イザヤ書53章9~10節 ルカによる福音書23章50~56節a
「死にて葬られ」田口博之牧師
以前にした説教で「十字架の道行き」というカトリック教会独自の信心業があるという話をいたしました。カトリック教会の聖堂に入ると、キリストのご受難を黙想する14の場面を描いた絵や彫刻の額が掛けられていて、その額の前で立ち止まって黙想し祈りを進めていくものです。
その14の額は、イエス様がピラトから死刑の宣告を受けられてから墓に葬られる迄の14の場面を描いていますが、これを留と呼びます。英語でいうステーションですけれども、この十字架の道行きを示す14の留は、エルサレムの「ヴィア・ドロローサ」、イエス様がゴルゴタへと向かう悲しみの道に倣ったものです。途中には、パレスチナ人の商店街もあり、イエス様の墓があるとされる聖墳墓教会に向かうのです。聖墳墓教会は、ベツレヘム生誕教会と並んで歴史的価値のある建造物で、ギリシャ正教のエルサレム総主教庁、アルメニア使徒教会の主教座、カトリック教会エルサレム総司教座がここに置かれ、1日中礼拝が行われています。
わたしはヴィア・ドロローサを歩いている間、お腹が痛くなっていて大変な思いをしながら歩いていたのですが、不思議なことに聖墳墓教会に入った瞬間、お腹が痛むのも忘れていました。聖なる空間に入って、いやされたのかなと思ったものです。この聖墳墓教会の敷地内または中に、十字架の道行きの五つの留があります。
第10留.イエスは服をはぎ取られる。
11留.イエスは十字架に釘付けにされる。
12留.イエスは十字架上で死去される。
13留.イエスは十字架から降ろされる。
14留.イエスは墓に葬られる。
しかしそうなると、聖墳墓教会がゴルコタの丘になってしまいます。エルサレムの旧市内に処刑場がないだろうと考える人はわたしだけでないのは当然のことで、城壁の外にある岩場の「園の墓」がそうではないかと言われています。さらにいえば、イエス様が死んだゴルゴタとヨセフが用意した墓はそんなに近かったのかという疑問もあります。確かに、安息日が始まるので大急ぎで葬る必要がありましたが、さすがにという思いがあります、どうでしょうか。
さて使徒信条は、イエス様の受難を「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り」と告白します。使徒信条の入門書を読むと、このことを四つに分けて解説するものが多いです。今日の説教題は、「死にて葬られ」としましたから、使徒信条の言葉でいえば、三つめが主題となっているといえます。けれども、今日のテキストで語られているのは死後の葬りについてです。「十字架の道行き」の最後のステーション、第14の留です。
「死にて葬られ」と言いますが、死と葬りには明確に違いがあります。それは人称の違いです。イエス様の死は、イエス様から見れば1人称であるように、わたしたちの死もそうです。死ぬのは自分ですが、自分で自分を葬ることはできない、誰かに葬ってもらわなければならないのです。
イエス様の場合、アリマタヤのヨセフによって葬りがなされました。では、ヨセフはどういう人だったのでしょうか。ルカは「ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである」と紹介しています。
その紹介でヨセフの人となりが十分に分かりますが、他の福音書記者の証言を加えると、マタイは、「金持ちでイエスの弟子」であったといい、マルコは「身分の高い議員」といいます。つまり議員といっても平の議員ではなく、それなりの地位もお金もある議員でした。またヨハネ福音書では「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していた」と紹介していますので、ヨセフの人となりが立体的に見えてきます。福音書が四つあるのは有難いことです。ヨハネが、ユダヤ人を恐れてイエスの弟子であることを隠していたと述べていることが重要です。
するとヨセフは「同僚の決議や行動には同意しなかった」とルカは述べているものの、イエス様を死刑にするためにピラトに引き渡す裁判で、起立して反対意見を述べたとか、そういうことではなかったということが推察されます。
