詩編122編6~9節、ルカによる福音書10章1~12節
「平和の子」   田口博之

※12月27日の礼拝の中でブログに紹介すると伝えた説教原稿です

7月は記録的な長雨が続きました。上旬の熊本の球磨川に端を発し、全国各地で河川の氾濫、洪水が起こりました。先週も最上川の堤防が決壊し被害が出ました。7月の降水量が、過去最高を記録したところも少なくないようです。

7月31日、金曜日の朝10時半頃、学童の子どもたちが水着に着替えて表に出てきました。大きな水鉄砲を持っていて、近くの公園に遊びに行くようでした。その後、登校日だった幼稚園の退園時間11時半になる頃に雨が降り始め、その後バケツをひっくり返したような大雨が、雷と共にしばらく続きました。幼稚園の子どもは帰ることができず、学童の子はまるでプールから出てすぐのようなずぶ濡れで帰ってきたにで、ピロティは大密になりました。

最近、教会でも大雨が降るたびに、トイレのどこかから漏水が続いていました。どこから漏れているか分かりませんでしたが、この日の目撃することができました。思いがけず、色んなところから染み出てくることが分かりました。タオルなどを置いて防ごうとしたのですが、一度漏れ始めたらあっという間に水びだしになってきます。水の勢いを実体験し、これが堤防の決壊だったらおそろしいことになると思い被災者に思いを寄せました。

7月は東シナ海で一度も台風が発生しなかったそうなのです。これも史上初めてということで異常気象の表われでしょうか。ところが昨日、8月に入った途端に梅雨が明けましたが、1日で二つの台風が発生したらしい。今日も暑い日となりそうで熱中症も心配です。コロナの問題がなかったとしても、心配は尽きません。

さて、今日8月第1聖日は、日本基督教団では平和聖日としています。誰かの句に、「8月は、6日、9日、15日」というのがあるそうです。8月になると多くの人が、広島と長崎の原爆の悲惨、そして戦争の悲惨さを思い、平和について思いを寄せる時となります。

今日は、聖書で語る平和について考えてみたいと思いました。詩編122編は、120編から134編まで続く「都へ上る歌」の一つ。6節以下は、エルサレムの平和が集中的に祈られているところです。

ここにある「あなた」とは、エルサレムのことですが、「エルサレムの平和を求めよう」と呼びかけているのは誰なのか。また「わたし」とは誰なのかについても、色んな解釈があります。それらを紹介する暇はありませんが、わたし自身は、詩編122編の作者が、「エルサレムの平和を求めよう」と呼びかけ、この作品の読み手が、呼びかけに答えて、エルサレムの平和と幸いを祈る、そう読むのがいいのではと考えています。ゆえにわたしたちもエルサレムの平和を祈るのです。

「都に上る歌」とは、エルサレムに上る時の巡礼歌ですが、現代のエルサレムも、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という三大宗教の聖地として、世界各地から多くの人がここを訪れています。エルサレムに行く方の目的は、観光というよりは巡礼の思いをもっておられると思います。その割に聖書に出てくる名所、旧跡が観光地スポット化されている気がしますが、エルサレムに行くと、歴史の重層化を知らされます。新しい支配者は、瓦礫を取りのけるのでなく、瓦礫を地ならしした上に新しい町を築きました。イエス様が歩かれた道は、10メーターくらい下にあると言われました。エルサレムはどこを掘っても、遺跡が出てくるのです。それは、「平和」というより「戦争」の痕跡ともいえますが、この詩編が作られたのも、捕囚後の第二神殿時代と考えられますので、すでに歴史は折り重なっています。また、エルサレムという言葉自体、イェル シャライム、「神の平和」を意味する名です。昔も今も、誰もがエルサレムの平和を求めます。

イエス様一行も、エルサレムに向けて旅をはじめました。今年の3月まではルカによる福音書のいわゆる連続講解説教をしてきました。今年度は主には「教会」を主題とした説教をすることにしましたので、9章まで読み終えたところで一休みしています。

