ルカによる福音書21章5~19節
「おびえることはない」 田口博之牧師

今、司式者に朗読していただいたテキストは、世の終わり、終末について語られるイエス様の言葉です。終末についての話は、ここだけでなく36節まで続くのです。「目を覚ましていなさい」と。イエス様が、十字架に向かわれる最後の1週間で、この言葉を残されたのはとても重要なことです。

但し、ここでは、世の終わり、終末が来る前に起こる、様々な「しるし」について語られているところです。しるし、英語ではサインです。終末の訪れを示す徴候について語られているのであって、直接ではありません。ここも注意する必要があります。

この話の発端は、21章5節にあるように、「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話している」時のことでした。イエス様もエルサレム神殿の中にいました。この神殿は、バビロン捕囚からエルサレムに帰還したユダヤ人が500年前に再建した第二神殿と呼ばれるものでした。それは、ソロモンが建造した第一神殿と比べるとみすぼらしいものでしたが、この神殿の再建を手がけたのがヘロデ王でした。ヨハネ福音書にある宮清めの記事を読むと、「この神殿は建てるのに46年もかかった」と言われるような世紀の大事業でした。

この神殿が建っていたところ、今はイスラム教の「岩のドーム」と呼ばれる荘厳なモスクが建てられています。イスラムの信者がこれを誇らしく思うように、当時のユダヤ人にとっても誇らしいものであった。ところがイエス様は、「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」。つまり瓦礫の山になる日が来ると予告されたのです。

これを聞いた人々は、「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」と尋ねます。メシアの到来を待ち望んでいたが人々にとって、神殿が崩壊するなど考えられないことだったです。するとイエス様は、8節から11節で三つのしるしを挙げられます。一つは、偽メシアの出現、二つ目は、戦争や暴動、そして三つ目が、地震、飢饉、疫病、天変地異です。

このような言葉を聞くと、わたしたちも終末の近さを感じるのではないでしょうか。コロナパンデミックが起こったとき、終末を煽るような風説も一部のキリスト教会から聞こえました。その後もロシアのウクライナ侵攻に端を発した戦争が続き、今年に入ってトルコのシリア国境近くで起こった大地震が起こりました。昨年は日本でも、再臨のメシアを名乗る教祖が作った団体が社会問題化しました。それらを取り上げて、今日のテキストに絡めると、終末が近づいている、そんなことを考えはじめると、心穏やかではなくなってきます。

数日前に、ある方から教会に電話がありました。その方は、本人は教会に行っていないと言われましたが、聖書はよく読んでいる方で、牧師が困りそう、答えに判断が分かれそうな質問を幾つかしてこられました。最後に「先生の教会は終末について強調しますか」と聞かれました。わたしは、「終末については語るし、大事なことだけれども、いたずらに強調することはない」と答えました。質問はそこで終わりましたので、その方のいちばんの関心事は終末論だったのかもしれないと思いました。

毎週、わたしの説教を聴かれている皆さんは、田口自身の終末観について、とても大事にしているけれども、ことさらに強調していないことを知っていると思います。さきほど挙げた三つのしるしは、確かに起こることです。現に今も起こっています。しかし、こういうことが起こっている、だから終末は近いのだ、と言ったことはありません。おそらく「こういうことが起こるのは終末が近いしるしだ」と言った瞬間、聞く人は恐怖を感じるだろうと思います。今そういうことを言ったら礼拝の空気が変わると思います。その時に思い描く終末は、絶望であり、諦めとなってしまうのです。でも、終末はそんなものではない。聖書はヨハネ黙示録によって終わりますが、終わりは始まり、新しい天と新しい地の創造が語られます。わたしたちにとって終末は希望です。だからこそ「御国を来たらせたまえ」と祈るのです。「マラナ・タ、主のみ国が来ますように」と歌うのです。

ここでもイエス様は、絶望と思えるようなことが起こっても終わりが来ると言われたのではありません。そういうことが起きても、8節「惑わされないように気をつけなさい」と言われています。9節では「戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである」と言われたのです。

今年は東日本大震災が起こって12年となります。昨日は3月11日ということで、愛知西地区でも「東日本大震災被災者・被災教会を覚えての祈りの集い」が行われました。12年とは一回りであり、仏教では13回忌が行われる年となります。そのせいか分かりませんが、今年は例年にも増して震災関連の報道番組が多いように思いました。今も2500人を超える行方不明者がいますが、つい最近、行方不明者の遺骨が特定できたというニュースを聞きました。それが分かったとき、家族は非常にショックを受けられたということです。行方不明のままでも、多くの人は死亡届を出されています。それをしていなかったということは、死を認めたくないという気持ちの表れだともいえます。

少し前に、名古屋教会の戦前、戦中の月報の一部が小松教会から発見されたという報告をしました。それはとても貴重な資料なのですが、教会の3階書庫には、それ以前、大正期に発行された月報の写し、約120号分が保管されていたことが分かりました。先日、ある調べ物をしているときに、ちょうど100年前、1923年9月発行の月報があり、「稀有の大災につきて」と題した吉川牧師の巻頭教壇に目が留まりました。そう100年前の「稀有の大災」とは関東大震災のことです。

巻頭教壇は、9月1日の震災から1週間後の9月第2聖日(9月9日)の礼拝説教の要旨です。はじめのところを読んでみます。「我々人間には幸福なときよりも不幸な時に於いて更によく学ぶる真理があり、又教えらるる大切な教訓があるものである。此の度の関東の稀有の大災害につきても、其の罹災者は勿論のこと、無事な位置に在って同情を寄せる我々の為にも、平素事なき時に於いては決して学びがたい、経験しがたい思想、感情、又思い遣りなどが起って、それらが普通の時では到底知ることの出来ない程の深さにまで達し、何人も身にしみ込むほどに心に味はるる大いなる真理、大切なる教訓が自ずと教へらるる様に感ぜらるる。
此の際、外形の事や、見聞きした所の事ばかりに驚き騒いで、心の奥底に深く味ひ学ぶべき大切なことに触れずにしまえば其れは更に大いなる不幸である。」

