。そこから神の国の宣教が始まったのです。
イザヤは、「いかに美しいことか 山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え 救いを告げ あなたの神は王となられた、と シオンに向かって呼ばわる。」
そう言いました。もしかすると、良い知らせを告げる者は一人の人ではない。むしろ、高い山に登って良い知らせを告げる主のみ声を聞いて、これを伝える伝令の役割を持った者たち。主に遣わされた伝道者集団のことを指しているのではないのかと思いました。現代において誰がその働きを担うのかといえば、礼拝で御言葉に聞くわたしたちです。
イザヤの言葉を受けて語ったパウロの言葉、ローマの信徒への手紙10章14節、15節を聞いて終わることにします。
「ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。『良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか』と書いてあるとおりです。」