〇メッセージ「礼拝の喜び」 田口博之牧師
〇聖書(旧約)歴代誌下29章30節
ヒゼキヤ王と高官たちが、ダビデと先見者アサフの言葉をもって主を賛美するようにレビ人に命じたので、彼らは主を賛美して喜び祝い、ひざまずいて礼拝した。
(新約)ローマの信徒への手紙12章1節
「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」
わたしが初めて礼拝に出席したのは高校1年の時でした。礼拝では讃美歌を歌い、祈りがささげられ、牧師が説教します。献金もあります。たまに聖餐式という儀式が行われる。礼拝とはそんなものだと思っていました。大学に入って以降、いくつかの教会の礼拝にも出席するようになりました。そこで感じたことは、どこの教会に行っても、礼拝はだいたい同じような順序で、同じように行われているということでした。なぜそうなっているのか、誰がこう決めたのか。そもそも、このような流れで行われる礼拝にはどういう意味があるのだろうか。そういうことを、日本基督教団の教師になる勉強を始めた頃から考えるようになっていたのです。
1月の長老会だよりに、2021年の礼拝出席状況の表を示しました。もともとは、長老会で牧会的な分かち合いをするため、毎週受付でチェックされる礼拝出席表から個別に集計していたのです。長老会では、礼拝になかなか出席できない方、その中には遠方に入る方や、施設に入られている方がいます。コロナの感染をご家族が案じておられる方もいます。いろんな事情があって、礼拝に出席する心を失くしてしまったと思われる方もいます。どうしてか分からない方もいますが、一人一人を覚えて祈りました。
他方、毎週欠かさず礼拝に出席される方もおられます。礼拝で一週間の歩みを始めることが体にしみついているという方が多くいるのです。何がその方たちをそうさせるのでしょうか。しかし、皆がはじめからそうだったわけではないでしょう。離れた方も何かのきっかけがあって戻ってきた筈です。そこには教会の祈りと交わりがあったはずなのです。
わたしは、今は牧師となり礼拝が仕事だといえるので、休まないのは当然ですけれども、年に数回しか礼拝に出ない時期もありました。年に20回も礼拝出席すれば、打率は3割7分7厘となり、野球であれば首位打者が取れます。それで十分ではないか、礼拝は行ける時に行けばいいという意識でいた時期もありました。
その考え方が覆ったあるひと言がありました。今から30年位前、松山にいた頃の話です。通っていた教会に年齢が2つか3つ上の人がいて、テニスに誘ったことがありました。明治時代からのクリスチャンホームに育った彼は、骨太の信仰の持ち主でした。頭脳明晰で色んなことをこなし、ユーモアもあり誰もが尊敬する人でした。テニスの腕も、経験者であるわたしよりも上で、一緒にプレイしていた一人が、「今度、試合に出よう」と、声をかけました。わたしたはそばで聞いていて、相槌を打とうとしたその瞬間です。彼は「でも試合は日曜日にするよね。日曜日は教会に行くから、試合には出られないよ。」と、さらっと返したのです。その言葉に私は驚きました。まさに目からウロコ状態でした。
なぜなら、それまでの自分にとって「試合があるから教会に行けない」というのが、礼拝を休むのに文句なしの、全うな理由だと思っていたからです。ところが彼は「教会に行くから試合には出られない」と当たり前のように言ったのです。涼しい顔でそう答えた彼の表情とその言葉に清々しいショックを受けました。
当時「聖日厳守」という言葉がよく言われていたように思いますが、今考えると、彼は礼拝を厳守しようという意識すらなかっただろうと思います。週の初めの日には当たり前に礼拝に行き、礼拝が生活の基盤になっていることを感じました。あの時に聞いた言葉と、あの時間はわたしにとってのカイロス(神の時)となりました。
ローマの信徒への手紙12章1節で、パウロは礼拝について一つの定義をしています。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と。
ローマの信徒への手紙12章というのは、この手紙の後半部分が始まるところです。パウロは11章までに、信仰についてすべてを語っていました。救いがどういうものであるのかを理解できれば、それだけで十分なのかもしれません。でも、パウロは、頭で理解すればそれでいいとは思わなかったのです。それでは終われないと思い、救われた者はどういう生きるべきなのかという実生活の勧めを書き始めたのです。その最初のところで述べたのが、礼拝への勧めでした。