今日は再開するという意味ではなく、この箇所を読みたいと思いました。イエス様はガリラヤを中心とした伝道旅行をされていましたが、9章51節にあるように「エルサレムに向かう決意を固められた」のです。これは、「天に上げられる時期が近づくと」とあるように、十字架への道を歩み始めたということです。罪なき者の死を通して、罪の死に定められたわたしたちと神との間に和解を成し遂げる。まことの平和をもたらすためのエルサレムへの旅です。

10章1節に「その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」とあります。9章初めにも12人の派遣の記事がありましたが、そのほかに72人ということです。ここには、イスラエル全部族を超えた、世界伝道への先ぶれが表されています。イエス様は、72人も遣わされたのに、それでも「働き手は少ない」と言われるのです。

神学大学のポスターに、「収穫は多いが、働き手が少ない」という御言葉が出ていました。献身者が少ない時代になっています。先週就任式があった金城教会の伝道師、また今月末の名古屋中央教会もそうですが、新任の伝道師の年齢は、主任牧師のやや上です。今は若い献身者が少なくなっています。一方で、若い献身者を求めたところで、洗礼を受けた数少ない青年が皆、献身してしまったら教会はどうなってしまうのかと考えたことがありました。それでは教会は誰が支えるのかと。でも、ふと気がつきました。献身者、導き手が与えられなければ誰も導かれないということを。パウロは述べたごとく、「聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がいなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう」。遣われる人がいなければ、誰も信じる者とはされないのです。教会の規模は小さくなるとしても、そこに遣わされる人がいることがたいせつです。

だからイエス様は言われるのです。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす」と。

では、その派遣先はリスクがないところなのでしょうか。そうではありません。「それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言われています。厳しい世界なのです。にもかかわらず「財布も袋も履物も持って行くな」と言われています。なぜでしょうか。もちろん、どうせ狼に取られてしまうから、などという意味ではありません。神が配慮してくださるからです。神の守りがある。そこにすでに、シャロームがあるのです。

「途中でだれにも挨拶をするな」とは、何だか不思議な言葉です。挨拶をしないなどは、非常識ではと思います。でも、これはそんなにのんびりした旅ではないのです。72人が携えるメッセージは、9節にあるように「神の国はあなたがたに近づいた」です。どうやら中近東の人は挨拶が長いらしいのです。すると途中で挨拶するということは、神の国を告げるという目的の妨げになります。9章の終わりで語られているような「鋤に手をかけてから後ろを顧みる」ことになりかねない。その者は「神の国にふさわしくない」と言われるのです。

では、遣わされた人はどうすればいいのでしょうか。5節「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」と命ぜられています。これは「平和の挨拶」です。

新約聖書はギリシャ語で書かれており、ここで使われている言葉は「エイレーネー」というギリシャ語です。ギリシャ語のエイレーネーという言葉自体は、もともとは戦争や争いのない消極的平和を意味します。日本語の「平和」も、どちらかといえばそういう響きがあるでしょう。今年は敗戦から75年目の夏を迎えますが、日本は戦争と呼べる戦争はなかったことから「日本は平和だ」という言い方がされることもあります。しかし、戦争がないからと言って平和だと言えるでしょうか。今日は久しぶりに聖餐を祝う予定でしたが、見送ることとしました。コロナの感染者が増え始めためです。わたし自身は聖餐のリスクは、向かい合って大きな声でしている会話と比べれば、小さいのではないかと思います。それでも準備する人や受ける人の不安のほうが先に立つとすれば、そこに平和ではありません。

ヘブライ語の「シャローム」はギリシャ・ローマ的な戦争や争いのない消極的平和でなく、すべてに満たされるがゆえに民が安全に守られるという積極的平和を言います。では、旧新約で意味合いが違うかと言えばそうではありません。エイレーネーもイエス様が用いられたシャロームの訳語とされる限り、意味が変わってくるのです。

