イザヤ書60章1~3節   ヨハネによる福音書8章12~20節
「命の光に生かされて」 田口博之牧師

聖書を読むと、イエス様はいろんな呼び方がされていたことに気づきます。「ダビデの子」、「主」、「メシア」、「神の子」など様々です。「エリヤだ」、「昔の預言者の一人だ」、「洗礼者ヨハネがよみがえったのだ」という人もいたようです。いろんな呼び方がされるということは、その人の豊かさを表します。そんなイエス様は、ご自分のことを「人の子」と呼ぶことがありました。面白いなと思います。さらにヨハネによる福音書を読むと、別の系統で名乗られていることを知ることができます。

別の系統とは、「わたしは命のパンである」、「わたしは良い羊飼いである」、「わたしは門である」、「わたしは復活であり命である」、「わたしは道であり真理であり命である」、「わたしはぶどうの木」、などいうもの、実に多彩です。今日のテキストである、「わたしは世の光である」もその一つです。これらは、ご自分がメシアであることを宣言する言葉です。わたしたちは、このような言い方はできません。メシア、救い主でなければこのようには言えない。大胆な自己啓示です。

「わたしは世の光である」とはどういう意味でしょう。「光」という言葉は、救いを表すシンボルともなっていました。旧約聖書においても、「光」という言葉で、神の救いを表す箇所はいくつもあります。詩編27編の詩人は、「主はわたしの光、わたしの救い/わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦/わたしは誰の前におののくことがあろう」と言いました。神こそが光であり、この光の中を生きる限り恐れることはないと言われます。イザヤは「ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」と呼びかけました。60章1節には、「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く」とあります。光はつねに救いと結びつく言葉となっています。

ヨハネのテキストにおいては、「わたしは世の光である」の後で、「わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」という言葉が続きます。ここに出てくる、「世」、「光」、「暗闇」、「命」という四つの言葉は、「初めに言があった」で始まるヨハネ福音書冒頭のプロローグに出てきます。1章4節から5節に、「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」9節には「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」とあります。イエス様は、天地創造の先より、神と共におられた言(ロゴス)であり、世に来てすべての人を照らす命の光であり、この光の中を歩むようにとわたしたちを招いてくださっています。

わたしたちは、今年度、ヨハネによる福音書8章12節のイエス様の言葉を2023年度の年度聖句とすることを一次総会で決議しました。今日は20節迄朗読しましたが、12節の一句説教、主題説教でとなることをお断りしておきます。さらに、この聖句に導かれて、説教題とした「命の光に生かされて」を、年度標語とすることを決めています。昨年度は「平和を祈り求める共同体」を年度標語としていました。年度は変わりますが、当初はこれを継続してもよいかなと考えたのです。コロナ感染症による不安が除かれたわけではありません。ロシア・ウクライナの戦争など祈りの課題としてきたことは、何一つ解決していないのです。トルコ・シリアの地震も復興の目途は経っていません。先週来、スーダンの内戦報道を見聞きするところとなりました。停戦に合意したと言われますが、危険な争いとなっているようです。

わたしたちの中に、スーダンと聞いてピンと来る人がどれほどいらっしゃるでしょう。オリンピックにメダルを取るような種目も聞きません。アフリカのどこかにある国くらいしか知らないのではないでしょうか。このスーダンという国は、11年前に南スーダンが分離独立するまでは、アフリカ大陸で面積の一番大きな国でした。エジプトの南に位置し、国土の多くが砂漠です。旧約聖書では、ハムの子孫、クシュという名で何度か出てきます。スーダンでは、これまでも幾度か内戦、クーデターが起こっています。ハンガーゼロ・日本国際飢餓対策機構のニュースレターを読むと、飢餓や貧困が激しく、世界の中で指折り人道支援を必要とする国となっているようです。支援に入っているNGOの報告によれば、スーダンの人は皆さん温厚で優しいということです。そんな人たちが苦しんでいると聞くと胸が痛くなってきます。わたしたちは、年度が変わり主題聖句や標語がかわっても、イエス様が世に来られる時まで、「平和を祈り求める共同体」であり続けます。

