ルカ24:1-12
「墓に行き、墓から帰る」田口博之牧師

ここには名古屋教会員と教会につながる多くの信仰者のお骨が納められています。今月に入って、4基目の墓誌板が設置されました。名古屋教会では、2023年度に8人の方が召天されましたが、うち2名の浅野基明さん、小谷治郎さんの名前が新しい墓誌板に刻まれました。

ただし今日の納骨者は3名です。3基目の墓誌板の最後に名が刻まれた山田利一さんです。山田利一さんは、教会員の山田知子さんのご主人で、山田修司さんのお父さんです。コロナ前、2019年10月24日の朝に72歳で逝去されました。同じ日の夜に教会員の岩田鋼二さんが召されました。さふらん会のグループホーム・シャロームで働かれた方です。お骨は4年5カ月、お宅にありましたが、時が来て、本日納骨されることになります。

浅野基明さんは、5月2日に召されました。91歳、クリスチャンホームとして生まれたときから清水教会につながり、名古屋中学3年の時に赤石牧師より洗礼を受けられました。教会では会計長老、財務、総務、委員として大きな働きをされました。また聖歌隊ではいいベースを響かせてくださいました。信仰の篤い方でした。

小谷治郎さんは、8月26日、97歳で天に召されました。教会の最年長でした。お体は小さかったですが、パワーのある方でした。1960年に名古屋教会に転会、教会の長老も長く務められた方で、YMCAでも活躍されました。聖書を深く読まれる方で、骨太の信仰をお持ちでした。

皆さんは葬りというと、お葬式のことと考えられるでしょうが、厳密にいえば、火葬のことであり、この埋葬をもって葬りを終えることになります。欧米の映画を見ていると、教会の墓地で葬儀をするシーンが多いと思いますが、イースターの召天者記念礼拝の中で、納骨をすることはふさわしいことだと思います。

イエス様の葬りは大急ぎでなされました。十字架で息を引き取られたのは午後3時、夕方日が沈むと安息日に入るので、いかなる仕事をしてはなりません。死体を十字架に架けておくままにするのは許されない状況の中で、富める議員であったアリマタヤのヨセフという人が、自分のために造っておいた新しい墓にイエス様を大急ぎで埋葬したのです。

イエス様が墓に納められる様子を見ていたマグダラのマリアら女性たちは、安息日が明けた週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行きました。香料は遺体の防腐、防臭措置をするために用いられるものですが、手厚く葬りたいという思いは誰もが持つものです。彼女たちは安息日が明けるのを待って大急ぎで墓に行きました。

墓に行った女性たちですが、思ってもみないことが起こりました。墓に入るとイエス様の遺体がなかったのです。途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れ、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と声をかけました。すると彼女たちは、かつてイエス様が受難予告をされたときに、「三日目に復活することになっている」と言われていたことを思い出したのです。彼女たちは墓から帰ります。恐れつつも喜んで帰ったのです。「そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせました」と書かれてあります。

わたしたちは今日、どういう気持ちで墓に行こうとしたでしょうか。クリスチャンでない方は、お墓参りをする。そういう思いの方が多いのかもしれません。しかし、ここで死んだ方のために何かを念ずる必要はないのです。あの世で安らかであることを願う必要も、あの世から守っていただこうと思う必要もありません。イエス様を復活させられた神は、死の支配を滅ぼしてくださった方です。召天者墓苑礼拝は、生きる者も死んだ者も支配してくださる神を賛美するためにあるのです。

女性たちも、イエス様の遺体を手厚く葬るために墓に行きました。しかし、墓の中に遺体はなく、天使の言葉によりイエス様が復活されたことを知らされ、墓から帰るときには喜んで帰りました。そしてイエス様の復活された出来事の一尾始終を11人の弟子と他の皆に知らせました。

けれども、弟子たちはこの女性たちの話を信じませんでした。たわ言だと思ったのです。当時の裁判では女性の証言は有効でなかったと言われています。しかし、女性でなくても信じなかったと思います。復活を信じることができないのは、何も現代人だけでなく大昔からそうだったのです。信じられるものを信じるのは誰でもできることであって、信じられないことを信じることにこそ、信仰の醍醐味があります。

それでも、ルカは弟子たちの中で一人墓に行った人がいたことを記します。それがペトロでした。ペトロは立ち上がって墓へ走ったのです。皆さんの中で、走って墓に行ったという人は誰もいないでしょう。名古屋教会墓苑に行くまでに坂を走っていくと大変なことになりそうですが、そうでなくとも墓というものは走っていくようなところではないでしょう。ではなぜ、走ったのか。ペトロは彼女たちが言ったことが信じられなかったと思います。それでも、ほんとうなのかどうか、一刻も早く確かめたいという心が芽生えたのです。

ルカは注意深く、「立ち上がって走り」と伝えています。立ち上がったということは、それまでは横になっていたか、座っていたかですが、この「立ち上がって」と訳された言葉には、よみがえるという意味があります。自力でよみがえるのは不可能です。ペトロは立ち上がらされ、走らされたのです。復活の主がペトロを新しく立ち上がらせたのです。

ペトロは身をかがめて中をのぞきました。イエス様の遺体を包んでいた亜麻布しかなかったので、中に入ってまで捜すことはしませんでした。復活されたイエス様を見たわけではありません。まだ信じたわけではないと思います。それでも「この出来事に驚きながら家に帰った」とありますので、イエス様が復活されたと聞いて走って墓に行ったときよりも、さらに驚いて家に帰って行ったのです。

ペトロの里はカファルナウムで、ここはエルサレムですので、この家というのは、弟子たちが集まっていた家、木曜日には最後の晩餐を行い、後にイエス様が部屋の真ん中に立たれた家、50日後に聖霊降臨の出来事が起こった家に違いありません。するとこの家は、最初の教会になった家ということになります。

わたしたちは、これから家に帰ります。説教題を「墓に行き、墓から帰る」というらしからぬ題をつけましたが、墓はイエス・キリストの復活の舞台となったところです。「いのちの終わりはいのちの初め。恐れは信仰に 死は復活に」。墓にやって来た時と同じではなく、新しい思いをもって家に帰っていただきたいと願います。