先週の教会総会で、新年度計画や新年度の予算案が決まりました。挙手を求めたところ、いかにも皆さん賛成していると認められたので数えるまでもなく承認可決しました。全員賛成ですねと小声で言ったかもしれませんが、ひょっとすると、一人か二人手を挙げていない方がいらしたかもしれません。「無言は承諾」とか「沈黙は同意」と言われるように議事を進めていきますが、どのような会議でも、挙手はしないけれど、反対しないことで同意しているという人はいるものです。
ヨセフの場合はどうだったでしょう。あのときの最高法院では、議員の大多数がイエス様をピラトに引き渡すことに同意しています。しかし、冷静な会議ではなかったと思います。ヨセフがいかに身分の高い議員であったとしても、イエスは無罪だと声を挙げて周りの議員が耳を傾ける。そんな雰囲気ではなかったと思います。声を挙げようものなら、お前もイエスの仲間なのかと身の危険も及ぶ、そんな心配があったのではないでしょうか。「同僚の決議や行動には同意しなかった」と言いながらも、周りを恐れていたヨセフは、意見表明まではできなかったのです。
そのようなヨセフですが、ここで何もしなければ後悔すると思ったのでしょうか、勇気を出してピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出たのです。ユダヤの暦ではまもなく日が沈み安息日に入ります。このまま何もしないと、遺体を丸一日放置することになってしまいます。しかも過越祭の安息日でしたので、それはユダヤ人にとっても許されないことでした。モーセの律法、申命記21章22節以下に次のような規定があります。
「ある人が死刑に当たる罪を犯して処刑され、あなたがその人を木にかけるならば、死体を木にかけたまま夜を過ごすことなく、必ずその日のうちに埋めねばならない。木にかけられた者は、神に呪われたものだからである。あなたは、あなたの神、主が嗣業として与えられる土地を汚してはならない。」
ですから、一時的せよどこかに置いておくか、大急ぎで遺体を廃棄するしかなかったのです。ヨセフはそのようなことはできないと思い、イエス様の遺体を渡してくれるようにとピラトに願い出ました。ヨセフは最高法院の議員ですので、ピラトがその申し出でを拒む理由はありません。
問題はヨセフの方です。そのように申し出て、遺体を引き取ったのはいいけれど、じゃあどうすればよいのか。もちろんヨセフは決めてはいました。「遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」とあります。この墓は、ヨセフが自分のために作っておいた墓と考えるのが自然です。「岩に掘った墓」とあるので、竪穴式の立派な墓です。それにも増して、どんなものであれ、新しいもの、まして自分のために取っておいたものを差し出すことは簡単ではありません。いただきものでさえ、高価ななら惜しむ気持ちがある。自分にとって余程たいせつな人でなければ、できないことではないでしょうか。ましてお墓を作るなど、一生に一度のことだったはずです。
ところで、「まだだれも葬られたことのない」という言葉から思い出したことがあります。今日は教会暦では棕櫚の日です。イエス様はエルサレムに入城されるとき、「まだだれも乗ったことのない子ろば」に乗って、柔和な王として迎えられました。エルサレムでのイエス様の最後の1週間は、受難週と呼ばれるように、苦しいものでしたので、エルサレムに入られる時と、葬られる時には、王としてふさわしく整えられたことに慰めを受けます。
結果として、ヨセフが捧げたこの墓は、三日目には空になります。イエス様は墓に留まる方ではなかったからです。聖墳墓教会は、この墓があったと考えられたところに立てられました。後にヨセフもこの墓に入ったと思われますが、だとするとヨセフのお墓が教会になったことになります。それはヨセフが考えてもみないことでしたが、神様はわたしたちが捧げたものをふさわしく用い、わたしたちの思う以上の祝福を与えられるのです。
この時、ヨセフが取った行動は、裁判の時にはユダヤ人を恐れて何もできなかったという、ただの罪滅ぼしということではなく、ルカが述べたように、ヨセフが議員という立場で、善良な正しい人であり、何よりも神の国を待ち望んでいがゆえにからできたことです。
思うに、アリマタヤのヨセフは老人だったと思われます。若い人なら自分の家を建てることは考えますが、お墓を用意しておこうとは思わないでしょう。「神の国を待ち望んでいた」という言葉からも、ヨセフが老人であったことが想像できます。生まれてまもないイエス様が、エルサレム神殿で献げられたとき、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいたシメオンとも重なります。