そのことを思う時、「命の光に生かされて」という年度標語も、わたしだけのこととしてはいけないと強く思わされます。教会に集うわたしたちだけが、イエス・キリストという命の光に生かされて、それでよしとしたのでは、意味がないということです。そんなことは当たり前のことと思われるかもしれませんが、はたしてどうでしょうか。たとえば、今日の礼拝でも、いつものように「主の祈り」を祈りました。その中で「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈りました。祈ったものの、ここで祈ったわたしたち自身に、今日の食事を取るのに困るという人がどれだけいるでしょうか。いないとすれば、特に祈らなくても構わないのではないか、そんなことを考えないでしょうか。礼拝で主の祈りを祈ることが、習慣的、形式的なものになっているとすれば悲しいことです。

主の祈りは、イエス様が「祈りを教えてください」という弟子たちの願いに応えて、教えられた祈りです。イエス様は、弟子たちに、自分たちの今日の糧が与えられるようにこの祈りを教えられたのではありません。飼い主のいない羊のように飢え渇いている多くの人々を憐れみ、パンを分け与えてくださるイエス様がこの祈りを託したのです。

わたしたちが、「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ」と祈るときに、どこを見て「我ら」と祈るのかが問われています。わたしたちは、「見えないものに目を注ぐ」と聞いたときに、目に見えない神のことを思うでしょう。一方で、この世にあってもわたしたちの目に見えないこと、知らないことはたくさんあります。イエス様は、よいサマリア人のたとえを通して、隣人であることよりも、隣人になることの大切さを教えられました。目に見える人だけが隣人なのではありません。祈るときに目を閉じるのは、目に見えるものだけ見て祈るのではないということです。その意味で祈りには直接目に見えるものでないものを見る想像力が必要です。知らない人だけれども、苦しんでいるその人たちも我らとするのです。

以前にイメージで祈ることを勧めたことがあります。これは、明らかに今、困窮をきわめている方、命の危機にある方がいることを知るならば、その人を思い浮かべて、その人の傍らにイエス様がいてくださって、その人の肩に手をおかれ、イエス様の温かで優しい命の光に包まれていることをイメージして祈るのです。すると祈りが漠然としたものではなくなります。

「わたしは世の光である」と言われたイエス様は、闇を照らす光として、世に来てくださいました。それは裏を返せば、わたしたちが生きる世は、イエス様が来てくださらねば闇だということです。神が「光あれ」と言われ、光が生じたことで、混沌の世界に秩序が生じました。イエス様が世に来てくださったことで、闇の世に光がともされました。ヨハネ福音書には、「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあります。「理解しなかった」とは、直訳すれば「捕まえられなかった」であり、馴染みのある訳では「闇は光に勝たなかった」とあります。

イエス様に救われた人は、光の中におかれています。しかし、救われたはずなのに、現実の信仰生活の中で、闇の中に放り込まれたように思える状況に陥ることがあります。家族のこと、仕事のこと、健康のこと、突然の事故、経済的な問題、人間関係など、こんなことがあって、ほんとうに自分は救われているのか、そんな疑いに心が奪われてしまうことがあります。

しかし、そう思うとすれば、わたしたちは、救いとは何かということが、分かっていないのかもしれません。先ほど述べた問題はすべて、現実的な救いに関わることです。現実的な救いは、幸せという言葉で言いかえられるのではないでしょうか。確かに信仰に生きることで、人生が上手く行く人もいます。それも救いの目に見えるしるしといえるし、そういう証を聞くことがあります。でも、それはすべてではありません。あの人は上手く行っていていいよなと嫉妬にかられたとしても、うらやむ人には考えられないような努力や戦いをしている人が多いのです。

一方でイエス様は、こうも言われます。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」「しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である。あなたがたはもう慰めを受けている」と。幸い、幸せのとらえ方が、この世のそれとは違うのです。つまり現実的な救いが、救いではないのだということです。