「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。」この勧めから、礼拝とは「体を献げる」ことであると、パウロは理解していたことが分かります。確かに教会に体を運ばなければ、礼拝出席にはなりません。先に述べた「礼拝出席状況」表でも、LINE電話の人は数に入っていません。それはあくまでも、受付のチェックから転記したものなので、オンライン礼拝は礼拝ではない、という話をしているのではありません。
今日は本来であれば全体集会を予定していました。ちょうど1年前に発行した『名古屋教会史-100年史以降35年の歩み-』を資料にして、教会の将来展望を話し合いたいという計画を立てていました。教会の将来について考えたとき、もっと若い人が増えなければという思いにかられます。青年伝道はとても大切です。では教会が、若者が喜ぶ礼拝を工夫して、礼拝出席が増えればそれでいいのでしょうか。若い人がたくさん来るようになった結果、祈りの家とは程遠くなってしまったとしたならば、それでよかったとはならないはずです。
礼拝の喜びとは、自分が喜ぶとか、人を喜ばせる、そういうことではありません。パウロが「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」と言ったように、わたしたちに求められているのは、どこまでも神に喜ばれる礼拝なのです。
歴代誌29章30節に「彼らは主を賛美して喜び祝い、ひざまずいて礼拝した」とあります。旧約時代の礼拝は、神様に動物の犠牲を献げることが中心でした。祭司が犠牲を献げている間、民はひざまずいて礼拝していたのです。週報の「牧師より」に書いた、竹森満佐一先生の「礼拝は神を拝むこと」。わたしたちはそういうこころを携えて礼拝に臨んでいるでしょうか。
牧師になりたての頃、レビ記から話をした時のことです。終わってからある方が、「旧約の時代にはいけにえとしてささげる動物を引いて来なくてはならなかった。それと比べると、今は随分と楽になったものだ」と言われました。若かったわたしは、「物理的に考えるとそう思うかもしれないが、その考え方は間違いだ」と伝えました。
イエス様ご自身が、「世の罪を取り除く神の小羊」として、ご自分の命を十字架に献げられたことで、わたしたちの罪は赦されました。もう動物をいけにえとして礼拝に連れてきて献げることはありません。しかし、イエス様は私たちに楽をさせるために、身代わりとして死なれたのではないのです。
神がわたしたちに求めておられる礼拝は、自分の身代わりに動物などを供えるのではなく、生きた自分の体を礼拝に運ぶことです。その行為が人生そのものを神に献げるということに通じるのです。礼拝出席の話をすれば、名古屋教会の最高齢者は昨年5割バッターでした。健康で余裕があるから来られているのではありません。両手に杖を持ち、力を振り絞って来られています。礼拝をかけがえのない時として聖別されています。神に喜ばれる礼拝者としての姿がそこにあります。
体を献げるということは、楽なことではありません。体は一つですから、仕事や家族のために、礼拝に行けない方がいるでしょう。日曜日の朝だけはゆっくりさせてほしい、そう思う人もいらっしゃるでしょう。年を重ねると教会に行くのもたいへんだし、礼拝の椅子に座っているだけでも辛いと思えることがあるでしょう。そのような体は、旧約の時代であれば、傷があって献げ物として認められないような体なのです。健康が与えられていても、神の前に出るにふさわしい人など誰もいません。牧師だってそうです。でもそんなわたしたちを、神は聖なる者として、礼拝に招いてくださっているのです。イエス様が十字架上で、わたしたちの罪をすべて引き受けてくださったからこそ、わたしたちは体を運ぶことがゆるされているのです。これは恵み以外の何物でもありません。このただ一つのことを受けとめるならば、礼拝への姿勢は変えられていくはずです。
イエス様がご自身の体を、わたしたちのなすべき礼拝の初穂として、聖なる生けるいけにえとして献げられました。聖なる小羊の体は献げて終わりではなく、復活されたのです。わたしたちは、主が復活された週の初めの日に礼拝を献げます。
2022年1月23日。わたしたちは教会が使徒の時代よりたいせつにしてきた聖日礼拝を中止しました。この日のことを、記憶し続けると思います。このことがどうだったのかと、思いめぐらしている間に、神に示されたことがありました。礼拝を止めた、その日、その時間を「聖なる断食」の時として、祈りをもって受けとめよと。そのように受けとめたとき、毎週、当たり前のように巡ってきていた礼拝の意味を新しく問い直すことができました。このメッセージを最後まで読んでくださった方が一人でも多くいて、イエス様が備えてくださった喜びへの礼拝を帰って来ることができますように。教会の将来展望も礼拝から開けてくることを信じます。