7節と8節に「出される物を食べ」と言う言葉が出てきます。これは、好き嫌いのわがままを言わないということではありません。ユダヤ人は食物規定がありますから、異邦人の町に入ることが想定されています。律法で汚れた食べ物とされていた生き物はたくさんありますが、イエス様は「出される物を食べなさい」と言われるのです。そこで語るメッセージは「神の国はあなたがたに近づいた』です。「時は満ち、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」と宣べ伝えられましたが、わたしたち、教会が伝えることも同じです。

でも、この言葉は受け入れられるほうが少ないのです。「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」と言われるほどの厳しさがあります。だとしても、落ち込んだりしている暇はありません。11節ですが、「足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ」とイエス様は言われます。メッセージは徹底して「神の国は近づいた」なのです。

今日のところで思わせられるのは、平和の挨拶と、神の国の宣教の関係です。イエス様に遣わされる72人は、のんびりはしていませんが、何も切羽詰まって、追いたくられているようにして神の国を伝えているのではありません。彼らには主の平和が充満していたのです。主の平和を持ち運ぶようにして、神の国を伝えるのです。

「神の国は近づいた」のメッセージを、迎え入れた人がいれば、迎え入れなかった人がいたように、平和の挨拶も同じです。5節以下「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる」とあります。たとえ平和の子がいなくても、その平和は失われることはないと言われているのです。

では、「平和の子」とは誰でしょう。マタイ福音書の12人の派遣の記事を見ると、10章11節以下にこうあります。「町や村に入ったら、そこで、ふさわしい人はだれかをよく調べ、旅立つときまで、その人のもとにとどまりなさい。その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる」とあります。

マタイは「平和の子」を「ふさわしい」という言葉で表現しています。平和の子とは、平和を受けることにふさわしい人、平和を受ける用意のある人、平和を待ち望んでいる人、そのように言い変えてもよいと思います。神の国を告げている人がいることに気付いて、神の国のゆえに彼らを受け入れる人、そのように言うこともできるでしょう。

イエス様は、平和の子が備えられているから、心配しなくてもいい、何も持たなくていいと言われるのです。7節の「働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな」この言葉は、後の時代の家の教会の話をしているように思います。神の国を宣べ伝える伝道者を支えなさい。伝道者もまた、遣わされたところでじっくり腰を据えて伝道する。教会を支える平和の子らと共に生きてゆく。これはわたしたち教会に語りかけている言葉です。

CS礼拝、あるいは子どもと大人と共に礼拝で、司式者と会衆。そして互いに平和の挨拶をしていますが、これは形式的にしていることでありません。自分自身が神の平和に生かされている存在として、互いの平和を差し出すように相手に伝える。互いに受け入れられるところで平和がもたらされていく祝福の挨拶です。

復活後のイエス様が弟子たちのもとに現れたとき、最初に発した言葉が「あなたがたに平和があるように」でした。この主の平和を受けることで恐れていた弟子たちは平和の支配のもとに移されました。復活の主の平和の挨拶が、彼らにとっては赦しと和解となり、主の証人としての出発点となりました。

主の平和は、わたしたちの内から生みだされるものでなくん。わたしたちの外から与えられるものなのです。2020年前のベツレヘムの野原で、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」の歌声が響きました。御子の誕生により、神の平和が地上に訪れました。教会につらなるわたしたちはこの喜びを知っています。平和聖日に聖餐が祝えないのは残念です。クリスマスに愛餐の時が持てるかどうか分かりません。しかしこの地上に神の子が訪れ、わたしたちは神の子とされたとき、平和の子とされたのです。ここに歴史の大きな転換があります。わたしたちのところにも、神の平和を告げる人がいて、それを受け入れた。だから、わたしたちは平和の子となり、平和を告げる者として、遣わされていくのです。