シメオンはイエス様を腕に抱いたとき、「この僕を安らかに去らせてくださいます」と歌いました。ヨセフはイエス様の復活を目撃した時、死をも滅ぼしてしまう神の国、神の支配する世を見ることができた。いつ死んでもいいと思ったのではないでしょうか。イエス様の横に並んで葬られたのでなくても、いやこの墓から復活されたからこそ、死を越えて、主と共に生きる慰めが与えられたと。
こうしてイエス様は、ヨセフにより丁重に葬られました。このことはわたしたが愛する人をどう葬るか、自分がどう葬られたいか、そのことに関わってくるきがしますが、皆さんはどうでしょう。わたしが牧師となってかなりの年月が経ちましたが、葬儀のかたちも随分と変わってきたように思います。かつてはお葬式に価格表などありませんでした。葬儀社がこれだけかかるという金額を支払う。死者を葬るための金額を安く上げようなど考えてはいけないと、考えられていたように思います。ところが、葬儀社も競争するようになり、価格表を出す業者が表れたころから、遺族の方もなるべく簡素に行う仕方を選べるようになり、家族葬ということも当たり前になってきました。
前任地にいたとき、年に5,6回の葬儀が三年続いたことで、葬儀について深く考えるようになりました。かねてより、まるで葬儀を二度行うように、前夜式と葬儀式が行われることに疑問を持っており、前夜式は葬儀よりも簡素に前夜の祈りとする仕方を提案しました。葬儀社も周りの教会の牧師たちも驚きましたが、いつの間にかそれが当たり前となりました。名古屋教会に着任すると、その提案をするのはもう少し待とうと思い、当初は前夜式と葬儀式を行っていましたが、コロナを契機に、前夜式を納棺の祈りとする仕方をあることを提案し、そういう形も増えてきました。
一方で葬儀社としては、葬儀の簡素化対策もあるのでしょうか、かつてあまり多くはなかった湯灌を勧めることが増え、遺族側もそう勧められるなら、綺麗にしてお送りしようと湯灌をすることが増えているようにも思います。
名古屋教会では、十数年前に「葬儀に関する希望」を集めており、それを出してくださった方の葬儀は、わたしとしてはやりやすい場合も多いです。しかし、それにさからってせざるを得ないこともありますし、遺族が本人の希望を知らないケースもあります。前任地を去る間際に「死と葬儀についての心得」というパンフレットを作り、エンディングノートをつけています。教会は葬儀の主催者にはなり得ませんが、名古屋教会としてどういう葬りがふさわしいか、連絡の仕方なども含めて、検討することも大切かと考え始めています。
また、わたしたちは葬りというと、葬儀のことを第一に考えますが、本来葬りの中心は、火葬であり、埋葬、納骨なのです。火葬はお任せするしかないことですが、納骨はお墓の問題が出てきます。次週イースター墓苑礼拝があります。キリスト教会では、お墓は死者が眠る場所としては考えません。イエス様が復活されたとき、墓は空であったということが大事です。であるならば、お墓はどうでもいいといえば、そういうことではありません。アリマタヤのヨセフが、十字架で死なれたイエス様を丁重に葬ったことは、わたしたちが死者の葬りを成す上でのお手本だといえるのです。その意味で、教会の墓苑をふさわしく管理し整えることは大切なことです。
今日のテキストの最後、55節以下には、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」とあります。
この婦人たちは、イエス様が十字架で息を引き取られたとき、遠くに立って見ていた人たちです。イエス様の遺体は亜麻布に包まれましたが、本来は遺体をくるむ前に、香料と香油を塗っておくのです。でもその時間がありませんでした。ヨセフのお墓とイエス様が葬られる様子を見届けた彼女たちは、安息日の明けた朝、香料と香油を準備して墓に行き、復活の証人となりました。ルカは彼女たちの名前も記しています。
次週のイースター礼拝では、この続きのテキストから学びますけれども、イエスが葬られたヨセフの墓が復活の舞台となり、主の栄光が現わされる場となりました。そのことも覚えつつ、主の御苦しみを深く覚える受難週を祈り深く、しかし望みを持って過ごしましょう。