聖書でいう救いは、何よりも罪からの救いです。それは罪によって負わねばならない、神の裁きから逃れるということ。そのことによって命を得ることのできる救いです。この救いの根拠となるものが、わたしたちのためにイエス様が負ってくださった十字架の死であり、わたしたちに新しい命を与えるためのイエス様の復活です。キリスト教の救いは、もう分かっていると思われたとしても、イエス様の十字架と復活に集中することになります。

パウロは「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」と言いました。罪が支払うべき死の報酬は、イエス様が身代わりとなって支払われました。それでも、十字架の死で終わってしまえば、死が勝ち残ることになりますが、神はイエス様を死者の中からよみがえらせたのです。死を勝利者の座から引きずり下ろしたのです。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」の賛歌が響き渡ります。ここにこそ、救いがあります。キリスト者はその救いに生きています。この世でどれほどの苦難があったとしても、この世での命が尽きようとするときにも、それは闇ではありません。死んで闇に葬られるのではなく、闇の中にさえ、命の光が射し込まれているのです。

使徒信条に「陰府に下り」とあります。陰府とは死者の国、暗黒の世界です。死にて葬られたイエス様が、死者の住まうところにまで下られたのは、陰府にも光をもたらすためです。すでに詩編139編の詩人は、そのことを預言するかのように「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし/陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます」と歌いました。死が恐ろしいのは、死んだ後で闇の世界に放り込まれるように思えるからではないでしょうか。しかし、イエス様の十字架の死と葬り、陰府降下、復活により死の意味が変わってしまったのです。もはや滅びではありません。

光は闇の中で輝きます。イエス様が「わたしは世の光である」と言われたのも、夜であったかもしれない。そんなイメージがあります。ところが、この言葉がどこで語られたのかを考えていくときに気づかされることがあります。12節は「イエスは再び言われた」で始まります。20節には「イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された」と舞台設定がされています。わざわざ、そう書かれています。イエス様がこれを語られたのは、7章10節から始まる仮庵祭の時でした。仮庵祭とは、イスラエルが荒れ野で天幕を建てたことを記念し、仮庵を作って仮住まいをしたことに由来する祭りです。

その祭が最も盛大に祝われた終わりの日、7章37節になりますが、イエス様は立ち上がって大声で、「渇いている人はだれでも、わたしのもとに来て飲みなさい」と言われました。これは、荒れ野時代にイスラエルの人々を守った「水」を象徴してのことです。仮庵祭は水の祭りでした。この言葉が、聞いた人々の波紋を呼ぶことになったのですが、これに続いて、イエス様は「わたしは世の光」と言われたのです。仮庵債は水の祭りであると共に、火の祭でした。

イスラエルの人々は、「昼は雲の柱、夜は火の柱」によって、荒れ野の旅を導かれました。祭りの最終日、神殿の宝物殿の近くでは、エルサレムの町をこうこうと照らす火が焚かれたのです。たくさんの人が宝物殿近くに集まっている。そんな祭りの騒々しさもある中で、イエス様は「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」と言われたのです。先達が火の柱によって荒れ野を導かれたことを想起させる祭りにおいて、あなたがたの人生を救いへと導く光として、わたしはあるとイエス様は宣言されたのです。

わたしたちの歩みの中で、信仰によって生きるよりもこの世で成功し、明るい道へと導いてくれそうな光があります。先が見えない時代の中で、子どもたちが幸せな人生を歩めるよう親も努力します。それは大切なことですけれども、それと共にいやそれ以上に大切なことは、イエス・キリストこそが、将来いや永遠の命まで導かれるまことの光であることを伝えていくことです。そのことを先ずはわたしたちが確信し、自分の家族、知人に対して、そしてまだ隣人とはなっていない隣人に伝えていく。名古屋教会であれば、そのことをわたしたちのミッションとして歩んでいく、そのような1年であるよう祈りましょう。