そのように始まり、説教の終わりは「我々の性質にも平素は隠れたる美しい特質が、稀有の大災によって大いに発達せらるる事を得たら我等は一段の栄光に進み得るであろう」と結ばれていました。

この時代、災害や疫病が起こると、堕落した社会に対する天罰だとする風潮がありました。内村鑑三や渋沢栄一などは、天が譴責するという「天譴論」を主張したのです。しかし、吉川牧師の説教は、これとは一線を画し、残された者への教訓を語るものでした。

名古屋教会の伝道の礎を築いた植村正久牧師も、「婦人の友」誌において、ヨハネ9章3節のイエスの言葉をふまえて「神の業の顕れる機会」としてこの震災を受けとめ、「いたずらに思弁にふけり、その原因を討論する」のでもなく、「進んでよきことをなし、世の発達、人の改善進歩に貢献すること」を志すべきであると説いています。植村、吉川とも、運命論には捕らわれず、残された者がどう生きていくかを語っています。東日本大震災後に脱原発が大いに議論されましたが、それがどうなったのか、エネルギー価格高騰の中で真剣に考えていく必要があります。

イエス様は、終末の徴として、偽メシア、戦争、災害、疫病等を語っていますが、そこに惑わされてはならないし、おびえることはないと言われました。わたしたちは普段は強がっていても、弱い人間です。この人は強いと思える人でも、限界を思い知らされたときには、破局の中に自分を葬り去ろうと考えてしまいます。気を付けねばならないことは、そんな人間の弱さ、不安を利用する人が必ず現れるということです。

けれども、地上に起こる災いはそれ自体、起こるに決まっているとイエス様は言われるのです。地殻変動により地震が起こるのは当たり前のことです。人間の罪により争いは起こります。それは神による出来事ではありません。ですから、神に問うことではないのです。岩手の大船渡出身の医師、山浦玄嗣(はるつぐ)氏は、震災の後で『「なぜ」、と問わない』という小さな本を出しました。「そんな問いに意味はない!」と言いて、後ろ向きに「なぜ」と問う人々を一掃しました。

「なぜ」、「どうして」という問いは、おびえているからこそ生まれます。イエス様に「そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」という問うた人も、積極的な意味で問うたわけではなかったのです。そこから逃れる策を考えることどでしかなかった。

それよりもイエス様は、いつ起こるのか分からないことを心配する前に、起こることを語るのです。12節、「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く」と迫害が起こると語ります。とても厳しいことです。けれども、「それはあなたがたにとって証しをする機会となる」と言うのです。前もって弁明の準備をする必要もないと言うのです。なぜなら、「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。」だからおびえる必要はないのだと。

わたしたちは今一度、イエス様がこの言葉を語った背景を確かめたいと思うのです。きっかけは、エルサレム神殿の崩壊をイエス様が予告されたことでした。それを聞いた人が、「それがいつ起こって、どんな徴があるのですか」と尋ねたので、イエス様はお答えになったのです。あくまでも神殿崩壊のことなので、何も世の終わりの話をしたわけではないともいえるのです。

実際にエルサレム神殿は、このときのイエス様の言葉から40年程たった紀元70年のローマ軍によるエルサレム侵攻によって破壊されました。「嘆きの壁」は、神殿で唯一残った物なのです。ルカによる福音書は、神殿崩壊以降に書かれたものですので、これを読んだ人は神殿が滅びたことを知っています。それでもなお歴史は続いています。今もそうです。するとイエス様は、目に見えるものはいつか滅びる、あなたたちは、目に見えない神を信じて生きよ。そう言われたのです。

そこで一つ考えさせられることは、イエス様が12節以下で迫害を予告されたことです。ルカによる福音書は、神殿崩壊以降に書かれたものだと言いました。聖研祈祷会で、パウロの獄中書簡を読んできましたが、福音書はパウロ書簡より、もっと後の時代に書かれています。教会はより厳しい迫害の時代を迎えていたのです。ここでイエス様は、家族や友人に裏切られ、殺されるようなことさえ起きる。イエスの名によって憎まれることさえあると語っています。しかし、おびえることはない。「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」と言われるのです。

この「忍耐によって、命をかち取りなさい」と言われる「命」とは、原語ではプシュケー、これは魂とも訳される言葉で、生物学的な「命」とは異なります。神との交わりの中で与えられる命です。死によって失われることのない命。この命を得るために、忍耐が必要だとイエス様は教えられたのです。

イエス様はこの教えを、まもなく十字架につけられるという時にお話になりました。ヨハネの宮清めの記事、2章19節ですが、イエス様は、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われました。ここでヨハネは、「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」と説明を加えています。

そのように聖書を複合的に読んでいくと、神殿崩壊について語るイエス様の言葉の意味深さを思わせられます。イエス様は初めから十字架と復活への道を歩まれていました。忍耐ということでいえば、イエス様以上に忍耐された方はいません。十字架の御苦しみに耐え、わたしたちの無理解を忍耐されました。「愛は忍耐強い」と言われるように、イエス様の忍耐によってこそ、わたしたちは永遠の命を与えられました。わたしたいは、その命を得るために、子どものための説教で告げたごとく、「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って」イエス様に従ってゆくのです。終わりの日、新しい天と地がなるとき、命の冠をいただける望みを抱きつつ。